『花の名前 さざんか』
年の瀬。 慌ただしく町は動き、人々はいかにより良い年始を迎えるか考え始める。
万事屋銀ちゃんも、例外ではない。 もともと、万事屋の仕事は雑用系のものがその大半をしめる。 用心棒や護衛の仕事は、危険手当と称して多少吹っかけることもできるが、毎回毎回、その類ばかりが来るはずもない。 さらに、その手の仕事はどうしても選り好みして引き受けねばならないし、金を取り損なうことも多い。当てにできるものとは言えなかった。 つまりは、雑用を数多く引き受けないかぎり、金という天下のマワリモノは万事屋には入ってこないのだ。
「年の瀬ねぇ、銀行強盗でもするしかねぇか?こりゃ」
残高が限りなくゼロに近づいた預金通帳を眺めながら、主である坂田銀時は呟いた。
「なにアンタはまた物騒なことサラッといってんですか!ほら!行きますよ」
呟きを当たり前のように拾い上げ、新八のツッコミというよりもお説教がキィンと耳に響いてきた。 ちらりと炬燵に頭を乗せたまま目だけ向けると、新八も神楽も出かける準備を済ませ、そわそわと立っている。 遊びに行く、という風ではない。 けれども、今日は依頼が入っていた記憶もない。
「あ〜どうせまた雨どいの掃除とか、大掃除の類だろ?おめェらだけで十分じゃねぇか。 俺、電話番に残るわ」
真夏の屋根の上の作業も厳しいが、冬もあまり引き受けたい類の仕事ではない。 通帳の残高と子どもたちがサボることを許さないだろうとは思いつつも、炬燵に両手を入れてごねてみる。
「はいはい。じゃそこでコタツムリしてて下さい。神楽ちゃん行くよ」
予想に反して、やけにアッサリと引き下がる新八に銀時は顎をあげた。
「きゃっほーい!銀ちゃんのおやつも全部このアタシのものネ」
神楽まで、気持ちが良いほどに引き際が今日に限って良い。 しかも、おやつ?という糖分王としては聞き捨てならない単語に耳が反応する。
「いや、神楽ちゃん。それ主目的じゃないからね? そりゃ、山崎さんが用意してくれるって言ってたけど」 「ちょっと待って!新八くん新八くん?山崎ってジミー山崎?」
確か、あの地味な監察は、上司である土方と共に宇宙出張にクリスマス前から出かけていたはずだ。 土方を意識するようになって、気が付いたが、なんだかんだと、副長職の男は対外的な仕事が多い。 単純に城に書類の提出や会議、ということもあれば、視察・研修目的で江戸外への出張ということもある。 いつも、市中と問題児どもに睨みをきかせて、肩で風切って歩くだけではないのだ。 そして、秘書代わりも兼ねているのか、地味な男がついて行くことが多い。
「言ったじゃないですか。新年に向けて、屯所中の障子の張替えを…」
屯所…と聞いて、銀時はようやく思い出した。 近藤が義理の弟候補の窮状を察してくれたのか、依頼をくれたとかなんとか聞いた記憶の片鱗がある。 ただ、土方不在の屯所に行っても、退屈なだけだと話半分にしか聞いていなかったのだ。 「マダオは放っておくヨ。お土産!トシちゃんのお土産!」 「ちょちょちょ!土方!帰って来てんのか!?」 「これだから、モテない男は困りものネ。だから肝心なところで、鼻ちゅうどまりアル」 やれやれと神楽がわざとらしく、頭を左右に振ってみせる。
「な?ななななな、なん…」 『鼻ちゅう』のことなど、銀時自身忘れかけていた。
先月、土方の護衛中の出来事だ。 正体不明の薬を盛られた土方は、真選組に迷惑をかけたくないと潜伏先に『榎さん』と親密な呼び方をする幕臣の船を選んだ。 事情を知る自分ではなく、私邸に籠るでもなく、真選組第一の土方が、そんな外部のものに頼ったという事実にむっとしたのだ。 まして、銀時は顔を合わせたことはないが、その幕臣も土方を気に入っていると聞けば、心中穏やかであろうはずがない。
後で思えば、その衝動もあったのかもしれない。 屯所の副長室で銀時の記憶のみを失っている土方に自身の唇を当てた。 銀時とて、子どもではない。 テクニックを駆使した腰砕けにしてしまうようなキスで、そのまま押し倒したいというのが本音ではあったが、記憶を失った相手にそこまでしていいのか迷いがあった。 だから、土方の鼻先に唇を振れるに留めた。 痩せ我慢だ。 紳士ぶった、本当に銀時らしくないことだと自覚もある。
そんな出来事を、なぜ神楽が知っているのか。 あの時、神楽は新八のところに預けていたのに。 赤くなればいいのか、青くなればいいのか、混乱して、己の髪をぼさぼさにすることで誤魔化した。
「そうなんですか?銀さん。意外に奥手だったんですね。下半身で生きてるタイプかと思ってましたけど」
腹立たしいことに新八までニヤニヤと追い撃ちをかける。 日頃、童貞童貞とからかっているツケか。
「銀さんは紳士なんですっ!」
言いながら、なんだか悲しくなってきた。
「さっさと税金泥棒どもから、がっちりせしめに行くぞっ」
諸々、今更ごまかしようがないとは思うが、炬燵から勢いよく、立ち上がる。 そうして、防寒着を手早く着込み万事屋を一番に出発したのだ。
「すみません、旦那」
勢いよく、真選組に乗り込んだものの、情けない顔をした山崎に開口一番、そう言われた。
「依頼キャンセルか?」 「いや…逆なんです…あれ」 指示された方をみて、納得する。 確か依頼は『障子の張替え』。 だが、そこには張るべき桟か破壊されていた。 まずは、外枠の『修理』から始めなくてはならない。
「…毎度あり」 今日はなかなかにツイているのかもしれない。 どれくらい吹っかけてやろうかと皮算用をしながら、ニヤリと笑ってタオルを頭に巻いたのだ。
午前中の作業にキリが着いたところで、厠に行ってくると言い置いて作業場を離れた。
一人屯所を歩きながら、中庭に目をむける。
業者にこちらも整えられたばかりなのか、庭の木々は妙に整然と、そして、閑散とした感じを受ける。 一年で、最も花の少ない季節ではある。 庭に彩りを添えているのは、朱い低めの庭木のみ。 山茶花なのか、寒椿なのか、銀時には判別がつかない。 赤い花は存在感と寒さに負けない強さも示してはいるが、どこか寂しげだとも銀時は感じた。 人工的に切りそろえられた植木よりも、個々の脈動を感じさせる枝振りの方がどちらかといえば好みだからだろうか。 そうやって、ぼんやりと庭を眺める風を装いながら、目当ての人物の影を探す。
屯所の床板が銀時の歩、以外の音を拾って、小さく鳴った。 前方より現れたのは、自分達の分らしい昼の弁当と茶を運んでくる山崎だった。
「気が利くじゃねぇか。あ、今日の報酬について話してぇんだが、副長さんは?」 「まだ、報告を兼ねて城に行ってますよ」
盆ごと銀時に押し付けながら山崎は笑う。 使い走りの気質を持つ男だが、今日は銀時たちの給仕までをする気はないらしい。
「一度戻りはしたんですが、沖田隊長が帰って早々…」 「なるほどね」 荒れた副長室も、壊れた障子も、おかえりなさいの儀式。 長旅で草臥れた土方は更に疲れを重ね、ため息だけを屯所に残し落ち着く間もなく、出かけていったのだろう。 想像でしかないが、外れてもいない気がした。
「あ〜」 「駄目ですよ。旦那。最後までしっかり働いて下さい」 「まだ何にも言ってねぇだろうが!」
じゃあ、何なんですか?と少しわざとらしく尋ねてきた。 この山崎といい、近藤といい、土方の影に隠れているようで、それぞれに皆、中々強かな男だ。 もう少し、土方も手を離しても良さそうなものだが、彼ら真選組の在り方に銀時が口を出せるはずも無い。
銀時は、ゆっくりと指で庭を指した。
「赤のあれ、椿?山茶花?」
さすがに、庭の話をされると思わなかったのだろう。 山崎はゆっくりと、瞬きを数回繰り返し、首を花へと巡らせた。
「あぁ。うちのは確か、山茶花ですね。 寒椿とよく似てますけど、散り方がこちらの方が一枚一枚落ちるとか、 そんな違いだったかな…俺も、うろ覚えですが」 花ごと落ちる。 大輪の花が落ちる首を思わせる様は、武家にとってあまり縁起の良いものとはいえない。
さざんか。
香りは強くないが、閑散とした庭に広がる赤はやはり寂しげであり、鮮烈でもあった。
「どうせ2時には戻りますから」 「は?何が…」 「それまでは、しっかり仕事してくださいよ」
山崎の言葉に眉を顰め、何ことだか、すぐに見当はつくもののそれが、また腹立たしい。 茶も昼飯も渡し、用も伝え終わったとばかりに、地味が代名詞の男は立ち去っていった。
「やり難ぃな」
仕方ない、2時までは頑張りますか…食料を抱え、子ども達の元に戻りながら、銀時は首をコキリコキリと鳴らした。
「で?なんでテメーがここにいんだ?」
屯所に戻って来た土方の第一声はそれだった。 眉間には皺をたたえて。
「なんで…って、万事屋さんはお仕事してますよぉ」 「仕事だぁ?テメーんとこなんかに頼む仕事なんざ…」
そう言い募りながら、銀時の背後に積み重なる障子の桟だった木片を見て、押し黙った。
「山崎ぃ!」 「ハイぃぃ!」 どこからともなく、地味な男がすっ飛んできた。
「いつも頼んで業者はどうした?!」 「従業員全員が蟹にあたったとかで、臨時休業ですっ! 他も年末近いので来てもらえませんでした」 「だからって…」 「局長指示です!」 「う…あの人は…」 鶴の一声とはまさにことだなと脇で二人のやり取りを見ながら、銀時はため息をつく。
記憶を取り戻してから、特に銀時と土方の間に表面上の変化はない。 相変わらず、会えば憎まれ口をたたき合うし、殴り合いもする。 もちろん、銀時の内側では、胸倉を掴まれ、顔が間近に来てしまうと、このままキスしちまいたいなぁだとか、着流しの前が着崩されていると鎖骨に噛みつきたいなぁだとか、まぁイロイロムラムラと欲求が渦巻いてはいる点も変わりない。
ただ、先の一件から、銀時に気負いはなくなった。 土方からも妙な気遣いが消えた。
そう銀時は思っている。
「まったく…」
話がついたのか、山崎がチラリとこちらに視線を向けてくる。 その訳知り顔にまたムカついたが、取りあえず、その場で殴るようなまねはやめておいた。
「ちょっと銀行いってくる」 「え?土方?」
午後2時。 土方は柱時計の時間を確認したあと、おもむろに立ち上がると隊服の上着をハンガーにかけ、代わりに無地のコートを羽織る。 そして、少し疲れた顔で足早に自室を出て行った。
「ジミー、銀行って?」 「あぁ、多分旦那達の報酬を用意にいくんだと思いますよ。 年末、勘定方皆休んじゃってるんで、現金あんまり置いてないんです」 そんなのいつでも…と強がりたいところだが、物入りの年末年始を考えると当日現金払いの方が有難いのも確かだ。 それに、12月、晦日も近い。 年内に片付けておきたいという土方自身の気持ちと万事屋の懐事情を察してからの行動に違いない。 だが、きっと銀行は混み合っている。
依頼された作業もあと少し。 子どもたちは三時のおやつで銀時のことのことは忘れてくれそうだ。
「よしっ」 「旦那!付いていくのは勝手ですけど、トラブル起こさんで下さいよ」 「銀行行ってくるだけだろが?どんだけ心配症なんだよ」
お宅の副長さんは箱入りですかコノヤローと軽口を叩きながら、土方の後を追って屯所をでる。
「あんたら、二人揃ってなきゃ心配せんのですけどね…」
まさか、この時はジミーの言葉をしみじみと後で噛み締めることになるとは思いもしていなかったのだ。
屯所の門を出てすぐの所で、追いつき、並んで歩く。
土方は真選組と一目でわかる独特の上着だけではなく、スカーフも外していた。 真っ黒いロングコートが刀を覆い、一見、ただのサラリーマンに見えないこともない姿だ。
「おめェ、何で、そんな中途半端な恰好してんだ?」 「あんまり、隊服で目立ちたくねぇんだよ」 「あぁ、まぁそっか」 年末、人の溢れる銀行に、武装警察である真選組が、一般客にまぎれて座っているというのも確かに目立つ。 だが、まだ勤務中でもあるから、完全な私服で行くのも憚られたのかもしれない。
「で?テメーは何で付いてくんだ?」 「先月に引き続き、お姫様の護衛〜…」 コートの下で鯉口を切る音がして、あわてて、服の上からその手を抑える。
「ちょっ! 抜刀しちゃ、いくら着るもの気を使ったって無駄じゃねぇか! ちゃんと報酬もらえるか心配になってついていってるだけだって! ついでに暖かいファミレスでパフェ的なものを〜」 「おごるか!腐れ天パ! 大体、またテメーはガキどもだけ働かせて一人さぼりてぇだけだろうが!」 「いいんだよ!あいつらには社会勉強が必要なんだから! 銀さんは酸いも甘いも知ってるからね。大人の階段登り切ってるから。うん」 「わけわかんね」
ぷいっとまた正面を向いてしまったが、拒否をされたわけではないようだと、銀時は小さく笑った。
そうして、二人は、大江戸銀行の自動ドアを入って行ったのだ。
『花の名前 さざんか』 了
(58/105) 前へ* シリーズ目次 #次へ
栞を挟む
|