うれゐや

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【シリーズ】 | ナノ

『花の名前 ひいらぎ 前篇』 



秋も深まり、木々の色も深緑から黄へ、そして赤から茶へと色合いを変えていた。


平穏な日々が続いてる。
江戸の町は時々、無粋なテロも起こるには起こるが、大した実害もないまま、平和な日常を送っていた。



「ふぁぁぁ」
大きなあくびをして、そのまま伸びをする。

相変わらず死んだ魚のような目と評される目が更にあくびをした為か、ひどくなった。
坂田銀時は今日も閑古鳥哭く万事屋でジャンプのページをめくっている。



京都の鴨川で濡れ鼠になってから、早いもので3週間が経とうとしていた。

江戸の町を騒がせた、『祓伊蘇』とその系譜を踏む『呀紗』(新薬とよばれていたそれにはそんな名前がつけられたらしい)の一件も、一応の収束を迎えようとしている。
主となって製造していた入田秀次郎は京で最期を迎え、生産工場は真選組によって排斥された。

惜しむべくは、入田の背後にハッキリとその姿を捕らえながら、たどり着くことのできない高杉の存在だろうか。

結局のところ、工場にて捕縛された浪人や科学者たちは、その記憶の一切を奪われ、製造方法の細部や、解毒剤の情報について大した情報を得られていない。

それが、『呀紗』の最たる効力。
『祓伊蘇』は、筋組織のリミッターと理性と外す効果をもたらしていたが、それを改良した『呀紗』は更なる機能として、脳の中枢神経にさらにアクセスをすることで、記憶野をコントロールすることを可能にする薬だった。

唯一の手がかりである化学式は、銀時の手によってコピーされ、解析を急いでもらっている。

一枚は、桂経由で貿易を営む旧友坂本のもとへ。
一枚は、服部経由で、警察庁長官松平片栗虎のもとへ。

そして、原本は銀時の手の内に残っている。


今のところ、解毒剤が完成したという報告はない。

これまで処方されたことがわかっているのは、製薬工場で捕縛された人間と真選組副長土方十四郎のみ。

前者は、捕縛されて時点で暗示を発動するようセットされていたのか、高杉たちのことはおろか、自分の身元さえ理解できないほど、脳に負荷がかけられ廃人同様の有様だ。
例え解毒剤が完成しようと復帰は難しいとの見立てだった。
取り調べは困難を極め、足取と薬のルートを追うこと自体を滞らせた。一つだけ幸いなことは現在のところ、同じような症例が市井にて発見されてはいないこと。

後者の土方においては、入田がその死の間際に放った名前、その人物についての記憶のみが破壊されていた。

すなわち、坂田銀時、自身についてである。


「銀さーん。そろそろ出かけないと、売り出し終わっちゃいますよ〜」
玄関先から、志村新八の声が聞こえた。
何の気ない日常の会話…

「うぉ〜い。今いく」
ページをめくりつつも、まったく頭に入ってこない愛読誌を置き、銀時は立ち上がった。




いつも通りのかぶき町。
いつも通り、なじみの人々とかわす挨拶。

季節だけが確実に時の流れを感じさせる。
今月に入って、香る花は柊に移り変わっていた。
白い花があちこちの庭先で咲き誇る。
一つ一つの花は小さいが、古くからその鋭いトゲによって邪気を払う木といわれる庭木。


「……」

つい目を追ってしまった先には、町の風景と化して久しい武装警察の巡回風景。
視線を感じたのか、先方もこうべを銀時の方へ回した。

「坂田…」

平穏なかぶき町の平穏な午後。

自分を呼ぶ声は変わらないが、どこか余所余所しいのは呼び方のせいだろうか。
それから、目の前にいる真選組副長の瞳の温度の違い。

「あ、土方さん。こんにちは」
銀時の気持ちを知ってか知らずか、新八が声をかける。

「おぅ。メガネ。買い物か?」
土方にその後異変はなく、必ず単独で行動しないことを約束に、現場復帰を果たしている。
今のところ、ほんの一部の記憶障害だけ。
真選組の公務にその記憶は関係ないといえばいえる事柄であったし、生活していくうえでも、障害はないようだ。

「トシちゃん、まだ銀ちゃんの事思い出さないネ?」
すっぽりと抜けてしまった記憶。
土方の中では、『万事屋』は新八と神楽の二人で経営していると記憶が改竄されているらしい。
過去に絡んだ事件の事を思い出させようとしても、ぼんやりとだれかもう一人いたような気がする程度の認識しかない。

周囲の人間から聞かされる銀時像と、真選組に残る報告書だけが土方の認識する『坂田銀時』。

「悪ぃな…駄目みてぇだな」
申し訳なさそうな顔で、自分を見る青灰色の瞳に、これまでのような張り合う様な熱さえもない。

「あ゛〜別にオメーみたいな瞳孔開きっぱなしのマヨネーズ野郎に思い出してもらわねぇでもよぉ…」
「……」
いままでなら、拳の一つも飛んできそうなことを言っても、反応は薄い。
もしかすると、池田屋で、屋根の上で、あんな出会いをしていなければ、こんな関係だったのだろうか。
それはそれで何やら淋しくも思わないこともない。
ひとつひとつの出来事が、ぶつかり合いが、大も小も積み重なって完成した縁。

何処にもぶつけようもない苛立ちを誤魔化す様に銀時は耳の穴を小指でかいた。

「トシちゃんは銀ちゃんのお嫁さんネ」
「神楽ちゃん?!」
「はぁ?」
突然の言葉に皆の目が少女に向かう。

「万事屋のマミーね。だから、どんなにこのマダオ忘れたくても、忘れられるわけないアル。大丈夫ネ」
「いや、チャイナ…マミーって俺は男なんだが?」
やけに自信たっぷりな神楽に土方は苦笑する。

「大丈夫ネ。ホントのアイがあれば乗り越えられるヨ!」

この数週間、やたらに神楽が繰り返す『大丈夫』の呪文。

「ほら、行くぞ!米、売り切れちまう」
解毒剤が出来ていない今、大丈夫だともそうでないともいえない。

銀時にとって、今はただ願うだけの日々だった。




「なんじゃ、金時。しけた面しちゅうのぉ」

スーパーの買い出しから戻ると万事屋の玄関前に見覚えのあるサングラスが相変わらず、煤だらけになって立っていた。

「金じゃねぇつってんだろうが、この黒もじゃが!」
「おやぁ、驚かんがか?」
「驚かねぇよ!あんだけ派手に船横付けされりゃ嫌でも気がつくわっ」
どうして、この馬鹿はまともな登場が出来ないのだろう。
銀時はお隣の屁怒絽の家に突き刺さった船を指差す。

「おぉ、ちっくと座標ズレとったぜよ」

「座標云々の問題じゃねぇだろうが!」
「なんじゃ、そんな細かいこときにせんでも」
「細かくねぇよ。ぜんっぜん!また馬鹿に磨きがかかってんのか?!」
「ところで、金時。嫁さんは何処ぜよ?」
思い出したようにキョロキョロと銀時の背後を見渡す。

「はぁ?!俺は結婚なんてしてねぇよ!」
「小太郎からの便りに、なんでも金時にも、えぇお人ができたと書いてあったきに、
 こうして祝いをもって駆けつけたんじゃが…」
段ボール箱を少し持ち上げてみせた。

「ヅラ…?」
そこで、ようやく思い出した。

「テメっ!そんなことより解毒剤持ってきたのかよ?!」
「解毒剤?」
「そうだよ!テメーのコネで調べるようヅラから頼まれただろうがっ!」
「あぁ、持ってきちゅうが?それと嫁さんと関係あるんか?」
「だ〜か〜ら〜!嫁から頭切り替えろ。馬鹿もじゃ」
一向に進まない二人の会話に、神楽が割入った。

「銀ちゃんの嫁が薬必要としてるアル。持ってるなら、さっさと寄越すネ。このチ○毛野郎ども」
「神楽ちゃ〜ん!チチチん…は拙いって!!」
新八が真っ赤になって、神楽の口をふさぐ。
「神楽!今、『ども』って俺まで一くくりにしたよね?!銀さんのは違うよ!!
 ふわふわの綿菓子的な感じだからね!この黒もじゃと一緒にすんな!」
「あははははは…なるほど繋がったき」
一人、坂本はのんびりと高らかに笑う。

「繋がったのかよ!?じゃ出しやがれ!」

「こんなところじゃなんだから、家に入れてもらっても良いかの?」
先程とは一転して、坂本の表情が引き締まったのだった。




「で?」
万事屋の応接セットへと坂本を招きいれ、仕切り直しとばかりに、口を開いた。

昔から、坂本は人脈を拡げる才を持っていた。
その一本も二本も抜けたおおらかさからなのか、底抜けの明るさからなのか、人が集まる。
ある意味、真選組の局長のそれと似ているのかもしれない。


「おんしから回ってきた薬のう、ちっくと厄介みたいじゃ」
「厄介なのは分ってる。結果は出たのか出てねぇのかはっきりしやがれ」
「金時、短気は損気じゃ。やっと臨床実験の結果が上がってきたばかりじゃから、
 十分な解析とはいえんが、現段階では一番真実に近いと思っとる」
そう前置きをして、坂本が陸奥あたりに渡されていたカンペを見ながら、話を始めた。

まず、主な成分から判断すると、脳内の各機能を司る部分を狙って破壊する薬にあたる。
普段、脳は全ての力を一気に使うことのないようにリミッターをかけている。
『祓伊蘇』の場合は、この運動能力を司る部分を破壊。
火事場の馬鹿力と同じ原理で力を強制的に引き出すのである。
意図的に外部の者が、暗示ないしは音等の合図によって解放できるように調合していたという。
自我を失い、事前に込められた暗示のまま、生命の火を燃やし尽すまで。
運動機能を限界まで引き出されたあとは、燃え尽きた蝋燭のようになくなるだけ。

土方に投与された『呀紗』も基本的には『祓伊蘇』を改良したものであるから流れは同じだ。

だが、操作、破壊可能な領域が、記憶を司る部分にも及ぶ。
坂本が分析を依頼した研究室で臨床実験した例でも、記憶破壊の範囲は大小あれ、確実に消し去る。
ただの暗示で一時的に記憶を隠すのではなく、狙った記憶を壊すようだ。
しかも、『祓伊蘇』の効力も水面下には残したまま。

「えげつないもん作ってくれたもんじゃ」
「破壊されたものは戻んねぇのか?」
「そこが問題」
コトンと坂本は小さなアンプルをテーブルに置いた。

「あくまで試作品ぜよ。効き目については動物による治検で2パーセントの成功率」
「2パーセント…」
そのパーセンテージが大きいのか小さいのかも正直なところわからない。

「正確にいうならば、記憶が戻る確率じゃな。
 相手が脳だけあって、服用後三日は色々副作用が考えられるき。
 材料が希少な植物で精製出来たのは皮下注射で一人分」
基本的には『呀紗』がもつ『祓伊蘇』の脅威を取り除くことには八割がた成功していると申し添えられた薄紫色の硝子のアンプルを眺めた。


「副作用…って?」
「身体機能の低下が主なところかの。
 そっちは三日過ぎると回復してくるらしい。が、おんしの嫁さんはどの程度記憶を失っとる?」
「……だけ」
「金時!聞こえんが?」
「だから俺のことだけつってるだろ!」
「つまりは…まわりの事はキレイに覚えてるのに、おんし一人だけ忘れられちゅうがか?」
怨恨感じるのぉと坂本は顎をこする。

「なんなんだろうなぁ」
攘夷を果たすならば、もしくはすべてを破壊すること目的とするならば、土方の記憶を全て破壊すれば良かったのだ。
司令塔を失った組織は脆い。
如何に伊東の反乱後、組が土方なくとも動けるように組織し直されたとはいえ、まだまだ甘い。

「まぁ、兄を慕い、高杉や白夜叉に憧れておったならば、
 今の金時の生活は堕落して映っていたかもしれん」
確かに、入田秀次郎の目的が最終的に自分に対する怨嗟からの行動であったのなら、今際に放った呪詛の効果としてはあったのかもしれない。
事実、銀時は今もじりじりと焦燥と、苛立ちにさいなまれ、しかも、吐き出し口を持っていない。

「これを飲むことで、外部から無理やり能力を解放されることはなくなるが、問題は…」
「?」
「記憶のほうは、もし2パーセントに該当しない場合は、完全に破壊してしまうんじゃ」
「なんだそりゃ。1か0ってか?」
「記憶ってものは、細かく別れた枝葉のように絡み合って形成されているき。
 これを下手に刺激すると脳が更に拒絶するかもしれんらしい。
 研究室の先生の受け売りじゃから、細かいことは聞いてもこれ以上答えられんぜよ」
サングラスで表情をごまかしているが、わざとらしい笑い声からして、改良品を待てるならば待った方がよいのだろう。
あまり積極的に薦められる代物ではないらしい。

「さて、どうすっかね…」
指先で持ち上げて、掲げ持ったアンプルの中でとろりと液体が揺れた。
歪んだ己の顔を見つめながら、銀時は深いため息をついたのだった。




『花の名前 ひいらぎ 前篇』 了



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