『月の名前 朔の月 後篇』
10月10日
焼き尽くす光と熱が屋敷のあった場所を覆う。 一応周囲への配慮があったのか、主砲までは撃ち込まれなかったものの、かなりの火器が火を噴いた。
咄嗟に水中に身を沈める。 10月、夜の鴨川は、暗く流れも早く感じた。 深くはない。 けれども、ややまだ強張りの残る身体が流れに抗えなくなりつつある。 まずいなと人事のように思いはじめたところで、力強く腕を引かれ、引き寄せられた。
川底から見上げるそれはいつも以上に逆光でキラキラしている気がした。
「土方!」
キラキラに包まれる。
一気に肺に空気が入り込んだ。 気がつくと、足が着くような場所まで流されていた。
「……んで…」 「あ?聞こえねぇよ」 いつもの死んだ魚のような目が真摯な光を込めて土方を見ている。
「テメーは…そうやって何でもないことみたいに…」 「土方?」 「全部…飛び越えてきちまうんだ?」 「は?」
なぜだか、やたらとぼんやりしてきた頭の中で土方は警鐘を聴く。 ぐるぐるとリフレインされる入田の最期の言葉。
『坂田銀時はもういない…』
何故だか、この銀色が完全に消えてしまうかのような不安。
ひたひたと何かが土方を蝕んでいるのが、自分でもわかる。
「おい?」
返事も憎まれ口も返さない土方の両の肩を銀時が揺らす。
「放したくねぇなぁ…」 土方の指先がつい…と持ち上がり目の前の男の頬を撫でた。
そして、近藤の為だけに、剣を握るためだけだったはずの指で相手の唇をなぞり、離れ、最後に自らのものに触れる。
「え…なん…だ?土方?」
ガクリと膝から力が抜け、前のめりに倒れ込む。
「おい!」
少し放心状態だった銀時は、あわててそれを受け止めたものの、川辺に尻餅を着いた。
鴨川の水に二人、浸り、月のまだ見えない夜空を見あげる。
「とんだ誕生日だな…」
意識の端っこでそんな声が響き、黒髪をそっと撫でられた、その感覚がふわりと落ちてくる。
土方の意識が保たれたのはそこまでであった。
「…坂田」
少し離れたところから、二人の様子を見ていた服部が声をかけた。
ぼんやりと銀時は気を失った土方を抱き込みながら、飽きることなく、髪を梳いている。
だが、すっかり秋めいてきた川の水は冷たい。 あまり身体に良いとはいえなかった。
「あぁ…」 銀時がゆっくり体を起こし、土方を抱える。 自分とあまり体格の変わらない成人男性を軽々と抱える馬鹿力に感心しながら、岸へと上がっていく後ろ姿を見遣った。
「大丈夫か?」 「大丈夫じゃね?身体あったけぇし」 「いや、そういう意味じゃなくて…」 お前らのことだ、といいかけて口をつぐんだ。
服部は詳しい事情は知らない。 将軍家の元お庭番衆である服部は、幕僚である松平から個人的な依頼として、この場にいた。 途中、同じ件を別のルートで追う猿飛あやめ経由で銀時の動きを知り、共闘体制をとっていたのだ。
本来、松平から受けた指令は、万が一期日内に土方が敵の手に落ちる、もしくは薬が何らかの形で発動した場合に、手段を選ばず止めること。 いつもならば、ただ任務を遂行するだけだっただろう。 しかし、町屋であった土方の表情と銀時のいつものとは違う空気に惑っていた。
ちぐはぐにしか見えていなかったピースが、先程の銀時と土方をみて繋がった気がする。
銀時は土方の「今」を案じ、護りたく 土方は銀時の「過去」を案じ、「今」を護りたく。
重なるようで、重なることなく 離れたくて、離れがたく。
だが、銀時が『ここ』にいることが全ての答え。 土方の指が、辿った軌跡が全ての答え。
服部はそう思う。
「…う…」 土方が少し呻いて、微かに瞼を動かした。 「お、土方。大丈夫か?」 河原に一度土方を降ろし、濡れて張り付いた前髪をあげてやる。
「あ…?」 土方が青灰色の眼を開いた。 しかし、銀時の腕の中におさまったまま様子がおかしい。
意識が浮上したばかりで状況が把握できていないだけかとも思ったが、不安げに揺れる目の動きに、服部が近づく。
「あ…服部さん…」 今度はしっかりと視点があい、慌てて土方は身体を起こした。 「状況は?」 土方は何故か銀時ではなく服部に問うた。
「アンタ、何処まで覚えてる?」 「とっつぁんが無茶して、川に飛び込んだところまで」 「そうそう、で俺が引き上げてやった」 銀時も違和感を感じたのか、半ば強引に会話に入ってきた。
「それは手ぇ取らせた」 すまないと頭を下げる黒い男に銀色は固まった。
「なんだよ…それ?らしくねぇな」
「土方さん。アンタ…」 忍びは対のような二人を見比べながら、厭な予感を口にした。
「コイツ分かる?」
土方の視線が、銀時へと戻る。 まっすぐに。 揺らぎの一つもない瞳は顔を、姿を、確認してからゆるりゆるりと首を横に振った。
「知らない」 「は?」
月の見えない、朔の夜。
「初対面だ…」
闇が再び横たわったのだった。
『月の名前 朔の月』 了
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