『月の名前 朔の月 前篇』
10月8日
雲の流れが早い。 土方は眼前に広がる空を眺めながら思う。
雲間から覗く細い細い月が力無く微かな光を落す。
「土方くん」 低い呼びかけに居住まいを正し、振り返った。
「榎本さん」 真選組副長土方十四郎は、空海軍軍艦頭並榎本の戦艦に今、その身を置いていた。
「ハハ、そう固くならなくてもいいと何回君は言わせる気だい?」 「いえ、お世話になっている身ですから…」 土方は苦笑する。
結局、『新薬』についてあらゆるツテを辿り探ってはみたが、現物が無いことには打てる手も知れていた。
土方の体内に投与したという入田の言葉のみ。
はったりの可能性もゼロではない。 塗布されたのか、無痛の針の類で打ち込まれたのか。
特に自覚症状もなく、小まめに精密検査を受けるくらいしか真偽を確かめる術がない。
もちろん、近藤には内密なので、検査自体も民間の総合病院へ隠れるように三日おきに出入りした。今まで大けがでもしない限り病院にかかったことのない土方である。 鬼の撹乱だの、不治の病だの妙な噂が流れたが、結果的には情報を撹乱することにいずれ役立つこともあろうと訂正も否定もしていない。
だが、動くに動けない。 土方にとってこれほど、もどかしく、性に合わない事態もない。 高杉からのアクセスもないまま、出来るだけ内勤に勤務を抑え、結果を待つ日々に、とうとう10日目、痺れを切らした。
近藤に貯まりに貯まった休暇の消化を願いでて、更に上官である松平片栗虎にだけは話をつけた。 得体の知れない薬に侵されている可能性と背後にいる高杉について。
近藤ではいざという時に自分を捨て駒に使えない。
布石。 単独で高杉を追うための。
最悪の場合、『祓伊蘇』と同じような症状がでた場合、周囲への被害を最小限にするために。 辞職表も用意してはいたが、それは松平がガンとして受け取らなかった。
「だぁいじょうぶ。その時がきたら、おじさんがドーンと吹き飛ばしてやるから」
だからと、松平が土方の潜伏先兼移動手段として選んだ手筈を整えたのは、榎本率いる空海軍だったのだ。榎本は詳細を聞かず二つ返事で引き受けてくれた。
「君は僕の部下ではなくて客人なのだから。 まぁ、このまま真選組からうちに異動して来てくれると嬉しいのだが」 「その話は…」 榎本は前々から土方の能力を買ってくれていた。
「うん、返事は分かっているけどね」 それくらいの駄々はこねさせてくれと榎本は静かに笑う。
早くから他星の文化を学び、見聞を広げてきた男だ。
落ち着いた、優雅な物腰。 深い懐。 全体を見渡すことのできる広い采配。 大将とするにはこの上ない好人物だと土方も思いはする。
だが、自分には似合わない。
近藤と共に歩む茨の道で十分だ。
「榎さん…ありがとうございます」 土方の困ったような、泣きそうな顔に榎本が顔をしかめた。
「その顔は反則だな…」
空を飛ぶ大きな戦艦の甲板で、静かに男達は笑う。
「ところで、地上のニュースで君がテロリストに襲撃されたという報道がされていたが…大丈夫かな?」 「えぇ…本当に自分が彼らの標的であるなら、グズグズしている間に獲物を逃したと何らかの動きがあるでしょう。大丈夫です」
もしも、彼らが動かずとも、関係ない雑魚どもが、これを好機と釣られてくれれば、儲けモノだと土方は考える。 自分一人いなくても、隊が機能しなくなるなんてことがないよう伊東の事件以来細心を払ってきた。
「真選組は大丈夫です」 「大丈夫…というわりに憂い顔なのは、何か他に心配事があるのだね?」 優しげな声ながら、確信をもって問われる。
「憂い…」 榎本の言葉を復唱してみる。
あぁ、これは憂いなのか… 思考の隅から離れない、銀色のふわふわとした存在。
組は心配ない。 近藤も松平もいる。
だが、中途半端に情報をもつ銀色はどうだろう?
先日の一件で愛想を尽かしてくれていれば良い。 過去の仲間の亡霊に巻き込まれず、『万事屋』として彼の『武士道』を貫いてくれれば良い。
そう思う一方で、チリチリと焼けるような炎が燻っている自覚もあった。
似た者同士と評される二人だ。 思考の流れを読んで、土方の思惑を知っていて欲しい気持ち。 いや、確信してはいる。 銀時はすでに理解していると。
きっと、ここは空に近いから。 銀色を連想させる月が近いからだと言い訳をしてしまう。 そう土方は拳を握り、手のひらに爪をたてた。
「榎さん…」
土方は情けないと感じている感情に蓋をして、ゆっくりとかぶりを振る。 静かに、唇を動かす。
「動きます」
ひゅっと夜の風が喉に入り、言葉と共に再び出て行った。
そうして、土方は青灰色の瞳に強い視線を乗せて、船の主を見つめたのだ。
夜半 艦隊から単独離脱して、古都京都の町に闇に紛れて潜入した。
予め、唯一事情を全て把握している山崎が、拠点とする住居を用意していた。 山崎を巻き込むことに抵抗がなかったわけではないが、自分がいつどんな症状を発症するかわからない以上、秘密を共有する、そして手足となりうる人間は必要だ。
昨日の土方が行方不明になったと報道されている爆破も仕掛けから死体の手配まで一人でこなし、更に入田の本拠地が、この京都であることまでこの短期間に調べあげていた。
ミントン馬鹿ではあるが、隠密活動に関しては、実はかなり地味にハイスペックだと土方は評価している。 もちろん本人に言ってやったことはないし、この先口に出すことはないだろう。
携帯に映し出された地図を辿りながら、特有の細く入り組んだ路地を歩いていく。 東西南北を碁盤目上に通りによって区切られた町並みは、迷路を通るような錯覚に陥った。
辻をヒガシにニシに、キタにミナミに。
目的の場所らしき町屋の前に前髪の長い、少しだけ顎ヒゲをたくわえた男が立っているのを見つけた。
「やっとお着きかい?トシサン」 「アンタは?」
気配から察するに、素人ではない。 かといって、武士でもないようだった。
「まぁ、中に入ってから…」 すいっと先行して家屋の中に入る相手に一瞬だけ迷ったが、意を決して後に続いた。
昔ながらのこじんまりとした和室は思いの外居心地の良い空間を作成していた。 すすめられるままに、座布団に座る。 活けられた一枝の金木犀からほんのりと甘い芳香が部屋に充満している。。
特に変わった様子はなかった。 部屋自体の様子にも、相手の気配にも。
そこまでを確認し、再び土方は問うた。
「で?アンタ何者だ?」
目の前に座す男の瞳は前髪に隠されて見えず、その表情を読むことは難しかった。
「俺は服部。松平のオッサンに伝言頼まれてさぁ」 そんな難しい顔しないでも、と後頭部をかきながら封書を差し出す。
「…とっつぁんが?」 受取ながら、相手の手を観察する。
自分とさほど歳の変わらない服部の指は、剣を握る者とは微妙に違う位置に年季の入ったタコが出来ていた。
足捌き、所作、タコはクナイを握る位置だろう。 そして、松平の名前が出るということは…
「アンタ…お庭番衆か?」 「…あとで、お宅の身内から連絡入ると思う。そこに俺のジャンプ置いとくから時間つぶしに…」 「ワリ―が、マガジン派なんで」
男は否定も肯定もしないが、おそらく外れてはいないのだろう。 どこか風のような雰囲気を持つ男は、銀色を思い出させた。 しかもジャンプを愛読誌に上げるところまで。 思いもかけない符合に独りでに口端をわずかに引き上げた。
「…その時になったら、頼む」
もしもの時には銀色に似た彼が、止めを刺すように松平は指示しているはずだ。 しかし、予想に反して土方の言葉に服部の口がへの字に結ばれた。
「なんかさ…アンタ……いや、いいや。俺は俺の腕を買ってくれる人間のところで 仕事をするだけだしな。『草』は余計なことに口を挟まねぇよ」
自分の務めを全うする。 それは、忍びであろうと、武士であろうと同じこと。
服部は、深々と吐息を吐き、首の後ろを掻く。 それから、ひらひらと軽く手を振って、立ち上がると、それ以上なにも語らず、なにも打ち合わせることもなく静かに町屋を出ていった。
ゆっくりと開き、音もなく閉じた戸に、この町屋の精巧な建具の技に感心し、手にのこった封書を眺めた。 変哲もない、普通の白い封筒だ。 窓を少し開け、煙草の煙を逃すだけの隙間を作る。 開いた窓からひんやりとした風が吹き込んでいた。 外からも金木犀が香り、そして虫の声も耳に伝わってきた。
土方はちゃぶ台に載った灰皿を引き寄せてから、封を切った。
封書につづられていた言葉は少ない。 二度ほど目を通すと、ライターの火を今度は煙草ではなく、読み終わった書面にあてる。 あっという間に灰になった紙を灰皿に落とし、土方は手荷物から江戸の地図を広げた。
それから、おもむろに携帯電話を手に取ったのだ。
10月9日
早朝 江戸の町外れ、4階建の廃屋に黒い影がじわりじわりと散って行く。
しん…と静まり返るコンクリート造りの建造物の物陰に配置し終わった報告を受けて、一回り大柄な塊がゆっくりと車から出てきた。
「御用改めである!」
近藤の大きな声が、一体に響き渡り、一斉に黒の集団が建物の占拠に動き出した。
奇襲は速やかに行われ、万事滞りなく完了した。 (一部、機嫌の悪い沖田によって施設が大破していることには、その場にいる誰も口を出すことはできなかったのだが…) そのビルでは、違法な薬が大量生産するためのプラントとなっていた。 『祓伊蘇』という名の薬だ。
生産の指揮を取っているらしい「入田」はその場に居合わせなかったが、大量の薬品と、製造にあたるブレーンが、一斉に検挙される。
入田について、山崎からいくつかの報告を近藤は受けている。 入田が高杉とつながっていること。 先日入隊した島田になりすましていたこと。 入田は高杉について、江戸をでているが、その製造を一手に行う工場は稼働していること。
もともと、山崎他、監察部に関しては、副長である土方直属となっている。 本来の隊内の組織図を鑑みるに、局長近藤が報告のトップにあるのであろうが、彼らはどちらかというと、土方の指示を優先する傾向があった。 それは、近藤がそれでよしとしてきたからに相違ないのではあるが、今回ばかりはもどかしい想いが拭えない。
今だ行方不明の土方。 燃えさかる車であった残骸と焼ける肉の匂い。 あの中に土方がいたのかと、調査結果を待つ中、届けられた10月9日、本日討ち入りの綿密な計画書。
どう考えても、土方がすべてのシナリオを書き、動かしている気配。 土方は生きているという確信と共に、近藤の知らないところで、なにかが起こっているという事実。
「ま、俺が考えてもしかたないか…トシが無事に帰ってきてくれればそれでいいさ」
今日の戦果を見渡しながら、近藤はガハハと笑って、白み始めた空を見上げたのだ。
『月の名前 朔の月 前篇』 了
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