『月の名前 月隠』
「万事屋、一般人のテメーには関係ねぇことだ。 取り調べを受けたくなけりゃさっさと失せろ」
頬にかかった血液を手の甲で拭いながら、土方が吐き捨てるように言う。 拭った赤が手の甲に移る。 粘りのある液体が立体感を帯びてまるで彼岸花の花びらのようにこびりついていた。
三文芝居だ。 土方は昏く笑う。
(早く、この場から離れてくれ)
土方は願った。
時間はひと月ほどさかのぼる。
土方が銀時に別れと告げた次の日から、事態は急速に動き出した。 実際には土方が動かした、というべきではあるが。
潜入していた監察達が次々と持ち込む情報を整理し、大物をあぶりだす手管を整える。
天鎧党に関しては先の土方拉致騒ぎの際に壊滅状態となっていたが、所詮はトカゲの尻尾だ。 高杉は、フットワーク軽く、次の駒を動かし始めていた。
天鎧党よりは規模は小さく、これまで表舞台に出てくることのなかった新進の攘夷グループ。 名前すら判明していない、秘密めいた組織であった。薬の精製に長けている人間がいるらしく、より直接的な快楽を、より効率よく力を保つことが出来る薬を独自に作り、販路を確立させ始めていた。 かなりガードの固いこのグループへの潜入には、すでに何人かの監察の犠牲が出ている。
調査の初期段階では依存性は高いものの催淫・強壮を強くするだけだった。 じわりじわりと害の少ないうちに固定客を増やし、信用させ虜にしてからのステップ。
攘夷浪士の資金源となるからには勿論取り締まりが必要であるが、それ以上に土方が事を急いたのは後発品だと出回り始めた新薬に隠された特異な効果があると判明した為だ。
その薬は『祓伊蘇』と彼らに呼ばれる。
組織の一部に潜入するところまで成功していた山崎の報告から、その薬の厄介なところは、その裏の効果にあるのだとわかってきている。
よほど周到に計画、実験されてきたのであろう新薬は、一見これまでの物と変わりがないように見える。 地球外の植物も含有され、多少初期のものより割高になろうと旧型に依存していた顧客は迷いなく購入し、更には口コミで更に増えていく一方。
普通であれば、薬など初犯であれば、己の意思で引き返すことも出来よう。
しかし『祓伊蘇』は一度であろうと支配から逃れられない。
ある一定の周波数や音を聞くことにより、他者によって、意志も必要以上に増幅された「強壮効果」もコントロールされてしまうのだ。
服用してしまった攘夷活動とは無関係の人間が操られ、やくざの鉄砲玉のように変えられてしまえば。 もしくは攘夷活動をするものであっても、本人の意思にかかわらず使用されたとしたら。
どれほどの量の服用すれば逃れられるのか、効果が覿面に表れるのか、薬物の潜伏期があるのか、具体的なコントロール方法は?
開発者しか知らないという詳細を、開発施設を求め、土方と山崎は容疑者を絞った。
土方にも、山崎にも「薬」というものについて、若干の知識はある。 土方は、若いころ生家の商いから、薬を取り扱う家業を間近にみてきていたし、山崎も医学の心得が少なからずあるのだ。
その二人がそろってはじき出したのは、精製にあたっての知識をもち、高杉に抜擢されるだけの近さを持つ「入田」と呼ばれる人間。
『入田久一』の名が攘夷戦争の中で語られた時間は短く、資料も少ない。 カリスマ性と大柄な体を生かした剣筋で多くの攘夷志士を導いたというが彼は戦死した。 その『久一』の少し年の離れた弟が近年、活動に参加をし始めたという噂がある。 兄の名を微かに匂わせ、巧妙に全体像は見せない存在。
『祓伊蘇』は脅威だ。
既に、真選組は、その恐ろしさを身を以て経験済みであった。
ある夕刻、天鎧党の残党を捕らえ、屯所へと連れ戻るところでトラブルが発生した。 いつも通り捕縛し、情報を聞き出すため、拷問部屋へ入れようとした時である。
俯いてうつぶるぶると身体を震わせた直後、面を上げた浪人はうつろな目で、口元から泡を吹きはじめた。 自害するための毒か何かを飲んだのかと思ったが、次の瞬間、一番近くにいた隊士の腕がべキリと、乾いた枝を折るかのような音を立ててへし折られたのだ。
折られたという表現は正しくないのかもしれない。 完全に握力のみで、筋組織ごと握りつぶされていた。
屯所内に血なまぐさい香りが立ち込める。 隊士の絶叫。 廊下に引きちぎられたような腕がズルリと落ちた。
そのまま、発動された剛力でまわりの隊士を投げ飛ばして、こちらも増したらしい脚力を生かして屯所の屋根へと飛びあがった。
本能で行ったのか、そういう指示がどこかから発信されていたのかは今となってはわからない。 高いところに上り、雄たけびをあげるその姿は、性質の悪い三流映画のようだった。
最終的には辺りを破壊し、狂人のように暴れた男は首をはねられるまで活動を停止しなかった。
『祓伊蘇』を、入田捕縛を目標に土方はずっと動き続けていたのだ。
そして、時間は現在へと進む。
入田の一派がまき散らした薬が原因らしい事件は、徐々に市中でも見られるようになりはじめていた。 症状を発症させる者のほとんどが、天鎧党に関係する志士のなれの果てであったが、件数自体は少ないものの、それ以外の人間も混ざり始めている。
決して、薬物とは関係を持ちそうにない、しかも、身内のいない貧困層の人間。
攘夷志士たちであれば、幹部への忠誠を示すために血判代わりに服用した報告もあるが、そうでない人間は実験台に使われたと考える方が自然な数と内容であった。
その主犯だと思われる、入田秀次郎の唯一の身内である入田イチが江戸に入るとの情報を掴み、事情聴取しようと朝から探索を続けていた。 イチはこれまで、西の郷里に一人暮らしているとのことだったが、入田が出したらしい手紙に導かれるように、江戸入りをしていた。 秀次郎とも密会するかもしれない。
ただ、こちらがイチを確保しようとしていることに気が付いていたのか、よく似た二人の女とそれを影から警護する攘夷志士の二グループがたてられていた。 それに連動して、真選組も人員を分散させて、それを追っていた。
土方の班が土手べりで接触した囮と沖田が見つけた入田イチ。
両者に薬は盛られていた。 相手の目の色、息遣い、特有の震え。 すぐに『祓伊蘇』の症状が出ていることが察せられる。
解毒剤は、今のところ、開発されていない。 松平経由で、専門家の分析には回しているが、回答はまだだ。
土方は、愛刀を閃かせる。
その、どちらの場にも銀色の男がいたことには気が付いていた。 信じられないといった面持ちでこちらを見ていることも知っていた。
だからこそ、『鬼の面』を被る。
ダミーの女を斬る時にも、 その後、実の兄に薬を本人も知らぬ間に盛られたイチの首を胴体から離す瞬間も。
土方は言い訳はしない。 これが自分の仕事だと。
「面白くないんでさぁ」 『入田イチ』だったものを、部下に片づけるよう指示していると沖田が肩をすくめて、さっさと立ち去っていこうとした。
「面白ぇとか、面白くねぇとかの問題じゃねぇだろうが。仕事しろやテメーは」 「ケッ、その話のことじゃねぇですよ!シネヒジカタ!」 「…じゃあ、何のことだ…?」 沖田の態度がいつもより、硬質で含みを感じる。 土方は変わらぬ表情からそれを汲み取ろうと目を眇めた。
「旦那」 「あ?万事屋のことか?関係ねぇ」 苦々しい言葉を下に乗せて、銀時本人にも答えたのと同じ言葉を発する。
「そうですかぃ…」
沖田は急に興味を失った顔で、ふらりと現場を離れた。
「総悟!?」 「ちょっと花摘みにいってきやす」 野暮ですぜとひらひら手を振りながら、去っていく。 気を取り直し、再び現場の指揮に戻った。
死体を処理し、現場から血なまぐさい臭いが薄れる頃には、すっかり夜の街が活動を本格化する時分になっていた。 黄昏時は既にすぎ、夜の帳が落ちている。 捜索にそれなりの人数を割いていたために若干シフトにずれが生じているはずだ。 土方はその隙間をフォローすべく、自らがもう一回りすることに決めた。
「俺は、もう一回辺りを廻ってから、屯所へ戻る。皆は先に帰っておけ」 「副長!俺も同行させてください」
背の高い男が慌てた風に駆け寄ってくると鬼の副長に、物怖じするでもなく、にこやかに笑った。 この島田義明という男、180pを超えるひょろりとした体格で、名門道場の免許皆伝を持つ触れ込み、出自も紹介主の身元もしっかりした男だった。 長いリーチを生かした切り込みは、入隊したてながら、その腕と朗らかな人柄を買われて、みなの巡察に、連れて回られている。
「…島田。テメーはここんとこ連勤だろうが。帰って刀の手入れでもして、さっさと休んどけ」 「いえ!まだ、行けます! 是非副長のお供させてください」
年若い隊士の勢いに土方は苦笑する。
「…ま、いいだろ」 足手まといにならないのであれば、今の自分には誰かついてきてもらっている方が気が紛れて良いかもしれないと最終的には同行を許した。 そうして、二人は歩き始める。
島田は陽気なたちだった。
ニコニコと当たり障りのない会話でありながら、機智に富んだ返答。 気が利く、社交的な性質は天性のものか。 おしゃべりな類に入るであろうに、不思議と五月蠅さを感じさせない。
二つの黒い影は、日中に囮の一団を追い詰めた川べりに差しかかっていた。 僅かな外套の明かりが、川面に反射し、静かに水音が響く。
今夜は月がない。 ないわけではないが、月齢28弱ともなると、肉眼で確認することは難しかった。
「そろそろ、夜勤の者も屯所を出て、配置済みの時間だ。戻るぞ」 「えぇ?俺、副長ともう少し一緒にいたいんすけど…」 「何言ってやが…」
敵意だとか殺気だとかいったものであったら、土方はもっと早く反応できていたのかもしれない。 気が付くと、正面に回り込んだ島田の腕の中に押し込められてた。 島田の身長は土方よりも高い。
「おい!離せ」 「しっ!副長。後ろで銀色の人がみてますよ」 「な…」 島田の囁きにそっと視界を巡らせれば確かに、川向うの街燈の下にぼんやりと白い男が存在していた。
「どうします?」 「どうするも何も…まず、この状況がおかしいだろう?」
普段は死んだ魚のような、覇気のない瞳が今は違う。 差すような紅い瞳が痛さを感じてしまうほど、強い。 万事屋の様子は明らかに違う。
強い視線に土方は高揚した。 不貞を咎めるような響きを感知し、歓喜した。 同時に罪悪感と自己嫌悪に苛まれた。
「土方さん…」 島田の呼び方が変わり、そっと、島田の唇が土方の首に触れたことで、我に返る。
「いい加減…離せ」 土方は、思い切り男の身体を突き飛ばした。
「おっと」
島田の顔がふむと思案顔に変わった。
「なるほど…なんだか分った気がしました」 「何がだ?」
角度が変わったためか、街灯を背に立つ大柄な男の表情が逆光で見え難くなった。
「島田?」
くつくつと男の笑い声が聞こえる。
様子がおかしい。 危険だと。 理屈ではない。 本能が叫ぶ。
「高杉さんも白夜叉も皆が貴方を欲しがる理由が、ですよ」
弾かれたように、土方は飛び後ずさった。
「テメーは誰だ?」
時として最も信用できる自分の能力が告げていた。 これは敵だと。
「あぁ、そうか!」 ポンと軽い調子で『島田』は手を打ってみせる。
「僕、本名は『入田秀次郎』っていいます」
どうぞお見知りおきくださいね、先ほどまで人のいい部下だった男が優雅に一礼してみせた。
「土方!」 銀時の声が遠くで聞こえた。
真選組最速と言われる沖田の剣に勝るとも劣らないスピード。 モーションが見えなかった。 切っ先が唸りを突如あげて、土方の喉に向かう。
土方と助けたのは自らの勘の良さと銀時の声だった。 頭で考えるより先に身体を沈め、入田の懐に飛び込む。
村麻紗が逆に入田の銅を狙った。
入田は、後ろへ退がり、無理な体勢からの攻撃を難なく躱した。
銀時が駆け寄る気配がする。
「おぉ、すごいや。僕の居合、躱されたの久しぶりだ」 感心したように、入田はにやにやと貼りついたような笑顔を浮かべた。
「もう少し愛しの土方さんと遊んでいたかったのだけど。元々僕は武闘派じゃないし… 鬼と夜叉、二人の相手を同時になんてする気ないんですよね」 そういうと、懐から小さな瓶を出して、二人に示した。
「これ、なんだかわかります?」 「『祓伊蘇』か…?」 土方が低く応えを返す。
「惜しいです。これは更なる改良品です。新作なのでまだ名前つけてません」 「新薬?『祓伊蘇』の次の…」 男は、ゆっくりとうなずき、今度は土方を指示す。
「これを土方さんに先程少量だけど処方しました。解毒剤がお入り用でしたら取りに来いとのことですよ」 そう語る男の顔は人懐こい『真選組三番隊隊士・島田』の顔ではなかった。
「俺をどうする気だ?」 改良された新薬だといった。 何を特化し、どんな副作用を改良したのか? どちらにせよ、土方にとっては改悪でしかない。
「効用については秘密です。近いうちに高杉さんから連絡が入りますから… その時にでも、ゆっくり聞いてくださいね」
ひらり 入田の身体が、橋の欄干を乗り越える。
真下をちょうど通りかかった夜釣りの船に、巨体を感じさせない軽やかな身のこなしで飛び乗った。 船頭も配下であるらしく、驚く風もなくそのまま、船を進めていく。
「チっ」 後を追おうとして橋の下と覗き込んだ時のことだった。
船の上の入田が懐から出した銀色の筒状のものを口に差すのが見える。 笛のようにみえるが、音は鳴らない。 だが、土方は心臓を鷲掴みにされたような痛みに突如襲われた。 無意識にスカーフを握りしめ、膝をつく。
「じゃ、またね。土方さん」
船はゆっくりと下って行った。
「土方!」 銀時が土方の元に走ってきた。 入田からの距離が離れたためか痛みは徐々に遠のきはじめてはいる。
「だ…大丈夫…だ」 まだ、きしむ心臓を意思の力でねじ伏せ、土方は立ち上がった。
「大丈夫じゃねぇだろうが!そんな青い面しやがって!何された?!薬がどうした?!」 ぎりぎりと奥歯を噛みしめ、珍しいほど必死な形相の銀時に土方を別の痛みが襲う。 距離が少し離れていたためか、話の全てを聞かれたわけではないようだ。
「万事屋」 正面から土方の両腕をつかみ、問い詰めようとする男をゆっくりと見つめ返す。 掴まれた腕を引きはがし、逆に腕を掴んだ。 それから、強く呼ぶ。
「いいか、今の件は他言無用だ」 「オメー、何言ってんだ?そんなこと言ってる場合か?!」
「万事屋!!」
もう一度、強く。 もう一度、屋号で。 その響きに銀時も押し黙った。
「テメーは誰だ?」 「誰って…」 土方は低く唸るような声で尋ねる。
「テメーはしがねぇ『万事屋』の主、だろうが?」 白夜叉でも何でもねぇと諭すように、強く言外に含めた。
「土方…」 このまま、銀時を巻き込むわけにはいかない。 状況を分析するならば、銀時どころではなく、真選組にさえ迷惑をかけかねない大失態だ。
「俺は…人斬りだ。今も、そしてこれからも。 戦争でもねぇ。 大義はあっても、結局は殺し合いの世界だ」 白夜叉の走った戦場はすでにない。 残るは、魑魅魍魎が跋扈する政治の世界と、テロリストとの諍いのみ。
ぎしり 土方が掴んだ銀時の腕が軋んだ。 銀時は、少しだけ眉をしかめ、土方を見守った。
鬼は嗤う。 可能な限り、昏く、陰惨に、鬼と呼ばれるにふさわしい悪党の顔で。
「近藤にも話さねぇつもりか?」 疑問形ではあるが、これは確認だった。
「…とにかく、様子を見る」 土方は漸く、銀時の腕を離した。
「オメーはそうやって…」 男は言いかけた言葉を途切れさせ、最後まで紡がなかった。
そうして、月の隠れた暗い夜、独り立ち去った。
『月の名前 月隠』 了
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