『花の名前 ひがんばな・後篇』
どうやって、その場を離れたのか、正直な話覚えていない。
「鬼」の副長の通り名をうけていることは知ってはいたが、これまで、その鬼神のような戦いぶり、身内への過剰な制裁方法によるものだと思っていた。 相手に明らかな敵意があるとして、あれほどの実力差が明白であるにもかかわらず、捕縛の意図は全く感じられなかった。
人が変わったようだ。 否、どれほど土方を知っているというのだろうか。
「あの…」 恐る恐るという風に、声がかけられる。
「あの…」 もう一度かかる女の声。
「坂田様でしょう?」
名前を呼ばれ、自分を呼んでいた声だったのかとゆっくり銀時は振り返った。 かなり、ぼんやりとしていたようだ。 見覚えのない、つつましやかな身なりの女がそこにはいた。
「あんたは?」 「お久しぶりでございます。入田久一の妹でイチでございます」 ニコリとあどけなさを残す女は笑った。
「……」 何を言っていいのか正直な話、銀時にはわからなかった。 桂から事前に話を聞いていなければ、もっと気楽に話を聞いていたかもしれない。 だが、プレ情報を得たうえでの、この接触はありがたいものではなかった。
「坂田様、お時間を少しいただけませんでしょうか?」 「いや…」
旧友の妹とはいえ、テロに関わっている可能性がある以上、迂闊な行動はとれない。 今、銀時には守るべきものがある。 かといって、友の面影を少なからず残す、その目にあまり無碍な態度をとることも躊躇われた。
「あんま、時間ねぇから、ここで用件を言ってもらってもいいか?」
夕暮れ時のかぶき町の往来だ。 ここなら、銀時の顔見知りもそこここを歩いている。 何かあった時には、偶然出会ったことの証明をしてくれるであろう。
「…――」 女は少し考え込んだ様子であったが、すぐに面を上げる。
「わかりました。端的に申しますと兄を助けていただきたいのです」 「兄?」 久一はすでにこの世にはいない。
妹の話は確かに本人から聞いたことがあったかと思うが、他の身内についての記憶がなかった。
「私たちは3人兄弟なんです。一番上が久一兄、次に養子に出ておりました秀次郎、 そして私イチなんです」
銀時の怪訝そうな顔から察したのか、イチが説明する。 聡明な点も兄と似ている。
「秀次郎兄様は、久一兄様の遺志を引き継ぐんだと、昨年より…活動に参加しております。 どうも最近は危ない橋を… それで、近くにいたほうが私を守れると郷里より呼び寄せる手紙が来ました」 「…―俺にどうしろと?」 低く、尋ねる。
きな臭い気配がしてきた。 「秀次郎兄様は高杉さんのところによく通っていました」 「高杉…」 確かに入田久一は高杉と自分よりも交流が深かったから、兄弟とも付き合いが長いのかもしれない。
「高杉さんは久一兄様の亡くなった戦いの後も攘夷を邪魔する警察庁長官松平公、もしくはその庇護にある真選組を潰せと…」 「!?」 「秀次郎兄様一人では無理です!どうか、止めてください!」 「……何故…俺なんだ?そこまで分っているのなら匿名でいいから情報を真選組に流せばいいじゃないか…」
無理なことを言っているのはわかっている。 兄を捕縛されたいわけではない。 犯罪者にはしたくない。でも仇の手も借りたくないといったところだろう。
けれど、わざわざ警告を与えに来た桂の名をここで出すことには迷いがあった。
なぜ、今このタイミング。 なぜ、自分なのか。
「おや、旦那ぁ」 また、背後から、声がかかる。 こちらは聞き覚えのある若い男の声。
「総一郎君」 「総悟ですって。旦那も隅に置けませんね。こんな美人とお知り合いとは」 「ん〜。だといいんだけどよ。道を聞かれてただけなんだわ」 いつもどおりの、緩い口調。 お互いに、腹の底は見せない。
「そういうことにしておきたいのは、山々なんですがね。旦那」 先に目をそらしたのは、沖田だった。
「最近、うちのマヨラーの機嫌が悪いんでさぁ」 「なに?副長さん。どうかしたの? あ、アンタ、そこの角曲がって30メートルくらいで見えるから。その店」 真選組と接触はイチも避けたいところであろう。 銀時は沖田を牽制しながら逃げ道を示してやる。
「あ、ありがとうございます」 すっと、イチは二人から離れ、銀時の芝居にのって、走り出した。
「旦那、悪いんですがね。これでも俺、マジメな公務員なんで…」
「!?」 女の悲鳴が辺りに角の手前で起こった。
「いつもいつも単独行動ってわけじゃないんでさぁ」 いつものサボりと決め込んで単独でいることの多い沖田であるから失念していたといえばしていたのかもしれない。
「へぇ…あの子なんかしたわけ?」 「まぁ、それは今から土方が聞き出すでしょう」 調教の類は俺の分野ですがね口を割らせる拷問の方は…、と栗毛色の一番隊隊長は珍しく表情を歪める。 イチは再び隊士に引きずられるように、銀時たちの前に引き戻されてきた。
「入田イチさん。悪いが入田秀次郎について、大人しく屯所で話を聞かせてもらいやしょうか」 「お願い!私は何もしらない!あなたたちを狙っていることぐらいしか!」 「それは屯所でゆっくりと…」 イチの必死の訴えを沖田はいつもの淡白な物言いで答える。 けれども、ガクガクと震えるイチの身体の異変に沖田は言葉を停めた。
「おや、大丈夫ですかい?なぁに正直に話してくれりゃ取って食いやしや…」 「総悟!」 土方の怒鳴り声が聞こえた。
次の瞬間、久一にそっくりだと思ったイチの瞳が、尋常でないほど見開かれ、、そうして、ゆっくりと宙を舞った。
どさり
重さのあるものが、地面に転がる音がする。
ごろごろと、イチの頭であったものが銀時の足元に転がってきた。
『切腹切腹』と日ごろから連呼する男だ。 殺気さえ感じられない、機械的な運動。 介錯にも慣れているのかもしれない。 呑気に銀時は頭の片隅でそんなことを考えていた。
「油断してんじゃねぇよ」 「俺ぁ、外道の心理なんざアンタみてぇに理解できないんでさぁ」
ぴしゃりと黒いブーツが血の溜まりを踏むことを気にもせず、銀時は2人に近づく。
「なんで?」 「あ?」 理解が出来なかった。 足元の女の顔を見つめながら、銀時の口からこぼれたのは疑問だけだった。
「斬る必要どこにもねぇだろうが!」
先程の河原の女しかり、イチしかり、帯刀、武装していたとしても、土方や沖田のような人間であれば、殺さずとも難なく危険を回避できたはずだ。
「…必要はあった」 どこか底冷えのするような、低い声色で応えは返る。
「これは…市井に徒なすものだ。しかも、捕らえても大した役にはたたない」 だから、斬ったのだと土方は答える。
「土方さん?」 沖田が口を挟もうとするのを、土方は目で制したようだった。
「万事屋、一般人のテメーには関係ねぇことだ。 取り調べを受けたくなけりゃさっさと失せろ」 頬にかかった血液を手の甲で拭いながら、土方が吐き捨てるように言う。
拭いきれなかった赤が、横に伸び、まるで彼岸花の花びらのように頬に咲いていた。
『花の名前 ひがんばな 』 了
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