うれゐや

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【シリーズ】 | ナノ

『月の名前 二十六の月』



「じゃあな」


短い一言で、別れを告げた。

いや、本当は始まってもいないのだから、別れというには語弊がある。

終わらせた。
そういう方が近い。

「大した違いなんざねぇのにな」

土方十四郎は自らの思考を嘲笑いながら、夜道を歩く。


今日半日、かぶき町で万事屋なんてやくざな商売を営む坂田銀時と久々の休日を過ごした。
銀時とは、春の日に一度だけ、身体を結んだ仲である。
酒の勢いというには、飲み方が足りなかったし、意識もしっかりとしていた。
そんな状態であったのに、流されるかのように、自然なことであるかのように、彼を受け入れてしまった。

もともとは、街中で顔を合わせるたびに、怒鳴り合い殴り合いさえしてしまうような犬猿の仲であったのに。
それがあの晩を境に、崩れさってしまった。


土方は忘れようと、なかったことにしよう。
銀時は、すべての事項を受け入れ、前に進もうとした。

どちらがより良い選択だったのか。

喧嘩、もしくはすぐ張り合ってしまうというのは、お互いの根底が似通っている、同族嫌悪に起因するところが大きいのだと自覚はある。

思想するとき、同じ結論、選択を導き出すことも多いが、逆もまた、然りだ。
二択の道が目の前に提示され迷う。
迷うということは、どちらの選択肢もあり得るということ。

どちらがより正しい道なのか。

土方は銀時に魅かれている。
銀時も土方に魅かれているらしい。

だからこそ、褥を共にしてしまった。
だからこそ、土方は関係を元に戻したかった。

土方には近藤という道しるべがある。
一振りの刀になると決めた。
振り払うべきだと決断した、はずと。

それでも、心の何処かで甘えていたのかもしれない。
否、間違いなく自分は甘えていたのだ。
土方は思う。

先月、万事屋一家も巻き込まれたテロ事件の後、土方は気まぐれに銀時を私邸に招いた。
酒を馳走する。
近藤にも告げていない個人のテリトリーに銀時を入れるのは、これで2度目。

1度目は偶然。
2度目は自ら招き入れた。
それが意味すること。

過去に攘夷志士達と深い係わりがあろうが、男は万事屋の子どもたちを巻き込んでまで、テロ活動に今更舞い戻る気はないだろうという確信。
銀時が関係を進めたがっていることを知りつつ、無理強いすることはないだろうという確信。

予想のとおり、銀時は何をするでもなく、ただ、梔子の花の香を楽しみながら、酒をなめていた。

もて遊んでいるつもりはなかった。
いつも、偶然に出会い、喧嘩をしたり、事件に巻き込んだり、巻き込まれたり、鉢合わせることが楽しかった。

そうやって土方は優しい男に甘えてきた。


「なぁ、デートしよう」
銀時が急に言い出して、

「あ〜頭沸いたか?暑さで…」
出会い頭、道の真ん中で誘ってくるまでは、その無意識な甘えに気が付いていなかったのだ。

これまでは偶然。
でも、これでは偶然でなくなる。必然への転換。
甘えだけでは止められない刻。

「これでも?」
銀時は土方の目の前に餌のように、お気に入りの映画最新作の特別招待券をチラつかせる。

「アニキか?!」
「正解」
銀髪自身は興味の片りんも持っていない映画のチケット。
万年金欠の男に(ツテが例えあったとしても)プレミアのついたチケットを用意させた。

「も一回聞くよ?デート行く?」
「…行く…」
今度は諾と返す。
現金なものだと思われたかもしれないが、この時、決めたのだ。

近づいても避けなくなった互いの距離。
ここを引き際にしなければと思った。

(いつの間に、こんなに近づいてしまったのか…)

戻れなくなる前に、覚悟を、決めた。





約束の土曜日。
ぬるま湯から抜け出すカウントダウンが始まる。


最近は仕事も落ち着いていると銀時には答えていたが、来週から大きな捕り物が入る予定だ。
落ち着いているのではなく、待機しているだけ。
十分な証拠と、組に最小限の被害で大きな成果を上げるための下準備。
当初の昼前の約束の時間を、変更してもらったのも、内偵に出ている監察部の人間が報告に戻ることができる時間帯がそこしかなかったからだ。
時間変更の連絡をいれると、銀時は少し残念そうに、でも明日絶対来いよと念押しをする気合の入れようで、思わず言葉を失った。

言葉を失うくらい嬉しかった自分にも愕然としたのだ。



「副長?」

シャキン
シャキン

武装警察真選組の縁側に響いていたリズミカルなハサミの音が止まった。

直属部下の潜伏先からのほんの短時間の帰還。
山崎退に、己の散髪させながら、報告を聞いている最中だったと、土方は気を引き締める。

「なんでもねぇ。大丈夫なんだな?」
「滞りなく。明日からあぶり出しに入ります」

山崎は土方の応えを受けて、再び器用な手つきで襟足の長さを整え始めた。
梳いているのか、二枚の刃は先ほどよりもやや軽い音を奏でる。

「上々」

後ろ向きで顔が見えないだろうに、土方が陰惨な笑みを浮かべたことを察したのか、部下の指がひくりと微かに緊張した。
真選組の隊士達が土方の方針を全て諾としているわけではない。
伊東に組した人間もいた。
謀反まではいかずとも局中法度に、土方に不平不満、反感を感じている人間もいる。

土方を鬼と呼びたければ呼べばいい。
有事の際に、近藤を護る人間であればいい。
所詮、バラガキの集まりなのだ。

それでも、土方とて、腹心というべきか、共犯者は必要になることもある。

「終わりましたよ?」

うなじに付いた細かな髪を手ぬぐいで払われた。
短い毛が汗で首についていたのか、山崎の爪が丁寧に取り除いていく。
痛くはないが、こそばゆいとも違う。
ちりりとした刺激を苦く受け止めながら、夏の日差しで乾燥しすぎの庭をにらんだ。

「山崎…」
「ハイ」

今、山崎が追っている件は危険度も高いが、どちらかと問われるならば気が重たくなる類のものだ。
犯罪の質も、関わっている人間の素性も。


情報を分析して、優先順位と戦略を練っていくのは土方の仕事だが、その情報自体を真っ先に目にし、精査するのは山崎だ。

考えようによっては一番重たい事実を知る立場にある。

突然、山崎がなぜか苦笑した気配が起こった。
反射的に振り返り、拳を振り上げて頭をぽかりと叩く。

「土方さん」

殴れられて尚、山崎は苦笑したままだった。
その上で、この場面で役職名ではなく、名前で自分を呼んだ。
きっと、察しの良い男は気が付いている。

「俺は出てくる。日付が変わるまでには戻るが、何かあればすぐに携帯にかけろ」

土方のシュミレートに描かれている憂慮する事態と、その為に土方の選択を。

「…お気をつけて」

散髪用の鋏を懐紙で拭いながら山崎は静かに、それだけを言い、土方もまたそれ以上何も言わず玄関へと向かったのだった。




待ち合わせの場所には銀時が先に姿を見せていた。
普段の怠惰な様子から勝手に約束の時間よりも早い時間に来ている等とは思っていなかった為に、少し慌て、家康公像の前に走り寄った。
これからの時間を考えると、少し心苦しくなる。
罪悪感にも似た、それでいて、別の何か。
それでも、その正体を探しはしないまま、声を喉から押し出した。

「万事屋」

待たせたから不機嫌、というわけではなさそうなのだが、どうにも銀時の様子が少しおかしい。

「んだ?」

土方を見止めた瞬間嬉しそうな顔をしたかと思えば、困ったような、苦虫を噛み潰したかのような奇妙な顔をし、その後、死んだ魚のような目に戻っていったのだ。

「いやいやいやっなんでもねぇよ?まだ時間前だし。忙しかった?」
「おう、総悟の奴が出る間際になって…」
「あ〜沖田君…」
「まぁ、いつものことだがな。提出締切ギリギリの報告書を玄関先で手渡しやがって…」

沖田の嫌がらせは日常茶飯事だ。
日常茶飯事であるからこそ、非番前の土方を追いかけてまで手渡しにきた「真面目に仕事してます」と言わんばかりの態度がどうにも腑に落ちず内容のチェックに時間がかかったのは事実だ。
が、それが多少約束の時間を超えてしまった理由のすべてではないのだが、そこは伏せておいた。

「そういや、今日のこと誰かに話した?」
「いや、別に。緊急連絡があれば、携帯に入るからな。餓鬼じゃねぇんだ一々話しゃしねぇよ」

納得したのか、元から遅れた理由にさしたる興味もなかったのか、銀髪の興味は別のところに移っていく。
土方は一本煙草を取出し、喫うことにした。

「で、映画館行くには早ぇだろ?なんか予定あんのか?」
「最初は飯って思ってたんだけど、この時間だしな。ゲーセンにでもいくか?」

周到に用意しているかと思えば、こう、ざっくりと行き当たりばったりなこともしてみたりする。

「…じゃ、メシ喰わせろ。結局時間押して、喰いそこなってんだ。俺は…その先にある蕎麦屋でいいだろ?」

不思議な男だ。
特にプランがないのならと以前から行ってみたいと思っていた店へと土方は歩きだした。
慌てて追いかけてくる、気配をその背に感じながら。





遅めの昼食を取り、映画までの半端な時間をのんべんだらりと過ごす。
仕事も落ち着いて、持ち帰ることなく一人で過ごす非番の日であれば、土方とて一から十まで予定を立てて過ごすわけではない。
気の向くままに、食事だったり、掃除だったり、バイクを走らせたり、健康ランドに行ったりもする。
しかし、銀時との過ごす時間はもっと、ゆったりとした流れと感じるから不思議だ。
銀時の持つ、特有の空気の仕業なのか。

心地よい時間。
心地よい距離。

それも、夕食までだ。
どんなことがあろうと。
最初から、そう決めていた。






映画館からほど近い居酒屋の個室で酒を酌み交わす。
夕食と酒のツマを兼用出来、かつ気取らない店はありがたい。
名作を隣で鑑賞した後であるから、自然と映画の話が中心となるのは仕方のないことだろう。

「やっぱ、アニキは最高だったな」

少し、銀時の顔が陰っている気がした。
映画が銀時の好みではなかった、としても、直後はそれなりに褒める部分は褒め、フィクションならではのご都合主義な展開にツッコミを入れたりしてのであるから、ちゃんと眠らずに見ていたはずだ。

そわそわとした空気をかすかに向かい側に座る男から感じて箸置きに箸をおいた。

「万事屋」

ここいらが潮時かもしれない。
今まで、振り回して悪かった。

「その、テメェのお蔭で、その…今日は楽しかった」


ごとんと空になっているから良かったものの、銀時のビールジョッキがつまみを突いていた箸を停めた拍子に倒れる。
軽く瀬戸物にあたりはしたが、被害というほどの被害はない。

「いやいやいや、今日お前キャラ違うだろ!デレなのか?これデレなのぉ?!こんなところで貴重な、次いつ来るかわかんないデレが発動されちゃうわけですか?!コノヤロー」
気を付けろと注意を口にする間も無く、銀時は心の声を口に出してしまって、ブツブツととんでもないセリフを取りこぼしてしまっていた。

「デレ…ってなんだ?おい、俺はデレてねーよ!ゴラァ」
「あ?あれ?漏れてました?もしかして思考漏れてました?」
「ダダ漏れだっつーの」

ああ、いやになると土方は頭を抱えたくなった。
馬鹿だと思った。
銀時も、そして土方自身も。

馬鹿だからという理由ともいえない理由で流されそうな自分を叱咤する。

「じゃ、今日のデートは成功ってことで」
銀時が、土方の横に移動してくる気配があった。

「そだな。ま、今日が最初で最後…ってことで」
「は?」
ぎゅっと、腕を抑えた。

「やっぱ、テメーとは『そういう』事にゃなれねぇよ」
「な、なんなの?オメー…なに?がっつり欲望のままに押し倒されるような爛れた方がお好みだったの?実は」
「腐れ縁…くらいがちょうどいい距離ってこった。悪いが、俺には無理だ」

土方は立ち上がった。

「おい!」
「勘定は俺がしておくから」

迷ってはいけない。
隙を見せてはいけない。
少しでも揺らぎを見つけられてしまったら、きっと自分は…

まっすぐ、まっすぐ、銀時を見つめる。
まるで、先に目をそらした方が負けというように。

互いに逸らさない。
互いに逸らせない。

それでも、永遠はありえない。

守るべきものがある。
留まることは出来ないと、土方は口をゆっくりと開いた。

「じゃあな」

そうして、振り返らず、店を後にしたのだ。




そこまでを思い起こしながら、土方は屯所への道をひた歩く。

昼間、待ち合わせに使った公園の前を通り、そこを横切る方が近道だと足を踏み入れた。

家康公像の前に芙蓉の大輪の花がほのかな桃色をそこに乗せて、まだ少し開いている。
そういえば、昼時分は白色だったのではないだろうか。

変わり芙蓉。
酔芙蓉。
朝と夕と色を変える特色を持つ花。
同じ花ではあるが、その趣は全く異なって見える。

きっと銀時にも、この花のように自分の態度は移り気に見えたことだろう。

それでも良い。

空を見上げてみれば、月齢26の月はもうそのほとんどを隠し、存在はかすかだ。
あの銀色を、地に落とさないように、自分などに関わって、心を痛めないように。

隠してしまおう。
明日から、また土方は戦さ場に入る。
その何処にも、銀色の姿は見たくない。

それが土方の今の願いだった。






『月の名前−二十六の月−』 了


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