うれゐや

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【シリーズ】 | ナノ

『月の名前 弓張月下弦・後篇』



花火が江戸の空を彩るのはほんの数時間のことだ。
フィナーレとばかりに連発で一斉に空の色を変えた後、天は急速に興味を失われ静かになっていく。
次々に片付けられていく屋台、人ごみではぐれないよう手を繋いで岐路につく人々。

そして、来賓も無事に松平同行で城に帰り、真選組は撤収完了することが出来た。
土方も自分のバイクで会場を離れる。

ただ、帰営する前にコンビニへ寄り道することにした。
警備中に幕僚の前で煙草を吹かすわけにもいかず、今まで我慢していたのだ。
兎にも角にも一服。
コンビニ前でバイクに腰掛け、買ったばかりの煙草に火をつけた。

細く煙が空に昇っていく様を見つめる。
細胞に染み渡るニコチンによって漸く長い一日が終わると実感が湧きあがり、愛車のタンクを撫でた。
たまの休みにしかエンジンを回してやれない。
昨日の休暇もどうせ会場の下見に行くなら走らせようと別宅に出かけたところで、緊急の連絡が入り、そのまま、沖田を拾って現場に向かう羽目になったのだった。
無茶をさせたから、近々整備にださねばならないだろう。
フルカウルのボディには深いダメージが残っている。
傷の入った左側面をそっとなぞった。

「あれ?」
「あ゛?」
前方からスクーターを押して歩く銀髪頭が見えた。

「今日はもう片付いた感じ?」
「一応…な。テメェは?」
「新八んとこからの帰り」

目まぐるしく一日が過ぎ、喰ってかかるのも面倒だった。
花火が終わって、そよ姫は城に、神楽は恒道館にそれぞれ戻ったと報告を受けていた。そこに同行していたのかと納得し、また大きく煙を口から吐きだす。

「そういや、それ、バイク土方個人の?」
「あぁ…車程、場所とらねぇし、小回り利くから」
「だな。俺もコイツにゃ助けられてる。あんま燃料はいんねぇのが偶に傷だけど、押していけるっちゃいけるから微妙…」

なるほど燃料切れか、とわざわざ乗らずに押して歩いていた理由を推しはかる。

「あ…」
「今度はなんだ?」
「この臭いなんだっけ?この間も嗅いだ気がすっけど」
「臭い?」
「そう、甘〜い香り。糖分の臭いじゃねぇな…花?」

銀時が、くんくんと犬のように鼻をならした。
つられて、土方も辺り見渡し、匂いの元であろうものを見つけた。

「梔子じゃねぇか?」

何軒か先の庭塀。
くちなしの花。
けして背の高い木ではない。
白くぽってりとした色気のある花が夜目にも明るく映る。
今日のような、ずいぶんと細くなった弓張月の夜でも鮮やかに、艶やかに。
花びらで、薫りで存在を主張していた。

「そういや、昨日も咲いてたな」
「コイツのお陰で、埠頭は餌かと思った」
「倉庫の爆薬のこと?」
「昨日も梔子がかなり香っていただろ?もともと有数の匂花だが、あそこまでってことは…」
「雨?」

週間予報では晴れとされていたし、日中の茹だるような暑さと晴天で失念していたが、梔子の花が芳醇なる香りを更に増大させていたほどの水気。
不安定な大気は急な豪雨や雷雨の可能性を強く残す。
花火大会など、天気次第の代物だ。
当日雨天中止になる可能性はゼロではない。
だというのに、あの攘夷志士たちは予告まで行い、捕まえた者も、あっさりと(とはいっても拷問部屋にはいれたのだが)自白した。
元より、可能性の一つとして考えていた「囮」という言葉が土方の中でほぼ確信に変わった。
配置に多少の手を加え、自分はフリーで動ける様に調整する。

そこまではもう銀時に対して説明をしなかったが、正確に把握しただろう。
それ以上その件に関して問いを重ねてはことはなかった。

「ところで副長さん」

銀髪が頬をくすぐる。
気がつくと、肩にガシリと腕を回され、肩に顎が乗せられていた。

「今日の報酬なんですけどぉ」
「あぁ、あとで請求書まわせ。言っとくが基本的にメガネの働いた対価だけな」
「えぇ?!報酬期待してるって言ったろ?俺の働き分は?」
「そっちは無傷ならって条件つけただろうが」
「誰も身内は怪我してないじゃん!」
土方は黙って自分の腰掛けていた物を指差す。

「は?」
「俺のツレが傷負った」
「ツレってバイク?!いや、待て、そりゃ違ぇだろ?大体!これ転がしたの自分ですよね?
俺カンケイ無いよね?それ以前にこれ『ヒト』じゃないよね?」
「いや、生き物なら自然治癒出来るけど、物はそういう訳にはいかないだろ?」

土方はスゥっと大きく吸い込み一気に煙草を短くすると、携帯灰皿に吸い殻を片付け、銀時の腕をはらった。

銀時に世話になったと、認めたくはないから新八の報酬に色を付けた形で誤魔化そうと思っていたのだが、簡単に引きそうにはない。

「…まぁ、でも…そうだな。コイツ置きに家に帰るから…」
そして、愛車のスタートボタンを押して低い駆動音を鳴らした。

「梔子、うちの庭にもあっから、それ肴に『八海山』ぐらいなら馳走してやらぁ」
「マジで?!銀さん、本気にすっぞ?あとで冗談でしたってのは無しだかんな!」

土方は返事をせずフルフェイスのヘルメットをかぶり、跨った。
飲みだけ、しかも宅飲みにこれだけ慌てる銀時が可笑しい。
普段、あれだけ図々しくもなれる男であるのに、時に殊勝な様を見せてみたりもする。

「ちょっ!土方!」

飲むだけだぞ、言い捨ててから、エンジンをひとふかし。
速攻で大型バイクのスロットルを回し走り出した。
銀時とガス欠のスクーターと残された様子をバックミラーで確認する。

銀髪が見えなくなると、今度は静かになった星空と月の銀色が映り込んできた。

空には弓張月。
月齢22。

この件が片付いたら下弦の月と梔子でも愛でながら一杯、そういった静かな時間を今晩は予定してはいた。
予定にはなかったのは地上の銀色。

自分の特別な場所へ銀時を招き入れるのはあの十六夜の日以来であった。
あの時は桜に寄せられて男はやってきた。
今晩は微かな月光のなか、山梔子の香りを辿って、夜道を銀髪は果たして来るのだろうか。

本気で惚れた腫れたをいう相手を招き入れるというリスクも考えなくはないが、静かに男と飲む酒は嫌ではないのだ。
銀時の性格上、土方が拒否する限り、無理やり艶事に持ち込むことはないだろう。
奇妙な信頼もそこには確かにあった。

土方は薄くメットの中で苦笑し、私邸へとバイクを一足先に走らせたのだった。






更に弓張月は天頂へと移動する。

「なぁ…」
「ん?」

土方の私邸にて、二人はキンキンに冷えた日本酒を切子のグラスに注ぎ、縁側でまったりと酒を楽しんでいた。

「神楽の浴衣…あれの礼、言ってなかったなぁと思って」
「…気にすんな。警護上の必要経費ってことでどうにかすらぁ」
気を利かせた銀時がコンビニで調達してきたツマミにマヨネーズをかけようか迷いながら、土方は答える。

「あぁ…あのいいとこのお嬢ちゃん?」
「攘夷浪士たちに見つかっちまったのは偶々だったらしいが、もしも神楽に聞いてなかったらと思うとぞっとする」
要請されていないお忍びに関して真選組が責を負うことはないにしても、
現場で万が一にもそよ姫がテロの犠牲にでもされていたならば、その限りではない。

土方は結局マヨネーズはつけずに、盆の上に戻した。

「それなら遠慮なく?」
「だが、ちっとは真面目に働いて給料だかメシだかちゃんと食わせてやれや。ニートが」
「ニートじゃありませんー。エンゲル係数がちっと高いだけですぅ」
少し肩をすくめただけで、うまそうに辛口の冷酒を飲み干し、手酌でまた注ぐ。
その様子に土方はまた少し苦笑いするように口端を上げただけで、それ以上何も言わなかった。


穏やかに、夜が更けていく。
細い細い月が、二人を笑うかのように夜に座している。

梔子の花は、微かな光を浴びて、ほのかにしか姿を見せないが、強く香りでその存在を主張する。

「なぁ、土方」
「……」
「土方?」

柱に寄りかかったまま、土方は目を閉じていた。
意識の端っこに響く銀時の声は心地よい。

あぁ、潰れちまったか…?
無防備に寝てくれちゃって…
ちっとは警戒つうか、意識しろよ。いや、してください。
結局『榎さん』とやらのこたぁ、聞けずじまいかよ。

銀時は呟く。

確かに警戒はしていない。
信用、も多分している。
そうでなければ、自分の個人的な空間に入れはしない。
それから…榎さんともなんでもねぇよ。

呟きに答えるには酒がまわりすぎていた。

ひじかた…

心地の良い声が、言葉ではなく音にしか聞こえない。

するりと、手からまだ酒の入っていたグラスを取り上げられた感覚に頬をかすかに緩め、
土方は睡魔の囁きに逆らうことなく、意識の手綱から手を徐々に放す。


夏は始まったばかりの夜の出来事であった。



『月の名前―弓張月・下弦―』 了





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