うれゐや

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【シリーズ】 | ナノ

『dessin U』 



sideK



大人しく黒い獣は金時についてきていた。
言葉からも態度からも逃げる気配はとうの昔になくなっているというのに、手を放せない。
なんて臆病なのだと自分でもおかしくなる。

エレベーターの電光表示が階数を変化していく様子を見るともなしに見上げながら、心の中で深呼吸した。
今晩はこの場所に連れてくるつもりはなかったのだ。
改まって話したいことであると同時に、改まると言葉が出てこない類の話。
フランクな流れで会話を始めつつも、真の言葉を、情報を引き出せるような環境、
ジャズのアドリブのように、変幻自在に動かせる空気。
それをホームといえばホームに近い場所で図ったのが敗因だ。
基本的に土方には「ホスト」ではない自分を見てほしいと思っている。
けれど、それなりに恰好をつけたいというどんな男でも持っている小さな見栄が元凶。いっそ、客に会ったことのない、いつも使っている居酒屋の個室の方がよかったと後悔しても後も祭りだ。

スムーズに駆け上がったエレベーターは、金時の思惑をよそに静かなベル音を立てて扉を左右に開いた。




「適当に座って」
土方が金時のマンションを訪れるのは初めてではないし、遠慮するとも思えなかったが、一応声をかけてからキッチンへ飲み物を取りに向かう。
冷蔵庫から貰い物の瓶ビールとグレイ用の新しい水をもって戻ると、ケージから出した猫を膝に乗せ土方はソファに居場所と定めていた。

「グラスいる?」
「いらねぇ。地ビール?」
「そうみたいだね。もらいもんで悪い」

返事を聞いてから、王冠を栓抜きで抜いてから手渡すと、土方は興味深そうに330mlに貼りついたラベルをひとしきり眺めてから口に運ぶ。
まるで警戒を怠らない野生動物の仕草のようだ。
一度口をつけると、勢いよく半分ほどを飲み干しローテーブルに瓶を置いた。

「で?話ってなんだ?」
口端を少し引き上げた金時の様子に些か気分を害したことを隠しもせず、問われた。
強い瞳だ。
最初に見つけた時から変わらない。
路地裏にいても、往来にいても、どこにいても、この青灰色は金時の目を奪う。

「十四郎」

護りたいと思ったものがあった。
大切にしたいと思うものは今でもある。
でも彼は、十四郎は違う。
純粋に綺麗だと感じ、欲しいと唯一、金時が色あせていた世界で見つけたモノ。

ビールで喉を潤してから、横に腰を降ろす。
じっと夜色は金時を見ていた。
何から話せばいいのか、今日の為に色々考えていたというのに、何も浮かばず弱り果ててしまう。
だから、空いている手で相手の眦をなぞった。
土方は避けない。

「なぁ…一目惚れって信じてくれた?」

チープな言葉だと、そして一体何度目のセリフだと、滑り落ちた己の言葉に苦笑した。
触れた眦が震え、土方もまた苦笑したのが伝わってきた。

「俺にはわからねぇことだ。信じるも信じねぇもねぇよ」
「じゃあ、信じて」
「テメーの言葉は軽すぎる」
「じゃあ…知って」
眦に触れる指の加減と同じぐらいの強さで唇を土方のものに合わせた。

「俺のこと知って、お前のこと教えて」

言葉を発する度に唇同士が擦れ、それだけで気持ちがいい。
ビールと煙草の匂いが鼻先で香り、堪らない。

「知って…どうするよ?」
「別に、たぶん何も俺は変わらねぇなぁ」

同時に、ビールの温度でひんやりとした土方の唇が相手の気持ちの温度、そのものにも思えて、はやく自分の体温を移したくもなるけれども、あえて金時は深めることをしなかった。

「変わらねぇなら…」
「変わらないのと意味がないってのは同義語じゃねぇ」
「意味が、あるのか?」

伝われ。
舌をほんの数ミリ出して、上唇を擦る。
土方はくすぐったいのか、ふっと息を少し漏らしただけだ。

「俺は十四郎のこと、知りたいと思う。それだけじゃ、駄目か?」
「駄目、だな」
土方の手が、金時の胸を押して空間をつくる。
すると、それまで大人しく土方の膝で窮屈であろうに動かずに丸まっていたグレイがするりと抜けだしていった。

「何が駄目?」
「お前は『みんなの金さん』だろ?」
「違うな。万事屋の金さんは『みんなの金さん』だけど、坂田金時は違う」
「違わねぇだろ?」

頑なな返答は想定内と言えば想定内だが、声色に含まれた気配にこれまで繰り返されてきた返答と違う色を見つけて、グレイが立ち退いた分の距離を詰める様に身体を再び寄せる。

「さっきだって聞いてたんじゃねぇの?
 プライベートとオフは基本的に分けるんだよ。これでも」
「そりゃ、客によるだろうが。『今後』が期待できる客なら…」

タクシーの中でもそうだった。
先日、そよとの同伴を見られた時もそうだった。
そして、今の発言。
土方は金時の「客」に気を揉んでいるように思えるのだ。

「十四郎」
「あ?」
「それって…ヤキモチにしか聞こえないんですけど?」

浮上しかけた期待。
勘違いかもしれない、そうではないかもしれない。
思い切って声に出したものの、口の中が乾燥する。

「ヤキモチ…?やき…え?聞き間違いでなければ、『悋気』とか『嫉妬』という意味でのヤキモチのことか?」
「ハイハイハイハイ。そうですとも!んな冷静に返さないでくれない?そこは「んなことねぇっ!」真っ赤になるところでしょうがっ!そうですか!自覚なしですかコンチクショ―」
「意味わかんね」

あまりのとぼけた返答に緊張の糸は一気に崩れた。
ビールで潤したい欲求に抗うことなく瓶を掴み、喉に流し込む。口端から溢れかけた苦みのある液体を手の甲で拭ってから再び叫ぶ。

「オメっ!唐変木にもほどがあんぞ。そこからか!そこから開発していけってか?上等だァ!」
「何切れてんだ?馬鹿にすんな!意味ぐらいちゃんと分かってるっつーの!俺がヤキモチやいてる…って?は?やきもち?はぁぁぁぁ?」
「鈍っ!鈍すぎ!十四郎…そこまでいくと軽く傷つくからやめてあげて、300円あげるから」
「300円たぁ、しけてやがんな。ホストのくせに」
「ホスト関係ねぇし!300円に笑う奴ぁ300円に泣くんだよ。テストに出るから覚えとけ」
「オイ。会話もキャラも迷子すぎて…」
「あー…もうっ!わかんねぇ!わかんねぇ!」

もともと跳ね返った髪を掻き毟れば、多少はワックスで抑えられていた天然パーマは更に激しく逆立つ。
構わず、金時は掻き毟り続けた。

「だから、何がだ?!」
「手詰まりなんだよ!察しろよ!無理かもしれないけど、察してください!
 ホストとか関係なく、オメーの口説き方も!
 俺自身の感情の揺れ幅も!半端なくわかんねぇ!」

流石に金時の様子にふざける要素がないと判断してくれたのか、はたまたトンデモナイ状態になっているであろう頭を心配してくれたのか、今度は反論をせず、静かに土方は金時の両手を取り、『掻き毟る』という動作を妨害する。

「オメーが再三言うようにな!確かに俺ぁホストだ。
 毎晩色んな女の子の話を聞いて、彼女たちが求めている言葉を返して、
 惚れさせて、入れあげさせてナンボのホストだよ。
 これでもナンバーワンで、税金もがっぽり持って行かれてらぁ!
 けどな!こりゃ、個人的なことなんですぅ!
 こんな億ションに住んで、車の前に立った馬だとか
 走ってるジャガーのエンブレムの付いたスポーツカーから颯爽と降りて、
 スマートにエスコートするカッコいい癖に、どこか親しみのあるトークで
 老若問わずモッテモテの金さんの方じゃなくて、
 本当はもっと小っさい部屋で全部寝っ転がってても
 ジャンプといちご牛乳に手に届くような6畳一間で十分な坂田金時さんの方が、
 土方十四郎の一言一句に動揺させられてるんですぅ」
「モッテモテ…って…古…でも、その、なんとなくわかった」
「わかってねぇだろっ!ちょっと!その憐れむみたいな目ぇ止めて。
 何、この前半シリアスパートだと思ってたのに、後半このぐだぐだっ!
 勘弁して下さいっ」
「わかったって言ってんだろ。落ち着けや。天然パー」
握られていたままであった両手は膝の上に運ばれ、土方の手は金時の頭をぐいっと強制的に下を向かせた。
金時が掻き毟った髪をまるで毛づくろいするかのように、一房一房ずつ丁寧な動作で本来の毛の流れへと指を梳かせた。

「まぁ…あれだ。ホストのテメェの言葉は信じらんねぇが、
 確かに今の情けねぇ面のテメェのこと、嫌いじゃねぇよ。俺は」
「十四郎…」

まるで子供に言い聞かせるようにゆっくりと、普段の男の話す声が頭上から落ちてくる。
絡んだ髪が解くと同時に金時の動揺をも解消するかのような丁寧なものだった。

「俺は…いや、「俺が」わかってんのはそれだけだ。
 俺は基本的に人の好き嫌いのラインがあやふやだが、どうしても性に合わねぇ人間、
 逆に無条件で気のおける人間てのも、確かに少ねぇがいるにはいる。
 テメェはその枠にも当て嵌まらねぇ。
 なら、テメェとの距離の基準は本来係わるべきもんじゃねぇ。神楽の件がある。
 テメェの素性も胡散クセェ。
 なのに、テメェは小さな小さな隙間を、縁を伝って、全部を飛び越えて
 『こっち側』に入ってこようとしやがる。人のことを混乱させる」
「十四郎…」
「だけど、嫌いじゃねぇ。そこまでだ。今俺が理解できてんのは。
 だから、これ以上踏み込んでくるならテメェのことを知るべきだとは確かに思う。
 相手を知らねぇと戦略は練ることが出来ねぇからな」

金時には互いの膝辺りが視界を占め、土方の顔が見えない。
金時自身の顔を見られたくないという意味では好都合であったが、やはり土方を見たいという気持ちが勝った。
思い切って面を上げ、頭から離れかけた左手の薬指に唇を寄せながら間近で観察する。

「今は、それで十分だと言っておくさ。ただし、俺は欲深いらしいから。
 欲しいもんは全部手に入れるまで諦めねぇよ」
「全部、か?」
「全部だな」

薬指から唇を話し、手首に噛みつく。
普段触れている女性のような丸みなど片鱗もない。筋張り厚さもある手。
噛みしめた歯の間から太い動脈が脈打つのを感じて、舌でなぞりあげた。

「うそつきだな」
「うそつきかな?」
「あぁ、元々、テメェは大して欲深い方じゃねぇだろ?」

土方は一瞬だけびくりと身体を強張らせただけだった。
この場所を獣ではない、人間の歯で噛み切ったぐらいで致命傷とするには困難だ。
そんな理屈ではない部分、動脈を捕えられているという本能的の部分で危機を感じ取っているにも関わらず、触れることを許している男に翻弄される自分。

「だから、欲深い「らしい」って付けた。十四郎だけだから。例外を知らねぇ」
「俺だけ…ますます胡散クセェ」
「また、そこに戻るかね。オメーはよ」


胡散臭いと、信用ならないと告げながら、距離を許すのは金時がいつも危惧する「死にたがり」な部分とは異なると思いたい。
だから、新しい画布を。

「十四郎。グレイのことで提案がある」
「あぁ」
「怪我ももう問題ないし、こうやって預かってもらうってのも終いにしたいと思うんだわ」
「…あぁ…そうだな」

青灰色の瞳がお気に入りのクッションの上で寝そべっているグレイに移った。
襤褸雑巾のように横たわっていた猫はもはや立派な成猫に成長した。
少なからず土方がこの猫に情が移っていることも、面倒を面倒だと思っていないことも理解したうえだから、直球を投げる。

「コイツのお陰で毎週、十四郎に会えてた。
 だけど、そんな建前抜きで十四郎にこれからは会いたい」
「は?」
「十四郎が空けられる時間、逢える時間全部、十四郎に会いたい」
「な…んで?」
「知りたいし、知って欲しいから」
これも繰り返しだなと笑う。
どんなに言葉を尽くそうとしても、土方の前では泡となって消えていくから仕方ない。
小細工をしようとすればするほど、思いもよらない方向へ事態は転がっていくばかりなのだから。

「過去が胡散臭いって思うなら、聞いてくれたら答える。元から、別に隠してやしない」

この度は最初から意図して、手首ではなく、手の甲に口づけた。
その位置から見上げる様に、相手を観察し続ける。

「3サイズでも、年収でも、好きな食べ物でも…」
「別にんなこと知りたくねぇ…」
「俺は知りたいけど?十四郎の3サイズ。あと、休みの日に何してるのか、だとか…」
「普通だ、普通」

平静に見えていた男が初めて揺らいだ気がした。
土方の容姿であれば、これまで言い寄る人間は少なからずいたはずで、この類の質問も処理したことがないとは思えない。
しかし、今の土方は知られたくない、というよりはむしろ、「答える」ということにまるで馴れていないように見える。
質問を「情報」を「情報」として必要最低限の範囲で「処理」する。
彼にとって当たり前の作業が困難なのは、金時の知らぬその他大勢と自分は違うと認識してくれている故であってほしいと目を細めた。

「普通じゃねぇよ。俺にとっては。どんなとこに住んでんのかも知りたいし、
 この間、歩いてグレイ連れてきてたでしょ?まさか実は結構近いとこに住んでんの?」
「黙秘」
「へぇ…近いんだな?今度、遊びにいくから。どの辺?」
「坂田、俺はまだ何も…」

言おうとしないだけで、適当に煙に撒こうとはしない。
やはり土方の金時に対する距離が変化しつつあるのだと確信して、また新しいラインを描く為に心の中で鉛筆を持ち直す。

「あれ?さっきみてぇに名前で呼んでくれないの?」
「あ?…あれか、ありゃテメーの客の前だったから…」
「呼んで」

坂田、天パ、腐れホスト、テメェ、エトセトラエトセトラ。
碌な呼ばれ方をした試しがなかった。
だからこそ、先ほどバーで名前を呼ばれた時には心臓を鷲掴みにされた気持ちになった。
なんて単純、なんてお手軽。
それでも願わずにはいられない。

「…き、んとき?」
「っ!」
「なんだよ?噛んで悪かったな!クソ天パ!クソ天パ!クソ天パ!
こっちなら呼びやすいんだよっ!」
「ごめんごめん!でも、もう一回!」
「呼ぶかっ!」

改まったためか、土方は出だしで詰まったが、金時にとって効果抜群でしかない。
再び息が止まってしまった金時を土方は笑いをこらえたのだと勘違いしたのか臍を曲げてしまった。

「十四郎、呼べよ」

折角呼んでくれたのに、ここで完全に止められるのはとても、とても惜しい。
懇願するように、だが、退く気はないと再度強く言った。

「呼んでくれたら、飛んでいくから」
「馬鹿か…」
「そだね。十四郎馬鹿かもね」

拒絶も否定も返答はなく、土方はビール、とだけ呟く。
瓶は結露しローテーブルの上で水溜りを作っていた。
一度身を離し、ハンカチで瓶を拭いてから手渡すと、土方は黙って再び喉を鳴らす。

「それ、やめろ」
「はい?」

ビールを煽る喉元がこくりこくりと動き目を奪われていた金時は、明らかに欲の籠った目で見ていることを指されたのかと心配したのだが、どうやら話の続きだったようだ。

「その、名前連呼するのやめろ」

笑って、丁寧にお断りをした。

「いや、これ去年のクリスマスにもらった大事な名前だからね?十四郎は金さんの所有印、みたいな?」
「意味変わってんぞ!ゴラァ!呼ぶ許可勝手にテメェが…」
「予行練習的な感じ?」
「オイ!」
「それはさておき、十四郎」
ギリリと睨み殺さんばかりの強さで睨まれる。
そのことにぞくりと背を震わせながら、金時は指先で土方の唇を摩った。

「いつでもここに来て。鍵も渡しておく。
 それから、これからは俺からもお前に会いに行く」

再びビールで湿った唇に指で触れた。
指を横に滑らせ、白い頬がてらりと鈍く光らせる。

「覚悟して」

光る線を描きながら、耳の前へ、それから黒髪に差し込んで、側頭部から後頭部を掻き混ぜる。
地肌はじわりと汗をかいていた。
他人の湿った肌の感触など気持ちの良いものではないはずなのに、まるで吸い付くような感触に金時は軽い眩暈を起こしたような錯覚を覚えた。

「十四郎…」

そのまま、頭を金時の胸の方へと引き寄せれば、意外なほど簡単についてくる。

「覚悟して」

もう一度繰り返す。
最後通牒を下すかのように。

言い訳を、偶然をもう頼りはしない。


ホストと刑事、だけではない。
かぶき町で知り合った腐れ縁だけではない。
幼馴染の腹違いの弟だけではない。

それら全部をミックスし、融合させ、キャンバスを完成させるために。

「…約束はできねぇが」

胸についていた土方の額が持ち上がった。

「考えてみてやらぁ」

猫かを思わせる、瞳孔の開いた好戦的な瞳がまっすぐに金時を射抜く。
そこに迷いはなかった。


新しい距離を描く。

目の前の風景を、人物を素描し、これから完成させたいものの、骨子を作る。
迷宮でも、迷路でも、俯瞰図が在ればいい。
最短距離で絡め取り、ずっと側に捕えておくための大きな絵柄のために。

デッサンを描く。

「そうこなくっちゃ」

金時は笑った。
愛らしいものを見止めて思わず零れた笑みのような、
ゲームでラスボスと打ち取るためのアイテムをようやく獲得できたときのような、
そんな笑い顔で。

金時は新しい下絵に満足げに笑ったのだ。



『dessin』 了

 
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