『月の名前 臥待月』
雨は嫌いじゃない。
武装警察真選組の副長は、屯所内で事務仕事に勤しんでいた。
午前4時。 朝と呼ぶには早く、夜と呼ぶには空が明るい。 日中はにぎやかな屯所内もさすがにこの時間は寝静まっている。
しとしと さらさら
雨粒と土方が滑らせる筆の音だけが部屋に響いていた。 月の頃は水無月。 水の無い月と書くが、『水の月』。 今年もよく降り続いている。
短くなった煙草を今にも溢れそうな灰皿の中に押し込んで、先ほど空にしたソフトパッケージをくしゃりと握りつぶしてゴミ箱に放り投げた。 長時間座ったままで、多少強張った足を数度屈伸でほぐし、押し入れに向かう。 けれど、向かった先に土方の求めるもの、カートンで買い置いているはずの煙草は生憎と見当たらなかった。
まだ、仕事は残っているのに、と小さく舌打ちする。 ヘビースモーカーの土方にとって、煙草があるのとないのでは仕事の進み具合に差が生じる。 もう少し時間が早いか遅いかしていたならば、喫煙者の隊士の誰かを捕まえて譲り受けるか、買いに走らせることもできたであろうが、生憎と今は難しい時間帯だ。
「仕方ねぇ」
誰に告げるでもなく、土方は呟き、気分転換も兼ねて日の出前の町へと煙草と調達に出かけた。
傘を差し、最寄りのコンビニまでゆっくりとした歩調で歩く。
本来、こんな時間に一人で外出というのは、副長という立場上あまり褒められたことではないが、土方はその点を気にする男ではなかった。 むしろ、自分を餌に釣りが出来たら良いとさえ思っている。
いつの間にやら、背後から物騒な気配が数人分、土方の後を等間隔でついてきていた。
「…ストレッチぐらいにはなるか…」
お誂え向きの気配を数え、ギリギリまで引き付ける。 4人の浪人が躍り掛かるのと、土方が傘を投げつけるのはほぼ同時であった。 傘の動きに隠れ、間合いの一番近かった男に居合で一太刀。 背後からの一人に右袈裟。 返した刀を三人目の喉元に突きで与え、四人目だけ、峰打ちで腹部を殴打した。
「いらねぇ力が入ってたか…」
愛刀の血糊を懐紙で拭いつつ、土方本人にかかった返り血の量に眉をひそめる。 真選組の隊服は黒いため、返り血はさほど目立たない。 だか、どうしても血臭はぬぐえない。 傘を拾ってみるが、自分が投げたためか、乱闘中に誰かが踏んでしまったのか、軸が曲がってしまっていた。 修理できないこともないだろうが、今は使えない。 どちらにしても、すでにずぶ濡れとなった隊服に傘を差す意味はないだろう。
「さて…」
とりあえず、生き証人として残した一人に手錠をかけ、屯所へ連絡をし、当直の隊士に後始末の連絡をするという最低限の職務を果たすと土方は煙草を求め、再び歩き出した。
コンビニへの道中、最近整備された公園の前を通りかかる。 それまで高い木々が生い茂り、治安上よろしくないと指摘されていたその場所は、すっかりと見通しが良くなっていた。 芝生のスペースと憩いを目的にした東屋。 池には今が盛りの花菖蒲の花で覆い尽くされていた。 遊具があるわけではないから子供向けとは言えないが、きっと天気の良い日には多くの親子連れや花を観賞する人々でにぎわっていることだろう。
けれど、悪天候なうえに早朝。 ジョギングする人間もいない。
その無人だと思い見回した公園の中に、土方は見覚えのある銀髪頭を見つけた。
「あのマダオがこんな時間から起きだすなんざ、珍しいこともあるもんだ…」
酷い顔だと、無意識に拳を握る。 俯きがちに花菖蒲をぼんやり眺める万事屋の主の表情は、いつもにも増して覇気は感じられなかった。 花を、水面を眺めているわけではない。 悔悟とも懺悔とも違う。 ただ「そこに」立っている。
なるほどと土方は近頃、妙に懐かれている夜兎の娘と団子屋で話した内容を今の銀時の様子に結びつけた。
「最近銀ちゃん、おかしいアル」
彼女は深刻そうな顔をしながらも、口に一串分、全て頬りこみながら相談事とも愚痴とも取れない話の出だしはこうだった。 ぷっくりと膨れた頬にどこまでの信ぴょう性があるのかと疑問も無きにしも非ずなのだが土方は聞き返す。
「って、あいつがまともなことあんのか?」
土方の返しに、それをいっちゃお終いネと団子頬張りながら、少女は眉を寄せて続けた。
「眠れてないヨ。夜中、私の部屋(押入れ)まで魘される声聞こえるアル…。 昼寝してても、熟睡はできてないみたいだし。トシちゃん、どうしたらいいカ?」 私の部屋(押入れ)ってなんだ?と突っ込みを横に置いて土方は神楽の視線の先にあった自分の団子の皿を差し出してやった。
「魘されるって、なんか聞き取れる言葉か?」 「唸ってるだけネ。飛び起きたら酷い汗、掻いてる… 銀ちゃん、私が聞いても平気なふりしかしないヨ。 新八も心配してる。トシちゃんからも喝入れてやって欲しいアルヨ」
そんな風に頼まれたばかりだったのだ。
立ち尽くす銀時の様子は確かに「普通」とは言い難かった。 神楽が表現しづらかったのもわからないではない。 ここに心がない訳ではない。 だが、心を半分だけ何処かに飛ばしているようにも見える。
万事屋坂田銀時は強い。 土方は認めている。
攘夷戦争などという大きな戦争で、『白夜叉』なんて異名を付けられるほどの大物であったからではない。 剣技がすごいからではない。
万事屋坂田銀時は強い。 一本、芯の通った道を持っている、その魂の在り方が強いのだと思う。
「朝っぱらから、しけた面してやがるな」
強いくせに、大人のくせに、護るはずの子どもたちに心配ばかりさせて、みっともない顔はやめろと。 さっさといつもの、打てば響くような悪態を返しやがれ、 さっさといつものだらしのないだけの顔に戻りやがれと心の中で呟きながら土方は声をかけた。
びくりと銀時は土方の気配に身体を強張らせる。 それから、ゆっくりと銀時は振り返った。 ずぶぬれの土方よりも濡れそぼった子犬のような顔をしていた。
「……土方こそ…なにしてんの?」
まるで幽霊にでも遭遇したかのように見開かれた目。 永い間、人と口をきいていなかったようなしゃがれた声。 だが、少しづつ銀時自身の発した一音、一音づつ現実に引き戻されてきてはいるようだった。
「見りゃ分かんだろ。仕事だ」 「いや、傘…」 「最初は差してたんだが、壊れちまった」
そんな状態なのに、人の心配が先なのだなと自分の傘を傾けてくれる男に目を細めた。
やはり、銀時という男は、魂の色が少し違うのだと思う。
例えるならば、銀色。 天上の月の色。 ふらふらと見目を変えているようで、その実根底は何物にも譲らない確かな魂の形。 何物にも浸食されることなく、弾き返すことのできる強い色。
だが、人を引き付けておきながら、本当の月を掴むことなど出来はしない。 光は分け隔てなく人を照らす。
今、招き入れられた傘のように、なんてことないと抱え込む、そんな男だ。
その一本の傘の内側の距離。 銀時が何か感じとったのか、体を一瞬強張らせた。
「怪我?」 「返り血。まだ臭うか?」 おもむろに、ふんふんと土方は自分を臭ってみるが、なじんでしまっているためか既に雨特有の匂いしか感じ取ることが出来なかった。 銀時にとっても、それほど珍しい匂いでもないはずだと思うのだが、どうにもまた意識が余所にいきかけているように感じる。
雨、血の匂い、そして、万事屋の子どもたちに心当たりがないとなれば、愁眉の原因はもっと以前と推測をし、土方は銀時の傘の中から出て、空を仰ぎ見た。
かつての戦場は、強い男を今も苛んでいるのだろう。 だが、坂田銀時はもはや「白夜叉」ではない。 だが、剣を振るって護りたいものは今でも彼にはある。
土方自身、真選組が最優先事項だ。 個人的な恨みがあるわけでもない人間を、傷つけ、殺し、それを糧にしている。 足を止めるつもりもないのだから、人並みの幸せを求めるなんてことは望んではいない。 真選組以外の誰かと深く関わるという選択肢自体を想定していなかった。
土方と銀時の関係は相変わらずだ。 土方は銀時がけしてからかっているのではないとわかってはきた、否としか答えない。 答えようがない。 銀時のセクハラまがいのアプローチに、土方がまっ赤になって応対、つかみ合いの喧嘩というパターンが続いていた。
銀時の言葉が偽りのものだとは思いはしない。 むしろ、男の気持ちを嫌じゃないと感じる己も知っている。 しかし、土方は『嫌いじゃない』という自分の言葉の重さに目を背け、一向に止みそうにない水気に頬を濡らした。
「…なにしてんの?」 「洗い流してる」 「はい?」 「攘夷志士だろうが、将軍だろうが、いずれ地面に帰るんだから」
手の平を天に翳しながら、笑ってみせた。
「俺は雨、嫌いじゃねぇよ。すべて洗い流してくれる。俺みてぇな人斬りには恵みだ」
土方は何でもないことのように言ってやる。 事実であるから、土方にとって卑下でもなんでもない言葉だ。
「おめぇ…」
ゆっくりと瞬きする銀髪が土方の意図を図ろうとしていることが伝わってくる。 志半ばで倒れる、力が足りずに膝を折るなどということはいくらでも転がっている事象だ。 土方は攘夷戦争には参加していない。 だから、地獄のような、と聞き及ぶ戦地の様子など想像でしか知らない。 絶望も味わったことはない。 だが、結局のところ、己の志を元に剣を振るいきれたかどうかは、本人の問題であり、他人が背負うものではけしてない。 そう信じている。
「…花菖蒲の前で不粋な話で悪かったな」 土方はわざと挑発するように笑みを作った。 てめぇはもっと強い男だろ?と願いを込めて。
一面の花菖蒲がさわりと揺れた。 特徴的な髪を自分の手で掻き混ぜて、さらに爆発させていく銀時の様子を見て、多少なりと伝わったのならいいと今度は小さく笑みを履く。
「『わが恋は人とる沼の花菖蒲』ってな」 ポツリと土方がつぶやいた。
「誰の句?」 「最近、出てきた新進気鋭の作家の句だったか…」 「それって土方君の心情?」
無意識に花を見て口をついた歌だったが、問われて、気づいた。 確かにそうともいえるかもしれないと。
自分の恋は、花菖蒲のように清楚だが、人をも飲み込むような、もしくは溺れさせるような危険なところにある。 言葉通りならそう解釈できる。
深入りしてはいけない。 この男の隣に居ようとすることは、月を掴もうとするにも似た危険な行為だ。 土方の見ないふりをしている心根にも確かに当てはまる部分もあり、 同時に目の前に優しいがゆえに男が一人抱え込む憂いの部分、そのものである気もした。
「さぁな。ちっと思い出しただけだ。そういや、花菖蒲の花言葉知ってるか?」 「…土方くん、覚えてんの?意外に乙女だね」 「うるせぇよ。たまたまだ。たまたま。それよりわかんねぇのかよ?」 「銀さんにそんな趣味ねぇよ」
長めの前髪を滴り落ちる水滴が目に入り、気持ちが悪い。かきあげながら、尋ねてみる。 一度上がった前髪は重力に負けて、すぐに元の位置に戻って来た。
「じゃ、宿題だな。調べとけ」 「はぁ?」 土方は用は済んだとばかりに公園の出口へと進みはじめた。
「何なんだよ?!一体?」 「ちったぁマシになったその面でさっさと帰りやがれ。無い頭で答えのない問いに神経擦り減らしてんじゃねぇよ」
餓鬼どもの方がよっぽど現実見据えてらぁと付け加えれば背後で微かに聞こえた悪態。 土方の伝えたいことが正確に伝わったらしい。 これで、万事屋の子どもたちの心配が少しでも減ることになれば良い。
雨はまだやみそうにない。 嫌いではないが、泥沼を、激流を作り出す要因にもそういえばなり得るのだったなと、長雨のデメリットに目を眇める。
「雨は嫌いじゃねぇ」
それでも、嘯けば、ざざざざと雨と風で葉と花をゆする花菖蒲の花に笑われた、そんな気がした。
数日後。 雨は上がった。
土方は雨が上がったにも関わらず愛らしい雨傘を振り回しながら歩く神楽と夕食の素材なのかスーパーの袋を抱えた新八に呼び止められた。 少しは眠っているらしいと報告と礼を言われ、首を振る。
「俺がどうしたってわけじゃねぇ。オメーらが心配してるってアイツが気が付いただけだ」 「そんなことないネ!すごいヨ、どんな魔法を使ったアルか?」
それでも引かない神楽への説明は難しかったので、土方は少女に花菖蒲の花を買い与え、持ち帰らせることにした。
「オメーらみてぇな花だって、野郎に伝えてみろ。アイツが答えんだろ」
はしゃぎ、万事屋に帰っていく子どもたちの背を眺めて見送れば、空に星がうっすらと姿を現し始めた。
雨が上がれば、雲間から見える筈のお月様は『臥待月』。 月齢19。
かつて、白夜叉と呼ばれた男は気が付くだろうか。 自分自身を苦しくても、自分自身をけして騙すことのなかった彼を周りの人間がどれだけ思っているか。 かつて、そんな彼と共に走ってきたであろう仲間たちが、散る間際、何を願ったのか。
遅れ気味に上ってくる月は寝て待つ月。 のんびりとした様は、まるで、やはり万事屋のようだなと思いながら、土方は屯所へと、自分の居場所へと戻っていった。
『月の名前 臥待月』 了
参照: 『わが恋は人とる沼の花菖蒲』 泉鏡花
花言葉:花言葉事典http://www.hanakotoba.name 「うれしい知らせ」「優しさ」「伝言」「心意気」 「優しい心」「優雅」「あなたを信じる」
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