『月の名前 立待月』
土方十四郎が昼は『土方十四郎』として副長業務、夜は『石田義豊』としてクラブの接客という二重生活を過ごす様になって10日あまり過ぎたころだった。
『よ・ろ』
無意識に形作ってしまった音。 本当に油断していた。
いつもなら、出来るだけ知り合いに見咎められるリスクを避けるために店内にすぐ戻る。 それなのに、その日に限ってビルの間から見える銀色の月の光に目を奪われ、足を止めてしまった。 まさか、月をみるとつい連想してしまう男の名を呼ぶ声を聞くことになろうとは露にも思わず。 声の方向に視線を動かせば、目聡い男は間違いなくこちらを見ていた。 そして、呼んだ。
「土方?」 と。
クエスチョンはついていたが、確信じみた声色に、動揺した。
「ヨシくん」
店の前に乗りつけられた黒塗りからの声に、土方はある意味助けられた。
「美弥子さん。きてくれたんですね。嬉しいな」 次の客を出迎るこちらの様子を、凝視している柘榴色の瞳を振り払い、土方は店内に逃げ込んだ。 面倒事を厭う男であるから、機転をきかして不必要に係わってくることはないであろうし、山崎が外を張っているはずであるからうまく躱してくれるだろうと期待しつつ。
女のキツイ香水にひそかに内心辟易としながら、この女は貿易商の妻という肩書だったかと新人の「ヨシ」を連日指名してくれる上客をフロアへと導いていく。 偽りの名。 そういえば、銀時から今日は名前で呼ばれたなと思い出し、土方は自嘲めいた笑いを口端に浮かべた。
土方がこのクラブに潜入した目的はそもそも攘夷志士がその活動資金源を得る為に、この店でバイヤーが薬の売買をしているという情報が入ったからだった。 軽度の性的興奮を促すだけのものであると安価で流通を始めた薬は、その実、依存性が高く、頻度を誤れば、精神の崩壊へ容易く導くものだ。
極一部の金持ちが道楽に使用する類のものであるなら、もう少し泳がせるという選択肢もありえたのであるが、情報が土方の耳に入ってきた時点で既に一般市場での被害が出ていた。 そのような事情もあり、山崎達監察が従業員として潜り込むことが出来ないと決定した時点で気乗りはしなかったが土方本人が手を挙げたのである。
ただ、引き受けた根底に、個人的な感情も多少なりとも関与していたことは否めない。 ふざけたことを言ってくる坂田銀時との距離を、冷静さを取り戻すために取りたい、そんな感情を。
事の発端は桜の咲くころ、銀時と土方は一度体を結んだことだ。 結んだとはいって、お互いの気持ちがどうだのなんて言葉を交わすでもなく、本当に極自然に、なんの違和感もなく、重なった。 桜に酔っていたという表現が近い。 お陰で、明くる朝、我に返った時には二人共に大きな混乱を落とした。 その後、土方の二週間の出張を経て、土方は何もなかったことにする結論を導き出していたことに対して、銀時は全く異なる答えを出してきた。
「一夜を共にした所謂多串くんと今後もお付き合いをしたいって言ってんだけど?」 ふざけた天然パーマはのたまわった。
しかも、なぜか疑問形の付いた告白のようなセリフや原人のような発言を零したのである。 思わず、蹴りを腹部に見舞ってその場を離れてから舞い込んだこの話はある意味渡りに船の心情であったことは本当に否定できないと自覚はしている。
集中しなければならない仕事が目の前にあれば、いつもの自分に戻れる。 現に、潜入にあたっている間は土方は忘れられている気がしていたのだ。 数日前客人をもてなす為に訪れた料亭の前で気配は感じたが、意識して視界に入れないようにやり過ごした時はまだ平静を保てていた。
先ほど銀髪の男と視線を合わせるまでは。
先ほどの様子からも男は本来、無神経さを装って入るが優しい男であるから、先日の発言はふざけているというよりは男なりに責任を感じているのだろうと思えた。 私的な問題は時間の経過に委ね、仕事に没頭することを優先するのだと己を叱咤する。
バイヤーが店を利用しているだけなのか、店ぐるみの商売なのか。 土方は後者だと絞り、店の帳簿や出入りする人間をひっそりとチェックした。そして、ようやく指名手配になっている過激攘夷派・天鎧党の人間の顔を見つけだしたのだ。 証拠も押さえ、では、一斉検挙と段取りを付けるために明日近藤に話をつけようとした昨夜、思わぬ大物が直接クラブに現れ土方は予定を変更した。 高杉の側近中の側近、河上万斎が店内に現れたのである。 薄暗い店内でも、サングラスもヘッドフォンも外さない特徴的なスタイルを隠しもしない。 直接、接客には入らなかったが、従業員に指示する様子から来週中に高杉本人も訪れるらしい。
どうせならば、一網打尽にしたい。そう考え、予定を変更して、潜入期間を延ばすことにしていたからには先ほどのような油断はもう許されない。 銀時であったからまだ良いのだ。
真選組発足時ならともかく、既に顔が売れてしまっているので、身元証明にも最善の注意を払い、慎重には慎重を重ね、『土方十四郎』と『石田義豊』が同時に存在するように情報操作もしてはいる。 それでも、長居すればするほど、失敗の可能性は大きくなる。 浪士だけではなく、いつ客の中に真選組の土方だと気が付くものが出てこないとは限らないのだ。
会員制をうたっているだけあって、店は客も従業員も事前チェックが厳しい。 一度警戒されれば、二度目は絶対にありえない。
「もう一回、乾杯しましょう」
客が持ち上げたグラスの中で氷がからんと音をたてた。 それに合わせて土方も腕を持ち上げる。
「何に乾杯します?」 「なんでもいいのだけれど、そうね…ヨシくんがこの店に来てくれたことに?」 「「乾杯」」
強かに酔い始めた上客に他意はないだろうが、と目を細める。 澄んだ音をたてて、ぶつけられたガラスを見上げながら、ざわりと騒いだ胸の内に、全ての問題について、早期の決着を願った。
土方の望みの一部は、坂田に姿を見られてから三日後、予想より早く叶えられることとなる。
「ヨシさん。今日は特別なお客様が見えられるから、VIPルームには一般のお客様近づけないでね」 出勤した土方は店長に開口一番、そう告げられたのだ。
「ヨシくんったら」 「あ、すいません。」 客の声に現実へ引き戻され、笑顔を作った。 VIPが必ずしも高杉だとは限らないが、可能性はないとは言えないため、山崎に一報だけ入れて客席についていた。 だが、表口からの来場者数よりも明らかに増えていく奥の部屋の気配に腰を上げた。
「氷、ないですね。取ってきます」 笑顔の裏で、すぐ動けるはずの1番隊かとシフト表を思い浮かべながらフロアから控室に急いだ。
(山崎と近藤さんに連絡を…) 今回、この店を調べていること、そして近々一斉検挙の予定だけ近藤にも了承を得ているが、自ら潜入している事までは伝えていない。
控え室でメールを打ちかけて、異変に気がついた。
(なんだ?この匂い…?香(こう)?)
急に広がった甘いバニラのような香り。 あっという間にが室内を満たしたその香りは従業員の香水でも、部屋の芳香剤でもない。
「!?」 くらりと視界が暗転し、体が傾ぎ、近くにあったパイプ椅子と掴みかけてつかみ損ねた。 がしゃんがしゃんと椅子が倒れる音と自分の膝を強く床に打ち付けた痛み、そこで感覚は全て途切れてしまう。
そのまま土方は自力で店から出てくることは出来なかったのだ。
土方は暗闇の中で覚醒する。 うたた寝をしていてがくりと傾いた拍子に目が覚めたような突然の覚醒と瞳を開けようとしてまつ毛が触れた布の感触。 強張らせた身体はある一定上には動かすことが出来ず、背中側できつく纏められた手首は悲鳴を上げた。 どうやら、目隠しをされ、後ろ手に縛られて、更に嗅がされた薬の作用なのか動けず、見えない状態で床に転がされているのだなと、多少他人事のように自分の状況を把握した。
どうやら正体がばれていて、そのうえで、すぐに殺されなかったのは真選組への脅し、もしくは見せしめに使う為と考えるべきだろう。心の中で自分の迂闊さを悔い、近藤へ謝罪をしてから気持ちを切り替える努力を始めた。 出来るだけ状況を把握すべく体を横たえたまま、辺りに神経を向ける。
自分がいる床はカーペット。毛足は短くもなく長くもなく。 黒い布で覆われてはいるが、土方の瞳は完全なる闇にはいないことを感知していた。 強い照明ではないが真っ暗でもない。人工の光源、間接照明の類。 嗅覚に特にひっかかるような匂いはなし。 使える感覚を張り巡らせ、土方が導き出したのはホテルの類の建物ではないかという答えだった。
「起きたのかよ?」 突然の声に土方は初めて同じ空間に人がいることを知った。
どこか気怠るげな、だが、どこか危険を予感させる声に土方は目隠しの下から声の主を睨み付ける。 柔らかなカーペットを踏みしめて近づいてきたかと思うと、ワイシャツの胸ぐらを掴まれ、強引に体を引き起こされた。 そうして、徐に目隠しをむしり取られる。 「はじめまして?土方十四郎くん」
眩しさに目を眇めた先に、ニヤニヤと皮肉げに笑う隻眼の男の顔が在った。 写真では何度も見たことのある顔だ。 女物の着物、手元には煙管。 狂乱の貴公子桂小太郎と共に名を馳せる、一級指名手配犯。
「た…かす…ぎ」
喉に充分な水分が足りなかったのか搾り出すような音しか出なかった。 代わりとばかりに、瞳孔の開いた目で睨みつける。
「ほぅ。幕府の狗にしてはいい目じゃねぇか…」 「確かに、晋助好みではござろうな。 まだ、薬が効いておろうが噛みつかれぬように気を付けるがよろしかろう」 高杉の背後には影のよう河上も立っていた。
「いつから…気付いていやがった?」 「正直な話、まさか副長自ら内偵されておるなど思わなかったでござるからな。最近の話」
功を焦ったつもりもなかったが、結果的には最悪の形だと心の中で舌打ちする。
「で?俺はこれからどう持て成してもらえるのかよ?」
弱みは見せない 交渉事においての鉄則。 これ以上、周囲に迷惑をかけないためにもここが正念場だと後ろ手の手のひらを結んで開いてしながら会話の呼吸を引き寄せる。
「ちっとばかり、うちも対応遅れたんで、ルートと上客潰されちまったからなぁ…」 話の内容とは裏腹に楽しそうな様子の高杉の本意は測り兼ねたが、最悪も最悪の事態は避けられたのかと手のひらを結ぶ。
気を失う寸前、山崎へのメールの送信ボタンを押したような気もしたが、いまひとつ自信がなかった。 どうやら、半端な送信文に異変を察した山崎が動いたらしい。
「腹いせにお綺麗な顔を切り刻んでやろうかとか…」 「薬漬けにして、輪姦でもしてやろうかとも思ったが…」 土方は高杉を睨み続ける。 どれほどの時間土方が囚われていたかは明確ではないが、真選組は動き天鎧党はせめて確保できたなら面目は保てたと今度は手のひらを開いた。
「そんな事でてめぇは折れそうにねぇなぁ」 「やってみるか?」 「と、なると弱みは大将か?」 「?!」
自分に降り懸かる分には一向に構わない。 それをよく相手は把握しているらしい。思わずリズムを崩して、手のひらを握りしめてしまう。 「でも、それじゃ面白くねぇ。近藤を殺すことなんか簡単すぎる」 高杉は土方の顎を掬い上げ、間近で見つめた。
「しかし、てめぇのぶっ壊れた様が見てぇ」 「晋助?」 高杉の半ば独白のような会話を河上は訝しむ声にこれは予定外のことなのかと土方も目を眇めた。 話しの流れからして、明確に土方の処分について決めている風にはない。 あくまで余興。高杉の気まぐれでいくらでも変更されるといったところだろうかと緊張して次の言葉を待った。
「俺と来い」 「は?」
この場にそぐわない間の抜けた声が土方から洩れた。 言葉の意味を完全に見失い、その裏を探る為に聞き返す土方自身の言葉すら探せない。
「ど…」 「そりゃ遠慮してくれ。先約あるんだわ」
辛うじて浮かんできたどこへと尋ねようとした土方の言葉は間に入ってきたどこかのんびりとした声に遮られた。
「銀時?!」 「白夜叉?!」 「万事屋?!」 三者三様で同じ人物を呼ぶ。
「このクソ天パ。先約ってなんだっコラッ」 「いや、この状況でツッコむとこ、そこなの?」 重力に反して跳ねまくる髪を、自身で髪を掻き混ぜながら苦く笑う。 腰にいつも履いている木刀はその右手に握られていた。 本人の気だるげな様子とは対照的に血糊のついた洞爺湖はすでに振るわれてきたのだと主張している。
「先約じゃないらしいぜ。銀時よぉ」 「ツンデレ姫だから仕方ねぇんだよ」 高杉と銀時のどこか暢気な会話に毒を抜かれかけていた土方であったが、我にかえり、高杉に蹴りをいれながら、銀時の入ってきた扉側に縺れながらも寄った。
「晋助!」 「晋助さま!」
土方の足を辛うじて避けて後退した高杉の身体を河上が支え、ほぼ同時に、他の扉から飛び込んできた来島また子が報告を入れる。
「ここも狗に嗅ぎ付けられたっす。あとは天鎧党に任せて…」 「仕方ねぇなぁ。じゃあ十四郎を口説くのは次の機会にしてやらぁ」 また子らに先導されながら高杉が振り返り、土方に笑いかけた。 「そう言わずに今ここで口説ていけや。叩き斬ってやらぁ」 艶然と鬼の副長の顔で刀がなくともと土方は立ち上がり、微笑み返してみせた。
「次はどでかいプレゼント用意してやらぁ。楽しみにしてな」 「待てっ」
士榴弾が投げ込まれ、爆風が起こった。 追いかけようとした土方は銀時に引き倒される。
炎と煙が激しく起こり、ホテルの火災報知器がけたたましく鳴り響いた。 スプリンクラーが作動したため、水蒸気が立ち込める。
「とりあえず、廊下出るぞ」
強がってはみたものの、薬の抜け切れていない土方は、引きずられるような形で銀時に通路へと移動させられた。 幸いなことに廊下までは煙は充満してはおらず、スプリンクラーの水でびしょ濡れなのは変わらなかったが、煙が少ない分、ほんのひと時だけ息をつくことができた。
爆音のせいなのか、侵入した銀時を追ってきたものか、天鎧党の残党が集まってくる。
「おい、これ解け」 腕を拘束する紐を解くよう言うが、応えはない。
「ちょっと、下がってろ」 「おいっ、だから紐を…」
話の途中だというのに、万事屋は地を踏みきっていた。
万事屋の獲物は木刀であるにもかかわらず、達人の手にかかれば、かなりの殺傷能力を発揮することができるという見本のような場であった。 疾風のように、敵兵の間合いに入り、一閃で数人を吹っ飛ばす。
捉えどころのない水のような動きだと思った。 羨望のまなざしで、だが、手持ち無沙汰だと見ているうちに、十数名を床に沈めて戻ってくる。 ようやく縛られていた腕を解いてもらえたかと思えば、次の瞬間には銀時にかかえられていた。
「ちょっ、なっ降ろせ」 「いやお前、実は体痺れてんだろ?」
ぐっと押し黙ざるえない。 確かに目が覚めてからも手足の力は入りにくい。 先程渾身の力で高杉に蹴りを入れたつもりだが、実際には大した威力はこもっていなかったのだ。
「…歩ける」 「そう?」 「だから、下ろせ」 実は土方にとってはとても屈辱的な抱かれ方をしていて、居た堪れない。 いわゆるお姫様抱っこという体勢だった。
もがき続ければ、仕方ないと溜息と共に床に足を下ろさせてくれたが、そのまま銀時に抱きすくめられていた。
「おい。万事屋」 「間に合ってよかった」 「おいって」 「ん〜。もうちょっとだけ」 ぐりぐりと肩に額を擦りつけられ、濡れた天然パーマがチクチクと頬にあたる。 正直なところ地味に痛いと後頭部の髪を引っ張って顔を上げさせた。
「ところで、お前、なんでこんなとこにいるんだ?」 「なんでって…あー、この間の返事を聞きに?」 「その件なら」 「俺に都合の良い返事しか聞こえないから」 節ばった指が言葉の続きを土方の口をふさぐことで留め、物騒な笑みを浮かべた。
聞く耳を持たないと言われても、銀時の都合の良い返事など無理だと押さえられた口元の奥でまた言葉を飲み込む。 自分は真選組に命をかけている身で、恋だの愛だのに気を取られている時間も余裕もない。 いつ死ぬかわからない身の上で、だれか特定の人間と約束を交わすほど、人間ができてはいなかった。 だけど、そのうえで、もしも、銀時の希望にかなう答えを出すとしたら…
「俺は…」
指の隙間から紡ぎかけた小さな声は、鼓膜を打ったがんがんがんと多数の足音に飲み込まれた。
「土方さんっ!」
非常階段用の扉から、沖田が飛び出してきたのだ。 続いて、近藤や山崎といった真選組の面々が続いて出てくる。
慌てて、土方は銀時の腕から抜け出して、近藤の元へ歩み寄った。
「トシ!無事か?」 「すまねぇ。近藤さん。結局高杉を逃しちまった」 「いや、トシが無事ならそれで良いよ。本来の目的である天鎧党は捕縛完了できてる。 それより、銀時に礼いっておけよ」 振り返ると、バツが悪そうに濡れそぼった銀髪で遊んでいる。
「お前からのメールもらって、捕り物の手配に動いてる山崎に代わって、情報集めてこのホテル特定してくれたんだから」 「たまたまだ。たまたま。知ってそうな奴らに聞いたら教えてくれただけだから」
死んだ魚のような目を土方から逸らした銀時を睨んだ。 その様子から「知ってそう」な知り合いはこの場で問い詰めるべき名前ではないと知れ、舌打ちをすれば、近藤にまた仲よくしなさいよと背を叩かれながら、隊士達の輪に押し込まれてゆく。
少しだけ、 少しだけ後ろ髪を引かれ振り返れば、沖田が銀時に何やら話しかけている様子が見えた。 それから、沖田はまた真選組の輪の中に戻り、銀時はいつもどおりの懐に片腕を入れた体勢で出て行ってしまった。
「ホモ方さん、旦那帰りましたぜ」 「ホモじゃねぇ!」 沖田が妙に訳知り顔でニヤニヤしていることに内心恐れをなしつつ怒鳴り返す。
「今度は旦那だけじゃなくて高杉にも言い寄られてたくせに…」 「なっ!」 「図星ですかぃ?こりゃ、旦那も気苦労が絶えないねぇ。 まぁ、ホモのいちゃいちゃなんざ気持ち悪いんで俺のいないとこでお願いしやす」 「おい!総悟!」 キモチワルイと吐くまねをしながら、さっさと沖田は一番隊撤収の指示を出しはじめ、それ以上土方も声をかけることを止めた。 どこまで気が付いているのか明確ではないが、少なくとも銀時と何かあったことは察しているらしい。 面倒なことになったとため息をつきながら、土方自身も全体の指揮に戻る。
そうして、土方がホテルを出て、真選組の屯所に戻る頃には月は天に上りきっていた。
「今日は立待月か…」
月齢17。 皐月の空に煌々と月の光が落ちる。 立待月は立ちながら待っているうちに出てくる月。
最初に十六夜月に流されてから、一回り月は回ろうとしていた。
数日後。
久々のかぶき町の巡回中のことだ。 いつもどおりの街並み、いつもどおり、沖田に逃げられ、土方は一人歩いていた。
「ひっじかたく〜ん」 「げ!万事屋!」 「げ、はないでしょうが。命の恩人に対して。ファミレスでなんか奢ってよ」 「恩人って、この間は返事聞く為とかなんとかいってたんじゃなかったのかよ?」 先日までの殊勝さはどこにいったんのだと毒づきながら、思わずかけていた鯉口から左手を離した。
「え?じゃあ、いい返事くれんの?」 「馬鹿か!言ったろうが!否だ!」
離した途端、その腕を取られ、間近に迫られ上半身をのけぞらせる。
「聞っこえませ〜ん」 「ガキか!てめぇは!」 「いったじゃん。都合の良い返事しか聞こえねぇよ」 メゲナイ銀時に土方は軽くめまいを覚えた。
「ま、確かに助けてもらったことは事実だし、近藤さんからも礼するように言われてるからな。 仕方ねぇ。昼メシくらいなら奢ってやる。貸し借りあるのは気持ち悪ぃ」 「お、やった。ランチデート!」 ハァとそのポジティブシンキングに溜息が出た。 溜息をつきつつも、これが銀時なりに土方に「助けられた」という負い目のようなものを緩和してくれようとしてくれていることにも気が付いていた。
ランチタイムを過ぎればファミレスも喫煙席を解放する。 かつ丼を平らげ、食後のコーヒーが運ばれてくるまでにまずは1本とライターを取り出した土方に、それまで食事をしながらもどこかいつも以上に落ち着きのなかった男が、チョコパフェと突きまわしながら言いにくそうに切り出した。 「あのさ、一つ気になってたんだけど」 「なんだよ?」
昼食のはずなのに、なぜ、フルーツパフェに始まり、チョコパフェで締めなのだと突っ込みたいがそこは置いておく。 ガラスの底からアイスクリームでくたりとなったコーンフレークを持ち上げて、また、戻し、今度は着色されたサクランボをホイップの海から救い出して、それから続けた。
「俺に付き合えないのって、この間、料亭で会ってた人がいるから?」 「はぁ?」 土方は咄嗟に何のことだかわからなった。
「ほら、藤棚が綺麗な割烹に、お前より年上の男と入って行ったろ?」 「藤…?」
ようやく思い至る。 そして、じっと銀時の顔を観察した。
くるくると残り少なくなったパフェのグラスをスプーンでかき混ぜながら、ぶつぶつと呟いている。 あそこ泊りもできるらしいしとか、お前嬉しそうだったしとか口のなかでモゴモゴと主張する様子があまりにいつもの銀時らしくなく余裕のないさまであったので、思わず吹き出してしまった。
「なんだよ!笑うなよ!何!それ?!人が真面目に…」 「てめぇこそ、俺の名前、やっとまともに呼ぶ気になったのかよ?」 「ん?土方って呼ぶこと?」
土方はうなずく。 ここ数日、確かに『土方』と銀時は呼ぶ。
「あれは…」 ん?と言いよどむ銀時を食後のタバコに火を付けながら、見つめる。
「あ〜。お前が、藤の人との関係教えてくれたら、言うわ」
相当、気になるらしい。 普段ふてぶてしい態度ばかり見ているせいか、余計にその様子が弱弱しいものに見え、少し気分が良い。 いかにも仕方ないなという態を装って土方は種明かしをした。
「ありゃ、近藤さんの恩人みてぇなお人で、俺も武州で多少なりとも世話になったからな。あの日は江戸見物に付き合ってた」 「あ、ゴリラ?」 固まる銀時にまたクツクツと抑え気味の笑いを漏らす。 藤の人ってなんだ?大体、嫉妬するのに、男も対象だなんて、どんだけだ?と問い詰めれば、呆けていた顔が徐々に変化を始め、その様がまた土方には微笑ましく見えてくる。
「ったく、豊かな想像力だな」 「うっせ!ごちそうさま!」
ダンっとグラスの底にたまったチョコソースを飲み干し、銀時は真っ赤な顔をして出て行った。
きっと、しばらくの間、藤の花を見るたびにあの男は自分の勘違いに赤面するのだろうと思うと、土方はとても楽しくなってしまったのである。
「あ、『多串』の理由あいつ、言いやがらなかった」
そのことに気が付いたのは、巡回も終わり屯所へと辿り着いた後であった。
いつの間にやら土方は銀時に対して完全に今まで通りとまではいかずとも、かなり近い状態で力を抜くことが出来る様なってきていたともいえる。
季節の移り変わりのようにじんわりとした速度で二人の距離はまた新しいものに塗り変わろうとしていた。
『月の名前 立待月 』 了
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