うれゐや

/ / / / / /

【シリーズ】 | ナノ

『月の名前 十六夜』



銀の光をくるくる変えて、月は人を翻弄する。

十六夜月は、いさよう月。
十五夜の光よりは、ほんのり淡く、ほんのり、出現もゆるやか。




(やっちまったなぁ…)

京都へと向かう車窓のなか、真選組副長・土方十四郎は深いため息をついた。

今回は将軍と警察庁長官松平の護衛兼京都在住の高官への接待ということになっている。
半分は松平の娯楽目的であるが、真選組にとっては権力者との顔つなぎを得られる重要な機会だ。その機会を有効に使うために土方は年度末から年度始めの大量の書類仕事を連日籠りきって仕上げ、今日からの指揮にあたっていた。

けれども、土方のため息は連日連夜の疲れから吐き出されたものではない。

「土方さん?」
土方の直属である山崎がそっと声をかけてくる。

「副長、何か気にかかる点でも?」

二度目の呼びかけに土方はようやく顔を上げた。
全車両貸し切りとはいえ、基本的にお忍びの護衛であるから、本日は隊服ではなく、スーツだ。膝の上にはモバイル型のカラクリを広げ、一見ビジネスマンを装ってきている。
ついでとばかりに少しでも進めようとした資料を映し出したモニターを睨んでいれば不審にも思うのも当たり前かと苦笑いした。

「いや、何でもねぇ。大丈夫だ」

資料を読むどころか、全く集中できていない。
土方は作業を諦めて、カラクリをパタンと閉じると、気分を切り替えようと今度は意識して息を大きく吐きだした。



土方のため息の原因は仕事上の問題でもなかった。

この任務の前の晩。
目途のついた書類の山から逃れる様に土方は半日の休みを取って外出していた。

他に出来る者がいないから土方がこなしはするが、本来事務仕事が好きなわけでも得意なわけでもない。
眼精疲労、肩こり、そして、それと別件で仕事上やむを得ないがどうにも気分が滅入ることがあり、久しぶりに私邸で一人呑んでいた。
休息所としては公にしていないこの一軒家は元々、今のように監察部隊が出来上がる迄の間、自ら密偵活動するために用意したものであった。
山崎を筆頭に組織として機能し始めた今では、一人になりたい時の避難場所と化している。

気分転換としばしの休息。
満開の桜と月を愛でることで補おうとしていたのだ。


月は十六夜。
煌々と辺りを照らす冷たいようで優しい光。

(あの野郎みたいだな…)

眺める月から思い浮かんだ一人の男の背中。

坂田銀時。
攘夷戦争にも参加していたらしい、銀髪、紅玉色の瞳の強い男。
会えば、どつき合いの喧嘩になるのだが、土方は嫌いではなかった。
守る為の剣を貫き、真っ直ぐ立ち続けている。
負けたくはない。
でも欲しいと思う。

一体、銀時の何が欲しいのかは明確でない。
なんとなく、が一番近い。

(月を欲しがる子供の発想だな。無い物ねだり…)

それほど量を飲んだ記憶はないが、疲れのせいか酔いが回るのが早いらしいと緩んだ頭でそう考える。
黒い盆に明るい月が朧げに映り込んでいる様を眺めながら、猪口に酒を注ぎ足した時だ。


不意に敷地にふらりと気配が現れ、顔を盆から庭に向けて、驚いた。
先程まで無人だった庭に人がいた。

生まれつきらしい、この国では稀有な銀髪、和装と洋装を組み合わせた独特の着こなし。
見まごうことなく、先程まで考えていた男・坂田銀時が敷地内に突然、足を踏み入れていたのだ。

銀時は桜の花に気を取られて土方に気が付いていない様子に見えた。
自分の動揺は棚に上げ、少しばかり脅かしてやろうといういたずら心から、土方はわざと声をそっとかける。


「不法侵入だぞ」

予測通り土方の存在に気がつき、ひどく驚いていた。

「っ!…え?多串くん?」

驚かせるという点に置いては成功したのだが、一拍の間の後口に出されたふざけた名前に土方は素直に押し黙る。

(俺はこいつを認めてるが、こいつの方は俺の名前さえロクに覚えてやしねぇ)

普段なら多串じゃないと怒鳴りつけていただろうが、今夜は不思議と悔しいという感情は湧き出てこなかった。

動じたままこの家のことや土方のことを問い、土方にこんな夜更けに侵入してきた理由を説明する月の光を映しこんだ銀髪を静かに見つめる。

銀色の自由に飛び回った髪の上に花びらが次々と降ってきていた。
銀糸に留まるモノもあれば、ウェーブに少しあたり、軌道を変えて地面に落ちていくものもある。

記憶のようだと漠然と思う。

今日は一件葬式を手配してきた。
テロに巻き込まれ命を落としてしまった女。
天蓋孤独な上に上京してきたばかりらしく、知人も見つからない。
最終的に組で簡素な葬儀だしたのだ。
テロさえなければ、もう少しマシな最後を迎えられたのだろうか。
一応、真選組で世話になっている寺に埋葬を頼んではきた。
彼女はこのまま誰にも思い出してもらうことなく、朽ちていくだろう。

朽ちていく様を寺にもあった大きな桜の木が見守るのかもしれない。

(桜の木…か…)

土方自身も仕事柄、いつも死と隣り合わせだ。
いつ、誰もいないところで事切れても仕方ないと覚悟はしている。

ゆらりと土方は立ち上がり、桜木に近づいた。
幹をそっと撫でながら、肩越しに振り返る。

墓標、そんな言葉が頭によぎる。
花なら梅が好きだが、眠るには桜がふさわしいと。

銀時に死を悼んでほしいとは思わない。
元々、名前を覚えられるほどの縁もない。

「桜の木の下には死者が眠るなんて言うが…」
「え?」

人々が花を愛でる季節が巡るたびに、片鱗でもあんな馬鹿がいたなと銀時が思い出してくれる瞬間があるだろうか?

「確かにいいかもしれねぇな…」

すっと月が雲に隠れ、闇が落ちた。


「!」
隣に並んでいた銀時に土方はその腕の中に引き込まれていた。

ほぼ同じ体格の男であるから、銀色のやわらかい髪が土方の頬にあたる。
何が起こっいるのか、酔って思考が暗い方へ流れていた土方には理解出来ていない。
闇の中、銀時の唇が首や顔を撫でていく。
おかしなことをしている自覚はあった。
あったけれども、ひどく自然な行為であるという確信のようなものもあった。

(そうだな…存外優しい男だから…)

微かでも触れた花びら一枚でも、
名をまともに覚えぬ相手でも、心の何処かには留め置いてくれるかもしれない。


雲の厚みが少し薄れ、ぼんやりとした朧月が顔を出す。

切なさの陰り色ににもいざよい月と桜の花。
銀時の赤みかかった瞳は欲に濡れているようにもみえ、それでいて、土方を癒そうとしている風にも見えた。
土方は、考えることを放棄した。
ゆらりゆられるまま。

(あぁ、桜の花に酔ったのか)

どちらともなく、身を寄せ、距離をゼロにした。






銀の光をくるくる変えて、月は人を慰める。
十六夜月は、いさよう月。
夢と現をさまよわせる、惑わせの月。




空が白らみ始め、土方は目を覚ました。
起き上がりかけ、あらぬ所が痛むことに眉を目いっぱい近づけて耐える。
辺りを見渡すと縁側から点々と脱いでいった着物が落ちていて、やけに生々しい。
銀時はまだ夢の中のようで軽い鼾をかいていた。

(…やっちまった…次からどんな顔で向かい合えってんだ…)

何度も何度も穿たれ、すりあげられ、自分でも初めて聞くみっともない甘い声に恥ずかしくて死にそうだと思った。
行燈の光を移す瞳が普段の死んだ魚のようなものではなく、真摯で、必死ささえを滲ませる様子に溶かされるかと思った。
あられもない体勢で雄を受け入れるという屈辱的といっても良い行為であるというのに、身体のみならず、心も抵抗できなかった。

一方的な行為ではなかった。

多少のアルコールで勢いづいたかもしれないが、完全に流された、ともいえないという点で二重に土方は頭を痛める。
同性で身を結ぶ、という行為は口でいう程簡単ではない。
面倒な前戯を精神的苦なくこなし、快感を得るまでの異物感や痛みに耐えてまで、身を結ぶことは勢いだけでは難しい。
元々衆道の輩であるならともかく、土方も銀時も異性を対象に選ぶ人間であったはずだ。
例え銀時に多少の経験があったとしても、土方にその素養が全くと言ってなかったことは土方自身が一番よく知っている。
だからこそ、土方は混乱した。

これはなんだ、と。

ピピピピと携帯のアラームが行き詰った思考を静止させた。

午前4時。
朝礼前に近藤と不在時の打ち合わせ。
朝礼で各隊長に引継ぎ。
午後には松平と合流。出発。
数字が本日の日程を次々と脳裏に浮かび上らせる。

真横の銀時はアラームの音に多少身じろぎをしたが、完全に目覚める気配はない。
土方はすぐに支度をして屯所に戻らねばならないが、何を話せば、どんな顔をすれば良いのかわからない今わざわざ叩き起こす、という気持ちには到底ならなかった。

かちこちと時を刻みつづける柱時計と見つめ、土方は息を吐く。
動き続ける秒針が現実へと「逃避」することを許している気がした。

(いやいや、逃避でも、敵前逃亡でもないから!)

しばらく、京へ今日立つことを考えればしばらくこの場所には来ることは出来ないが、もとより盗まれるような貴重品は置いていない。鍵をかけていなくても大した問題はない。
一度決めると土方の行動は早かった。
起こさぬように布団から抜け出し、転々と縁側へと続く脱ぎ散らかした服の道を辿り、回収して身支度を整える。
銀時が起きた後困らぬように、メモを残し、最後に一刻も時が惜しいとばかりに無理やり引き釣り出した名残の押し入れを閉めると玄関に向かった。

玄関扉を開ければ、春の空は既に明けはじめ、薄く墨を滲ませたような雲が流れていた。



そうして、予定通り、今松平や部下と共に無事電車に乗っている。


「トシィ、綺麗どころの手配はバッチリなんだろうなぁ?」
間延びした松平の声にいよいよ事務仕事は無理だなとカラクリを片づける。
「とっつぁん、アンタの馴染みにはちゃんと連絡してる。でも頼むから色々自重してくれよ。ホントに」
「男は遊んでナンボだ!トシ、オメーも…」
「ハイハイ。もう着くから」
既に車中で缶ビールを開けて出来上がりつつある上司に頭を痛めつつも、今はそれが有難いとさえ思った。

二週間ある。
松平同行で江戸を離れているこの二週間、万が一にも銀時と顔を会わせることはない。
この決して短くはない時間は土方の気持ちを整理、もしくは記憶を薄れさせてくれるだろう。

そんな風に、この時土方はまた高をくくっていたのである。




しかし、土方の予想に反して、明日江戸に戻る段階になっても答えはでていなかった。

京の町に入った頃、満開であった桜の花は、2週間でそのほとんどを葉で覆い、次の季節を彩る桃やヤマブキへと主役の座を渡していた。
夕べの月もあの時の明るい十六夜月ではなく、月齢を一桁とし、か細い光となった。
光量を抑えた月明かりはどこか夜道を歩くには心もとない。
まるで自分の思考のようだったと、土方は帰りの支度を整えながらため息をついた。

やはり、何度繰り返し考えても酔った勢いで、なんて話は男女の間ではあるかもしれないが、男同士でありえないと土方は思う。
ましてや、自分が受け入れる方だなんて…

一夜を共にした朝、逃げるように帰ってしまったため、銀時の気持ちも態度もわからぬままである。
確かに土方は坂田銀時という男を漠然と欲しいと感じていたが、こういった所謂カラダになるまで、こういった恋情を伴うような欲求であるとは思っていなかったのだ。

この国は、開国するまで比較的衆道に関して大らかであった。そういった男性による男性向けの風俗店も昔ほどではないものの、色濃く残っている。土方自身、もっと若い時分には声をかけられることも少なくなかったが(趣味は個人の自由であるから、口出しする気もないが)興味は全くといってなく丁重に、拳をもってお断りしてきたのである。
まさか自分が何の嫌悪もなく、男に抱かれ、心のどこかで、自分を見てくれた銀時に嬉しさを感じているなど、認めたくなかった。
惚れているという言葉が一番近い感覚であることも承知はしたうえで、それでもやはり認めたくはなかった。

銀時自身も男に興味がある趣向を持つ等聞いたことがないが、確実に土方よりは作法を知っていた。
実体験の如何はともかく、興味本位で試すには普段から犬猿の仲だった相手はたとえ疎遠になろうとかまわないから丁度良いとでも思ったのだろうか。

(名前さえまともに覚えられていないくらいの付き合いだからな…)

そういう風に考えて、憂鬱な気持ちになる自分が自分で気持ち悪い。

万に一つ、土方が銀時という男に恋情と呼ぶような感情を持っていたとして、更に億に一つの可能性で銀時も同じように想っているとして、土方は答えることが出来るのかと問われれば難しいとしか言えなかった。

難しいなら、答えは本当は簡単だ。
応えるつもりも、「二度」を起こす気もないならば、なかったことにするのが最善策。
理屈でならわかってはいた。
何度もその答えに行きつき、そのくせ、また迷う自分が気持ち悪い。

(今までどおり。弱みはみせねぇ、それでいいじゃねぇか)

江戸へ戻れば遅かれ早かれ、街のどこかで銀時と顔を会わせるのは時間の問題だ。
銀時の反応で多少のアドリブは必要かもしれないが、基本ラインは動かしようがない。

(俺自身がしっかりと惑わされなければ大丈夫だ)

土産物を買いながら、百面相をする上司を怪訝そうな顔で遠巻きに見守る山崎の存在にさえ土方は気が付く余裕もなく財布を握りしめ、そんな風に決意したのだ。




江戸に戻り一夜明け、積み重なった書類の分別を一通り済ませると、土方は山崎を連れて不在時に沖田が吹き飛ばした商家への侘びに出かけていた。
こんなこともあろうかと京土産を余分に買ってきてよかったと乾いた笑いしかでてこない。
屯所の様子を毎日変わりないかと問うても、近藤は大丈夫大丈夫の一点張りであったが案の定だ。
だが、この作業さえ終われば住み慣れた屯所で足が伸ばせる。

「山崎、あといくつだ?」
「被害届の出ていた店は終わりです。あと二つ残ってますけど、これは予備ですか?」
「トシちゃん!」

あぁ、それは…答えようとしたところで、万事屋のチャイナ娘が飛び付いてきた。
思わず落としそうになった咥え煙草を指で受け止め、小柄ながらも力強すぎる勢いに足を踏ん張る。
最近、土方は、この桃色の髪の少女によく懐かれていた。沖田が駄目にした酢昆布を買い直してやってからだろうか。
基本的に土方は女子供に弱い。

「チャイナじゃねぇか。また総悟が迷惑かけたか?」

懐かれて嫌な気持ちにはならないが、出来ることなら会いたくない人物にもっとも近い神楽と長居はしたくなかった。
予想通り、道路の反対側に万事屋の主人はメガネと立っているのが見える。
一刻も早く立ち去りたく、依頼をくれて誤魔化そうとした。

「スナックすまいるに届けてくれ。いつも近藤さんが迷惑かけてるからな」

報酬に予備の菓子折りと土産屋で見つけた小さな手鏡を渡す。
以前年頃の娘向けの雑貨店の前で佇んでいたのを見かけていたから、次に沖田が迷惑をかけた時用に用意しておいたものだ。

はしゃぐ少女越しに、一瞬だけ銀時を見た。
男の眉間には皺が寄り、どうみても友好的な雰囲気ではない。

「じゃ、頼んだ。すまいるの分まで食うんじゃねぇぞ」

後悔しているならば、土方に絡んでくることもないだろう。
神楽に念押しすると、まだ寄るところがまるであるかのように踵をかえす。
ざりりと靴底が大きめの石を踏み、地面に擦りつけられた感覚が足裏に伝わってきた。

「珍しく旦那、絡んできませんでしたね」

地味、というべきか空気になりきっていた部下が十数メーター歩いた後で声をかけてくる。
「それが普通だろ?余計なこと言ってねぇで、帰るぞ」

資質を見出して監察に任命したのは自分だが、自分のことを知られたいものではない。
ぽかりと腹いせも兼ねて山崎を殴り、足早に歩いた。
噛み切る寸前まで、噛みしめたタバコが苦い。

(なかったこと…月の見せた幻とでも…これで良い)

あいつには負けねぇ。
馴れ合う方がおかしい。
今まで通りの腐れ縁。
それで良いのだ。

言い聞かせることに懸命だった土方はずんずんと近づいてくる気配に気が付くのが遅れた。
数分後、物凄い勢いで追いかけてきた銀髪に腕を捕えて引き釣られることになる。


桜は桜でも八重桜が満開となるそんな季節のことであった。



『月の名前 十六夜』 了


(36/105)
前へ* シリーズ目次 #次へ
栞を挟む
×
「#お仕置き」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -