うれゐや

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【シリーズ】 | ナノ

『花の名前 さくら』



桜は人を惑わせる。

季節は春。
桜は満開。
だが、来週末には散りはじめるだろう。

坂田銀時は、珍しく割の良い仕事を片付け、万事屋へと戻る最中であった。
今宵は月齢十六。まだまだ明るく夜道を照らしてくれる。
帰宅時間が遅くなることは最初からわかっていたので、今日の仕事には従業員の子供達を連れてきていない。
(神楽も今日は新八のとこに泊まりだし、一杯やってくか…)
赤ちょうちんに心惹かれるが、溜りに溜まっている家賃、大量の食料品の買い出し…必要経費を指折れば、いくら割が良かったとはいえ大した額は残りそうにない。
ツケも考えるが、逆にうっかり懐に今あると親父に知れたならば回収に乗り出されるのがオチだ。
(こんなに月の綺麗な晩だし、コンビニで調達して夜桜…ってのもオツじゃね?)
エコが一番。 
思い立てば、早い。一番近場のコンビニに寄り、酒とつまみ、甘味を少々買い込んだ。


(いい月だ)
ほぅっと溜息をつき、腰を落ち着ける場所を探す。
大江戸公園等はまだ酔客が残っているであろうから、出来たら静かに呑みたい気分の今は避けたい。

そういえば、と以前庭師の手伝いの仕事で訪れた一軒家の事を思い出す。
庭師の話では家主は仕事の関係でほとんど寄りつかないということだった。
その頃は咲いてはいなかったが、立派な桜の木があったような記憶がある。
(ちょっと庭先借りるくらい良いよな)
誰に愛でられることなく散っていくよりはよかろうと一人頷き、足先の向きを変えた。


歩きながら、位置的には真選組の屯所からもそれほど離れていないのだなと思い当たる。

(真選組といえば、副長さんはまだ仕事かね…)

「うちのマヨラーなら、一人で忙しいみたいなんで置いてきやした。
 ある程度、下のモンに任せりゃいいってのに、
 どうしても自分で隅々まで目を通さにゃ気が済まねぇ小姑なんでさぁ」

団子屋で昼寝を決め込んだ一番隊の隊長に土方を撒いてきたのかと問えば面白くなさそうに零していた。
かなりのワーカホリックらしい副長の土方十四郎は、この時期は年度の切り替え作業で事務仕事に没頭しているという。
確かにしばらく、鬼の副長を見ていない。
そのことに何とも言えない、寂しさのようなものを感じていたのだと気が付いて首を振る。

(いや、寂しいとかないない!)

いつのまにやら、最近、万事屋の面々は真選組とは友好的、とは言えないまでもそれなりの腐れ縁を結んでしまっていた。
縁を結ぶまで気にも留めていなかった黒い隊服を街中で見かけるたびに見知った顔かと確認してしまう程度には馴れ合っている自覚が銀時にもあった。

特に土方とは、と考え始めればため息が出てくる。
行動パターンが被るのか、馴染みのメシ屋や健康ランドを始め、かぶき町巡察中以外でもよく遭遇する。
遭遇するだけならいいのだが、どうにも気にはかかるのだ。

正直な話、銀時は自身の中での「土方十四郎」という人間の位置付けに苦戦していた。
傍からは、犬猿の仲にしか見えないであろうが、銀時としては決して嫌いな訳ではない。
本当に厭なら、徹底無視すればよい。逆にからかうのが楽しくて、自分から絡みにいっている自覚もある。
ただ最近、それだけでは物足りないような…

(あ〜面倒くせぇな。やめやめ)
目的地が見えてきたと、もう一度頭を振って思考を振り払った。



しんとした家屋の中に明かりは灯っていない。
そっと敷地に侵入し、庭へと回り込む。
予想通り、見事な桜が満開であった。

桜は人を惑わせる。

梅などは、ひっそりと香りでその存在を主張するが、桜の類はその白に薄い薄い紅を微かに纏い、圧倒的な質感で人を魅了する。
ましてや、夜ならば…
黒染めの桜、と呼ぶのだろうか。

(飲む前から酔っちまいそうだな)

花自体は小さいが枝をしならせようかという程の数は圧巻であり、茎や葉が青みがかっている分、夜の空気に馴染んだ色気は凄まじい。


「不法侵入だぞ」

誰もいないであろうという先入観から声をかけられるまで、人の気配に気がつかなかった。

「っ!…え?多串くん?」

花に捕われすぎていたらしい。
真っ暗な家屋の縁側で、明かりも灯さず、声の主はひとり手酌していた。

「なんで…こんなとこに…」
「なんで…って言われても…ここは俺の家だからな」

いえ、を一拍かかって家という漢字に変換すると銀時は次の疑問を口にする。

「は?屯所に住んでるんじゃねぇの?」
「まあ…な。ここは、休憩所…というか隠れ家みたいなもんだ」

近藤さんにも教えてねぇよ。だから、口外するなと言外に含ませる。
酒が入って、ほろ酔い状態なのか、言葉にいつものような刺はない。
こんな土方は初めてだと、銀時は思う。

ゆらりと家主は立ち上がり、縁側から庭に降り立つも、その足に履物はない。
気にするでもなく、そのまま桜木に近づいていった。

土の上に積もり、すでに乾燥した花びらを裸足の足がさくりさくりと静かな音を立てた。

「てめぇこそ、こんな夜更けに呼び鈴も鳴らさず入ってきやがって…一体何の用だ?」

土方は桜の幹をそっと撫でながら、肩越しに振り返った。
黒い着流しは木に馴染み、白い手の甲は花の色に溶けている風に見え、普段からは想像出来ない、そんな儚い様子に落ち着かなくなる。

「あー、別に悪さするつもりはなかった。桜見物でもしながら一杯するとこ考えてたら、ここのこと思い出してよ。
ここ、滅多に人いねぇって聞いてたから…正直オメーの家だって知らなかったし…」
「ふーん…」
別に忍び込んだことを咎めるつもりはないらしく、それ以上は何も言わなかった。
なんとなく、呼ばれた気がして、土方の横に銀時も立つ。

しばらくの沈黙と花びらが二人の間に落ちた後、不意に土方が呟くように声を発した。


「桜の木の下には死者が眠るなんて言うが…」
「え?」

すっと月が雲に隠れ、闇が落ちた。

「確かにいいかもしれねぇな…」

思わず、銀時は手を伸ばし、土方をつかむ。
消え失せてしまいそうな焦燥。
そのまま、腕の中に引き込んだ。

ほぼ同じ体格の男であるから、さらさらとした黒髪が銀時の頬をくすぐる。タバコ臭い筈なのに、どこか甘い香り。
闇の中、銀時は唇でその首筋に触れる。触れれば更に存在を確認したくて堪らなくなった。
土方の抵抗もない。少しくすぐったそうに身じろぎするだけなのを、良いことに、耳、額、頬、へと唇を移動させる。
おかしなことをしている自覚はあった。
あったけれども、ひどく自然な行為であるという確信のようなものもあった。

雲の厚みが少し薄れ、ぼんやりとした朧月が顔を出す。

淡い月光と舞い上がる薄紅。
土方の青みかかった薄墨色の瞳が穏やかに銀時を見ていた。


(あぁ、桜の花に酔っちまった)

どちらともなく、身を寄せ、距離をゼロにした。
桜は人を惑わせた。





(…あれ?)

目が覚めると見慣れない天井。
銀時は数度瞬きして、事態を把握した。
夕べは、土方の私邸に泊まり、花に流されるように一晩を共にしたのだ。

(桜が見せた夢ってわけでも酔っぱらって前後不覚になったわけでもねぇな)

身を起こせば、肌寒い朝の空気がむき出しの素肌を粟立たせる。
辺りを見渡してみると枕元にきちんと服が一式畳まれていた。
縁側から脱ぎ散らしながら布団へ向かった記憶しかないから、土方が持ってきてくれたに違いない。その証拠に服にはメモが添えられていた。
屯所に戻る事と鍵はかけなくて構わない旨が書かれた、やけにそっけない用件のみの事務的な文章に思わず眉が寄る。

(…なんだ?これ…いわゆる「やっちまった」的な?)

戦場では、男同士での性交もみてきたが、あれは明日ともしれない極限状態が生み出すものであると銀時は思っていたし、自分は興味がなかったので、参加したことがなかった。
しかし、夕べのことを思い出すだけで腰辺りがじんわりと反応する。

「ほんと…エロかったわ…」

最初のうち、土方の身体は初めての行為に緊張はしていたが、やがて、こんなに感じても大丈夫かと心配になるほど、感度が上がり、その色香は凄まじいものに変化していった。
快楽に流されまいと、強がる目も印象的だった。
そして、それを自分が引き出していると満足感が相乗効果をもたらし更に煽られ続けた。

(昨日は土方も、様子がおかしかったからな)
それに付け込んだ感もなくはない。

本来、何を思って一人飲んでいたのだろう。

生真面目な土方のことだ、一人で命を落とした隊士の事、テロ被害者の事を、しまいには、加害者家族にまで思いを馳せているのかもしれない。

土方は守られるタイプではない。痛いくらいに突っ張って歩いている。
大切なのは真選組とその大将のみ。自分さえ大事にしない。

「面倒臭いやつ…だよな」

愛や恋自体が面倒だと思っていた。
愛だ恋は自分には分不相応だと思っていた。

そんな銀時が昨晩、一晩を共にしてしまったのは紛れもない男である。
欲を吐きだす、それだけの為に手を出すにはリスクの高すぎる厳めしい男前。
しかも、酔っていたわけでもない。
もう一度抱きたいとさえ。

これは誤魔化しようがないと手で顔を覆った。

位置づけがどうの、ではなかった。
単純に土方から目が離せなかったのだ。
銀時は自覚したのは『恋情』と名のつくもの。

「しっかし…どんな顔で向かい合えばいいんですかコノヤロー」

自覚したからには、土方本人の気持ちが気にかかる。
温度の伝わってこないメモからは何も窺うことが出来なかった。
大人しく抱かせてくれたのだから、毛嫌いされているわけではないと思いたい、が、銀時は自分は素面であったことを知っているが、土方に関しては怪しい。
夕べ出合う前からアルコールの摂取を始めていた。酔った勢いの可能性を否定は出来ない。

会えたら会えたで、きっとどういった態度で臨めば良いのか、わからぬまま。
ただ、土方のどんな顔でもいい。
無性に顔がみたいと思ったのだ。





桜は人を酔わせる。

しかし、それから二週間の間、土方の姿を見かける事はなかった。
大江戸マートの日替わりに並びながらも、銀時の目は真選組の隊服を探していた。

(もしかしなくても、これ避けられてるよな…つうことは、やはり酔った勢いで後悔してるってことか…)

それならば、ゼロから始めるつもりで頑張るべきなのか、それとも、自分も何事もなかった顔をして感情を隠し、腐れ縁に戻るのか。
後者の方が正直なところ、面倒はない。
その代わりに、二度と手を引くことは憚れることになる。
どちらが、銀時にとって、土方にとって最良の選択なのか、ぐるぐると思考は進まない。

「銀さん、先週までは、だらしない、にやけ顔全開だったのに、今週は大人しいね…」
「どうせ、振られたアルヨ。想像つくネ」
「うるせー!まだ振られてねぇよ!」

こっそり、神楽に新八は耳打ちしたのだが、神楽は容赦がない。
どちらの声も銀時の耳に入っているのだから変わりはしないのだと軽く二人の頭を叩く。
なんて不吉なことを言ってくれるんだ、と抗議するが、神楽本人は話を振っておいて、もう興味が別のところに移ったのか、大きく銀時の後方に向かって手をふった。

「トシちゃん!」
「え?」
この2週間思い悩んできた相手が、直属の部下を連れ、車道の反対側を歩いていたのだ。しかも土方のことを快く思っていないと思っていた神楽がビュンと銀時を差し置き、まっすぐに土方に向かって飛んでいった。

(ど、どういうこと?!)
そのまま、土方の腰に抱きつく。

「チャイナじゃねぇか。また総悟が迷惑かけたか?」
「今日は会ってないアル。大丈夫。トシちゃんこそ出張長かったアルネ」
驚いたことに、土方と神楽が仲よさ気に会話している。
(いつの間に!しかも、何!?出張って?!)
避けられていたのではなく、本当に仕事だったらしい。ちょっとほっとする。

「そうだ。チャイナ頼まれてくれねぇか?おい、山崎!」
「はいよ」
黒子かとツッコミたくなるような、タイミングで地味な男が京都の有名和菓子店の紙袋を差し出した。

「スナックすまいるに届けてくれ。いつも近藤さんが迷惑かけてるからな」
「神楽サンに任せるアルネ。でもトシちゃん…」
すっともう一つ袋が横から差し出される。
「報酬…だろ?菓子はメガネにも分けろよ。お前にはこれも付けてやるから」
自分のポケットに入っていた小さな和紙の包装を手渡す。
「わ、かわいい。ありがと!流石モテる男は違うアル!」
早速取り出した中身は友禅柄の小さな手鏡のようだった。

一瞬だけ土方の視線が銀時を通った。

「じゃ、頼んだ。すまいるの分まで食うんじゃねぇぞ」
すぐに逸らさせた目は神楽に舞い戻り、念押しするとさっさと立ち去っていってしまった。


鼻歌を歌いそうな上機嫌で特売の列に戻ってきた神楽を凝視する。
いつの間にか仲良しさんになっていたのだろう。
そんな心の声が聞こえたのか、桃色の髪の少女はニヤリと、笑ってみせた。

「マダオには勿体ないアル」
「な、ななんのことかな?神楽ちゃん?」
やはり心のうちで考えたことが実は口からダダ漏れていたのかと冷や汗をかく銀時に追い打ちがかかった。

「競争率高いヨ。トシちゃん」
「!」

冗談ではないと思った。
思った瞬間、足は動きだしていた。

新八が状況がつかめないまま、背後で何やら喚いていたが、構わず列を抜け黒い隊服を追いかける。
冗談ではない。
目は口ほどに物を言うとはいうが、その通りだ。
先ほど短い時間とはいえ、絡んだ視線が全て物語っていた。

銀時がそうであるように、土方もまたけして素直な性格でもなく、かなり意地っ張りだ。
思考が似ているとこんな時、便利なものでたどり着きそうな結論に想像がついてしまう。
真選組が第一。
ならば、根っこの部分で同じように魅かれていようと土方は認めるはずがない。

銀時の腹は決まった。

「ドSなめんなよ?」
追いかけて、追い詰めて、空気のように感じてくれるまで。

ニヤリと黒い笑みを浮かべる。
慌てる山崎を振り払い、土方を捕まえて路地裏に引き釣り込むまで、あと数分…



桜は桜でも八重桜が満開となるそんな季節のことであった。





『花の名前 さくら』 了




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