『黒紅色』
夜叉がいた。
大切なモノを取り戻すために、 血に飢え、欲望のままに剣を振るうことを己に課した夜叉がいた。
最初白い装束は、自分にとっての死装束だった。 もしくは、葬儀どころか埋葬さえしてやれない仲間の為の葬列服。
やがて、夜叉であることを望み、望まれた。 戦場での勝利の、圧倒的な力のシンボルとして。 いつの間にか、白い装束はどれだけの血を流したのか、敵を屠った成果の秤と見立てられるようになってた。
夜叉がいた。 舞い散る血玉に見惚れ、断ち切る血肉の感触に腹の底に生まれる劣情… 猛々しい雄の本能。
無差別の殺戮を愉しんだことはないが、 夜叉であることを受け入れた。
だが、戦場は遠退いた。 大義、仲間を無くした。
男は立ち止まって小首を傾げる。 大切なモノを守るために伸ばし続け、剣を振り回し続けていた腕は掴む対象を見失いだらりと両脇に落とされている。
刀を振り回す必要がないならば、それはそれで構いはしない。 では、一度は生まれて、しっかりと男の中に巣くった筈の夜叉はどこにいったのか。 何処に隠れたのか?
夜叉はいる。
静かにその身のウチに。 ちりちりとした熱は燠となって、今だいる。
そして、夜叉は、鬼に出会い、ゆったりと再び目を覚ました。
出会う前から、銀時は土方十四郎という男が真選組の鬼と呼ばれていることは知っていた。 知ってはいたが、実際に面識の出来た男の普段の様子から、どこが『鬼』なのだと一種の侮りさえ感じて、ひっそりと幻滅していたのも確かだ。
真選組のためなら、一度身の内に入れた者のためなら、自己犠牲の精神で動く。 負けん気の強い、融通のきかない一本気な男。 折角の容姿に頓着するでもない。 マヨネーズ、煙草中毒。
攘夷戦争の中、いくらでも彼如きの剣の腕の者などゴロゴロしていた。 戦後、ポッと出てきた、田舎剣法のチンピラ集団。 いつの間にやら、帯刀を許される役職に入り込み、街を護るなんて仕事をしている。
あの時代とは違うのだ。 今の時代が決して悪いものだとは思ってはいない。 天人は蔓延り、その技術、思想、行事さまざまな物で、すでにこの国は侵された。
だが、逞しい城下の人々は形態に合わせて、柔軟に生活している。
所詮、平和な中での『鬼』。 それだけのものか…と思っていたのだ。 あの晩までは。
なんだかんだと、流れ着いたこの街で真選組の屯所に居候しながら日々のよろず事を引き受けては小銭を稼ぎ、という生活を始めていた。 銀時を拾った近藤はいい男ではあるし、入隊を薦めてくれてはいたが、『真選組』という組織に根を下ろすつもりは全くその頃はなかった。 むしろ、軍資金がたまったならば、長居は無用だと思っていた。
パチンコ屋でよく一緒になる長谷川というマダオと飲みに行った帰り、少し酔った足取りで屯所へと戻る途中、であったかもしれないし、一人でいっぱいひっかけた帰りだったかもしれない。 詳細は覚えていない。
月のない夜だった。
それだけはよく覚えている。
ぱしゃん
橋を渡ろうとして、ふと、水音に目を向ける。 月がなく、昏い水面に黒い塊が立っていた。
もともと、銀時は夜目が効く方である。 おそらく、自分でなければ、状況は一目ではわからなかったのかもしれない。
黒い塊は、人の形をしていた。 『それ』は、黒い装束に身をまとい、抜身の刀をすでにぐったりと橋の足部分に凭れていた男のとどめに突き刺すところであった。
「?!」
ただの物取りと判じるには殺気さえ感じさせない機械的な作業であり、プロかもしれないと銀時は小さく舌打ちした。
(あぁ、厄介なもん見ちまった)
いま、割って入るべきか、一応、番所へ通報しておくべきか。
どう見ても、事切れている。 少なくとも3人はぷかり、ぷかりとゆっくりと水に沈んでは浮き、浮いては沈みながら流れていこうとしていた。
やはり、関わるべきではないだろうと、そっとその場と気配を殺し、立ち去ろうとした時であった。
『それ』の面がゆっくりと、ゆっくりと、銀時を捉えた。
「!」
確かに、『それ』は見知った顔。 確かに、『土方十四郎』と呼ばれている姿。 確かに、『鬼』。
そう呼ぶにふさわしいと初めて、銀時は「そう」思った。
日常見る、どの表情とも異なる表情。 顔に飛び散った返り血。 手の甲に浴びた血をペロリとなめあげながら、妖艶に微笑んでいる。
ただ、見惚れていた。
けして、女性的な美しさではない。 抜身の剣の美しさだ。 硬質な強い光で血肉を断ちその身に受けて、 それでいて何事もなかったかのように綺麗に懐紙で血油を拭われてから鞘に戻され沈黙する。
あぁ、彼を『鬼』と称する由縁は、その非道さ、武骨さにあらず。
足先から、背筋を通り抜けて頭頂部にむかって理解した。
おおんおおんと哭きながら、それでも血肉を浴び、目的を遂げようとする、悲しく、美しい生き物なのだと。
夜叉がもぞりと身じろいだ気配を感じて、銀時は粟立つ右手を反対の手で擦りあげる。
夜叉が鬼を呼んでいる。 「欲しいのだ」と。 「恋しいのだ」と。
銀時は土方十四郎という男に感じた。 「最後まで見届けたい」と。 「一人にはしない」と。
孤高の『鬼』と共に在りたいと。
静かに静かに、 川の流れる音とどこか遠い場所で聞こえるサイレンの音を背景に、そう、理解したのだ。
鬼になる。
己が道を阻むモノを屠るために、想いのままに剣を振るう鬼になる。 自分の大切なモノを守るために、今日も右手の剣を振り上げた。
鬼になる。
黒い装束は、自分にとっての死装束。 もしくは、何の感情もなくその命を刈り取った人々への葬列服。 黒い装束は、どれだけのヒトの血を流したかを、己の裂傷を忘れさせてくれる。
冷笑を鬼は頬に浮かべた。
大義はある。 この身を置く組織が官軍であれば。 殺戮とも呼ばれかねない行為であっても。 勧善懲悪を振りかざし、吹き上がる血の雨に見惚れ、砕いた骨の感触に湧き上がるのは劣情… 禍々しい雄の本能。
戦場に立つ。
血の愉悦を味わい、鬼になろう。 望まれなくとも、己の意思で望んで鬼になろう。
確かな血の枷を、重量をこの身のウチに。
そして、鬼の領域に夜叉を住まわせた男がやってきた。
土方が鬼になってでも付いていくと、護ると決めた近藤勲が坂田銀時という男を拾ってきた。 近藤は、よくいとも簡単に猫の子でも拾うようにヒトを拾う。 かく言う自分もその一人だ。
その男は飄々としたといえば聞こえはいいが、つまるところやる気のない空気を纏っており、一見無害に見えもしたが、時折発する鋭い気配からから只者ではないと土方は感じていた。
おそらく、もと攘夷志士、しかも名を馳せた戦士。 更に掘り下げて浮かび上がる攘夷戦争の英雄『白夜叉』であるかもしれないという可能性。 坂田の容姿から、実際に手合せして感じたその強さから、ほぼ確定された真実であると土方は確信している。
だが、近藤が「大丈夫、信用できる男だ」という限り、それが真選組にとって、土方にとって最終的な決定。 危険因子の可能性があるならば、自分が気を付けておけばよい。
そう思って彼を観察し続けていた。
口先から生まれたと称されるほど、達者な話術を駆使するかと思えば、何に対してもやる気なく、死んだ魚のような目をして、茫洋を決め込んでしまう。 重力に反した、銀色のふわりとした天然パーマ。 無類の甘党。糖尿寸前。 負けず嫌い。
屯所外でよろず事を引き受けて小銭を稼いでいるようではあるが、攘夷浪士らしい人間との接触は今のところ見当たらず。大したことはわかっていないまま数週間がすぎていた。
時代は変わった。 今、帯刀を許される自分たち真選組には武家の出でもなんでもない者も多く採用されている。 だから、局中法度等作り、少しでも体裁を繕うおうと土方はしてきた。
『白夜叉』といえば、攘夷戦争の混乱の中、いつの間にやら、消えてしまった都市伝説のような存在だ。 もし、彼が本物であれば、自分たちの成り上がり集団など、ちゃんちゃらおかしく映っていることだろう。
しかも、成り上がるためには土方は実際、手段は選んでもいない。
細いつてをたどり、上洛し、幕臣として組織を立ち上げる為に裏で人には言えないようなことを数多くしてきたのことも事実だ。 それは、局長近藤をはじめ、局内でその事を知る者はほとんどいない事柄。 土方だけが対価を払い、責を負うのだ。
軍神と呼ばれた、『夜叉』 本当に銀時が『それ』であるなら、彼がうらやましい。 戦うことに、死を振りまくことに何らかの意味を。 戦うこと自体に興を。
『鬼』は人が変じてなるもの。 自分は望んでも『鬼』にしかなれない。
月のない夜だった。
それだけは覚えている。 月のない夜は『仕事』がしやすい。 なんて、暗殺日和なんだろうとそう感じた記憶があるからだ。
感慨なく目の前の幕臣とそのお供を見やる。 もちろん、今日は隊服など着て来ていない。
刀さえもいつもの打刀ではなく、脇差。 短めなそれは、間合いが短くなる分、危険ともいえるが、接近戦には都合がよく気に入っていた。
真選組の仕事であって、仕事ではない。 幕臣のなかにも私腹を肥やすために裏取引に関与するものたちがいる。 彼らは大変面倒なことに権力と金いう力だけは多大に持っていた。 もみ消される証拠。 それを秘密裏に、証拠の提出も、送検もせずに、壊滅させる。
義賊行為ではない。 真選組の後見をしてくれる人物たちが都合よく生き残るため。 政敵の資金源に限りのこと。
ばしゃん。
最後の一人をなんの感情もなく、切り捨てる。 まるで、枝を切るがごとく。 しかし、時々あまりに無感情に事が運びすぎて、何も感じなくなる。
ぴっと血しぶきで目の前が真っ赤に染まった。
(あぁ…)
良く見ると手の甲にも血がついている。 血を見ると、やっと興奮、高揚が訪れる。
命のやり取りは、喧嘩は好きだが、土方が今している行為は『喧嘩』ではない。 闇討ち。 ただ、淡々とこなしてくべきの、失敗もフォローも望めないそんな『作業』。
(奉行所の目に触れるのは明日、いや明後日か) 流れてゆく、死体を眺めながていると、橋の上の影が動いた。
月明かりがないと油断していた。 目撃者があってはならない。
(仕方ねぇ。もう一仕事か?)
ゆっくりと、ゆっくりと、面をあげると、そこに『夜叉』がいた。
「!」
確かに、『それ』は見知った顔。 確かに、『坂田銀時』と呼ばれている姿。 確かに、『夜叉』。
昏く、それでいて、神々しい銀色の光。
この場を見ても、一向に動揺は見つからず、普段の死んだ魚のような目の奥に確か、冷血な輝きを見た。
日常見る、どの表情とも異なる表情。
わざと、手の甲に浴びた血をペロリとなめあげながら、笑って見せた。
ただ、見惚れていた。
赤みかかった瞳を見つめながら、理解した。
あぁ、彼を『夜叉』と称する由縁は、その非道さにあらず。
『夜叉』は悪鬼から、仏教に取り入れられたのちは仏法の守護に回ったという。
鬼が夜叉を呼んでいた。 「欲しいのだ」と。 「同じものになりたいのだ」と。
土方は坂田銀時という男に感じた。 「多くを失ってなお何も失わなかった強い男だ」と。 「サムライ道をもっているのだ」と。
土方は血に少し酔ったかのような酩酊感を感じた。 それは、劣情にも似て。
「いい夜だな…白夜叉殿?」
気が付けば、あえて、その名で呼んでいた。
『双つの月影―黒紅色―』 了
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