『a total eclipse of the sun』
「なぁ、十四郎。これ何?」
部活からの帰り道、飲み物を調達しようと立ち寄ったコンビニで肩に乗った銀色の狐が尋ねてきた。 すっかり土方の生活に馴染んでしまった銀時は土方を喰うのをすっかり諦めた、 というわけではないのであろうが、現世を愉しんでいる風にもある。
「どれのことだ?」 「これこれ」
するりとヒト型になったかと思うと、雑誌コーナーに置いてあった付録つきの書籍を持ち上げる。 見事としか言えない銀色の天然パーマ頭はそのままだが、着ている服も見た目の20代成人男性に似つかわしいものに合わせ、もちろんのことだが、耳と尻尾も綺麗に隠していた。
「あぁ、明日いよいよ皆既日食だからな」
変化した様子を、店員や他の人間に見られていなかっただろうかと、キョロキョロと十四郎は辺りを見渡すが、どうやら大丈夫だったようだ。
「あ?なに?今の人間ってわざわざアレ見るの?」 「おぅ、直接見ると目をやられるから、そんな日食グラスもよく売れているらしいし、 なんか、綺麗に金環が見える離島なんて、宿満室御礼らしいぞ?」
今回の日食は、多少見え方に違いがあるにしても、日本のかなり広い範囲でその姿を観測できるとあって、世の中はにわか天文学ファンで盛り上がっていた。 金環食ともよばれ、綺麗に太陽を月が隠してつくられるリングになぞって、プロポーズを予定するカップルも少なくないらしい。
次は2030年だが、本州で見ることは難しいだろう。
「まさか、十四郎も見ようなんて考えてないよね?」 「あ?まぁ、見られたらな。月曜の朝、確か7時半ぐらいだったと思うから、 朝練行く途中に…」 「やめとけ」 「ん?日食グラス買っとけって?」 「ちげーよ。出来たら、『蝕』が終わるまでは、 つうか一日家から出ない方がいいんだけどって話」 「ああ?んなわけいくかよ!朝練はともかく、学校に遅刻しちまうだろうが!」 「でもなぁ…」
珍しく歯切れの悪い銀狐の物言いに少しばかり不安になるのも、本当のところで。
「なんかあんのかよ?」 「ん〜ちょっと、考えさせて」
考えてどうにかなるものなのか?そう問い詰めたい気もしないではなかったが、答える気がやはり内容なので、一度引いてみせる。
「あ、どっちにしても明日の天気次第かな」
空は、灰色の雲が立ち込めているが、雨が降るほどではない。
そう呟いて、コンビニの扉を開くと、銀時は小さくつぶやいた。
(おかしい)
土方は毛布の中で、身体をもぞりと動かす。 体内時計は、とっくに起きる時間だと言っている気がするのだが、携帯のアラームが鳴る気配がない。 時間でなければ、もちろん布団から出たくはないのだが。
そっと、顔を出して目を開けた。
「な?!」 「あ、起きた?おはよう」 相変わらずの気の抜けるようなあやかしの声がすぐ横からかかった。 いつもであれば、狭いシングルベットであるから、狐の姿で眠っているはずであるのに、今朝は最初からヒト型だった。
「ここ…」
間違いなく自分の部屋。 見慣れているはずの天井に映し出された光の反射が、奇妙に歪んでいる気がした。 明るさから言えば、陽のすでに昇っていることが容易に思い起こされ、勢いよくベットから飛び起きる。
「あ!今何時だ?ガッコ!」 「え…とぉ。7時29分。『蝕』が始まるから、もう諦めて休んで」 「んな訳には!」 カーテンを勢いよく引きあけて、そして、固まった。
ガラス越しに見える太陽は徐々に月に浸食され始めていた。 ゆっくりと。 薄曇りの空高く。 でも、その変化が解るほどの速度で。
たった5分ほどの天体ショー。
太陽の月が横切り、その光を隠していく。
それに伴って、十四郎の瞳には、ゆらゆらと揺れる黒い影たちが辺りを覆い始めるのを確かに捉えていた。
「オメーもアレが見えるんだろ?」 「ありゃ…なんだ?」
確か、銀時を解き放った時にもこんなことがあった。 だが、あの時の瞬発的な闇の集束というものとも違っている気がした。 追ってきてくれたらしい銀時に問う。
「『蝕』ってのは、古来から、『人』には忌み嫌われていたモノのはずだったんだ」 「それは、科学的な説明が出来ていなかったからじゃなくて?」 「ちげぇよ。あれ見ただろ?ほんの数分でも、太陽の『陽気』が隠されるから、 その反動で闇のモノが宴を催すんだ。 古代の人間たちは下手に知識を持たない分、自然をよく観察していたからな。 陰陽道しかり、道教しかり」
話している最中も、太陽は隠れていく。 月が濃い影を作り、地上に闇を落とす範囲を広げていった。
銀時に出会うまでは、こういったモノは別世界の、マンガや小説の中での出来事だと思っていた。 だというのに、甘党の自称150年閉じ込められていたという銀色の狐の化け物と一緒に生活するようになり、多少見えるようになってしまった。 それを恐ろしいと思うことはない日常に馴染み始めたこと自体が少し恐ろしくもある。
「ひっ」
突然、黒く霧のようでいて、なぜか粘膜を思わせるような『何か』が窓ガラスを揺らした。
「あぁ…こいつら、『贄』というか、『器』探してるんだと思う」 「それって俺のコト?」 「オメー見た目良くて、美味そうだしな…」
銀時の指先に小さな青い炎が思ったかと思うと、静電気のような衝撃と音が走り、慄いたように『何か』は少しだけ下がった。
「大丈夫。オメーは俺の食事だから、あんなひよっこにやりゃしねぇ。 でも、今は分が悪いから…」 ばふんと大きな白い布に包まれる。 それは、銀時がいつも羽織っている白の着流しのようだった。
そして、布の上から抱き締められながら、布の隙間から外を覗うと、『何か』たちは急に戸惑ったような、動きをしばらくしていたものの、またどこかへ移動し始めた。
月は完全に太陽を隠し、背後からチラチラをみえる強い光がまるで指輪のような見え方をしていた。 金環食。 そう呼ばれる状態。 きっと、いま多くの日本人が日光グラスを目に当てて、空を眺めていることだろう。
「あれ、他の人には影響ねえの?」 「ん〜、そいつの体質しだいかなぁ。まぁ、たいがいの奴は気にしねぇだろうな…」 そう言いながら、抱きすくめた十四郎の首先に鼻を摺り寄せてくる。 「ま、次の年に、天災だとか、国が荒れることもあるかもしれねぇが、 そこまで俺が知ったこっちゃねぇし」 いかにも、面倒臭そうにそういうと、着流しごと布団の中に引きこんでしまった。 「おい!やめ…」
「もう、このまま二度寝しちまえ。あ、その前に…腹減った」 唇を銀時のそれに塞がれ、舌が侵入してくる。 すでに日課となりつつあるのだが、銀時の食事代わりと何度言われても、慣れない行為だった。 『食事』といわれても、腔内を巧みに舌で嬲られ、蹂躙されると、どうしても十四郎の身体は熱を帯びてきてしまう。 ただ、いつもよりも長く続くそれに痺れを切らして、無理やり体を引きはがした。
「!ガッコ!」 「あ〜大丈夫大丈夫。親父さん今出張中だし、昨日のうちにオメーの携帯から、 メールで近藤に体調悪いから休むって言っといたし」 「確信犯かよ!」 「確信犯以前の問題。オメーが悪いんですよー」 「はぁぁぁぁぁ?」
ふて腐れた声色、しかも土方自身のせいだと告げる銀時に思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。
「大人しく銀さんに喰われちまうか、 所有印打たせりゃ多少のモンは引いてくれるってぇのに受け入れないから」 「テメーが村麻紗にビビッて喰えねぇだけだろうが!所有印だぁ? 俺はモノじゃねぇし!」 「だから、こうやって譲歩してやってんだろうが! 夕べ銀さん珍しく頑張って結界張ったり、近所に話しつけに行ったり 大忙しだったんですぅ!大人しく銀さんに体液寄越しなさい」
そういって、再び口をふさがれてしまった。
何度も何度も重ねられているうちにどちらとも既に分からない唾液が下になった体勢の十四郎の首筋を伝い落ちていく。 それを追って、銀時の舌が動き、鎖骨をかしりと噛んだ。
「ん…」
痛みという程の刺激でもないその感触にたまらず身じろいだのを、くすりと狐は嗤った。 嗤いながら、冷たい掌が十四郎の鎖骨から胸へと降りていく。
月はゆっくりと、太陽から離れていく。 ほんのひと時、地上が本来で『昼』の域に太陽の支配を逃れた隙間の時間。
この『空(くう)』にどれほどのあやかしが今回は力を蓄えることができたか。
「銀時?」
手を止め、外に目を向けた銀時に十四郎が何かあるのかと声をかけるがゆるりと首は横に振られた。
「なんでもねぇよ。今日はやっぱり籠っていた方が無難だろうな」
そういって、冷たい手が離れ、再び布団の中で抱き込まれた。
宇宙が近くなったと言われる時代。 だからこそ、人々は再び空を見上げるようになったのかもしれない。
けれど、ある意味遠くもなったそんな時代。
そんな事を思いながら、睡魔に身を任せたのだった。
『Contractor―a total eclipse of the sun―』 了
(102/105) 前へ* シリーズ目次 #次へ
栞を挟む
|