うれゐや

/ / / / / /

【シリーズ】 | ナノ

『spring』



はるがくる。
はるがくる。

冷たい風に微かな花の薫りを乗せて。


はるがくる。
はるがくる。

歌うよ
鳥が、花が、蝶が、
五人囃子の調子にのせて舞いながら、春を歌うよ

弥生の月はひいなの月。
朧月夜に、桃の花。
三人官女が長子を、柄杓をかたむけて。


はるがきた。
はるがきた。

『今宵はとくに佳い月だ』

呟き、とくりとまた杯は満たされる。

「あぁ、佳い月だ」

とろりと甘い酒に口をつけ、銀色の獣は笑う。




月を、
春の月を、
煌々とした月光を雲が強い風に翻弄されて、隠し、ぼかし、暴き、強く淡く変化させる、そんな晩だった。

銀色の獣は、獣でありながら人の形に酷似した姿をしていた。
違うところといえば、ふわふわとした銀髪の合間から飛び出した耳と八つある狐の尻尾ぐらいだろう。

古く、立派な日本家屋の一室で酒を彼は呑んでいた。
部屋は庭を臨む障子を全て開け放ち、明かりとなるものは月光と豪華な雛飾りの雪洞だけだ。

酒を共に愛でているのは雛人形たち。

朱毛氈の台座から飛び降り、思い思いに楽を奏でたり、酒を飲んで楽しんでいた。

ゆったりと、銀色の狐は酒を口に運びながら、庭の桃の甘い薫りと色彩を眺めている。


その耳がぴくりと動いた。
ひたひたと近づいてくる足音。
けれど、異形たちは誰も慌てない。
隠れない。
近づいてくるものを知っているから。


「何騒いでんだ?」

人の子が立っていた。

長めの黒い前髪の間から、やや色素の薄い青灰色の瞳が真っ直ぐに銀狐と雛飾りたちをみつめていた。

逃げないのも、隠れないのも、人の子が驚かないと知っているから。


「何、うちの雛飾りと酒盛りしてんだ…銀時」

本来、邪気を祓うべき魔具である雛人形と祓われるべき妖が酒盛りをしていることの方に眉をしかめている。

『形代の役割を果たさなくなりて久しく…』
左大臣が囁き、
『我らはすでに年経た憑喪神でしかございませんゆえ』
右大臣が眉を顰めて答える。
そして、一斉に鈴がなるように人形たちが嗤った。

「小難しいこと考えなくても、こいつら悪さしねぇよ…」
銀時と呼ばれた狐も、八つある尻尾の一つを動かしながら、おいでおいでと招き寄せる。

「そんなことは知ってる。ばあちゃんが大切にしていた雛飾りだからな。
 むしろ、銀時テメーより信用してるよ」

けらけらと嬉やと笑い声が響く。

人の子が座せばすかさず盃が渡され、三人官女が杯を満たす。


「うわ、ショック。銀さん、こんなに十四郎のことアイシちゃってんのに」

ふざけた調子の銀狐に構わず、青年・十四郎は甘露を口に含んだ。



銀時は人を襲わない。
その代わりの贄が十四郎だ。

大妖・銀時が万が一甦った時の為に『土方一族』は『贄』と『護り刀』を用意した。



杯が空いたのを見計らって銀時は腕をのばす。
十四郎を顎を捉え、身体を引き寄せ、その口を吸い上げる。
ぴちゃぴちゃと獣の舌が十四郎の唾液を貪った。

贄は本来食らえばよい。
血肉を直接摂取した方が妖の力になる。

護り刀が妨害しているとはいえ、本気になれば方法などいくらでもある。
だが、銀時はそれを選ばなかった。
人の命は短いのだ。
あっという間に銀時の手を滑り落ちていく。

(ちびちび、搾取して、気に入らなくなったら、その時…食えばいい)

それに、十四郎の体液は銀時にとってどれも甘美だったのだ。



風が吹く。
春の強い風が。

月を霞ませていた雲が払われ、強い光が降り注いできた。


それが合図だったかのように五人囃子が演奏を再開させた。




はるがくる。
はるがくる。

冷たい風に微かな花の薫りを乗せて。



はるがくる。
はるがくる。

歌うよ
鳥が、花が、蝶が、
五人囃子の調子にのせて舞いながら、春を歌うよ

弥生の月はひいなの月。
朧月夜に、桃の花。
三人官女が長子を、柄杓をかたむけて。

はるがきた。
はるがきた。



「佳い夜だ」
銀狐は、僅かに口を離して呟いた。

「あぁ、本当に佳い月だ」
十四郎も普段の硬質さを何処かに置き忘れたかのように、艶深く、笑った。



はるを忘れない。
いま、ここにあるはるを。
有限なる、
幽玄なる、
はるを忘れない。



再び、風が吹く。
春の強い風が。

今度は厚い雲の塊が月の光を遮断してしまった。
闇が場を支配する。


「本当に…」

それでも、銀の獣は言った。

『月が綺麗だ』と。





『Contractor―spring―』 了



(101/105)
前へ* シリーズ目次 #次へ
栞を挟む
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -