『standpoint U』
sideT
「よぉ、地味野郎。テメーも大変だなぁ」
深夜とそろそろ呼んで差支えない時間帯、ぼんやりと明るい処置室前の長椅子に、高杉晋助は口に煙草をくわえて座っていた。 そのうち、ぺたぺたとした足音と共に非常口から自分を呼び出した男が入ってくるのを見つけて腰を上げる。
「早かったですね。高杉さん」 男・山崎退は、院内禁煙であることを知ってはいるだろうが、咎めるでもなく挨拶をしてくる。 この臨機応変さ、柔軟さは嫌いではない。
「『よろずや晋ちゃん』は迅速対応をうたってるからな」
高杉晋助は、新宿かぶき町で何でも屋を営んでいる。 金さえ積まれれば、大概のことは引き受けているし、危険を伴うものの方が実入りも刺激があっていい。だから法のギリギリを掻い潜りながら、それなりに繁盛している。 今晩も仕事が一件入っていたが、そちらは急遽部下に任せ、呼び出しに応じていた。
「副長は?」 「あぁ、なんで俺がきたんだとか何とか喚き立てやがったから、 さっさと承諾書書いて、オペ室にお入り願った」
呼ばれた理由。 真選組副長を務める土方十四郎の親族として、麻酔及び手術の承諾書にサインをすること。
「やっぱ、怒ってましたよね…でも、助かりました」 「構わねぇさ。後でしっかり可愛い弟からもらうもんもらうしよ」
土方と高杉の父は、所謂腹違いという間柄だ。 べつに仲が悪いわけでもなく、細く長い付き合いを続けている。 こうやって、何かあった時には駆けつけてやる程度には。
だが、入職して直ぐの頃どうしても今の職に必要な緊急連絡先を高杉にしたいと頼ってきたときには驚いた。 同じように母を幼い時に失い一度は天涯孤独になった身だが、 高杉は母方の叔母に、土方は本家の兄に引き取られていたのだから。 土方自身も懐いていた長兄に、そんな内容は頼むものだと思っていた。
けれど、長兄を頼らなかった。 心配をかけたくないということもあっただろう。
「すいません。手術始める前に副長からしぼられる覚悟だったんで、猫はまだ車なんですけど」 「じゃ、受け取ってそのまま退散する」 「お願いします」
地味な男を先導して、駐車場へと向かいながら、新しい煙草に火をつける。
年が少しだけ下の弟は、恵まれた環境で育ったはずであるにもかかわらず、 独特の雰囲気を持つ生き物に成長していた。
全てを拒否しているようで、 総てを受け入れてもいる。
生にも死にもこだわることなく。
「猫は月曜の朝に金時んとこ届けりゃいいんだな?」
そうして、もう一つ気が付いたこと。 数年ぶりに日本に戻ってきた幼馴染とひどく似た空気を纏うようになったと。
高杉の叔母は結局育児放棄をした。 元々高杉家は旧家であり、世間体もあったのだろう。 一度は引き取ったものの持て余し、養子に出した風を装ってボランティアで運営されていた施設に入れられた。 そのことを高杉は別段恨んでなどいない。 そこで師に出会い、坂田金時とは縁を結んだ。
「そういえば、万事屋の旦那ともお知り合いなんでしたよね」 「まぁな、それくらい調査済みだろ?」 「副長には、濁してますけどね」 「副長さんの不利になりそうな報告は書面で残さないってか?」
真選組の副長本人が妾腹だとか、腹違いの兄が施設に入っているだとか、醜聞にしかならない。 本来ならば、こうやって『身内顔』することさえ、避けたほうが利巧だろうに、土方自身は隠そうとはしない。
「それもありますけどね。どちらかと言えば… 人の何とかを邪魔する奴は…って心境ですかね」
意外な言葉に一瞬だけ、目を見開いた後、くつくつと喉を鳴らして、笑う。 やはり、土方が懐刀にするだけあって肝が据わっている。
「俺ぁ、土方とも金時とも直接会うのは半年ぶりくらいなんだが、 やっぱりそういうことになってたかよ」 猫を金時のマンションに届けると聞いた時に、出会ってしまったのかとはおもったのだ。
「はぁ…『やっぱり』なんですねぇ。二人ともをよくご存知の高杉さんからみても」 「で、恋人が肩撃ち抜かれて手術中ってぇのに、あの阿呆は仕事してんのか?」
金時も毛色が変わった男だ。 物欲も、色欲も、あまりない。 感情が無いわけではない。 護りたいものがないわけでもない。
でも、何か一つを求めるなんてことをしない男だと思っていたからこそ、 二人が万が一にも出会えば、何かが起こるとは予測していたのだ。
反発か、引力か、 そのどちらかまでは分らなかったが。
「恋人じゃないですよ」 「は?」 猫のケージを受け取る手を止めた。 地味な男の言葉を聞き違えたかとおもったからだ。
「まだ、そこまで話、進んでないです」 「マジかよ?あの金時が?新宿No.1が? いや、待て、アイツら出会ってどれくらいなんだ?」 「俺が最初に土方さんの指示で旦那の素性調べたのが去年の8月くらいです」 「…それは楽しいネタ聞いちまった」 新しいおもちゃを手に入れた気分だ。
「俺からだって言わんで下さいよ」 「わかってるよ、な?」 大人しく納まっている猫に語りかけるように返事をすれば、ちろりと視線だけが高杉に返りその愛想のなさに苦笑いした。 ペットは飼い主の似てくるというが成程と。
「晋助さま!お迎えに来たっス」 RVタイプの黒のBMWから部下の来島また子が顔を出し時間帯を考えない大声で呼ぶ。
「じゃあな。月曜に間違いなく、この美人を金髪パーんとこに連れていってやる」 「お願いしますよ!ホントに今の話オフレコで!」 気にするのはそこかよと小さくツッコミを入れているうちに、バックミラーに映る地味な男は見えなくなった。
「おい!」
さわやかなはずの朝。 セキュリティ万全の筈の、いわゆる億ションと呼ばれるマンションの一室は、突然の訪問者に寄って静寂を破られた。
「起きろ!金時!このヘタレホスト!」
一人で暮らすにはやたらと広い間取り。 モデルルームのような生活感のなさ。 唯一、そこに人が実際に住んでいると思わせるのは、高杉が押し入った寝室のみだ。
「開けるぞ!」
ベッドの周りに積み重なった週刊少年漫画雑誌の山。 脱ぎっぱなしのシャツや靴下。 開けたままのウォークインクローゼットから垣間見える、クリーニング屋の袋に入ったままのスーツの林。
「…高杉…?」
死んだ魚のような眼がこちらを見ている。 だが、扉を開けた直前直後には、刺すような容赦ない何時でも攻撃に移れるような気配が部屋を、場を満たしていたはずだ。
「猫、連れてきたぜ」 「ネコ…?は?グレイ?なんでオメーが?!」 自分のテリトリーに人をなかなか入れないこの男が。
どんなに、酔っていようと、来訪を玄関から大声で宣言しなければ、本能のままにナイフを突きつけようかとする男が。
「つうか、なんでオメー部屋いんだよ?鍵は?!あ?」 「うるっせぇな。朝っぱらから、阿呆が。鍵の件は企業秘密」 「企業秘密もなにも、こじ開けたよね?不法侵入だよね?コレ」
侵入を成功させたことに動揺しているのではないことは長い付き合いの高杉にはわかった。 施設時代から金時を知る自分にさえ、気を完全に許すことのない野生動物が。 たった、一人の男が関わる事実をチラつかせるだけで翻弄されているとなれば、こんな面白いことはない。
「愛しの弟の代わりに週末預かってやったんだろうが礼くらい言えよ」
これまで、金時にも話したことのない身内の話。 ほんの少しだけ、晒してみるのも悪くないと思った。
「おと…うと?誰?」 「俺の弟。土方十四郎」 「はぁぁぁぁぁぁぁぁ?!」 「流石、ウチの弟は、かぶき町一のホストにも簡単には落とせねぇみたいだな」
カードをきって、ベットする。
金時も土方も両方をよく知る高杉にとって、二人の展開はなんとなく想像がつく。 おそらく、己たちのこれまで経験したことのない距離に戸惑っているのだ。
(面倒な奴ら。中学生かよ) しかし、傍から見れば、これほど楽しいものはない。
高杉晋介は幼馴染と腹違いの弟の行く末をまた思い、くつくつと喉を鳴らす。
なぁ
足元のケージで猫が呼応するように笑ったような鳴き声を上げたのだった。
『Melting Point―standpoint―』 了
」
(84/105) 前へ* シリーズ目次 #次へ
栞を挟む
|