『standpoint T』
sideS
「失礼しま〜す」
新宿かぶき町。 人々の悦びを糧に、繁栄し続ける夜の街。 その中でも、No.1だと呼ばれる人間が所属するホストクラブの裏口を一人の男が怖ず怖ずと開いた。
「あれ?山崎さん?」 元ホスト・現マネージャーの志村新八は少し驚いて地味な男を迎える。 看板ホストであり、創業者の一人でもある坂田金時が最近懇意になりたいと思っている人物、その部下にあたる山崎は新八ともすでに顔見知りだ。
「すいません、今日は俺が代理でグレイ引き取りに来ました」
2月のみぞれ混じりの冷たい夕暮れ時。 突然、金時は出勤時間直前になって、休む旨を連絡してきた。
元々、何に対してもやる気のない緩い態度が基本の金時だが、仕事をサボったことはない。 よほどの事があったかと心配したにも関わらず、あっさりと帰ってきたのは 「猫、拾っちまったから。土方が」 そんな一言。
呆れるやら、驚くやらで、得意のツッコミを口にすることが出来なかったことをよく覚えている。
それ以来、『グレイ』と名付けられた猫は奇妙なルールの上で、今だ金時と土方の間を行き来しつづけている。 山崎と新八は同じ地味属性というべきか、派手な周囲に引っ掻き回されるという苦労性からか、妙な親近感がお互いのなかに出来上がりつつあった。
「土方さんは?」 「急にちょっと…都合つかなくて…」 「そうなんですね。でも山崎さんも同じように忙しいんじゃないですか?」 気のせいだろうか。 山崎の顔色も、良くない気はする。 つい、忘れがちだが、山崎とて、新しく作られた特殊警察機構真選組の一員だ。 公務員とはいえ危険を伴う特殊な職場では心労は絶えないことだろう。
「はぁ…でも、まぁ副長ほどではないですしね」 「しかし、よくやりますよね。あの二人」 「お互い、あれだけ変則的な生活してんのに、よく律儀に四ヶ月も毎週やり取りしてますよね」 「最初の頃はどうなるかと思いましたが。グレイもすっかり落ち着いてますし、 本当はそろそろ一人で留守番出来るんじゃないかと思うんですけどね」
「それ十四郎には言うなよ」
そろそろ、土方が来店する時刻とふんだのか、いつの間にか派手な金髪がオフィスに入ってきていた。
「金さん。土方さん今日は来れないそうですよ」 「何かあったか?」 自分をちらりとも見ず、真っ直ぐに山崎にかけられた、その声色に新八は異変を感じた。
「ちょっと仕事が押してて、ですね」 「…へぇ…」 からかう様な響きはない。 ただ、氷のような冷たさだけがそこには横たわっていることに今度は異変ではなく異常さを見つけた。
「金さん!金さん!どうしたんです?」 金時はよくしゃべる男だが、基本無駄な愛想を振りまく方ではない。 けれど、無駄に喧嘩を売るわけでも勿論ない。 だが、今の声色には明らかな疑いと脅しを含んだ怒気までもが含まれていた。
「いや、なんでもねぇよ?十四郎来ないんならフロア戻るわ」
梅雨時期特有の湿度でいつもよりも言うことをきかない髪の毛を手櫛で抑えつけ、No.1は煌びやかな店内へと戻って行った。
「すいません。山崎さん。 金さん、いつもなら憎まれ口は言ってもあんな棘のある言い方しないんですが」 土方さんが絡むとちょっとらしくなくなっちゃうんですかね…独特の割れた顎を撫でながら新八は首を傾げる。
そうとしか考えられない。 新八の知る限り、金時が何か欲しがったり、執着のようなものを見せたのは初めてだと思う。
「いえ…さすが旦那…」 「え?」 困った顔をしている山崎には、金時の態度が理解できているようだった。
「土方さんにですね、頼まれたんです。自分がいけば小言喰らうからって」 「小言…ですか」
金時はあまり自分のことを語らない。
ただ、共に過ごす間にこぼれ落ちてきた情報を繋ぎ合わせると、 かぶき町に流れ着く前は海外で傭兵業なんて日本人には馴染みの薄い仕事をしていたこと。 身よりはいなく、施設で育ったこと。 死んだ魚のような目をしているくせに、妙に鋭い切り口で世の中を静観していること。 無類の糖分好きであること。 そして、誰とでもフランクに話せるように見えて、実は人との距離にやたらと神経質なこと。
来る者、頼る者を拒むことはないが、深追いはしない。 猫科の動物のように。
だが、『特例』が出来た。 欲しいのだと、 一歩踏み出してでも、手に入れようをする相手が。
その相手のことを過保護にしている風ではないが、必要以上に気にかけていることには新八も気が付いている。
「志村さん?」 山崎が黙り込んだ新八をまた困ったような顔でみていた。
「すいません。あまり…普段みない金さんを目の当たりにしたもんだから…」 「そうなんでしょうね…いや、俺の方が付き合い短いですし、 あくまで心象でしかないんですが旦那のもってるものが… こう何て言うんですかね?似てるじゃないですか。あの人と」
『あの人』とは言わずもがなだ。 山崎もそう思っていたらしい。
「土方さんにはご迷惑な話だと思いますが」 普通ならば、本質が似ているからといって、惹かれてやまないからといって、本能レベルで男に言い寄られた日には堪らないと思う。
「その辺も、まぁ、似てる二人ですからね」 「はい?」 その言葉の意味するところを掴み損ねたのだが、真意を問うことはできなかった。
山崎の携帯が低く震動でメールが入ったことを伝えたようだ。
「おっと、すいません。長居しちゃいまして。噂話が聞こえたみたいです」 受信画面を確認して、渋面をしてみせた。
「では今日はこれで!」 グレイのケージを掴み、立ち上がる。 「いえ、こちらこそ引き留めてしまいまして…」 「では、また」
金時に勝算はあるのか? そんなことを自分が尋ねるのは野暮というものだろう。
静かに静かに閉じていく裏口の扉の重さと、 路地裏の暗さを思い、新八は深い深い嘆息をついたのだ。
sideY
クラブのオフィスを出たところを見計らったかのように、特殊警察機構に所属する山崎退の携帯が震えた。
「ハイ、山…って!いきなり怒鳴らんで下さい」 通話ボタンを押した途端に響き渡る怒鳴り声に思わず耳を遠ざける。
大体、先程メールで連絡をいれろと送ってきてから、ものの3分もたっていないというのに、第一声が『遅ぇ』というのは、いかがなものだろう。 相手に聞こえないように配慮しながら、ため息をつく。
「グレイは回収済みましたんで、今から、そっちに戻ります」 猫の件を持ち出せば、急に声のトーンが落ちていく。
上司にあたる土方十四郎とは真選組設立前に配属されていた警備部の頃からの付き合いだ。
当時から、土方は色々な意味で目立つ存在だった。 法学部を出ているらしいが、キャリアというわけではない。 申し分ない容姿のくせに、まるでチンピラのような柄の悪い口のきき方をする。 繊細かつ綿密な警護案を提案して周囲を驚かせたかと思えば、一度、警護対象の安全が確保されてしまえば、単独で行き過ぎた追撃と攻撃を続け、始末書を提出することもしばしばだった。
何があっても、真っすぐ背筋を伸ばし立っている。 人の評価など気にしない。
そんな土方が新設される組織に抜擢された時、確かにやっかみの声もあったが、大半は『特殊』な部門に移ることに異論はでなかった。 イレギュラーだと。
『地味』な存在が売りだった山崎はどこでも馴染める代わりに、周りに強い印象を残さない。 逆に土方のような存在は、あまりに『個』でありすぎて、どこにいても馴染まない、馴染めない。
しかし、本人も馴染まないことを苦にするでもない。
周りに興味がないわけではないが、こだわりがあるわけでもない。 かといって、無気力なわけでもない。
気難しい野性の猫科のように。 その懐に入ることは困難だ。 それでいて、一度懐に入れたものに対しては、迂闊なくらい気を緩めてしまう。 感情の起伏のようなものも、そこまできて漸く垣間見ることができるが、仲間内のごくごく一部のことでしかない。
彼の『特例』が現れることなんてないのだろうと、思っていた。 勝手にだが。
「なぁ、君はどう思う?」 助手席のケージの中で大人しく丸まる銀色の猫に聞いてみる。
2月のみぞれ混じりの冷たい夕暮れ時。
突然、土方は定時の退庁を近藤に申し出たことがあった。 真選組設立から初めてではなかっただろうか。
体調でも悪いのだろうか、なにかトラブルだろうかと心配したにも関わらず、あっさりと帰ってきたのは 「猫、拾っちまって。金髪天パーに預けてるから」 そんな一言。 開いた口が塞がらないとはこんな時に使うのだと思いました。 と、思わず作文調で語ってしまいそうなくらい驚いた。
人との接触が苦手でも、実は動物好きだなんて、ギャップ萌えだとかツンデレ萌えだとかそういうことではなく、自分が拾ってしまった野良猫を誰かに預けるという行為が、土方らしくないとおもったのだ。
更に驚くべきは、『グレイ』と名付けられたその時の猫は奇妙なルールの上で、今だ金時と土方の間を行き来していることだ。 すでに拾ってから4ヶ月はたっているのだから、怪我はほぼ完治しているはずであるし、栄養状態も改善されているから、ずいぶんとしっかりとした骨格と美しい毛並みになっている。 本来ならば、新八と話したように、多少目をはなしたところで、容態が急変するはずもない。
「土方さんもなぁ…」 ぴくりと小さな耳が動く様は愛らしい。
坂田金時という男の素性は山崎自身が調べた。
珍しい経歴の持ち主ではあるが、犯罪歴らしい犯罪はしていないようだった。 クラブ万事屋を含めバックに中国系マフィア夜兎と繋がりがあるにも関わらず、後ろ暗い商売に手を出している様子はない。 ないが、あまり土方の立場からは深い付き合いをしない方が良い類の人間だ。
「それでも…なぁ」
唯一種の存在は、類似種を見つけてしまった。
良かったのかと問われれば、良かったのだろう。 身近にいる人間としては、あっさりと搦め捕っていく金色の獣に悔しさを感じなくもないが。
「まぁ、旦那には勝てる気が微塵もしないんだけどね」
にゃぁ 当たり前だというふうにグレイが鳴いた。
車を目的地の駐車場に停める。
「ちょっと待っててね。この建物、君を連れて入れないんだ」 チラリと視線を上げ、諦めたように頭を落としたのを確認して、夜間診療口へと向かった。
あの時、やけに厳しい口調になった金時は気がついていたのだろう。 一応着替えてはいたのもの、シャワーまで浴びる暇などなかった。 硝煙と埃と、かすかな血の匂い。
そして、それが、土方のものであることも。 勘のいい男は察していたに違いない。
その予測だけで緩い顔に隠した本性を引き出してしまうのだから、 お互いどれほど影響を与え始めているのだろう。
仕事上、マンウォッチングは習慣のようなもので、無駄に気が付いてしまう自分を笑う。
土方は自分の感情を理解してるのか。
「怒鳴られにいきますか…」
恐らく、遅くなったこと。 警察病院への搬送が間に合わなかったから、貫通した肩を縫合するにあたっての麻酔の承諾書を急いで、一番近くにいる『身内』にサインを頼んだこと。
「理不尽だよな」
気まぐれな猫科ばかりが自分の周囲には存在している気がする。 今度は、誰に零すでもなく、ため息共にそう吐き出すと、意を決して薄暗い院内へと足を踏み出したのだった。
『Melting Point―standpointT―』 了
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