『gray』
灰色。
孤高なる白でもなく、 慄然たる黒でもなく。
そのどちらの要素をも 光の七原色をも 反射させ、あらゆるのみこんで、灰色になる。
なにもまぜないない白。 すべてをまぜこんだ黒。
白にはなれず、 黒になるにはナニカが足りない。
僅かなる配合でどこにでも所属できる色だ。
曇天の下。 土方はぼんやりと霙混じりの雨のなか、そんなことを考えていた。
「副長」 控えめに、部下が声をかけてくる。 「撤収、完了しました」
すでに配置していた人員のほとんどは、本部に帰っている。
「先に戻れ」 「副長は?」
土方は、一度、灰色の空を見上げた。
「俺は昼飯食ってから戻る」 「あれ?まだだったんですか?もう4時ですよ?」 地味な部下の質問に眉をしかめた。
「俺に食う時間あったと思うか?」 「そうでした…なかったですよね…」 警察庁での会議と銘打たれた昼食会に出ていた土方に、武器の密売の現場に沖田が突っ込んだ連絡が入ったのが正午すぎ。 公務のためと席を辞し、現場にたどり着いた時には、貸しビルの2階からは煙があがっていたのだ。
それから現場検証に、怪我人の搬送、壊れたビルの補償、諸々の事態の収集。 これで被疑者確保出来ていなかったら、目もあてられないところであるが、そこのところはしっかり、ちゃっかりとクリアしているところが、沖田が沖田たるところなのだろうが。
「じゃあ、先に戻ります」 「あぁ、俺も出来るだけ早くは戻る」 ライターで火をつけようとしたが、ジトジトと重たく水分を含んだ空気の為なのか、凍えた指先のせいなのか、うまく煙草の先を灯してはくれなかった。 舌打ちをして、歩きだす。 霙は、地面に落ち、雪のように白くなるでもなく、水のように流れていくわけでもない。 灰色だ。 アスファルトとどこからともなく舞い込む土がジャリジャリと氷に混ざり、鼠色にみせている。 ふと、目が延長線上にある灰色の塊に留まった。
汚れた雑巾のような塊。 車道と歩道の隙間に落ちていた。
『灰色』は微かに身じろいだ。
(あぁ…)
土方は、目をすがめた。
(生きてんのか…)
『灰色』の瞼がふるふると震える。
「どうする?」 足元に小さく問う。
ぼろきれのように横たわっていたのは、子猫だった。 土方の声が聞こえたのか、わずかだが、アーモンド型の瞳が開かれた。
「そこで終いにするか?」
なぁ… 返された返答は意外にも強く…
「そうか」
土方はため息と共に小さな笑みを零し、膝をついた。 そうして『灰色』を手の平で包み込むように抱き上げる。
本来は、放っておく方がいいのだ。
車に轢かれたようだから、外見はなんともなくとも、内臓は損傷しているかもしれない。 しかも、自分のアパートにすぐに連れて帰るわけにもいかない。 まだ、片づけねばならない仕事は、庁舎に残っているのだ。
自分らしからぬ衝動的な行動にため息を再びつく。
(さて、どうしたものか…)
「十四郎」 ふいに声がかかった。
「坂田…」
振り返ると予想に違わず、かぶき町ナンバー1ホストだという坂田金時が立っていた。 暖かそうな見るからに手触りのよさそうなカシミアのコートをきているというのに寒そうに背を丸めながら。
「何?それ」 土方の腕の中の『灰色』を覗き込む。
「…ネコ」 「いや、それはわかるんだけど。どしたの?コレ」
「…落ちてた」 「拾ったの?」 拾った…ことになるのだろうか。 確かに今更元の場所に戻すわけにもいかないだろう。
とりあえず、頷いた。
「で?」 「で…って言われても…病院に…」 「十四郎が飼うの?」
あまり考えてはいなかった。 ただ、ぼろきれのように横たわる『灰色』が、 いつか迎える自分の最期に重なった気がしたからだったのかもしれない。
「考えていなかった?」 くすりと笑う気配に眉を顰めた。
「…山崎に部下に里親探させ…おい!」 突然、金時の大きな掌が伸びてきて、自分のマフラーで『灰色』を包んだ。
「だって、寒そうじゃん」 「汚れる…」 「別に構わねぇよ…オメーこの後仕事は?」 「昼飯食って、署に戻るつもりだった」 「ふーん」 また、意味ありげに笑われて、眉間の皺を更に深める。
「なんだよ?」 「過去形だね。大事な仕事さぼって、病院連れて行ってやるつもりだった?」
「!」 確かに、そのつもりだった。 このままにしておくつもりは、もはや思考の何処かに飛んで行っていた。
「じゃあさ…」 包み込んだマフラーのまま、金時は『灰色』を掬い取る。 「この子、金さんが預かってあげるよ。今日は同伴ないから、まだ時間あるし、先に病院連れて行ってるから仕事片づけておいで?」
「でも…」 なんで、テメーがそこまで…といいかけた言葉は、金髪の指で塞がれた。
「この子に過去の自分を重ねていたなんて、言ったら笑われるかもしれないけど…」
表情筋の動きだけみるならば、確かに笑っているはずのホストの顔が、なぜか泣いているように土方には見えた。
一呼吸のちには、もういつものおどけたような口調に戻り金色が笑う。
「十四郎に拾ってもらえるなら、うらやましいじゃない」 「…なんだ、そりゃ…」 アホかと傘を握り直しながら、土方は短くなった煙草のフィルターを噛みしめる。
「で?」 「で?って何?」 「どこの病院連れてくんだよ?」 「あ、あぁ。駅前に確か1件あったと思うから、そこに行くつもりだったけど… 店からも近いし。ちょっと、抱っこしていてね」
子猫を再度、土方に渡すと、名刺を取り出し、裏に何やら書いて土方のスーツに押し込んだ。 「俺の携番書いたから、終わったら連絡頂戴」 「分った…出来るだけ早く片付けて行く」 そう言いながら、既に頭の中は、この後の予定を組み替え始める。
(こりゃ、またメシ抜きだな…)
「じゃ、連絡待ってるから…」 「おう」
二人はお互いの目的地に向けて踵を返した。
じゃりじゃりと踏みしめる氷混じりの道は、防水加工をしている靴であっても、足の指先から凍えさせていく。
なにもまぜないない白。 すべてをまぜこんだ黒。
白にはなれず、 黒になるにはナニカが足りない。 自分の未来のようだと思った『灰色』 『灰色』を自分の過去のようだと言った金時。
相反するベクトルなようにも、 そこにナニカが横たわっているようにも思えて…
「寒いから…な」
足早になる理由を、そんな風に位置付けて、土方は冷たいアスファルトを蹴って進んだのだった
「定時まわってから帰るんだから、気にしなくていいのに。 でも、珍しいな、トシがこんなに早く上がるなんて」 上司に、一応早く退庁する旨を伝えると、朗らかに笑われた。
昼食は諦め、最優先で片付けなければならない仕事だけすませる。 新しい厄介事が舞い込む前に何とか段取りをつけ、『灰色』を迎えに行かねばならない。
部下を呼びかけて、逡巡する。 『灰色』の引き取り手探しを頼もうかと思っていたが、明らかな私用だ。
(小学生か…俺は…)
衝動的に手を伸ばしてしまったが、飼えるはずもない自分がした行動はあまりに軽率だった。
(まぁ…病院行って様子みてから…)
トンッと分厚いファイルを書棚に戻すと、上着を手に職場をでた。
とりあえず、駅に向かいながら、名刺に書かれた番号を携帯に表示させる。 時刻はすでに18時を回った。 夜の商売を糧とする金髪天パも、そろそろ店に出向かなければならないのではないだろうか。
(あの野郎に借り作っちまったな)
つい、自分自身の突発的な行動に頭がついて行かず、金時の言葉に甘えてしまったが、彼自身も仕事に向かう途中だったはずだ。
携帯はコール一つで繋がった。
『十四郎?』 こちらが声を発する前に、受話器の向こうから名を呼ばれる。
「…よく…わかったな」 『うん。これプライベート用だから。知ってんの数えるくらいしかいない』 ククッと何やら嬉しそうな声で笑い声が聞こえ、世話になったなどという先程までの殊勝な気持ちは吹っ飛んでいく。
「何笑ってやがる?腐れ天パ」 『これ、十四郎のもプライベート用のでしょ?』 「あ?」 『前にもらった名刺の番号と違うからさ。思わぬことで携帯番号もらえたなと…』 「阿呆か!テメーにかけることなんざ二度とねぇ!」 「ま、ま、そういわず。今グレイの診察終わったところなんだよね」
「あ…」 ようやく、本来の主旨を思い出す。 この金色を前にすると、どうしてもペースを崩されてばかりだ。 「まだ病院にいんだけど、来れそう?」 「すぐ、行く」 パチンとフリップを閉じて、土方は先程地図で確認したばかりの動物病院に足を早めた。
「金髪」 「金髪じゃなくて金時」 少しむくれたように、派手なホストは、待合室のソファに場違いなほどくつろいだ体勢で言い返してくる。 「あ゛?金天然パーがよかったか?」 「いや、髪から離れてくんない?…」
「『灰色』は?」 「あ?あぁ『グレイ』のこと?」 スルーですかコノヤローとブツブツといいながらも、金時は答えてくれる。
「勝手に名前つけんな」 「オメーこそ、『灰色』ってどういうネーミングセンスだよ」 「いいんだよ!下手に名前つけても新しい飼い主見つけるまでの仮称なんだから」 情が移っても、困る。 少しばかり、人の気持ちに鈍い土方ではあるが、その分、一度懐に入れてしまうとトコトン許してしまう傾向を自覚していた。
「あ、やっぱオメーん家、飼えないんだ」 「………」
ケージの中で、『灰色』が、小さく身じろいだ。 金時の説明によると、前足と肋骨を折ってはいるが、幸いなことに内臓には損傷がないらしい。 ぼろ雑巾のようだった、小さな生き物は綺麗に洗われて、見違える容姿に変貌していた。
「美ネコさんになっただろ?」 土方の視線に気がつき、金時がにこやかに笑った。 確かに、灰色一色かと思われたその色は、白に近い淡いグレーの同系の虎柄が入り、どちらかというと『灰色』から『銀色』に変わっている。 麻酔が残っているのか、とろとろとまどろむ様子は、小さい生物特有の庇護欲をそそらせる。
「もうこのまま連れて帰って良いって言われてはいるけど…まだ子猫だから、しばらく、眼を離さないようにって言われたけど…」 「あぁ…」 土方のマンションに連れて帰れないことはないが(もちろん大家には無断で)、不規則な仕事をする土方が、それほど時間を子猫に充てることは難しい。
「せめて今晩…ここで預かってもらえないよな?」 「ここで…って病院?難しいんじゃない?」 そうだよなと、無意識にこめかみに手をやり、押さえる。
「俺預かろうか?」 「は?」 突然の申し出に思考を止める。
「だから、うちのマンション、ペットOKだし。 今日はもう休みとったから、明日の夕方まで大丈夫だし、 店に短時間ならぐらいなら置いておいても大丈夫っしょ。 ここまで付き合ったんだから、引き取り手が見つかるまで」 「いいのか?」
「外ならぬ十四郎のお願いならね」 ニヤニヤと笑う。 取り繕ったホストの顔ではない、どこか悪戯っ子のような笑いに脊髄がなぜか反応した。
「…いや、自分で何とかする。テメーに頼ると何か取り返しのつかねーことになりそうな気がする」 「失礼だな!オイ。そりゃ、金さんは十四郎とニャンニャンしたいけどさぁ」 「うまくねーよ」 「じゃあ、どうすんの?このコ」 ぶるりと震えた『灰色』を再び見る。
「仕方ねぇか…」
金色のもしゃもしゃと灰色のふわふわを見比べ、深い深いため息を土方はついた。
灰色
白にはなれず、 黒になるにはナニカが足りない。
僅かなる配合でどこにでも所属できる色を見にまとった、小さな生き物は、 黒に拾われ、金の元に預けられる。
金と黒を行ったり来たり。 二つの色が融解する点を見定めながら、
灰色は密やかに なあ と鳴いた。
『Melting Point―gray―』 了
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