『etranger』
「すまんトシ!今日は定時に帰る!」
突然、上司にそう声をかけられたのは、朝イチのことであった。 「それは構わねぇけど、11月1日付で提出の決裁だけは今日中に終わらせといてくれよな」 ガハハと豪快に笑うゴリラに近い形状をした、直属の上司にして、武装警察真選組の局長である近藤に重たいため息をついてみせる。 「あ、それ、トシに任せた。俺どうせみてもわからんだろうし!印鑑押しておいてくれ」 「いや、一応アンタ、ここのボスなんだから」 まだ一日の始まりであるというのに、最初からあきらめているようだ。 だが、そんなことは今に始まったことではない。 (ここに引き抜かれてきた時から分ってたことではあるんだけどな…) 副局長を務める土方十四郎はもう一度、重たいため息をついた。
「あれ?土方さん、まだ残ってたんですか?」 外勤から戻ってきた、山崎退は暗くなったオフィスに、自机の上だけ電気をつけて、残業をしている土方を認めて声をかけた。 「おぅ!もう、終わる」
予告通り、近藤は午後5時きっかりに猛ダッシュで庁内を飛び出していった。 結局終わらなかった書類の山は土方が片づける羽目に陥るのだ。
近藤と土方の付き合いは長い。 中学からの先輩後輩。 同じ郷里から上京してきた幼馴染だ。 同じ警察庁に入庁したことは知っていたが、近藤は公安、土方は警備部に配属されていたため、なかなか会う機会がないまま時が流れていたのであるが、この真選組の立ち上げにあたり、また、同じ場所で過ごすことになっていた。
まったく新しいタイプの警察機構。 過激化する外国系マフィアに対して、今までにない武力と独自の法規をもって対処することが許された機関である。 警察庁長官松平が立ち上げた、この新しい組織のトップに大抜擢されたのが近藤だった。 彼は大きな器を持って、人を惹きつけるカリスマは確かに持っていたが、策略や事務方面に関してはまったくといって、その能力が開花したことがない。 それもあって、警備部の通称SPと呼ばれる部署にいて要人警護を担当していた土方がわざわざ引き抜かれたのだ。 確かに土方は法学部の出であったから、公文書や法規、例規を読むことに苦手意識もなかったし、もともと要人警護等といった『護り』の仕事を得意と出来る性格ではあるとはいえなかった。 もちろん、近藤の人柄に魅かれ、力になりたいという気持ちも十二分にあるから異動に何の異議もなかった。 さらに付け加えるならば、『真選組』という組織を自らの手で立ち上げ、育てていくことに興味があったので、そのことに労を厭うつもりはないのだが…
最近では、あまりの雑務の多さに辟易としてきているのが正直なところだ。 同じ郷里から出てきた、これまた後輩の沖田総悟が止めどなく作り出す、始末書と請求書の山。 捕獲の度に寄せられる苦情の対応。 そして…
ブブブブ… 土方の携帯が震動し、デスクの上で鈍い音をたてる。
着信は『スナックすまいる』
「山崎、俺は近藤さん拾って帰っから、あと片しとけ」 「またですか?」
この山崎は、土方が警備部から引っ張ってきた人材だ。 土方自身が手足として使える人間が欲しかったから。 地味な外見と性格ではあるが、その情報収集能力に関しては定評がある。 察しの良い彼は気の毒そうに土方に肩をすくめて見せた。
今日何度目になるため息なのか。
既に数えることは諦め、土方は急いで、最後の文書をプリントアウトし、 すっかり目を覚ましたかぶき町へとむかったのだった。
行き交う人の群れ。 雑踏を足早に進む。
人混みにいくら揉まれても、囲まれてみても、いつも感じる違和感はなんなのだろう。 ここが自分の居場所なのか。 殺伐とした緊張感が自分を覆うときだけ、生きていられる気分を味わう。
今日はいつもより強くそれを感じてしまうのは、思い思いに仮装し、着飾って浮足立つた人々の様相のせいだろうか。
ヴァンパイアに、フランケンシュタイン、ミイラ男に、魔女… 男も女も、老いも若きも、グロテスクにメイクを施し、お祭り騒ぎ。 ここまで盛り上がることができるのは、流石かぶき町というところだろう。
百鬼夜行か、黒夜会(サバト)か。
土方は、異界に迷い込んだ気分になりながら、 ようやく目的の店−『スナックすまいる』にたどり着く。 扉に手をかけた時だった。
「土方?なんでこんなとこいんの?」 「テメーこそ…何してやがる?クサレ天パ」 声の主は、最近よく出会うようになった『ホストクラブ万事屋』の坂田金時だった。 自由奔放に跳ねた金髪、やる気なさそうな目元を除けば、整った顔立ち。 今日は、吸血鬼の仮装のつもりなのか、黒いマントにシルクハットを身につけていた。
「どうぞ」 ついっと手を伸ばし、開けかけていた扉を先に開けて、店内へとエスコートする。 (ホスト特有の間合いなのか?) さりげない仕草であるが、かなり距離が近い気がする。
「なんでテメーまでついてくんだ?客か、テメーの女でも働いてんのか?」 煙草を携帯灰皿に押し込む。 「ひどいな。オンナとか…これでも土方一筋なんですけど〜」 「嘘くせぇ」 瞬殺してやる。 (ホストの戯れ事に付き合ってられるか)
「本当なんですけどぉ。 実はうちのマネージャーの姉貴がここで働いてんだけどね。ストーカーにあっててさぁ…」 「……ストーカー?」 嫌な予感に土方は襲われた。その沈黙に気がつかない様子で金時は続ける。
「コスプレして気が大きくなってたのか、いつもよりしつこかったらしくて…あんまりだから姉貴がのしちまったらしいんだわ… そいつがまた暴れないようにヘルプに…と」 「近藤さん!」 金時の言葉を最後まで聞くことなく、土方はフロアに駆け込んだ。
今日のイベントなのか、スタッフはもちろん客もハロウィンの仮装を決め込み、異様な雰囲気を醸している。 「!」 フロアの隅に転がる大柄な男をみつける。 本来、狼男の扮装だったらしいが、完全にノックアウトされ、包帯でぐるぐる巻きにしばられた姿はもはやミイラ男といった方が似合っていた。
「あ、土方さん」 魔女の格好をした若い女が近づいてくる。 「妙さん。またご迷惑かけたみたいで…」 「本当ですね。ゴリラはちゃんと躾ておいて下さらないと困ります」 いつもなら近藤さんはゴリラじゃねぇと反論するところだが、ストーカーしているのは事実であるし、あまり表沙汰にされたいことではないので、拳を握る。
「代わりに土方さんがお金落として…じゃなかった、楽しんでいって下さいね」 「いや、俺は…」 丁重にお断りして、早くこの馬鹿騒ぎから抜け出したかった。
「飲んでいかれますよね?」 有無を言わせぬ妙に負け、首を縦に振るしかない。
「ちょっと、妙。土方君は俺の大事な人だからね」 にょっと、土方の身体を背後から抱き込み、それまで空気のように様子をみていた金時が口を挟んだ。 「アラ、金さん。お知り合いだったの?」 「まぁね。まさか、ゴリラの飼い主だとは知らなかったけどさ。土方君は赤い糸的な人だからね。コレ」 ほぼ、同じ身長であるから、後ろからだと土方の肩に金時の顎が乗せられる形になる。 頬に触れるフワフワした天然パーマがくすぐったかった。 ふざけるなと、怒鳴りたいところであるが、アウェイ感たっぷりの今の状況では、様子をみるしかなかった。
「そうなの…」 妙の瞳が、その光彩がキュッと絞られ、値踏みするような視線が土方の上を這ったのは一瞬だった。 「じゃ、土方さんの分は金さん持ちね!ピンドン入りま〜す」 きゃ〜と歓声があがり、再び10月晦日のイベントが再開された。
「おい」 さすがに直ぐに帰るのも悪いかとフロアの隅へと移動しようとしたのだが、相変わらず回された腕は離れる様子がないので、低く声をかける。
「なに?」 「いい加減手ぇ離せや」 「なんで?」 「なんでって…動けねぇだろ?近藤さんの具合も見てぇし」 少し緩んだ隙に抜け出す。 「さっきから気になっていたんだけどさ。ゴリラとどういう関係なわけ?」 「幼なじみだ」 「ただの幼なじみがこんな深夜に?真選組の副長さんが?わざわざお迎えにくるんだ?」 先程の会話から今日が初めてではないことに気がつかれたらしい。
「……」 「なぁ…そんなに大事な人なわけ?ゴリラは」 だが、近藤が真選組の局長なんてものだなんて気がついていないなら、それにこしたことはない気がしたが、妙に拗ねたような物言いにごまかすことはやめた。 「大事だな。大将だからな」 「大将?」
賑やかな人々に目をやる。 あのヒトの輪に入ることができない。 いや、正確に表現するならば、入る気にならないのだ。 疎外感に傷付くわけでもない。 孤独を感じるわけでもない。 ただ…居場所がなかったから、落ち着かない。
「近藤さんはいつでも、俺に闘う場所を、居場所を与えてくれるからな」 なぜこんな話をまだ会って間もない男に話しているのか、土方自身にもよくわかってはいなかった。
「あの中には入れない」 抱きしめる腕が気持ち良かったからなのか、同じような匂いを感じるからなのか。 ただ、この男なら伝わる気がしただけだったのかもしれない。
「そうか…でもね、たまにはゴリラ以外を通して入ってみてもいんじゃね?」
おもむろに金時は身体を離し、携帯を取り出した。 それを機に近藤のそばにひざまづき、具合を確認する。 気を失ってはいるが、延びている原因の半分は酔いもあるようだ。 そして、金時の通話内容を背で聞くともなく聞いていた。
「あ、新八?うんゴリラ片付けて今日は上がっから。え?知るかよ。オメーがゴリラ退治行けっつったんだろうが。たまには休ませろ!」 「あ、晋ちゃん?わり。すまいるで延びてるゴリラ自宅まで送ってくんね?あ゛?いや処分じゃなくてVip扱いで頼むわ。うん、届け先後でメモしとくからよ」 パチンと携帯電話のフリップを閉じる音。
「あ、これ貸してね」
1件は金時を寄越したというマネージャーか。 もう一件もなんとなく想像がついた。 恐らくは、かぶき町で何でも屋を営む高杉。 高杉ならば、とりあえず土方の顔に免じて近藤に無体なことはしないだろう。 だが、そんな依頼をしてもらう謂れはない。 自分が迎えに来ているのだから。 そう思い断ろうと、振り返ったところで、いきなり真っ黒な布が土方を包み込んだ。
「な…」 「Trick or treat?」 「は?」 「お菓子なんか土方君持ってないだろうから、悪戯確定ね」 布の中へ手が忍び込み、土方の頭や手に何やらつけていく。 「じゃ〜ん」 急に視界が明るくなり、違和感ありまくりの自分の手をみる。 「あ゛?」 グローブのような黒い猫手。 よく磨かれたガラス張りの壁に映る自分をみて絶句する。 黒い猫耳と器用にベルトに結び付けられた尻尾。 「おぉ!やっぱクロネコさん似合うわ」 「テメっ」 しゅるりと金時は自分の付けていた赤いボウタイを抜き、土方に首に巻き付ける。
「だから!なんなんだっ?!」 「え?首輪的な?金さんの的な?」 「はぁ?」 唐突な展開に面食らう。
「勝負しようぜ?」 そして、妙に色香のこもる声で金髪は言った。
「いや、意味わかんね」 「仕事の時はゴリラでもいいからさ。それ以外の時間でいいから、俺に少し頂戴よ」 これが、女であれば堕ちるんだろうなと、急に煌めく目に感心をする。 「だから…」 「今から飲み比べして、俺が勝ったら土方君をお持ち帰り。土方君が勝ったら…うちのボスに会わせてやるよ」 「……『神楽』か」 確かに金時のホストクラブのオーナーは夜兎日本支部の長。 勝てば、なかなか姿を見せない夜兎日本支部の長に接触させるという。
「自信たっぷりだな…」 「ん〜俺さっき店でもう飲んでるけど、これはハンデね?」 それでも逃げる?と暗に言われていることに気がつき、カチンときた。
「受けてたとうじゃねぇか」 「そうこなくちゃ!すみまっせ〜ん。ボトルでドンドン持ってきてね」 肩を掴まれ、座らされる。 「では!土方君と金さんの未来に乾杯〜」 「誰と誰の未来だ?!ゴラァ!!」 猫手袋を叩きつけた。
吸血鬼の格好をしたかぶき町No.1ホストと黒猫姿の真選組副長の一騎打ちが、饗宴が始まった。
「あ?」 ゆらゆらと身体が揺られている。 頬にあたる体温が心地好い。 土方は瞼を押し開けた。 視界に広がるのはふわふわした金色。
「目、覚めた?」 身じろいだ気配を感じたのか、金時が声をかけてきた。 「信じられねぇ…」 飲み比べの途中から記憶がない。 どうやら土方は寝落ちしてしまったようである。 しかも、金時に背負われているこの醜態…
「疲れてたみたいだしね」 慰めるかの物言いに、ひっかかりを感じる。
「テメーは何で俺なんかに構うんだ?」 恐らくは、後日確認させた情報によると、確かにこの金髪天パはかぶき町No.1らしい。 女に不自由することはないだろうし、自分のような職種の、しかも柄の悪い男をからかう標的にする意味が理解できない。 「エトランゼって言葉知っている?」 「フランス語だったか?異邦人?」 「そう、それ。なんだかねオメー初めてみた時、群れから離れた羊?いや、ちげーな…孤狼か…ま、そんな感じに見えてさ」 「……同情か?」 「うんにゃ、どっちかっつーと同族意識かな」 自嘲気味に笑うのが、背中越しだというのにわかる。
「なのに、オメーは真っ直ぐ立ってるからさ…」 だからかなぁ…今度は何がおかしいのか、くつくつと笑い出す。 (コイツも同じなのか…) 自分でもきっと、ハッキリと整理できているわけではないのだろう。
「で?今俺は今何処に運ばれてんだ?」 「俺んち。お持ち帰りつったんだろう?」 金時の言葉に慌てて、背から降りようと暴れたが、どういうわけだか、しっかりホールドされていて足を地面に付けることは敵わなかった。
「いや、冗談だろ?」 「いや、賭けたよね?武士に二言はねぇとか時代錯誤なこと、言ってたよね?」 「う…」
言ったような気がしないでもない。
「大丈夫大丈夫。金さん紳士だから、土方の嫌がるようなことしません。うちに来て飲み直したいなと」 「そうか…」 そういうことなら…やっと背から降ろしてもらったものの、腕はしっかり掴まれたままだ。 「ま、ちょっと撫で回したり、舐めたりするだけだから」 「な?!何処が紳士だ!!ゴラァ!!」
奇妙な二人組は結局そのまま、揃ってかぶき町を後にしたのだった。
『etranger』 了
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