【四之五】
―黒捌―
現場に着き、自分の予測が正しかったことを痛感する。 けたたましく鳴り響く、消防車のサイレンの音。 一部倒壊した建物。
そして 子どもたちに大きな声で呼ばれながら、揺すられる男の姿。
銀色のすっかり見慣れた天然パーマネントの髪が、人々に囲まれている。 意識はあるようだが、やたらとチャイナ娘も、メガネも大きな声で名を呼んだり、大丈夫かどうか尋ねている。 洩れ聞こえる言葉から推測するに、どうやら耳をやられているらしい。
凡庸とした、魚が死んだような目はいつものことだが、その視線がふらふらと辺りを頼りげなく彷徨い、土方を捕らえた。
なんて顔をしているのか、この男は。 無意識なのだろうが、 本当に嬉しそうな、それでいてどこか泣きそうな顔をするから、風がまた吹き始めてしまうではないか。
目の前の男が無事だと、
それだけで、泣きたくなるほど、あちらこちらが痛い。
(…痛い?)
痛かったのは誰だろう。
なぜ銀時は自分を見て、辛そうな顔を未だにしているのだろう。
銀時を、この数か月、振り回していたのは自分だ。 だから、解放した。
これまで、散々頭を悩ませた言葉遊びも、 お互い、ただの意地の張り合いでしかない掛け合いも、 身内の自慢話も、
この数か月、二人で紡いだ言葉は山ほどあったというのに。 ただ、道端で悪態を付き合っていたころが懐かしいと思った。
ただ、変な気を使わせないですんでいた時に戻れたら。
お前だってそう思っていただろうに、なぜそんな顔をするのだろう?
土方に気がついて、メガネが近寄ってきて状況を説明してくれる。 大体、山崎達監察が報告してきている内容と差異はなかった。
土方は、地味な部下を呼びつけ、2、3質問をしてから、銀時の傍に跪いた。
「土方」
土方の声はおろか、自分の声も聞こえないからだろう。 少しいつもより大きめの声で銀時は土方を呼んだ。 携帯を取り出し、メール画面を起動させると、筆談の代わりのつもりで画面をこちらに向ける。
『今救急車を呼んだ』
「俺このままかな?」
土方はまた、ポチポチと文を綴る。
『ドSは打たれ弱いな』 画面を見せながら、心配そうな神楽たちを視線で示してやる。 普段の彼ならば、強がりであっても、彼女たちの前でそんなことは言わない筈だ。
「打たれ弱いよ?土方君みたいなドMが羨ましいわ」 『ドMじゃねぇよ』
「土方、貸して」 子どもたちに聞かれたくない話なのか、 自分の声が聞こえないと、やはり違和感があるのか、携帯電話を手にとり、携帯を借り、画面を見つめた。
少しの間が流れる。
一度目を閉じ、何か考えているようだった。
ざわざわを心の内を、また風が吹き始める。
風の音。 木々を鳴らす風のざわめき。 降り積もる、雪の音。 みぞれが叩きつけられる厳しい冬の音。
それらが代弁する心の音。
『大っ嫌い』
そう言い、悪ふざけで無理やり片づけようとした自分へ、銀時は今更何を話そうと思うのか。 そして、期待をしてしまう意地の汚さ。
一度、大きく息を吐いて、文字を携帯へ打つとくるりと画面をこちらに向けてきた。
『好きな人はいますか?』
土方が文字を読んで、固まった。 何を言っているのだ? 問われている意味が、真意がわからない。
『まだ、間に合いますか?』 言葉遊びをしているつもりなのか。 皮肉なのか。
『土方くんをみていると、なかせたくなります』 「は?」 とうとう、間抜けな声が零れ落ちた。
『俺だけに啼き顔みせて』
「おや、土方さん。ドSにとっちゃ、こりゃ熱烈な愛の告白に他ならないでさぁ」 土方の背後から、にょっと顔をだした、沖田がそう茶々を入れてくる。
次の瞬間、気が付くと、土方は思いっきり銀時に蹴りを入れていた。
「土方」
巡察途中、後ろから声がかかる。 聞き覚えのある、緩く、それでいて、低く、耳触りの良い声。
「土方」 また、呼ばれた。 でも、聞こえないふりをして、歩を進める。
少しずつ、春へと移りゆく。 空の色が、冬ほど澄みもしないくせに、 かすみをのせて、淡い青を一面に広げていた。
風は
「土方!」
穏やかな風が、突如、春一番と呼ばれるような強さと、強引さをもって巻き起こった。
腕を掴まれて、無理やり声の主の方へと向かされる。
「あんだよ?」 口に煙草を挟んだまま、土方は漸く答える。 「オメーさっきから呼んでんの聞こえてたんだろうが!無視はよくねぇよ?」
大江戸病院へ運ばれ、精密検査をした結果、銀時の聴力障害は一過性のものだった。 ほんの数日で改善されたらしい。 らしいというのは、それから1週間、姿を見ていなから、山崎の報告書で知ったから。
見舞いにも、行かなかった。
「無視じゃねぇよ。俺は巡察中だかんな。善良な一般市民の訴えしか耳に入んねぇんだよ」 「銀さんもちゃんとした一般市民ですぅ。ちゃんと納税してますから」 今まで通り、公道で交わす憎まれ口。
「良くいうぜ。どうせ消費税とかそんなオチだろうが!」 「いや、他にも払っているはずだよ?うん!銀さんはちゃんとした自営業主だからね」 「嘘ぶっこいてんじゃねぇよ」
これで、いい。 あんなことをしておいて、最悪に事態は避けられたのだと安堵する。 こうやって、言葉の応酬を重ねている間だけ、彼の瞳は自分を視界にいれてくれる。 これ以上何を望むだろう。
「嘘じゃありません〜。少なくとも…」 いつの間にか、銀時の手の中に土方の携帯が握られていた。
「テメっ!?何勝手に…」 「少なくとも、コレでやり取りした話は嘘じゃないからね?」
人が無かったことにしようとしているのに、何を蒸し返してくれるのだ?
「何言ってやがる。あのわけわかんねぇやり取り何ぞ忘れちまった」 「はぁぁぁ?消したとかいう?まさか消したとか言っちゃうんじゃねぇよな?」 ぐっと詰まる。 大した意味など無かったのでないのか? 沖田が言ったように、ドSの悪ふざけ。
凍りついた空が、晴れる季節になる頃には、きっとマシになっていると思っていたのに。
携帯を無理やり取り返そうとしたが、銀時の指がぴくりとも指が離れない。
「大した意味はねぇだろ?あん時テメーおかしかったし」 「確かにおかしいよ?俺」 澱んだ目の奥にちらちらを見える光はなんだ?
「自覚あんのかよ?」 「うん。ずっとおかしい。オメーといると」 「あぁ?そりゃ悪かったな」 離れない指を本格的に引きはがそうと、両手を伸ばしたが、それも阻まれる。
「男なんてありえねぇ」 突如、目の前の銀色の男は真っ直ぐ自分を見ていった。
「おぅ、知ってる」 そんなことは分っている。 だから、なんだというのだ?
「ありえねぇ筈なのに、オメーだけは別とかいったら怒る?」 「怒る…っつうか、それこそありえねぇだろ?」 何が言いたい? また、言葉遊びだろうか?
「だと、思ってたんだけどね…」
携帯を緩やかな動きで返してくれながら、やはり困ったように頭を掻き毟っていた。 好き勝手に飛び跳ねた天然パーマがさらに、可哀そうなことになっている。
「あ〜、悪いけど、銀さんは束縛するタイプだからね。 亭主関白だから!っていうか、そこは譲れないから! うん。既にムラムラしちゃってるから…」 ぶつぶつと零れ落ちる言葉の意味がわからない。 いや、わからないこともないが、かたまった頭はフリーズしたままだ。
また、一陣の風が吹く。
「いくぞ」
手を取られ、ひかれた。
自分の目の前を、 自分の手を引きながら歩く男の背を眺め、そして、春へと移りゆく、流れる雲をみつめた。
風は相変わらず、音を立てて吹いている。
けれども、 淅瀝も、凛とした心根で聞けば、これまでとは違う響きがそこには存在しているかもしれない。
そう思った、春の日だった。
『淅瀝―雨雪の降る音、風の吹く音』 了
『淅瀝』完結です。 ここまでお読みいただきありがとうございました。
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