【四之三】
―銀伍―
「副長?」 店の戸を開いたところで、一足先に暖簾をくぐった土方が声をかけられた。 「原田」 頭がツルツルとした恐持ての真選組の十番隊隊長が私服で通りかかったようだ。
「珍しいっすね。あ、そうか明日オフでしたか」 「テメーは中勤務だったか」 「なんで、軽く腹拵えしてから深川あたりに繰り出そうかと…土方さんもどうです?」
入口を塞がれているから、二人の話を聞くとも無しに聞く嵌めになる。 ハゲとの会話から、窺い知れる花街での土方。 さぞや、この目元涼しげな男はモテることだろう。
ザワザワと腹の中でナニカが騒いだ。
「いや、俺は…」 「土方ぁ…気分悪ぃ」 ムカムカと沸き起こるは吐き気なのか? 土方の肩に背後からのしかかりながら、訴えてみる。
「え?万事屋の旦那?」 「あ?あぁ。テメーらだけで行ってこい。ねぇさんたちによろしくな」 「了解」 軽く手を挙げ、去っていった。
「クソ天パ…気分悪いんなら、水一杯もらってからでるか?」 「それより、風に当たりてぇ…」 「オイ…そこで吐くんじゃねぇぞ?」 「冷てぇなぁ。仮にも惚れてる相手だろうが」 「それとこれは話が違ぇだろうが」 困ったような顔をきっとしているのだろう。 後ろからではわからないが。
すんと鼻くうから、煙草と少し汗ばんだ男の匂いがした。
「オイ」 低く、呼ばれる。 「あ゛?」 「歩けねぇわけじゃないんだろ?とりあえず、動くぞ」 そう言いながら、一歩、歩を進められ、乗せていた額が宙にういた。
本当は、そこまで酔っているわけではない。 現に、醒めはじめた酔いのせいで、どこかしら肌寒くなってきている。 土方の体温がひどく名残惜しく感じるぐらいには。
「おんぶ〜」 「ウルセ。この酔っ払い」 銀時の傘を差し伸べられる。
雪がまだ少し降っていた。 冷徹な鬼の副長なんて呼ばれているくせに、変に面倒見がいいというか、人が良いというか。
「あんだよ?」 「いや、なんでもねぇ」 視線に気づき、怪訝そうに眉がしかめられながら、傘を受け取った。
「なぁ…」 並んで歩きながら、ぼんやりと疑問をまた口にする。
「あ゛?」 「オメー、ホントに俺の事、好きなの?」 「この酔っ払いの腐れ天パ何言って…」 「なんかさぁ…別に俺とどうこうなりたい訳じゃねぇみてぇだし」 バレンタインの時の行動でも、明らかに、目の前の男は自分に気持ちがあるのだと解る。 解るが、それ以上でも、それ以下でもない、そんな何とも中途半端な事態。
「……」 「正直さぁ…銀さんもアレだ。 あんまりべったりオカマみてぇに引っ付かれんのもごめんだけどよ」 土方からは何も応えがない。 何か、悪態の一つも返ってきてもよさそうなところであるのに。
「まぁ、フクチョーさんがどうしてもって言えば抱いてやんねぇことも…」 止めておいた方がいい。 これ以上は。 そんな警鐘が、酔いの残る頭の隅でなっていた。 それは聞こえていたのだ。
「…き…だ」 街燈の光は、黒い番傘の下の面に影を落とす。 呟くような声を聞き返す。
「ん?」 「…嫌ぇだ」 ぽつりと紡がれたのはそんな言葉。
「は?何言って…」 「テメーのこと大嫌ぇだから」
自分を好きだと言ったのは土方の方だ。
「だから、冗談だ。テメーをからかってただけだ」 「は?なに言ってんの?冗談にしてもどんだけ引っ張ってると思ってんの?今更…」
おかしなことを言う。
冷たい風が、 冷たい氷の粒を運ぶ風が、 弥生の夜に今だ吹きすさんだ。
「安心しろ」 眉間に縦ジワを標準装備した男の顔がくしゃりと歪んだ。
「テメーのことなんて大っ嫌いだ」
それだけ。 それだけを口にすると、男は踵を返す。
「ちょっと!ひじ…」
傘を持たない方の手を延ばした。 延ばした指先は、微かに土方の黒の羽織の袖に触れただけ。
一歩が踏み出せない。 踏み出せないから、冷気で悴み始めた指をするりと、呆気なく擦り抜けた。
そのまま、距離を置いていく土方の後姿に、銀時はただ、再び声を失い、 自身の耳にはいつまでも、 風雪の音と、 掠れた、銀時を拒絶する言葉が残ったのだった。
―黒陸―
「テメーのことなんて大っ嫌いだ」
自分で放った言葉に痛みを感じるだなんて なんて弱くなったのだ。
風雪の音だけが、 あの日から 頭の中から離れない。
「副長」 静かに、執務室の外から声がかかる。 応えを待たずに、障子は開けられた。
「どうだ?」 潜入捜査中の山崎がそこにはいた。 「はい。過激派をうたう新しい連中が何やらきな臭い動きを起こしてます」 少し、落とした声で、淡々と報告を始めた。
情報を集める山崎の言葉を読み取り、布陣を敷き、近藤に安心して采配を振るってもらわなければならない。 己が唯一の大将の為に。
いつまでも、風の音に捕らわれているわけにはいかないのだ。
「…以上です。この後どうしましょう?」
「今は誰が詰めてる?」 「篠原が張ってます」 煙草に火をつけ、天井の模様を眺める。
「なら、そのまま残しておけ。テメーは標的にされる可能性のある大使館の見取り図を抑えろ」 「簡単に言ってくれますね…」
苦虫を潰したような顔をしてるのは容易に想像つくが、取り合わない。 おおよそ、既に手に入れていることぐらいお見通しだ。
そして、腰を上げた。 近いうちに、とある天人の大使館の地球来航〇年記念の式典に合わせて、爆弾が仕掛けられるだろう。 本来であれば、それを事前を事前に抑えることが最善なのだと思う。 だが、起こす『予定』は『予定』であり、確たる証拠もなく、否確たる証拠があってさえも、背後に天人間の勢力争いが潜んでいる限り、むやみやたらと手を出すことは出来なかった。
攘夷志士を装った天人の権力争い。
だが、『攘夷志士』と冠を付ける限り、『真選組』に火の粉は降りかかる。
近藤の耳にも入れておくべきか。
こうやって仕事をしていれば、風の音が少し遠のいる気がする。
そこへ携帯電話の着信音が加わった。 自分のものではない、その音は、同席する山崎の物に他ならない。
「了解。被害の確認と、配置を」 山崎が電話の相手に素早く指示をだしている。
空気が固い。
「副長」 「おぅ。もう動きやがったか…」
予定より早い。
「大使館の庭園整備にまぎれこんでタイマーを仕掛けようとしたところを目撃されて、そのままドカン」 「性質が悪いな…」 暴れる口実を奪われたような気持になって、眉を顰める。
「で?被害は?」 「どうやら、浪士をみつけちゃった不運な御仁が一人」
一般人が巻き込まれたにしては、山崎の落ち着きっぷりが奇妙だ。
「山崎」 「はいよ。パトカー回してきます」
訳知り顔の地味な部下にむかつき、思わず一発殴ってから、愛刀を掴んで自室を出たのだった
『淅瀝―四之三―』 了
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