【四之二】
―銀参―
「なぁ」 弥生に入り、まだまだ冷え込む日が続いているとはいえ、徐々に日も長くなりはじめたそんなある夜。
すっかり土方と待ち合わせて飲みに行くことに違和感がなくなっていた。
ちょうど良い、ほろ酔い気分だ。 気分がよかったから。 真選組の隊士の話を立ち聞きしてから気になっていた事を聞いてみることにした。 大した意味はない。 ただの好奇心だ。
「ぶっちゃけた話よぉ」 「あぁ」
こちらを見返してくる土方も酔いが回り始めているのか、瞳が軽く潤みいつもの険が薄れている。
「オメー、俺からツッこまれたいの?俺にぶち込みたいの?」
「は?はぁぁぁぁ?!」 トロンとしていた目が一気に見開かれ、瞳孔も普段以上に広がった気がした。 目は口ほどにモノをいうとはよく言ったものだと妙なところで感心する。 ごまかしようがないほどの動揺は、性的欲求と思考から、乖離していたことを示しているのか、それとも銀時自身からその手の話を持ち出すと思っていなかっただけなのか。
「で、どうよ?」 「…いや、どうよって聞かれても…考えたことねぇ」 「は?オメーはどこぞの深窓の令嬢ですか?潔癖症の中二女子ですか?そっちの欲求ぐらいあんだろうが。いい年したオッサンさんなんだからよ」 「オッサンいうな…」 「大体よ、じゃあオメーは何オカズに処理してんだよ? あ、わり、もしかしてインポテンツか?かわいそうによ」 ぷぷぷと笑って見せる。 「誰がインポテンツだ?!んなわけあるか!!」 ガタンと椅子から立ち上がりかけ、ここが居酒屋であることを思いだし、今度は声を落として続ける。
「ってか、なんでいきなり下ネタに走りはじめたんだ?テメーは」 「う〜ん、なんでって聞かれてもなぁ。普通しねぇ?オメーんとこ男所帯だろ?猥談?みたいな?」 「それこそ中二男子の思考だろうが」 ガックリとうなだれるとカウンターに額を落とす。
「銀さんの心は少年なんだよ」 「随分爛れた少年だな…」 顔を上げる気がないのか、その体勢のまま、返事は返ってくる。
着流しの衿元から思いの外、うなじが目についた。 普段キッチリと着込んだ隊服とスカーフで覆われているためか、やけに白い肌が今は酒のせいでほんのりと色づき、艶めかしい。
「……」
一瞬目が離せなかった。 一瞬の衝動。 一瞬、そこに噛み付いてみたいと。 あんな話を聞いたから。
「…どうかしたか?」
カウンターに頭を乗せたまま、顔だけがこちらに向けられた。
「いや、なんでもねぇよ。たぶん」 「そうか?でも、まぁ…あんまテメーとそっち方面でどうこうなりてぇとか考えたことねぇ。心配すんな。気色悪い妄想なんぞしてねぇから」 そう土方に言われて初めて、自分の言動に首をかしげた。 確かに、男にオカズにされていても、あまり楽しい話じゃない。 他人事なら、ネタとも言えるが、今の話は銀時自身にど真ん中で打ち返されてしまう言葉だ。
「おい?酔ってやがんのか?」 沈黙に耐えられなかったのか、ようやく頭を起こして、こちら側に身体を少し捻って見られていた。
「あ…」 着流しの前が開き気味だとは前から思っていたのだ。思っていたが、まさか自分とほぼ同じ体格の男の、その見えそうで見えないチラリズムに一瞬でも心臓が跳ねたなんて。
「なんだよ?今度は」 「ない」 自分と変わらぬ体躯の。
「あ゛?」 「ないないないない!」 瞳孔開いちゃってる、チンピラ警官。
「だから何がだ?」 「うん、今日は酔っ払ってる!うん!」 変な話を聞いたから。 変な発想に向かってしまうだけ。
「じゃあ、そろそろ出るか?」 「お、おぅ」 心中は全く立ち直れている気がしないが、無理矢理腰をあげた。
―黒四―
「副長?」 一足先に暖簾をくぐった土方は声をかけられた。 「原田」 頭がツルツルとした恐持ての真選組の十番隊隊長が私服で通りかかったのだ。
「珍しいっすね。あ、そうか明日オフでしたか」 「テメーは中勤務だったか」 「なんで、軽く腹拵えしてから深川あたりに繰り出そうかと…土方さんもどうです?」
そういわれてみれば、色町を冷やかすことも、芸妓遊びも、行っていない。 江戸に出てきて、すぐのころは、近藤や、原田たちと時間を見つけて出かけたものだが、最近では、接待で立ち寄るぐらいになっている。
かぶき町のような喧騒も嫌いではないが、 洗練された芸と、それを売りにしている女たちと酌み交わす酒も楽しい。
だが、今は…
「いや、俺は…」 「土方ぁ…気分悪ぃ」 先程から、出入り口で原田と会話していたから、後ろで所在なさげに待っていた銀時が土方の肩に背後からのしかかりながら、訴えてきた。
「え?万事屋の旦那?」 「あ?あぁ。テメーだけで行ってこい。ねぇさんたちによろしくな」 「了解」 軽く手を挙げ、去っていった。
「クソ天パ…気分悪いんなら、水一杯もらってからでるか?」 肩にかかる銀時の体温が気にかかる。 アルコールでやや高めな体温が、外気と相反していて心地よく感じた。
「それより、風に当たりてぇ…」 「オイ…そこで吐くんじゃねぇぞ?」 「冷てぇなぁ。仮にも惚れてる相手だろうが」 「それとこれは話が違ぇだろうが」 やはり、今晩、気にかけているのは、そういうことなのだろう。 やたらと、自分から禁句とも呼べそうな話題を振ってくるところをみると。
「あ゛?」 「歩けねぇわけじゃないんだろ?とりあえず、動くぞ」 ひどく名残惜しく感じる銀時の体温に甘えるのは最後だ。
そう言いながら、一歩、歩を進み、体を離す。
「おんぶ〜」 「ウルセ。この酔っ払い」 傘立てから銀時の傘を差し出す。
雪がまだ少し降っていた。 3月に入っても、まだ急には暖かくなることはない。
暦だけ先行して春が来る。
銀時がこちらをみていた。
「あんだよ?」 「いや、なんでもねぇ」
崩れ始めた均衡を憂いているのだろうか。 ようやく、傘へと延ばされた手。
「なぁ」 「あ゛?」 それぞれの棲み家への道すがら、声がかかる。
「オメー、ホントに俺の事、好きなの?」 「この酔っ払いの腐れ天パ何言って…」 いつもの調子で返そうとしたが、銀時は止めるつもりがないらしい。
「なんかさぁ…別に俺とどうこうなりたい訳じゃねぇみてぇだし」
「正直さぁ…銀さんもアレだ。 あんまりべったりオカマみてぇに引っ付かれんのもごめんだけどよ」 このまま、会う回数を減らし、銀時に負い目を負わせないつもりであった。
「まぁ、フクチョーさんがどうしても、っていえば抱いてやんねぇことも…」
そう、この『先』など無い。 無いのに、こんな話を持ち出させてしまった、自分の情けなさ。 結局のところ、銀時に頼って、甘えていた。
今のうちに、 この冷たい風雪に、 冷え込んだ季節のうちに吹き飛ばしてしまえ。
「…き…だ」 街燈の光は、黒い番傘の下の面に影を落とす。 絞り出した声はかすれてしまった。
「ん?」 「…嫌ぇだ」
「は?何言って…」 「テメーのこと大嫌ぇだから」
銀時を好きだと言ったのは土方の方だ。
「だから、冗談だ。テメーをからかってただけだ」 「は?なに言ってんの?冗談にしてもどんだけ引っ張ってると思ってんの?今更…」
今更だ。 そして、今更、その話をわざわざ持ち出してくれたのは銀時の方だ。 それならば、この『恋心』などを完膚なきまでに殺してしまえ。
冷たい風が、 冷たい氷の粒を運ぶ風が、 弥生の夜に今だ吹きすさんだ。
「安心しろ」 笑うつもりだった。 きっと、醜く歪んだだけだろうけれど。
「テメーのことなんて大っ嫌いだ」
それだけ。 それだけを口にすると、屯所へと踵を返す。
「ちょっと!ひじ…」
傘を持たない方の手を延ばされる気配がした。 捕まってはいけない。
踏み出せ。
銀時の指は土方に触れることはなかった。
そのまま、距離を置いていく土方の後姿に、かかる声はない。
自身の耳にはいつまでも、 風雪の音だけが残ったのだった。
『淅瀝―四之二―』了
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