【参之三】
―黒陸―
「副長」 静かに、執務室兼土方の自室の障子が開けられる。 声の主は、自分直属の監察だった。
「届けたか?」 「はい。あ、旦那から、伝言です。『出られるようになったら、連絡しろ』だそうです」 「あ?今日は出られねぇって言ったのにか?」 近藤は予測通り、14日の日にボコボコにされて、それでも得体のしれない黒い物体を大事そうに抱えて戻ってきていた。 ただ、それを無理やりにでも食したのがいただけなかった。 15日の朝から、嘔吐と下痢を繰り返し、げっそりと消耗してしまっている。 まったく使い物にならない状態。 その後始末は結局のところ、土方にすべて帰ってくるのだ。 非番であるのに、近藤がさばけない書類を、黙々と片づけ続けている。
「はい。なんだか、旦那不機嫌っていうか…妙な感じでした。うまくいえないんですが…」 「妙な感じ…」 一度、書類の山の谷間に筆をおき、腕組みをして、考える。
山崎はサボリもするが、基本的に優秀な監察だと思っている。 だからこそ、危ない潜入捜査を任せらるのだ。 人の機微に聡い、その山崎が感じた『妙な感じ』は何を示すのか。
(まさか、チョコもらって喜ばねぇってことはないだろうし…) 自分の貰ったものは毎年、検査の後に、隊士たちに配っていた。 意外に最近では、銀時ほどではないにしても、糖分を好む者たちもいるようで、あっという間に掃けてしまうのだ。 その時だって、隊士たちは開封してあることに異論は唱えない。 そのままの状態で口にして、あの世往きなんてことは味わいたくないからだ。
だから、きちんと安全を確かめたモノを山崎に届けさせたのだが。
「しかし、意外でした。副長、最近は旦那と出かけてたんですね」
山崎の言葉に顔を上げる。
「あ?あぁ…まぁな」
それはそうだろう。 普段あれだけ、会えばぶつかっている人間たちが何を好んで、わざわざ一緒に飲みに行っていると思うだろうか。
「まぁ、納得はできますけどね」 「納得?」 「だって、お二人とも、似てらっしゃるから、最初に掛け違えたボタンさえ修繕してしまえば、気が合うと思ってましたから」 「いや、気なんぞ合わねぇけど…なんとなくだからな…」 「…まぁ、いいんじゃないですか?旦那なら、夜道に襲われても…」 「お、襲われる?あ?」 一瞬、単語の意味がうまく解釈できずにいた。
「は?だって、帰りに攘夷浪士にでも囲まれたら」 「あ?あぁ。そ、そうだな」
今、自分は一体何と勘違いをした?
(いやいや、ないない)
坂田銀時を好きだと思う。 惚れているという意味で。
(あれ?)
衆道と呼ばれる文化が確かにある。 そこでは、男同志であろうと、結ばれる方法がないわけではないという。 だが、良く考えてみると、惚れているといっても、女と対峙した時のような、そっち方面の欲求を持ったことがない。
「副長、残りは例年通りみんなでいただいていいんですね?」
山崎の声にまた我に返った。
「おぅ、万事屋も取りあえずあれだけやりゃ問題ねぇだろ」 「じゃ、後で連絡してくださいね」
部屋を辞す部下が障子を閉めた途端、頭を抱える。
(い、いや…ミツバのときだって、そういう欲求ってあんまりなかったしな?うん…)
銀時を抱く? 想像がつかない。 惚れていることには間違いはないと思う。
まず、振り返ってももらえていない、ただの飲み仲間(ぐらいには昇格したのではと勝手に思っているのだが)の分際で、大体なんて不埒な発想をしてるんだか…
チョコレートだって、銀時が『糖分』好きだから、欲しがっただけなのだ。 自分からのものでなくても良いはず。
そう思いながらも、こっそりと一つだけ忍ばせはしていた。
気が付かなくていい。 自己満足なのだからと。
―銀漆―
「あれ?」 神楽と共に既にちゃぶ台の上にチョコレートを並べていた新八が声を上げた。
「どうかした?ぱっつあん?」 「いえ…これだけ…」 仰々しいラッピングの山の中に、やけにシンプルなデザインのものが一つだけ。 明らかにチョコレートではあるものの、バレンタイン用ではない贈答用の包み紙に装された『それ』。 新八が手を止めた理由はもう一つあった。
「開いてない?」 「ですよね」 山崎の言うように検査を外部業者に出したのであるなら、 他のものと同様一つなかったり、一部が欠けていたりするはずだ。 「あれですかね…検査漏れですかね?」 「大丈夫アルヨ。大体の物は消化できるネ」
ついっと神楽が『それ』に手を伸ばそうとしてきたが、銀時は停める。
「いや、止めとけ」 「銀ちゃん?」 「いや、危ねぇだろ?これ沖田君辺りからのいたずらだったら、なんかヤバげな薬とか入ってそうだろ?他にもあるんだしよ」 これなんかどうよ?と十代の子どもたちが喜びそうな、可愛らしいデザインのものを放って渡し、立ち上がった。
「これは、銀さんが土方に突っ返して、新しいのと変えてもらってくるわ」 「もう!銀さん、いただいておいてそこまでしなくてもいいじゃないですか!」 メガネが、生真面目に意地汚さを非難するが、構わず部屋を出る。
「うわっ!神楽ちゃん!もう食べ始めたの?!」 後ろ手に閉める襖の奥から、早くも始まったチョコ争奪戦を聞きながら、銀時は万事屋から出かけたのだ。
屯所まで、バイクを走らせる。 懐には、未開封のチョコレート。
(もしかしたら…)
確かめずにはいられない。
「気にしねぇなら、くれてやらぁ」 そう言っていた土方。
土方宛に届けられたチョコの中にひっそりと存在する未開封の包み。
『気にしない』のは、 『誰が』もらったものでも気にしないということなのか? 『誰に』もらうものでも気にしないということなのか? それとも、そのどちらの意味も含ませての言葉だったのだろうか? 甘い物なら、何でも良いと?
立春を過ぎたといっても、急に春めいてくるはずもなく、容赦なく、冷たい向かい風がバイクの速度と比例して、顔を、指先を冷やしてくる。
(言葉遊びは嫌いじゃねぇけど…)
「答えがないってのは気持ち悪すぎだろ。コノヤロー」 マフラーで隠した口元でつぶやく。
なぜ、自分はこんなに答えが気になるのか。 なぜ、自分は先程、『土方からの』チョコでないことに、動揺したのか。 なぜ。 なぜ。
(おかしい…)
自分の中で、吹き続ける風の音に異変が起きている。 いや、今までも、聞いていた音である気もするが、こんなに大きな音で聞こえていただろうか。
突きとめられそうで、突きとめることができない。
「ちくしょう」
土方の顔をみて、言葉の意味を聞けばすっきりするのだろうか?
バイクを降り、重々しい真選組屯所の看板を見上げながら、大きなため息をつき、わざと緩い歩き方でその門扉をくぐったのだった。
―黒捌―
頭を切り替え、再び書類に手をつけはじめる。 だが、ほどなくして、障子が再び開けられた。
「山崎か?」 振り返らず、声に出す。
「俺はあんなに地味じゃねぇよ」
声の主は思いがけないもので、即座に反応できなかった。 ぎこちなく、油の切れたカラクリのような動きで、出入り口へと顔を向ける。
「よぉ」 そこには、死んだ魚のような目の男が立っていた。 雪は止んでいた。 久しぶりの夕日が、積もった雪を茜色に染めているのが、その後ろに見える。 丁度、逆光になった闖入者の表情は読み取れない。
「な…んだ?なんでテメーがここに…」 ありきたりなセリフしか出てこない。 山崎に今日は出られない旨を伝えさせた。 そして、銀時は、土方の手が空いたら連絡しろと言ったという。
なのに、なぜ? 屯所の、しかも、自分の部屋までやってきているのだ?
「チョコ…」 ぽつりと、銀時が言う。
「あ?」 足りなかったということか?と問いかけて、相手が懐から出すものに目がとまる。
そこには、大人しいデザインの菓子箱。
見覚えがある。 それを、他のチョコレートと一緒に袋にいれたのは土方本人であったのだから。
あの狂騒曲に踊らされるのも、むずかしくて、 接待にも遣う某ホテルで普通に進物用といった風を装い購入した。 いつも、自分宛に送られてくる、贈り物はすべて毒物や爆発物の検査後、そのまま屯所内で欲しいものに配っていた。 だから、相場も良くわからなくて、小さなものを一つ。
それを銀時の手のひらにのせていた。
「オメーさぁ…」
ガシガシと天然パーマを掻きむしっている。
口調からはわずかな苛立ちを感じる。 山崎も言っていた。 『不機嫌っていうか…妙な感じでした』 表情は相変わらず見ることができないが、機嫌がよさそうだとは思えない。
「こういうもんは…」
やはり、読み違えたのだろうか? 言葉遊びに混ぜ込んで、調子にのりすぎた。
誰からの物でも良いのなら、 『誰が』もらったものでも気にしないというならば、 『誰に』もらうものでも気にしないというならば、
自分からの物でも、気持ち悪いと思わずに受け取るかもしれない。
現状維持で十分であるのに、ちょっと欲を出してしまったのがいけなかったか…
「すま…」 自分的にはあり得ない言葉を思わずこぼしそうになったとき、思わぬことを銀時は言った。
「直接持ってこいや」
「は?」 「これ、オメーが用意したもんだろ?」 「違っ!」 「違わねぇよな?」
一歩、銀髪が室内に踏み出しながら、障子を閉める。
「違ぇ」 「それなら、そういうことにしておいてもいいんだけどさぁ」
どかりと、土方の目の前に胡坐を組み、おもむろに包装紙を破りだした。 そして、ぱくりとひとつ口に放り込む。
「やっぱ、うめぇ」 ご満悦の顔で頬張ってみせられた。
「な、なんなんだよ?テメーは」 「ん〜、俺がもらったモン、どこで食おうと俺の勝手だろうが?」 「アホか!ここをどこだと思ってんだ!屯所だ!不法侵入だぞテメー!!」 「屯所って言っても、オメーの私室だからいいじゃん」 「良くねぇよっ!」 「そう?」
なぜ、銀時はここへやってきたのだろう? なぜ、先ほどまでの不機嫌な空気が一変したのだろう? なぜ、見せつけるように、今、目の前でニヤニヤとチョコを食べているのだろう? なぜ? なぜ?
ガタガタと強い風が吹き出し、窓の桟を揺らす。 今晩もさぞや、冷えることだろう。
(おかしい…)
均衡が崩れ始めた。 それだけは、わかる。 土方自身が撒いた言葉が思いもよらない形で事態を動かし始めているのか。 だが、その風が、どの方向に向かって吹いているものなのか皆目見当がつかない。
「んじゃ、ごっそさん」
半分ほど、食べてしまったところで、銀時が腰を上げた。
「あ?」 「ホントに仕事してたんだな?」 ニヤリと笑いながら、文机の上の紙束を指さされる。
「は?当たり前だ。テメーみたいなニートと違って忙しいんだよ」 「ゴリラの飼育員の間違いじゃね?ま、しっかり調教して時間つくれよな?」 そういって、一つチョコレートを土方の口にも押し込み、 入ってきたとき同様、静かに、副長室を白い着流しが擦り抜けていった。
「甘ぇ…」
口に徐々に広がるカカオの味に眉を顰め、出て行ってしまった銀時の気配をそっと追ってしまうのだった。
『淅瀝 参 』 了
(21/105) 前へ* シリーズ目次 #次へ
栞を挟む
|