うれゐや

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【シリーズ】 | ナノ

『idling』



Side K


10月9日

「おめでとう!金ちゃん!」

かぶき町にあるクラブ万事屋で誕生日を祝うクラッカーと乾杯の声が上がる。
競い合ってナンバー1ホストに贈り物をする女たちの乾杯は数分置きに各テーブルで響いていた。
祝われているホスト・金時の客層は様々だ。
キャリアウーマンもいれば、有閑マダムもいる。自分の職場では客を癒す側に立っている水商売の女もいる。
共通点はこの場所では、金時の前では彼女たちが主人公であること。

「ありがとう、さきちゃん」

シャンっとグラスが触れ合う音の後、金時が一口だけシャンパンを口に含んでから、礼を言った。小振りながら、けして気を抜いてはいないシャンデリアの光が金髪の髪とグラスを煌めかせる。

「今年は出張入っちゃって5日はお祝いに来れなかったの。
 遅くなってごめんね、金ちゃん」

二十代後半、昼は堅い仕事に合わせたスーツ、シンプルなメイクをしている女もこの場所にやって来る時の装いは別人のように異なる。
今季出たばかりのルージュをひき、雑誌に紹介されていた新作ワンピースを纏って『恋人』に会いに来ている。

「そんなことないよ、お仕事お疲れ様。来てくれただけで嬉しい」
「金ちゃんのその一言で、連勤の疲れなんか飛んでいっちゃう」

にこりと女に微笑む仮初めの恋人。
肩を抱いて、話題をふって、話を聞いて、笑いかける。
ホストという名の制限時間のある恋人。

「金時さん」

頃合いを見てヘルプのホストがそっと席に寄ってきた。

「あぁ、ごめんね。ちょっとご挨拶行ってくるね」
「え?もう?まだ話したいこと沢山あるのにー。でも、今日は仕方ないか…許してあげる」
「本当にごめんね。様子見て、ちゃんと戻ってくるから。ほんの少しだけ待ってて」
耳元で囁いて、ホストは立ち上がる。

「待ってる」

頬を染めて、女は「金ちゃん」に嫌われまいと聞き分けよく、小さく手を振った数十秒後。
また別のテーブルで乾杯の声が高らかに上がった。
誕生日とプロフィールに書いている10月5日を真ん中に10月1日から9日までの九日間、今年も変わらないクラブ万事屋のナンバー1のバースディ風景だった。

店を開けていられるいっぱいいっぱいの時間、普段から予約の入っていない日などほぼ無いに等しいナンバー1ホストのスケジュールは更にぎっちりと埋められたバースディイベント。

「あー…」

今日はいよいよそのラストの9日目。
ともなれば、体力に自信のある金時の身体もさすがに悲鳴をあげていた。

「早く帰って眠りてぇ…」

どんどん注文が入るシャンパンはヘルプが飲み干してくれるとはいえ、金時も一杯目は必ず一緒に飲み干す。そして、小振りなケーキをフォークの先に乗せて口に運んでもらう。
いくら甘いものが好きでも、酒に弱い方でなくとも、胃の許容量と睡眠時間には限界というものは必ず存在する。
また、同伴もアフターも隙間なく入れていると食事も一人でのんびり、というわけにはいかない。

「もうしばらく酒はいらねぇ」

フロアを移動しながら、金時は誰にも聞こえないほどの小さな呟きを落とした。
痛む胃が求めているのは、生クリームたっぷりのケーキでも、酒でもなく、宇治金時丼、もしくは白米と味噌汁のような気取らないシンプルなものだ。
ホストがシンデレラを気取るのも妙な話であるが、時計の針が12時を回ってしまいさえすれば、ナンバー1ホストからただの金時に戻れる。
金時の戸籍上の誕生日である10日はオーナーである神楽の裁量で何曜日であろうと毎年定休日なのだ。
今晩はアフターも入れていない。
今年もマンションに帰って、熱めの湯につかってから、夕方まで寝て過ごし、夜は一時期世話になっていたお登勢の店で、神楽や新八、それに新八の姉たちといった金時をホスト扱いしない人間による内輪の飲み会で祝ってもらうのだろう。
正直、祝ってもらうことを手放しで喜ぶような歳ではないが、家族と呼んで差し支えないような人間でも、客でも気にかけてもらっている事実には毎回むずかゆくも幸せだと思わなくはない。

今だけのことかもしれない。
いつか、誰かが血のつながった家族を持ち、頻繁に合わなくなる日が来るかもしれない。
いつか、誰かが新しい土地に、新しい挑戦をするためにこの街を出ていく日が来るかもしれない。
それでも、今在る繋がりは例え細くなろうとも、ずっと続くような気がしている。
増えていく人と要素を縁と呼ぶべきか、絆と言ってしまってよいものなのか、迷うところではあるが。

「金ちゃん!」
「お待たせしました、静香さん」

金時を迎えたのはふっくらとした女性だった。
ゆったりとしたツーピースを着た女性は穏やかそうで、どこかの人の良いお母さんに見えなくもないが、上場一部の会社のトップ、一国一城の主だ。

「待ちくたびれちゃったわよ」
「先に始めちゃったんだ?後二分待ってくれてたら良かったのに」

掲げて見せられたグラスに微かに残った液体は傾きにそって床方向へ落ちて行った。その空のグラスをローテーブルに引き取り、差し出されたマシュマロを思わせる白い手を取って、金時は甲に恭しく唇を当てた。
ただし、息がかかるかかからぬかと言った程度。

「ナンバー1はいつになったら来てくれるか、てんでわからないんだもの」
「ナンバー1であろうとなかろうと静香さんに呼ばれたら、いつでも」
「よく言うわー」

ケラケラと笑い、身体を寄せてくる柔らかい体を受け止めながら、フロアをひっきりなしに動き回る人と物の流れを目の端に捕らえる。
静香の話を一通り聞いて、次は3番テーブルの晶子のところ…、あぁ、彼女はゴティバのアイスを送ってきてたんだっけか。お礼言わねぇと。それから、6番テーブルのさきにももう一度挨拶…。
あと42分。
時間と客を確認し、カウントダウンに入る。

忙しなく動き回っていることは苦手ではないけれど、好きではない。
神楽辺りはホストしていない時の金時は何の役にもたたないまるでダメなおっさんだと遠慮なしに言い放つ。
まったくそうだと金時自身も思っている。

「金さん」
「なんだよ?今、俺は静香さんのものなんですぅ」

静香のグラスが空いたところで、新八がそっとソファの横に立って、メモを寄越してきた。

「静香さん…」
「貴方、なかなか物は受け取らないんだもの」
「うん、ありがと」

誕生日プレゼントだとレゼルブ・ド・ラベイ、通称ドンペリ・ゴールドと呼ばれる最上級のシャンパンを5本、すでに注文したことを知らせるメモだった。
他の店はどうなのか金時は知りもしないし、知ろうとも思わないが、金時自身は車もマンションも高額なものは決して受け取らない。
精々、同伴で客に見立ててもらったスーツやネクタイといった身に着けられるものだけだ。
店で一緒に過ごすために金は使ってほしいと伝えている。
この誕生日イベント中もそれは変わらない。

「欲があるんだか、ないんだか…相変わらず、読めないヒト」
「男はミステリアスな方がいいんでショ?」

耳元でそっと囁けば、静香は返事をせずに微笑み返してくる。
金時というホストはこれでいいと思っている。
彼女たちの憂いと疲れをいやして、明日への活力を充電するお手伝いが出来ればいい。
疲労とアルコールで重たい頭を叱咤し、金時は先ほど立てた予定通りに、フロアをまた動き出す。
どこからか微かに香ってきた煙草の匂いに考えまいと思っていた面影が浮かんだ。
欲はある。
それはホストではなく、個・坂田金時の中にあるもの。

ちらりと腕時計に目を向ければ、日付が変わるまでに17分となっていた。

「会いてぇ…」

手で前髪を一度掻き上げて、気持ち整えて、普段より熱い息と共に小さく吐き出したのだ。





Side H


10月10日

終電になんとか駆け込むことが出来た土方十四郎は寄り道もせず真っ直ぐに自宅へ戻った。
途中、最寄駅の近くで耳に入ったスラング交じりで喧嘩する声に職業上の責任感が微かに持ち上がりかけたが、首を突っ込みもせず、真っ直ぐに。
よほどのことが無い限り呼び出ししないからゆっくり休めよとゴリラ似の上司に背を叩かれての2週間ぶりの休みだった。
古びた音を立てる階段を上ると、何やら視界に人の姿が映り込んできた。
見間違えでなければ、人影が座り込んでいるのは土方の部屋の前だ。
眉をひそめて、一度足を止める。
べたりと両足を投げ出して、けして清潔でも広くもないコンクリートの廊下に座り込んでいる男を土方は確かに知っていた。

坂田金時。
日本人ではあるが、豪奢な金色の髪も自由奔放すぎる傾向のあるパーマも天然もの。
歌舞伎町のナンバー1ホスト。
年齢は土方より一つ上。

「おい」

低い呼びかけに応えはない。
二度目はもう少し大きめの声で呼びかけてみる。

「おい、坂田」

それでも起きそうにない金時のそばにしゃがみ込んでみる。
息はある。
呼吸も安定している。
外傷はなさそうだ。
怪我人でも、病人でもない。見た目通りの酔っ払いらしい。
吐息にもスーツにも強いアルコールと複数の香水の匂いが染みついていた。

「なにやってんだ…てめェは…」

土方は心の中で坂田の情報を訂正した。
今日10月10日は金時の誕生日ではなかっただろうか。
土方よりも二つ上につい先ほどなったはずだ。

ホストクラブの営業時間は午前0時まで、ということに表向きはなっているものの、客がいる限り、暗黙の了解で1時頃までは店は灯を落とすことはない。
土方の腕時計は午前1時をまだ迎えていなかった。
水商売のことはよくは知らないが、ナンバー1ともなればアフターで夜通し客に祝ってもらうイメージがある。

「坂田」

金色の睫毛の下には疲労が滲んでいることが時折チカチカと点滅する街灯の明かりでも見て取ることが出来た。

「狸寝入り…じゃねぇよな?」

昨年の誕生日の頃はまだ金時の誕生日は土方の中で書類上だけのものでしかなかった。
それぐらいの、知り合って長いとは決して言えない間柄ではあったが、気配には敏い男だと土方はすでに知っている。
どうやら土方が戻ってきていることに気がつけないほど、疲れているらしい。

土方はぴんっと跳ね返った毛先を軽く持った。
神経の通っていない金の糸は体温を伝えてはこない。

「おい、腐れ天パ」

地肌を軽く刺激する程度の力で引いてみる。
ぐごとも、んごとも聞こえる音が口から零れ落ちたが、やはり目を覚ます様子はなかった。
いつも飄々として、何を考えているのかわかりそうでわからない男。
死んだ魚のような目をしているようで、時折煌めくその様に人々は魅了される。

「ヒトんちの前で潰れてんじゃねぇよ」

土方が自宅前にたどり着いて、悠に五分。
諦めのため息と舌打ち一つ、古い木製の戸につけられた鍵穴に鍵を挿す音に被せたのだった。



土方は自分の荷物を持って入り、突っ掛け代わりにしているサンダルに履き替えてから、もう一度戸の外に出る。
金色の毛玉は寸分違わず、そこにあった。
土方とほぼ同じサイズの男をアパートの中に運び込む作業は普段から鍛えている土方でも重労働だが、仕方がない。
半ば引き摺るように居住スペースに入れ、狭い下足スペースで爪先を使って靴を脱がせる。
ゴトンゴトンとてんでんばらばらに転がった重たい革靴の行儀には構わず、短い廊下を突き進んだ。
突き進んだ先、一つしかない部屋の一つしかないベッドに放り下ろし、一息をつく。
板の上に直接布団をのせた硬いパイプベッドは金時の体重に悲鳴をあげたけれど、当の本人は起きた風はない。
鼻先を摘まむと息が出来なかったのか、首を横に振って憤り、枕に顔を埋めてしまった。
小さな子どものような仕草からは売れっ子ホストの面影などはなかった。

「どんだけ飲んでんだか」

土方のスーツの数着分の値段がするであろう金時のジャケットをむしりとる作業に取りかかった。酔っ払いの身体を数度転がして、上着を取り払い、自分のものと並べてハンガーに掛ける。
金時のスラックスはどうしようかと迷ったのはほんの数秒。
昭和に建てられた土方のアパートは兎に角古い。
そして、家賃の安さから住み着く住人も上品とは表現できないような人間か、一癖も二癖もある人間が多かった。
つまりは、金時がどれほどの時間、部屋の前に座り込んでいたか知る由もないが、部屋の前の廊下の汚れが直に座っていたスラックスにも上着の裾にもついていることを意味する。
土方の家に布団は一組しかない。
潔癖症でなくとも、久々の休み、それなりに気持ちよく疲れた身体を横たえたい。

「オラ。ちっとは協力しろ」

金時のバックルに手をかけて緩め、抜き取るための次の作業に入ろうとした。

「…う…しろ…」
「あ?起きたか?」

小さな声に体を退く。
仰向けになっている顔に煌々とあたる蛍光灯の光に金時は微かに顔を顰めた。

「水、いるか?」

ゆらゆら、金時の腕が持ち上がり、ベッドから離れかけた土方を手招きする。

「オイっ!」

素直に近づくのではなかった。
あっという間にベッドに組み敷かれる体勢になっていた。
殺気がないから油断した。土方は後悔したが、後の祭りだ。
金時はタダのホストではなかった。普段、使わないだけで、本当は本物の戦場を経験した牙を持っている男。

「………」

表情は逆光で見えず、口から生まれてきたのではないかと揶揄される口はアルコール臭を含んだ熱い呼吸を繰り返すばかりで言葉を発しない。
強い力で抑えつけられてはいるが、身体を捩れば膝蹴りぐらいは出来るだろう。
けれど、土方は迷った。

「てめェ、なんでウチの前にいた?万事屋はどうした?」

降りてきた唇とくるくるとした髪が左側の頬と耳をくすぐる。
太めの指輪が嵌まった指が右側の首を撫でて、下がっていく。ワイシャツのボタンが一つ、また一つ外された。
これではまるで…。
一つの可能性に辿り着き、土方の心臓が大きく振動した。
一目惚れだと言われた。
デートだと二人で出かけたこともある。
キスも何度かされた。
だが、その先を匂わせるような行動はこれまでなかったのだ。

「坂田」

土方はまた迷った。
勿論、男同士のセックスの経験などない。
しかも、呼びかけに答えない男は酔っ払いだ。
大声を出し、暴れて、正気付かせる方が良いことは頭の中ではわかっている。
それでも、土方は金時の体温を心地よいと思ってしまったのだ。

高めの体温がシャツ越しに土方へと伝わってくることが。
腕を回すべきではないのかもしれない。
金時のことは嫌いではないが、恋愛対象として好きかと問われても今だに土方は返答に困るのだから。
それでも、感覚は告げていた。波がさざめくように。

「?」

急に金時の顔が土方の鎖骨辺りで動かなくなった。
シャツのボタンも四つ目以降は止まったままだ。
右の手は指を絡められ、痛いほど握られた状態だけが続いている。

「坂、田?」

バクバクと近年稀にないほど脈打つ心臓の上で規則正しいリズムで金色の毛玉が揺れていた。

「寝てる…のか?」

自由な左手で土方は己の目元を覆う。
金時は眠っていた。
安堵と少しの苦々しさが土方の中に生まれた。
良かったのだと思う。
酔った勢いでコトに及んでいたならば、もう土方は金時に会えなくなる気がした。
それは嫌だと思う。

「なんだ…これ?」

絆される、流されるという言葉とも違う。
じわじわと何かと何かが近づいてきている、そんな感覚に土方は戸惑った。
近くことと近づきすぎること。
感覚が麻痺している。
嫌ではないが、何処までも落ち着かない。

堪らなくなった土方は力なく乗っている重たい男の身体の下から、やや強引に這い出した。
ベッドから降りた先に拡がるのは見慣れた段ボールと卓袱台兼用の布団を設置していない炬燵机。
申し訳程度に部屋の隅にあるカラーボックスの周辺にはお座なりに積み重ねた書籍。
カチコチと大きめの音を立てる掛け時計の秒針と野良猫が喧嘩する声と踏み鳴らされるトタン屋根。
いつもと違うのはパイプベッドに転がった男の姿だけ。
気が付けば、何度セットし直してもきっかり5分遅れてしまう時計は二時に近づいていた。
明日の休暇を有効に使う為に洗濯機を回してから眠りたいところだが、男の呑気な寝顔を見てると、理解できない衝動に自分だけが翻弄されていることが無性に理不尽に思えてきてしまう。
飲んでいないのに、金時から香ってくる酒の匂いで酔いが伝染ってしまっているのかもしれない。

「このホストが…」

土方は金時の身体からシャツとスラックスをはぎ取り、皺など知ったことかと床に放り投げる。目を凝らさなければ分らない古い傷が暑い筋肉の上に無数に散らばっていた。

「ホストのくせに…」

よくわからない悪態だと思いつつも、そこは言葉には出さずに、金時をベッドの端に押しやって、自分もその横に並んで横たわった。

「精々、飲みすぎに後悔しやがれ」

ダウンケットを鼻先まで引き上げて、目を閉じる。
瞼の裏で目が覚めた時の金時を想像してみた。
下着一枚の状態で土方の隣に眠っていることに気が付いた金時はどれほど慌てるだろうか。
非常識な時間に訪問して、人の心臓を挙動不審にさせた男に溜飲が下がったら、朝ごはんにしよう。
土鍋で炊いた白米と作り置きしている味噌玉で味噌汁。
ワカメと長ネギか、油揚げ、麩入りも残っていたか。
その後で、洗濯と掃除…。

考えているうちに、土方の意識は徐々に薄れていく。

温かかった。

いつの間にか巻き付いてきた腕を払いどけることなく、秋の夜は過ぎて行ったのだ。



『idling』 了




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