うれゐや

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【シリーズ】 | ナノ

『elements T』



Side H


「なにしてんだ?てめェは…」
「あ、十四郎」
お疲れ様とにこやかに笑って、庁舎から出てきた真選組の鬼の副長を出迎えたのは見事な金髪の天然パーマの男だった。

「明日お休みだって聞いたから」
「誰に?」

にこやかな男とは相反して、土方の眉間にはさらに深いしわがよる。
つい先ほど、地味な部下からの『そのうち、そこから皺が取れなくなりますよ』という余計なお世話とも失礼だとも思える指摘に、なら、少しでも皺をよせずに済むような報告書を書けと殴って鬱憤を、もとい、指導をしたばかりだ。
だが、今は皺などに構っていられぬまま、低く唸る様に問うた。

「事件解決早々、ケツ毛までキャバ嬢にむしりとられそうになってるゴリラ」
「………」

基本的に、マフィアやテロ、比較的物騒な、と形容される犯罪組織を相手にする真選組は情報戦も重要であり、漏えいなどもってのほかだ。
だというのに、漏らした張本人が局長本人と聞かされたなら、皺を気にするどころか脱力するしか土方は出来なくなって、項垂れた。

「泊まり込みだったんだろ?送るよ」
「あ〜…」

近藤さんはゴリラじゃねぇと否定の言葉すら返せぬほどに疲れた体に最後の一撃をくらった気分になっていた土方は拒否もすぐには出来なかった。
確かに泊まり込みで仕事をしていた。
連勤に連勤を重ね、宿直室で仮眠をとっての十日。
事件も事後処理も一応の収束を向かえ、久々に巡ってきたオフだ。
土方は仕事が嫌いではない。
それでも、部下の命がかかった現場で緊張を強いられた状態からの解放に珍しくも一刻も早くオフに入りたいと思ってしまうほど、精神的に疲れ切っていた。

土方の両手には洗濯物の入った鞄とアパートで読もうと思っていた資料がぶら下がっている。
個人を特定されるような機密ではないが、紙袋を二重にせねば心もとないレベルの重さの紙の束を抱えて電車に乗ることを考えれば、男の申し出は正直なところ有り難かった。

「俺の車、喫煙可だよ」

男、坂田金時は長い指でキーホルダーをくるりと回して、ダメ押しをする。
悪意も敵意も感じられない。
金時からそういった気配を感じたのは、最初に出会った路地裏で挑発された時、一度きりだ。
それ以来、土方に一目ぼれをしたと言い寄ってくる金色の獣が実際に害をなしたことはない。
最後のひと押しに、もう抗う気力はすっかりと奪われて、土方は深い息と共に居住地区名を口にする。

「やっぱり、うちから近かったんじゃん」

金時が少し口を尖らせて、土方の手から荷物を奪っていく。
あまりに自然な動作に、このホストめと意味のない文句を付きながら、大人しく開かれた助手席のドアから車内に身をねじ込んだ。
ぱたんと遠慮がちに閉じられて、運転席に足取り軽く廻り込む金髪を待ち、低く轟くエンジンと身体を包むように作られたスポーツカーのシートに力を抜いたのだった。






「…う…しろ…」

意識の遠い所で車が息吹く重低音以外の音が聞こえ、土方は水の底から浮き上がるかのようにゆっくりと覚醒を始めた。

「…十四郎…ちょっと起きてくれる?」

今度ははっきりと届いた甘く、しかし、やや遠慮がちな声に睫毛を持ち上げる。
フロントガラス越しに顔を照らす光がまぶしくて、数度、瞼の動きを繰り返した。
土方が眠り込んでいる間に、カーナビは正確に金時の車を土方のアパートへと導いていたようだ。

「十四郎、ここで合ってる?」
「合ってる」

倒すまでもなく倒れ気味のシートから身体を起こし、首を回した。

「ここ、なの?」
「あぁ…」

再度、確認してくる金時に土方は口角を少し上げた。
金時のマンションから、さほど離れてはいない場所に土方の住まいはある。
隠していたわけではない。
聞かれなかったから答えなかった。
先日、ようやく聞かれた時は、深い意味はなかったが、何となく教えなかった。
それだけなのであるが、ナビが指し示すアパートの前に着いて、土方を起こした金時は明らかに動揺していた。
理由は想像に難くない。

木造二階建て。
鉄錆の浮いた手すりやトタンを打ち付けた外壁。
木製のベランダ。
並んだポストには広告や手紙が溢れんばかりに押し込まれ、長い間住人が整理した風もなく、風に晒されて変色している。
古めかしい、昭和感のある、レトロな、といえば聞こえは良いが、端的に表現するなら、ボロアパートなのだ。
そのことを、恥ずかしいと思う心持は土方にはない。
寝て、食べて、休むことの出来る最低限の環境があればそれで良いと思っている。

「今日は風があるな…助かる…」

ドアを今度は自分で開き、土方は地面に足を付けると、天に向かって、一つ大きな伸びをした。適温に設定された車内の人工的な風とは異なる初秋の風が土方の頬を撫でる。
初秋とはいえ、日中はまだ気温が高い。
風があれば、幾分か快適に過ごせるだろう。

「ねぇ、十四郎」
「あ?」

トランクから土方の荷物を金時は出すと、土方に返すでもなく抱えたまま、もう一度、アパートを見上げて呼びかけてきた。

「疲れてるの、わかってんだけどさ、ちょっと寄らせてもらってもいい?」
「え?ウチか?」
「他にどこがあるっての?」

土方が己のアパートと金時を見比べた。
男の一人暮らしの部屋だ。
別段変わったものは何もない。
金時の部屋のように、町が見下ろせる広い窓があるわけでも、4Kテレビがあるわけでも、沈み込みそうな気持ちの良いソファがあるわけでもない。
金時が勉強用と揃えている酒のコレクションがあるわけでもない。

「見た目通りのボロアパートで面白いもんなんざ何もねぇぞ?」
「別に十四郎の部屋見てみたいだけ。あ、何か見られちゃまずいものでもある?
 エロ本とかエロビとかなら、俺気にしないから大丈夫。
 むしろ、折角だから、この機会に十四郎の好みチェックす…」
「んなもんあるかぁぁぁ?!」
「え?ないの?なら、いいじゃん」
「…すぐ帰れよ?」
「了解了解。二階?」
「あぁ」

せかせかと金時は土方の背に手を回し、まるで店に客を案内するかのようなエスコートをする。
ボロアパートとのギャップに土方は小さく笑い、ポケットから古めかしい鍵を取り出して階段を登り始めたのだ。






十日、帰っていなかった部屋特有のむっと押し寄せる空気に腐臭はないものの清々しいとは言い難い。
換気扇を回しっぱなしで出かけてはいたが、空気は人の出入りのない家の中で、さほど動くものでもなかった。

土方のアパートの玄関は半畳程の広さしかない。
男物の靴を数足置けばいっぱいになる。
玄関マットも、スリッパもない。
来客など、ほとんどない住まいであるから必要を感じていなかったが、引っ越しの段ボールから引っ張り出しておけばよかったかと少しだけ思い、いやいや、勝手に押しかけてきたコイツが悪いのだから、我慢してもらおうと無言で靴下越しに板張りを踏んだ。

「…おじゃまします」

土方が進んで空いたスペースにきょろきょろ物珍しそうに見回していた男が滑り込み、同じように靴を脱ぐ。
両サイドに小さな台所とトイレが配置された短い廊下を通って、六畳の和室へと向かった。
小窓とベランダへ続く窓を全開にして、土方は息をつく。

片付いていると言えば片付いていると言えるのかもしれない。
引っ越しの段ボールが壁にそって積み上げたままになって、散らかせる物自体が極端に少ないからだ。
段ボールとパイプベッドと卓袱台兼用の布団を設置していない炬燵机。
申し訳程度に部屋の隅にあるカラーボックスの周辺にはお座なりに積み重ねた書籍。

「十四郎…」
「なんだ?」

古い造りの建築物の天井は低い。
土方と然程身長の変わらない金時が手を天井へ伸ばせば、届いてしまう。
見渡すほどもない狭く、古ぼけた部屋に豪奢な金髪の存在はひどく不似合だと土方は思った。

「ここ、本当に住んでるの?」
「どういう意味だ?年の三分の二以上はここで寝泊まりしてるが?」
「ここ、築何年?」
「さぁ…昭和は昭和だろうな」

質問の意図がつかめぬまま、淡々と答える。
人のことを言えはしないのだが、金時という男の機微は判りやすいようで判り難い。
単なるホストのリップサービス、もしくは「真選組の土方」に対して含んだものがあるのか、そのような前提を取り除くようにした今はなおのことだ。

「エアコンは?」
「あー、春先に備え付けのがぶっ壊れて、大家に修理頼んだんだが、まだだ」
「風呂は?」
「一階に共同がある。まぁ、近くに銭湯もあるしな」
「ご近所付き合いある?」
「まぁ、挨拶する程度には。って!いい加減になんなんだ?てめェは」

数歩歩くと、部屋の端にたどり着く。
金時は木製の窓枠に手をかけて、外を見下ろした。

「引っ越さねぇの?」
「もしかして、喧嘩売ってんのか?」

まるで、地方を出て、初めて一人暮らしをする息子の住まいをチェックする母親のような質問の数々の後に続いた、トドメのセリフに土方はさすがに声を荒げた。

「違う違う!俺もホスト始める前はこんな感じのボロ、いや、
 レトロなとこに住んでいたことあるからわかるんだけど、ここ、危ないでしょ?」
「ボロで悪かったな!…あ?危ない?」
「んー…」

窓枠が金時の体重を受けて、ぎしりと悲鳴をあげる。
慌てて、手を離し、金時は土方に近づいてきた。

「9月でこの室温だろ?夏は熱中症も怖いし、
 冬はすきま風がびゅーびゅー入ってきそうだし…」
「エアコン直りゃ問題ねぇ。今は灰色もいねぇし、俺一人なら別になんてこたぁねぇ」
「そういう奴に限って、一人で体調崩したりすんの!
 それにさっきチラッと見えたけど、ゴミ捨て場ひどかったじゃん?」
「それが?」

半歩前に出れば、つま先がぶつかる距離まで近づいて、金時は人差し指で土方の胸を突いた。
ただ、話をするだけにしては近いが、近すぎるとは感じなかった。

「それが?じゃねぇだろ?治安、実は悪いでしょ?ここ!
 おめェ、自分の職業わかってる?」
「警察官だが?」
「あー!クッソ!久しぶりに会話が成り立たねぇよ!
 んなとこに、万が一、不法滞在してる奴だとか、
 おめェの仕事を逆恨みするような人間も潜伏に使いそうな所、塒にしやがって!
 しかも、不用心に仕事の資料なんざもって帰ってるし!
 公務員さん、貰うもん、ちゃんと貰ってんだろうが!
 もっと安全かつ衛生的な所、住めよ!」
「さっきから黙って聞いてりゃ、細けぇことをぐだぐだと…
 大丈夫だって言ってんだろうが!」
イライラと髪を掻き毟る男の髪は四方八方に散らかっていく。
普段から奔放すぎるほど跳ねている天然パーマにこれ以上、まだ、散らかる余地があったのかと土方は意識の隅で妙な感心をした。

「だーかーらー!その自信はどこから出てくんだよ?」
「もう10年近く住んでっから」
「は?」
「だから、大学ん時から住んでんだよ。
 入れ替わり激しいアパートだから、たぶん、俺が一番の古株」
「え?や、だって…十四郎、お兄さんは…?」
「あぁ、高杉とてめェは知り合いだったな。俺ぁ、確かに高校までは本家の兄んとこで
 暮らしちゃいたが、大学からは自立した」

先日の手術の後で、腹違いの兄・高杉晋助と金時は旧知の仲であることを電話で聞いてはいる。
意外な接点に頭を抱えかけたが、別段、余計な情報は金時に話してはいないから安心しろと言われた。
沖田と違い、高杉はそういう悪戯をする人間ではないから、信用はしている。
けれど、兄が一時いた施設、兄の海外放浪時期、その事から、金時の過去がほんの少し透けて見えた。
金時もまた土方同様に高杉の生い立ちを知っていたならば、土方の家のこともうっすらとは察しているだろう。
『面白ぇ奴だから、付き合っちまえ』
さも嬉しそうな声色で言われて、電話を叩ききったことは余談である。

「そうなんだ」
「勘違いすんなよ?為兄も姉さんも出来た人だ。大学も支援してくれるって言ってくれて
 いたのを断ったのは俺だ。
 親父の死後、ひょっこり出てきた妾の子を親族の反対押しきって引き取ってくれる
 ぐれぇのお人よしなんだよ、あの人達は」

高杉と違って、土方は本家を継いだ兄・為五郎に引き取られた。
父が外で作った子ども、しかも、父の死後、現れた末の子どもに親族が良い顔をするはずも無い。
反対を押し切って、引き取った為五郎は弟というよりも、息子のようにかわいがってくれた。感謝してもしきれない相手を悪くいわれることは心外だった。

「そっか…写真とかねぇの?」
「ねぇよ、って、なにニヤニヤしてんだ?てめェ…」
「ようやく、十四郎が自分のこと話してくれるから」

このホスト!人たらし!女に言ってやれ!
そう悪態をつきかけて、それも何だか違うと前髪をくしゃりと掻き上げかけて、先ほどの男の髪を思い起こし、手をおろす。

「別に隠してやしねぇよ」

ツッコミにも捨て科白にもならない言葉を無理やり吐き出して台所に向かった。
冷蔵庫には庁舎に缶詰になる前に空っぽにしていたせいで、缶ビールとマヨネーズ、飲みかけのアルカリイオン水のペットボトルしか入っていない。
一番の問題はマヨネーズが3本しかないことだった。
後ろから、近づいてきていた金時が並んで単身者向けの小さな冷蔵庫の前にしゃがみこんでくる。

「こりゃ、買い物行かなきゃねぇ。今から?それとも、先に一眠りしてからにする?」
「健康ランドに風呂行って、帰りに寄って帰る」
「じゃ、行こう」
「あ?」

膝を打って、隣にあった金色の毛玉が遠のいた。
それを見送る形で、立ち上がった金時を見上げる。

「送るし、荷物持ちくらいするよ」
「…ついて来んな。てめェの客と違って俺は男だ。
 荷物くれぇ自分で持てるし、歩いて行ける」
「あー…、そういう風に取られちゃうと心外なんですけどぉ。
 はっきりきっぱりと言っちゃってもいいの?」
「ったりめぇだ。面倒臭ェことすんな」
「ぶっちゃけちゃうとだな、買い出しという名のデートがしたいんですぅ」
「は?」

ぐいっと腕を取られて、身体を引き上げられた。

「だから、デート」

見上げた視線が同じ高さに揃う。

「デートって、健康ランドとスーパーにか?」
「アミューズメント行って、ショッピング、戻ってくる前にディナー。ばっちりデートコースじゃん。十四郎となら行き先が問題じゃない」
「…ポジティブだな…」

腕から金時の手のひらは移動して、土方の手を握っていた。
別に嫌じゃないから、まぁいいかと息を吐く。

「十四郎?」
「着替える。車で待ってろ」
「えー?見学していたいんですけどぉ。駄目?」
「駐禁とられっぞ」
「あー、そりゃ、痛い。仕方ないか」

三和土で靴を履き、ドアノブに手をかけてからふと思いついたように金時が振り返った。

「駐禁の心配がなかったら、見ててよかったってことでいいんだよね?」
「違ぇ!」

引き抜きかけていたネクタイを思わず投げつける。
細長いシルクの布に大した力があるはずもなく、閉じられたドアにぶつかって、音もなく地面に落ちた。

「クッソ…」

調子が狂う。
自分で投げたネクタイを拾いに行くのも業腹、土方はそのまま、スーツを脱いで乱暴にクリーニング店専用袋に押し込んだのだ。





『Melting Point―elements T』 了







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