『巡る花』
「いってらっしゃい」 「おぅ、じゃあ神楽を頼むわ」 「お土産忘れんなヨ」
万事屋の玄関に今日はきちんと鍵を掛けた。 それから、外階段を降りきって、子どもたちとそんな会話をする。 神楽は新八と共に恒道館へ泊りがけで遊びに行き、銀時は飲みに出かける予定だ。
「飲みにちっと出るくらいでいちいち買ってこねぇよ」 「コンビニ限定でさくら風味の酢昆布出てるアル」 「あのなぁ」
ささやかなおねだり、に聞こえはするが、今日出かけるにあたって事前に普通の酢昆布1ダース献上してるのだからこれ以上は勘弁してくれとバリバリと頭を掻きむしる。
「銀ちゃんには期待してないネ」 「だから…」 「神楽ちゃん。姉上も待ってるから」 「ほらほら行ってこい」
銀時は軽くしっしと追い払うような仕草をするが、二人は顔を見合わせてわざとらしく肩をすくめて見せた後、恒道館の方角へと歩き始めた。
「神楽さんがよろしく言ってたって伝えるアルヨ〜」
ふいに振り返り叫んだ神楽の声にうるせぇよと鼻を擦って呟く。 自分の逢瀬の為に、神楽を預ける申し訳ない気持ち半分と、祝福されている照れくささ半分。
「銀時様、お出かけでいらっしゃいますか?」 「っ!あ、あぁ、たまか…」
暖簾を出しに来たらしいたまに声をかけられ、踏み出しかけた足を止めて、びくりと身をすくめてしまった。 浮かれすぎて油断、というのというのはちょっと違う、断じて違う。 たまは機械だし、身内だし、と心の中で言い訳するが静かな声で駄々漏れですと告げられれば更に居た堪れなさは増幅するばかりだ。
「お出かけですか?」 「あー、お出かけつうか…ちっと、花見にな」 「今日を逃すと一斉に散ってしまうかもしれませんね。 傘をお持ちになった方がよろしいかと」 「そうなの?結野アナ、んなこと言ってたっけ?」 「本日はもちそうですが、明け方から明日にかけては…」
明け方から明日にかけて。 すでに今晩は泊まりの予定とたまにまで見越されているのだと知り、心持ち猫背になる。
「取りに戻るの面倒だし、いいわ。どっかで調達する」 「いってらっしゃいませ」
おうと片手をあげて、銀時は今度こそブーツの歩幅を大きくして歩き出したのだ。
春の夜は不思議だ。 歩を進めながら思う。
きりりとした冬の空気から一変、ふわりと緩んだ風が身に絡み付く。 だが、夏のような湿度があるわけではないから、不快感はない。
暖かい、けれどどこかまだ肌寒さも併せ持った風がひらりひらりとどこからか花びらを舞い上げた。
「さくら、な」
街灯と、かぶき町のネオンが路上の桜を昼時とはまた違った面持ちで浮かび上がらせる。
自然と、想いは今から会う人物に向かっていた。 最初に想いを自覚したのも、躰を繋げたのも、やはり桜が満開の時期であったからだ。
「あれ?銀さん?」
呼び込みの看板を持ってバイト中らしいサングラスの中年に声を掛けられ、銀時は歩調を緩めた。
「なに?景気よさそうじゃない。今から飲みに行くの?」 「まぁ…そんなとこ?」 「あー!なになに?もしかしてデート?デートなんだ!水臭いなぁ! 彼女出来たんなら出来たで俺にも紹介してよぉ」
そう言えば、長谷川は銀時と約束をする人間とも顔見知りだが、間柄について知らなかったのかと言葉を濁す。 隠すつもりはないが、かといって騒ぎ立てられるのも好きではない。
「…彼女、じゃねぇし」 「またまたぁ、じゃ何よ?」 「夜桜見物、かな」 「ふぅん。後でお供してもいい感じ?」 「遠慮しろマダオ、って感じ?」
なんだ、やっぱりデートなんじゃないとへらへらと長谷川が笑う。 それにそれ以上構わず、歩き出せば、頑張ってね〜とそれ以上ついてくる様子はなかった。
「彼女、じゃねぇし…」
彼女ではない。 いや、閨では確かに銀時をその身に受け止める役割を担ってはくれているが、女性的な要素は全くと言っていいほどない。 相手は銀時と同じ男。
銀時が逢いに行くのは夜に馴染む桜の花の如く艶やかではあるが、枝振りは武骨、そのものの『モノノフ』だ。
サムライになろうと、 サムライたらんとする真選組の副長。
そんな男と情を交わすようになるなどと数年前の自分がみたら卒倒しそうだと小さく笑う。
だが、間違いなく世間一般様の間で呼ぶところの恋人という間柄。 元から、銀時に男色の趣味はない。 陳腐な言葉であるが、土方であるから結ばれたいと思ったのであるし、 どんなに綺麗であっても、もはや他の女にも男にも手を伸ばそうなんて思えないほどには嵌り込んでいる自覚がある。
「桜の季節はいけねぇな…」
始まりの季節。 ついつい感傷的になってしまう。
かぶき町の喧騒を抜け、徐々に店が減り、長屋や住宅が立ち並ぶ地区に足がさしかかった辺りで三度銀時は歩調を緩めた。
静かな春の夜であり気持ちよく歩いている気分をこれ以上害されたくないと気配を隠すつもりのないまま付いてくる男に銀時の方から声をかけた。
「おーい、何コソコソしてやがんだ。ヅラぁ!ホントにヅラが必要な頭にしてやんぞ」 「ヅラではない桂だ!いくら貴様が可愛そうな鳥の巣頭で俺のサラっサラストレートヘヤーが羨ましいからといって言っていいことと悪いことが…」
今宵は月が明るい。 一歩前に出てくれば、さして苦労もなく幼馴染の姿を見とめることができる。 春の風が桂小太郎の長い髪を幾束か乱し、それを忌々しそうに抑えながら一人、立っていた。 いつもそばにいるオバQモドキの姿は今日は無い。
「ウルセェよ。あんだ?用があんならさっさと言え。聞かねぇけど」 「キチンと人の話は相手の顔を見て聞きなさい!いつもそう言ってるでしょう!」 「いきなりお母さんんん?!いや、いらねぇから。そんな前振りいらねぇから!」
鼻をほじって、その成果を確認してからぴっと飛ばす。 行方を視線で追い続けて敢えて桂のことを見ないことが気に食わないらしい。
「ふむ、では単刀直入に言おう」 「あーあー言うのは勝手だけど銀さんの耳は長期休暇中だから。 ロクデモねぇ話ってこたぁ聞く前からわかるからキコエマセーン」 「実はな…」
相変わらずのマイペースな男に、長年の付き合いから何をいっても無駄だとは知りつつも言葉を返さずにはいられない。
「だから聞かなくていいって!聞きたくねぇ!」 「実は今からお前が訪ねる幕府の狗に伝言を…」 「ほら!ロクデモねぇじゃねぇか。 俺からアイツになんで指名手配犯のオメーの伝言伝えなきゃなんねぇんだよ? 俺はオメーらの片棒担ぐ気も担ぎ出される気もこれっぽっちも、 天パの毛先ほどもねぇんだよ!」
一気に捲し立ててから銀時は口をへの字にむすんだ。
「いや今回は貴様を引っ張りだそうというわけではない。ただ、恋人殿に」 「あ゛ぁ?ちょ!勘弁しろよ!そのこっ恥ずかしい流れは!勘弁しろよ!」 「何?恋人ではないのか?いわゆる流行のセフレというやつか?それともNTRなのか?それとも未亡人…」 「喰いつくなっ!一番最初のであってっよ。合ってると思うけどよ!」
じんわりと汗が背を流れた気がした。 ずいぶん暖かくなってきたとはいえ、まだ4月も初旬の夜であるからけして熱い、ということはありえないのであるが、汗がにじみ出た、そんな感じだ。
「なら最初から頷け。相変わらず素直ではないな。 今まで一所に執着なぞしたことのなかったお前がよりによってあのような男に、 という詮議はもはや何をいまさら言ったところで聞く耳持たないであろうが…」 「わかってんなら口を挟むな」 「だからこそ、土方に伝えろ。この先、銀時と昔馴染み、顔見知りが 敵として目の前に立とうとも腐抜けてくれるなと」
一瞬、押し黙った。 今は『一般市民』であるつもりではいる銀時ではあるが、『白夜叉』であった過去は、関わってきた縁はこれからも付いて回る。 『真選組』という組織に属している限り、その縁のあった人物と土方がぶつかることは勿論ある。 そして、実際にそんなドタバタに二人して巻き込まれたことさえ既にある。
「…阿呆か。んな奴じゃねぇよ」 「阿呆ではない桂だ!」 「アイツぁ、どこまで行ったって「真選組」の土方十四郎だ」 「知っている。あか抜けないイモ侍だ。 だから入田の妹の骨を故郷に極秘に送るなどというお節介をしてくれる」
入田イチ。 かつて銀時、桂たちと共に戦場をかけた男の妹。 長兄を戦争で失い、攘夷浪士となった次兄に駒として使われ、土方に斬られた女。 その次兄の命は銀時が断った。
あの時も、土方は銀時を遠ざけようとはすれ、『仕事』に手を抜くことはなかった。
「…アイツは近藤の前に立ちはだかるモノには絶対容赦はねぇだろうよ。 アイツの道は1本だ。 そこに俺の過去が見え隠れしようとスタンス崩すような人間じゃねぇよ」
一度は無縁仏となってどこぞの寺に納骨されたイチを生まれ故郷に送るよう骨を折ったのだろう。 だが、それは銀時に所縁があったからではない。 土方が土方だからだ。 銀時が惚れた男のことだ。 迷いなくそう答えることが出来る。
優しい鬼。
「そうか…なら、いい」 「いいのかよ?」 「恋は盲目という。何を言っても無駄だとは思っていたが、それ以前に馬鹿どもに 何を言っても無駄だった」 「オメーに馬鹿言われたくないわ!」
馬鹿ども。 銀時と土方、両名を差していることに気が付いて、銀時は小さく笑う。
「ヅラ太郎、用はそれだけか?」 「ヅラではない桂小太郎だ。 あぁ、エリザベスとの待ち合わせ時間までの少々時間があったのでな、 逢瀬で緩み切ったみっともない顔になっているのをみて時間を潰そうかと…」 「ウルセェよ。もう、さっさとどっか行って下さい。300円あげるから…」 「おお、もうエリザベスとの約束の時間ではないか!さらばだ」 「行け行け、もどってくんな」
深く深く、どっと押し寄せた疲れをなんとかどこかにやってしまおうと息を吸って、吐いて、首を回す。
それから、再び歩き始める。
どこからか生暖かい風に乗って花と土の香りがした。 なんの花か、そこまではわからないが季節から短絡的に桜を脳裏に浮かべる。
見上げれば雲の隙間から朧月がほんの少し姿を見せていた。 薄暗い中で桜を探す酒も良い。 煌々と落ちる月の光の下で愛でる桜も良い。
隣に土方、という男がいれば。 そんなことを考える自分に苦笑し、また歩みを早める。
早く土方に逢いたいと思う。 惚れた腫れたの間柄だ。 タイミングが合わず、会えない日が続けば、逢いたいと思うのが人情というものだが、今はもっと衝動的に、本能的に逢いたいと思った。
数分もすれば目的地が見えてきて、ほうっと息をついた。 それほど大きくはないが、庭付きの一軒家。
塀の内側に立派な桜が咲いているのが窺える。
静かな春の夜。 夜桜というものは、なんと人を酔わせるものか。
月は優しく、静かに花を照らす。
玄関灯は付いているものの、家のなかの灯りが付いている様には見えない。 けれども、それが中に人がいないと判断する材料には、この家の持ち主の限ってありえない。 ひょいっと玄関に回る時間も惜しいと庭側の塀によじ登れば、案の定、灯りのない縁側に座る黒い着流しの男を発見した。
「不法侵入」
見咎められて発せられた台詞に笑い、構うことなくそのまま侵入を果たした。
「仕事、早く片付いたんだな」 「でもねぇ。ついさっき帰ってきた」
なんだかんだといって、用意されている杯は二つ。 さっさとブーツを脱ぎ捨て、土方の隣に腰を下ろす。
微かに風がそよぎ、庭の桜の木から花びらが次々に舞い落ちた。
咲いては散り、 散っては地面に帰り、 土になって、再び花を咲かせる。
そしていつか次の世代に席を譲ることだろう。
「綺麗だな」
勝手に、手酌で酒を注いだ銀時はその様を見上げながら呟く。 返事はない。 返事はないが、同意した気配だけは感じた。 互いが己の道筋を違えることなく、泰然としてそこに在ればいいというように。
「あのな…」
酒を口元に運び、銀時は桂の話をするべきか迷い、やはり止めた。
「あれ、ツマミ?」
盆の上ではないが、少し離れた場所に置かれたコンビニ袋にツマミだろうかと話題を変更した。
「さくら味の酢昆布」
短い返答に神楽の台詞を思い出して吹いた。
『銀ちゃんには期待してないネ』
先回りする神楽と甘やかす土方に、また居た堪れないけれど胸の奥がじんわりとしてきて、それを誤魔化すように再び銀時は酒を煽った。
「綺麗だな」
今度は静かに土方の口から呟きが零れ落ちた。
「そうだな」
夜桜に酔って手を伸ばしたあの日から 随分回り道をしてはきたが、無駄だったとは思わない。
これまでも、 これからも。
瞼を閉じても、花がさやさやと枝と花びらを動かして、春の夜を楽しませてくれる。
それ以上、どちらも言葉を発しない。 発しはしないが、銚子が空になったなら。
酒と花の匂いを反芻しながら、そこに互いに互いの香りと熱を織り交ぜよう。
しばし、と銀時は今度はゆっくりと口元に酒を運んだのだった。
『巡る花』 了
2014年4月の拍手。
銀さんの周囲をめぐる人々のお話でした。
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