うれゐや

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【シリーズ】 | ナノ

『月の名前 宵待月』



静かに、
静かに冬の夜空は澄み渡り、
雲も疎らにしか存在しない、そんな夜だった。

月は宵待月。
大きく光りながらも、望月の光の強さにはほんのわずかに届かない。
そんな月。


土方は、銀時が注ぎ入れた盃を口に含んだ。
日本酒独特の甘みを口の中で広がり、そこに力強く咲き誇る梅の木の香りも加わった気がする。

お互いに、何も語らない時が流れている。

銀時にしてみれば、恐らく、土方に問いただしたいことはいくらでもあるのだろう。
今日、ここへ来ることが正しいことだったのか、間違いだったのか。
まだ、迷いがないわけではないのだが…

今日の夕刻の出来事を思い出し、小さく笑った。




「トシちゃん」

巡察先に現れた銀時から、一方的な誘いを言い渡され、頭を抱えながら屯所へ戻る最中のことだ。
今度は万事屋の従業員でもある、桃色の髪をした少女に声をかけられた。

「何かあったのか?」
「ちょっと、顔貸すヨロシ」

少し気難しそうな顔を作る少女に眉を軽く寄せる。
相談事があるのならと、袖を引かれるままにファミレスへと足を向けたのだ。


もう、慣れたといえば慣れてはきたのであるが、その小さな体によく入るものだと感心してしまう量の注文をウェイトレスに捲し立てた後、チャイナ娘は漸く本題を切り出した。

「銀ちゃんと何かあったネ?」
「は?」
ゆっくりと、意識して瞬きをした。

「銀ちゃんの様子が、ここの所、今までにない方向でおかしいアル」
「あの野郎がおかしいのは今始まったことじゃないだろうが…」
何か、銀時から聞いたわけではないらしい。
だが、神楽は二人の間の空気をかなり正確に読んでいる節が以前からあった。

「急に真面目に自分で仕事取ってくるようになってもアルカ?」
「そりゃ…さすがに溜まった家賃の事とか気になった…とか?…」
そうそう、急に心根を入れ替えて何てことがあるとは思えないが、一応口にしてみる。
そうであれば、メガネの少年もあんなに苦労していないだろう。
神楽もそう思っているのか首を横に振った。

「急にニヤニヤしたり、なんだか、いろんな色の糸眺めてはああでもないこうでもないって
 唸っていても?」
「気持ち悪いな…」
「ハッキリ言ってウザいアル」
うんうんと頷きながら、最初に運ばれてきた、ハンバーグのセットをかきこみ始めた。



先日、吉原でかちあった。

極秘の案件の為に張り込んでいた宿屋で銀時と会ってしまったのだ。

銀時が、女連れで、そういう目的を主とする宿屋に入ってきた事実。
もともと、本人が言うほど、モテないということはないことは分ってた。
いたからこそ、その光景に違和感がなかったのかもしれない。
困っている人間を見れば、『万事屋』という看板を建前に、人助けに首を突っ込んで、結局貧乏くじを引いてしまうことを良しする人間だ。
銀時に想いを寄せる女が、いてもおかしいことはない。

結果的に、銀時のツレの正体は、百華自警団の長であり、思い違いであったのだが、土方は確かに動揺した。

情報として知っていること、可能性を目の当たりにした。
それだけであるのに土方は一瞬受け止めきれなかったのだ。


あの時、吉原からの帰り道。
月詠とよばれた女の煙管と自分のタバコのことを比べられたことが癪に障った。
銀時にすれば、喫煙者のついおかしてしまう癖の指摘など、他意はなかったのだともわかっている。

そこまで、わかっていながら…
気が付くと、皮肉を口にしながら、男の口元を舐めてしまっていた。


自分でも、自分の行動が良くわからなかった。
落ち着いて、理由付けをしようとしても、『その時』自分を鷲掴みしていた感情の名前が分らなかった。

本当は一言で表現してしまえば、いい感情であったのかもしれない。
ただ、それを口にしたくないだけで。



「あんな顔、銀ちゃんにあんな顔させるのはトシちゃんしかいないネ」

神楽の声に思考は中断される。

「そんなことねぇだろ」
「トシちゃんが秋に消えちゃった時も、銀ちゃんのこと忘れちゃった時も、
 みてられなかったネ。情けないことこの上ないヘタレっぷりヨ」
「………」

手の届く範囲のすべてに手を伸ばし、掴もうとする坂田銀時という人間。
それは、ある意味、均一。
分け隔てなく、総てを拾いあげる懐の深さともいえる。


「トシちゃん」
「ん?」
コーヒーカップの内側に映りこんだ自分の顔を見るともなしに見ていると、3食目になるスパゲッティのフォークをおいて、神楽に改まった声で呼ばれた。

「銀ちゃんは、どうしようもないマダオネ。
 依頼が無ければパチンコ三昧だし、糖尿病予備軍だし、ドSの変態だし、
 甲斐性は全くないし、ヘタレのマダオの代表ネ。でも、私にとっては大事な家族」
「あぁ」
「だから、トシちゃんが少しでも、ほんの少しでも…
 銀ちゃんと向かい合ってくれる気があるなら…」
「チャイナ…」
少女の言葉から汲み取るべき言葉は山ほどあった。

「わかったから」

子どもだと思ってはいても、さすが『女のタマゴ』といったところか。
自分が逃げていることも恐らくばれているのだろう。

「なら良いアル」
にこりと少女は笑い、フォークを再び手に取ったのだった。




そして、今宵は、盃に映りこんだ、自分と月を眺めながら、人気のない異菩寺に座っている。


「なんだよ?」
神楽とのやり取りを思い出していたら、どうやら自分は喉を鳴らして笑っていたらしい。
怪訝そうに、銀時がこちらをのぞきこんでいた。

「いや…何でもねぇ」
「気になんでしょうが。普通」
相変わらずデフォルトで眠たそうな顔をしているが、そこに少しだけ苛立ちが読み取れた。

「いい夜だなと思ってよ」

誤魔化すつもりもないが、今素直に言えるのはそれくらいだった。

美味い酒と
宵待月の煌々とした月明かりと。
土方が実は好む梅の庭。

「いい月だな」

銀時も、それ以上追及することはなかった。
再び、静けさが横たわる。

「世の中は、恋繁しゑや、かくしあらば、梅の花にもならましものを」
眼は庭に向けたまま、銀時がぽつりとつぶやいた。

「?」
万葉集だっただろうか?
土方に学はないが、兄の影響で多少は知るものもある。

『世の中では恋の悩みが絶えません。こんなに苦しむのだったら、梅にでもなることができればよいのに』
そんな意味だろうか。
なんと、返すべきなのか。
いや、まず返されることを前提に持ち出したのだろうか。
さて、と土方は酒を一口、口に含み舌の上で甘味を転がしてから、嚥下した。


「淡雪の、このころ継ぎて、かく降(ふ)らば、梅の初花、散(ち)りか過ぎなむ」
いくつか、俳句や歌が頭の中で浮かんでは消え、最終的には万葉集で返すことにする。


「え?」
自分で振っておいて、きょとんとした様でこちらに顔を向けるので、居た堪れなくなる。


『淡雪が近頃こんなに降り続いているので梅の初花が散ってしまうのではないかしら』

手酌で自分のものに液体を注ぎ入れた。

「ぶは…そう来るか」
「テメーが殊勝なこと言いだすかんだろうが…柄じゃねぇよ」

銀時も、自分の杯を空にする。
それから、懐からごそごそと風呂敷で包まれた何かと取り出した。

「う〜ん。バレンタインには遅くなっちまったし、アレなんだけどさ」
「あ?バレンタイン?」
二週間も前の行事の話がここに出てくるとは思っていなかった。
あれは、女が、男にチョコレートを贈る天人の年中行事ではなかっただろうか。
首を傾げていると、察したように銀時が笑う。

「天人の世界じゃ、別に女からって決まってるわけじゃないんだってさ。
 それにチョコやってもオメー喰わねぇだろ?」
ボリボリと頭を意味なく掻き毟りながら、俯かれると、月がいくら明るいといっても、その表情は見えにくい。



朱塗りの鞘に合わせてなのか、黒に赤の縁取りの正絹高麗下緒。
本来鞘が帯から抜け落ちないように固定する道具であるが、今ではどちらかというと装飾品としての意味合いが強いようだ。
土方も、これまで特に使ってはいなかった。

「まぁ、貰っててよ。結構便利だと思うよ?それ」
「万事屋…」

「いや、アレだ。梅好きって聞いたから、鍔とかも考えたんだけどよ。
 ほら、オメーの村麻紗じゃん?妖刀じゃん?勝手に変えていいもんか、
 わかんなかったから。ほら、アレだ。
 アレ、うん、だから、なんかやりたかっただけっていうか…」

「万事屋」

呼ぶが、完全に俯いたまま、もはや言い訳なのか、独り言なのか、不明な呟きを落とすだけだ。
その旋毛を、月光を映し込む銀色を美しいと思った。


周りの人間は自分たちを良く似ているという。
自分では、そんな自覚も、つもりもないのだが、今目の前の銀時を見ていると、あながち似てないとも言い難い気がしてきた。


「万事屋」

漸く、銀時の頭が上がる。
取りあえずではあるが、村麻紗に結びつけたての下げ緒を目の前につきだす。

「あ…あぁ」
「おぅ」

そうして、再び、静かに、二つの杯を再び満たした。

「じゃあ、ホワイトデーは3倍返しな」
「阿呆…」

まぁ、いいかと、静かに土方は空を見上げたのだった。




『月の名前 宵待月』 了





【万葉集より】
 ◆「世の中は、恋繁(しげ)しゑや、かくしあらば、梅の花にも、ならましものを」
  作者:豊後守大伴大夫(ぶんごのかみおおとのたいふ)
 ◆「淡雪(あわゆき)の、このころ継(つ)ぎて、かく降(ふ)らば、梅の初花(はつはな)、散(ち)りか過(す)ぎなむ」
  作者:坂上郎女(さかのうえのいらつめ)

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