『花の名前 うめ』
バレンタイン。
天人がもらたした、その風習は、良くも悪くもすっかりこの世界に定着し、独り立ちした。 この江戸の町では、すっかり女性が男性にチョコレートを送り、愛の告白をする日になっている。 けれども、本来、どちらから贈っても良い行事。 そう、小耳に挟んだ銀時は早速動き出した。
「ひ〜じ〜か〜た〜く〜ん」
気配を最大限の配慮で消して近づく。 間近に迫ってから、坂田銀時は苦虫を潰したような顔をした男の名を一音一音、呼んだ。 デフォルトで刻まれた眉間の皺に加え、今日は目の下にクマまで作っている。
「あ゛ぁ?なんか用か?クソ天パ」 「今晩、暇?」
先日、吉原でかちあった時に、想い人である土方十四郎の方からキスされた。 キスされた…という表現よりは口元を舐められたという方が正しいのかもしれないが、デフォルトでツンツンツンツンデレな男の行動としては、かなりの前進だと銀時は思っていた。 あまりの突発さに、固まってしまって、土方が路地を足早に曲がるまで動けなかったことは不覚も不覚。 慌てて、後を追ったのだが迎えの車は立ち去るところだった。
まぁ、すぐに会えると高を括って、そのままにしていたのがよろしくなかった。
会えないのだ。
山崎情報やマスコミの報道では特に忙しいという風でもないのに、遭遇出来ない。 巡察中の姿を遠目で見ることさえ途絶えた。 ぱったりとだ。
明らかに避けられている。
めげない。 めげてはいけない。 銀時は自分を鼓舞する。
これまで、銀時は極力、人と深く付き合うことを避けて生きてきた。 人付き合いが苦手、人間嫌いとは違う。 ただ、自分から好んで人と縁を結ぶことが怖かっただけ。
今、手の届く範囲でもいいから護りたいと思う範囲にいる人達だって、最初から自分から手を伸ばしたわけではない。 きっと、今一番身近にいる神楽や新八も本人達が独り立ちを望むならば、いつだって、晴れやかに見送るだろう。 いつのまにか、集まり、自分の中の中心を温めてくれる存在達。 大切ではあるが、追いはしない。
そんな中で土方だけが異色なのだ。
春に花に月に酔って身体を繋いで… 欲しいと思った。 だから、初めて手を延ばす。
そして、今日。 お妙を餌に近藤から漸く本日の巡察先を聞き出して(もちろんかぶき町外だった)捕まえたのだ。
「暇じゃねぇ」 「うっそ。聞いてるよ?今日の夕方から明日の昼まで休みなんでしょ。逃げんなよ」
くわえた煙草が上下に揺れる。
「逃げてねぇし…何か用か?」 「飲みに行こうぜ」 「…行かねぇ」 強気な瞳がこちらを向かない。
「怖がるなよ」 わざと、からかうような言葉をかけて、煽る。
「誰が怖が…」 「じゃあ、宵五つに異菩寺な」 「ちょっと待て!?まだ俺は行くなんざっ…」 「あ、あそこ暮六つぐらいで閉門するはずだから、裏の塀乗り越えろよな」
土方の言葉はどれも最後まで紡がせない。 こちらのペースに巻き込む。 弁がたつのは土方もそうかもしれないが、煙にまくという意味での口八丁は自分の方が上だ。 そして、真選組の副長なぞしているくせに、基本的にはお人よしな土方は無視を決め込むことは出来ないだろう。
「人の話を!」 「逃げんなよ?」
最後にそれだけ言い置き、その場を後にした。
如月の宵五つ。 寺の軒先に陣取った銀時は、くしゃみを立続けに三つして、ぶるりと身体を寒さに震わせる。 それから、己を取り巻く冷気に悪態をついた。
「くっそ!寒っ」
勿論、この冬空の下で人を待とうというのであるから、厳重な防寒を装備して忍び込んでいた。だが、人気のない寺の庭先は思いのほか冷え込んで感じる。
本当に柄ではない。
こんな寒空の下。 雪もちらつく晩に、いくら月明かりが強いからとて、寺の境内で、月見酒の準備をして、来るかどうかわからない男を待つなんて。
軒があるから、チラチラと降り続く雪と、直接吹きすさぶ風からは守られていたが、場所のセレクトを誤ったと、今更ながらに後悔する。
「来る…よな?」 人の唇、自ら舐めておいて、なかったことにしようだなんて…
「まさか、思ってねぇよな?いや、でも待てよ…最初にヤッちまった後も避けてやがったよな…アイツ」
だが、今はさすがに銀時の『気持ち』を知っている。 そして、自分に良いように解釈するならば、土方の方も全く受け入れる気持ちがないわけではないのだと思う。
自分の想いは『いつか』、いや『すでに』になのかも知れないが、土方の重荷になる日が来る。 それはわかっている。
自分の過去と土方の立場。 自分の束縛癖と土方の生きる場所。 お互いのヤクザな商売と生き様。
けれども、刹那的な衝動ではないと思う。
だから… 懐に手を入れ、持ってきた『モノ』を指で撫でてみる。 2月14日に渡そうと用意したものの、気がつけば月も終わりに差し掛かっていた。 イベント的には、時期を外して、微妙な感がないではないが、この際仕方がない。
「いい加減…始めちまうかな…」 アルコールが入れば、少しは暖かくなるかもしれない。
空を見上げる。 今宵はお誂え向きに雪雲も薄い。 垣間見える月は宵待月だった。 こうして、縁側に座り酒を注ぐと以前にも同じようなことが気がしてくる。
望月には少し足りないその形の月に、見覚えがあった。 望月を少し通り過ぎた十六夜月… 手酌で注ぐ酒。 あの頃は桜だったが、今日の主役は見事な…
「こりゃ見事だな…」
銀時の言葉を代弁するものが現れた。
雪に負けず咲き誇る異菩寺の梅の木。 その枝をかき分けて、現れた待ち人の声だった。
「遅ぇよ」 「大体、来るとも来ないとも言ってねぇだろうが」 梅の下に立ち、静かに見上げ、ニヤリと笑う様に見惚れた。 誤魔化すかのように、トントンと、自分の隣を指で示して、用意してあった盃に酒を注ぐ。
「梅…」 隣に土方は座し、視線を花に戻す。
「なかなか、すげぇだろ?」 「あぁ」 目は庭側から戻って来ない。
(まぁ、気に入ってくれたんならいいんだけどね)
苦笑しながら、自分のものにも注ぎ足す。 思い起こせば、土方の私邸だと知らずに忍び込んでから、ずいぶん経つ気がするが、まだ季節を一巡りもしていないのだ。
お互いに、何も語らない時が流れる。
銀時にしてみれば、ようやく避けられていた土方に会えたのである。 問い質したいことは山ほどあったはずなのだが、夜気に漂う梅の香りと、静かに降り注ぐ月の光に言葉は存在を薄れさせられていたのだ。
『花の名前 うめ』 了
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