うれゐや

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【シリーズ】 | ナノ

『Butterfly Flutter』






ひらり

何が視界の隅を掠めた。

視線を窓の外へと動かす。

それは花びらだったのか。
気の早い蝶だったのか。

目で追うが、結局のところわからなかった。



銀魂高校、卒業証書授与式が数日前、終わった。

花冷えする一日。

あまりに呆気ない式だった。
暴れる生徒がいるわけでもなく、式は厳かに。

その後は級友や在校生との別れを惜しむ姿が見受けられるだけ。

銀八が受け持つ三年Z組は、就職や、推薦、専門学校へ進路が決まっている人間が多いから、更に解放的な空気が強かった。
最後のホームルームも、当たり障りなく、

「卒業しても、三月末まではウチの生徒だから、問題になりそうな行動は4月以降にしろ」だとか、

「まだ、結果出てない奴は自力でどうにかしろ」だとか、そんな話で終えて、

写真に共に写って、一人また一人と教室から送り出した。


個性の強いクラスだったと思う。
けれども、所詮自分の前を通り過ぎていくだけの存在達。

何年か後に顔を合わせて、名前と顔が一致するのは一体何人いるだろう。

まだ、結果待ちの生徒が数人いる。
その中の一人だけは、けして忘れることなど出来ないだろう。


『土方十四郎』


既に、私立大学の発表は終わった。
個別に連絡が入るらしいが、いまだ学校に報告がないところをみると、駄目だったのだろう。
もともと、本命はこの後、発表される関西の国公立大学だ。

これまでの模試とセンター試験の結果からなら、余裕のA判定。
国語科準備室の窓から校庭を眺める。

担当する1、2年の現国の授業の他は、クラスの残務と教室の片付けぐらいだ。
煙草に火をつける。


「土方…」
小さく名を舌先にのせる。


最初は、ゲームのつもりだった。
最初は、ただ、存在が気に食わないだけだった。

あまりに無垢な、真っ白な、真っ直ぐな子ども。
たまごみたいだと思った。
割ってみたいと思った。
割って、汚して、自分の色に変えてみたいと思った。


何にも染まらず、染められず純粋を体現したような真っ直ぐな心根。

入学式の時から、目についていた。
無垢な存在。
黒い外観とは裏腹に、なんと染まらない純粋培養。

無駄に綺麗な外見。
無駄に愛想のない言葉。

卵は孵って、幼生に
幼生は、やがて蛹になって
羽化をした。


その強気な瞳を、涙で濡らし、俺に縋らせてみたい。
這い蹲らせて、俺を求めさせたい

そう願った。

なのに、


手のうちにあったはずの、
無垢な生き物は
いつの間にか、色を変えていた。

真っ白い魂のまま、
真っ黒い羽を手に入れて、

艶やかさを凛とした青灰色を瞳にのせて。

いつのまにか、大人になって、
世界を広げて、ボクを置いていく。


壊すほど絶え間なく、自分の欲を
何度も何度も、注ぎ込み、
それでも、空の心。

ボクは自分の犯した過ちに
もはや、逃げ出すことしかできない思い違いに
眼を閉じる。

「土方」

ひらりひらりと

羽を広げて、きみはどこまでいくのか?

きみは答えない。

ただ、時が来たから、飛び立つだけ。
ここに、ボクを置いていく。

進むことも、戻ることももはや出来ないボクを。

この閉ざされた空間に。

浅ましい独占欲に気づかされた。

一握りの、ようやく気が付いたボクの想いを
毒である自分をも飲み込んだキミは何者だったのだろう。

今ならば、捕らわれていたのが、キミではなくボクの方だったのだと言える。
まさか、自分にこんな激情が眠っていたとは。
こんなにも揺さぶられる感情が存在していたとは。

ゆっくりと再び瞼を開ける。
春霞のかかった校庭に、
黒い人影が見えた。


「土方」

まぎれもなく、今思い描いていた姿がこちらへ歩いてくる。

彼は視線を上げた。

そして、少年は静かに笑った。




静かなノックが2回。
準備室の木の扉を叩く。



銀八は何も言わない。

しかし、答えずとも、扉は静かに開けられた。


「先生」


扉は開けられたが、土方は部屋へは足を踏み入れない。
立ち止まったまま。


それもそうか。
銀八は苦笑する。


散々、ここで土方に無体を強いてきた。
屋上で、喫煙を見咎めてから、つい先月、衝動的に自宅に拉致まがいのことをしてしまうまで。

ここで、
この国語科準備室で。


ベルトで戒めて傷つけた手首もほんの数日で消えた。
消えてしまった。


何事もなかったかのように、あれから、土方は自分に接する。


この場所以外で、土方を抱いたのは初めてだった。
余裕も、理性も、お世辞にもあったとはいえない。


そして、土方は変わった。
変わったといっても、変質したというわけではない。


土方は土方だった。
最初から最後まで。


では、自分が変質したのか。

それも、違う。
銀八は銀八だった。

最初から最後まで。


二人ともが、己が質を見誤り、把握できていなかっただけ。

土方という侵すことのできない存在に、
焦がれ、手を伸ばさずにいられなかったのは銀八。

銀八に流されていたかのように見えて、
その実、何も変わらなかった土方。


「銀八」

もう一度、静かな声が入り口からかけられる。

「合格した」

何処に?とは今更だ。
今日は本命の合格発表なのだから。

おめでとうと言うべきなのはわかっている。
もしくは、いつもの調子で憎まれ口の一つでもを言うべきなのだと。


「そうか」

それだけ。
なんてチープなセリフだろう。

自分のいる窓際から、入り口に立つ土方までの距離が永遠のように遠い。
これが、絶対的な自分たちの距離。


「それだけ?」

問われても、他にリアクションが出来ないのだ。

「アンタさ…」
土方が一歩足を踏み出した。

「アンタは、どうしたいんだ?」

「どうしたい…?」
変なことを聞く。

自分がどうしたいか
そんなこと聞いてどうするというのだろう。


キミはボクを置いてどこかへ行ってしまうというのに。

「そう、どうしたいんだ?銀八は」

飛び立つ羽根をもはや縫い止める術を持たないのに。

覚えておいて
こんな愚かな方法でしか、
キミに触れる言い訳を作れなかった、醜い大人のことを。

こんな拙い方法でしか、

キミを求めていたことを知ることさえ出来なかった、哀れなボクのことを。


「ゲームオーバーだから」
そう、ゲームはおしまい。

自分が負けて、それでおしまい。

土方がまた、一歩踏み出した。
あの日、逃げ出した。

キミが恐ろしくて。
今だって、逃げてしまいたい。




「ゲームオーバー?それともコンティニュー?」


静かに、土方は今度は、そう尋ねた。
その問いに戸惑う。

『終わる』ことしか出来ないと思っていた。


土方は卒業し、家を遠く離れる。
銀八から、物理的にも、立場的にも逃れることができるのだから。
子供だましの『脅し』など、今更縛る理由にならない。


けれども、『コンティニュー』かどうか尋ねられたのだ。


「土方?」

土方の表情が読めない。
感情の読みやすい少年だと思っていたのに、今は分らなかった。

ただ、静謐とした瞳で、
ゆっくりとこちらに近づいてくる。

「銀八、俺がどうするかじゃなくて、最後ぐらいアンタが選べよ」
目の前に立った土方の背丈は、この半年で銀八に追いついてきていた。




自分と、あまり変わらない身体をもつようになった青年。
卒業したのだから、わざわざ着てこなくてもいいのに、生真面目にまとった学ラン。

自分とは対照的な黒く、艶やかなストレートの髪。
すこし、瞳孔の開いた青灰色の瞳。


たまごはちょうへ。


「俺は…」


蝶は誘う。
その誘いに手を伸ばす覚悟は自分のなかにあるのか?

戯れに、
最期に問うてみただけだとわかってはいたが、
なぜだか、応えには、覚悟が必要だと思った。

そして、
手をのばす。


のばして、
ひきよせて、
だきしめる。


考えてみれば、そんな行動さえ、初めての事だったかもしれない。
そんな行動ひとつを行使することが、こんなにも苦しい。

「銀八、これが答えか?」
腕の中で、小さく問う声が少し震えている。


でも、それに答えない。

そのうえで腕の力も緩めないだけ。

「ズリィんだよ」

土方の腕が背に回される。
その暖かさに
戸惑った。


戸惑いながら、彼の指摘する狡さを持ち出す。


「大人ってそんなもんだから…これテストに出るから覚えとけ」
「必要ねぇよ…俺、全勝だから」
くすくすと笑う相手に、身体を硬直した。


「全勝?」
「そう、負けるのは性にあわねぇ」
楽しそうな土方を初めてこんなに近くで感じたと思う。

そして、恐る恐る顔を上げた。



蝶はわらう。

「受験したところ、全勝だ」
「は?」

「そのための家庭教師だからな。高杉先生は」
「へ?」


蝶は羽を広げた。

ひらりひらり


「どこへいくの?」


ひらりひらり

蝶は飛び立つ。


卵は孵って、幼生に
幼生は、やがて蛹になって
羽化をする。

ちいさなかごの中から、
自分の思う通りの場所へ。


「どこへ行ったら良いと思う?」


ひらり

再び、
何が視界の隅を掠める。

それは花びらだったのか。
気の早い蝶だったのか。


だが、目の前の蝶から目が離せない。



「ここに」

銀八の答えに、蝶は、また静かに笑う。



かごのふたは開けられた。
そして、かごは空になった。


ひらりひらり。

卵はかえって
幼生にそだち、
蛹になって
羽化をする。

黒く、大きな翅を広げて、

蝶は自ら、『それ』を選んで、手に入れるのだ。





『Butterfly Flutter』  了

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