『FAKE-10/10-』日本有数の繁華街かぶき町、その中でも一、二と数えられるホストクラブ『goldsoul』。 「なに?こいつ?」 出勤してきた金時は事務所に入るなり、そう、口にした。 外は土砂降りで、何をおいてもタオルを探すつもりでいたというのに、それすら忘れて。 事務所にはオーナーの神楽がいた。 かぶき町内にいくつかの店を持つ彼女が『goldsoul』に顔を出す頻度はそれほど多くはない。 大抵の場合、事前に来店の連絡がマネージャーの新八の元に入るが、ふらりと気まぐれでやってくることも少なくはないから、いてもおかしくはない。 金時が状況を読めず、眉を顰めたのは彼女自身についてではなかった。 彼女の手の中、ソファの上、バスタオルすっぽりと覆われた黒い塊についてである。 「拾ったアル」 神楽のなすがままにずぶぬれらしい頭を拭かれている生物は犬猫の類とは、どうみても違う。 けして小さくはない。 小さいどころか、神楽よりも大きい。 「拾ったって…おめェなぁ…」 金時は深いため息をついた。 神楽の突飛な行動はいつものことだ。 大胆というべきか、剛毅というべきか、本能のままに動いているというべきか。 けれども、バスタオルの裾から除く身体はどう見ても成人男性だ。 人間はまずい。 一歩間違えれば、拉致誘拐になりかねない。 「金ちゃんは心配性ネ。大丈夫アル」 金時の心配などお見通しとばかりに年齢不詳の女は笑った。 彼女の大丈夫は確かに最終的には「大丈夫」になったにしてもトラブルは必ず付いてくる。 「トシ、これが金ちゃんヨ」 「トシ?」 バスタオルから身に着けた服と同様の真っ黒い頭が出てきた。 それから、V字の前髪が現れ、やや眦のつり上がった目がまっすぐに金時を捕える。 首の後ろの太い動脈が血液を頭に運び頭痛にも似た症状を引き起こす。 綺麗な黒猫デショ? 神楽の声がなぜか遠く感じた。 それが、金時と土方十四郎と名乗る胡散臭い男との出会いだった。 そして、気が付けば、土方が『goldsoul』でバーテンとして働くことになって半年を超えていた。 半年でわかったこと。 派手なパフォーマンスは滅多にしてみせないが、土方のバーテンダーとしての腕は確かなこと。 ホストでも通りそうな容姿をしてはいるが、口も目つきも悪いため、接客には向かないこと。 だが、意外に面倒見が良い部分も見られ、目立たぬようにホストや黒服のフォローをしてやっていること。 「ひじかたくん」 客の波がほんの僅か切れた隙を見つけて、最近は土方のいるバーカウンター前に金時は座る。 以前まではほんの五分でも時間があけば、万全の態勢で客に夢を見せるために、控室で休んでいたというのに。 警戒と称して。 「お誕生日さまに休む暇なんざあんのか?」 土方に対する初対面の印象は変わらない。 気さくな口ぶり逆にどこか胡散臭い。 「サヤカさん待ち」 「なるほど…」 10月10日。 金時の誕生日、年一番の稼ぎ時だ。 特にこれからやってくるサヤカは太客の中でも群を抜いて、気前がいい。 スタッフがVIPルームも入念に整えている最中だった。 「土方くんからはプレゼントないの?」 「…ねぇよ」 土方は悪い人間ではないと思う。 神楽が新八に渡した経歴書によれば、地方の大学卒業後、上京して、いつかのバーに勤めたとあった。 裏付けも取った。 「ないのかよ!ちょ!俺はちゃんとあげたよね?社会人として、それどうよ?」 「うるせぇよ。寄越したってぇのは、あの趣味悪りぃ首輪のことか?」 偽りがあったのは生年月日だけ。 神楽もそれだけであったから流しているのだろう。 しかし、金時は己の直観を信じている。 だから、経歴書にはない、本当の誕生日であろう日にプレゼントを渡して、牽制してみたのだ。 「え?好みじゃなかった?」 「あったりまえだっつうの!」 あれから五か月。 土方に変わりはない。 平気な顔をして出勤し、金時の軽口にツッコみ、時に流し、シェイカーを振り続けている。 「でも、突き返さなかったじゃん」 「そういう問題じゃ…っと、」 土方は新しく入った注文に手を動かし始める。 アーティチョークをベースにハーブエキスを加えたチナールとリレ・ブランを手に取った。 それらをステイしてカクテルグラスに注ぎ、カットしたオレンジを添える。 琥珀色のカクテルを土方が持ち上げ、仕上がりを確認し、盆にのせた。 すると、今までいることにすら気が付かなかった地味な黒服が流れるような動作で運んで行く。 その仕事ぶりに感じたほんのわずかな違和感は土方の声に拡散された。 「けど、なんで首輪だったんだ?」 「拘束したい欲求。手錠の方が良かった?」 「どっちもいらねぇよ」 神楽は土方を黒猫だと言ったが、気まぐれな猫というよりも、律儀な犬に近いと金時は思う。 誰に仕えているのか、誰を従えているのかが問題なのだ。 「本当にさ、もっと土方のこと、知りたいんだけど?」 金時を探るように土方の目が細められた。 ホストの手管だと思われたかもしれないが、本心でもある。 真の中に含まれた偽物。 偽物の中の真。 「ほら、誕生日プレゼント」 結局、土方は答えず、ライムが飾られたサワーグラスを金時の前に置いた。 ジントニックだと思って口に含んだ金時は目を軽く見開く。 「ただのライムウォーター?」 「あぁ、今日はてめェ、飲みすぎだ」 店を上げての大イベントに確かに流石の金時の肝臓も悲鳴を上げていることは間違いない。 簡単には尻尾ださねぇか。 金時を気遣うような口調で、先ほどの流れを冗談だと流されたことは明らかだ。 かといって、ここで無理に追及することには躊躇いがある。 一度置いたグラスをもう一度手に取ると、改めてライムのさわやかな香りが鼻先をくすぐってきた。 「4番テーブル、バナナ系で、とのことです」 地味な黒服が新たなオーダーを取ってきたようだった。 土方はテーブル番号を復唱し、4番テーブルに目を向けた。 つられて、金時も頭を回す。 先ほどバーント・オレンジ・キールを持っていったテーブルだった。 眉間に軽く人差し指を当ててから、バーテンダーは磨き上げられたグラスを用意し、カウンター内の冷蔵庫を開ける。 だが、望むものが入っていなかったらしく、黙ってバックヤードへと行ってしまった。 やはり、今日はここまでだな。 近づいているようで、まったく近づけない虚構の関係は虚しくも、刺激的だ。 急ぐことはない。 金時は立ち上がり、自分もVIPルームに向かうべく、一気にライムウォーターを呷った。 「ん?」 氷だけになったグラスを置こうとして、コースターの柄が目に入る。 店オリジナルのコースター、そこに小さく11桁の番号が走り書きされていた。 「誕生日プレゼント、ね」 コースターを指で摘まみ、間接照明に照らす。 グラスが結露して出来た水滴がコースターを濡らし、あともう少し気が付くことが遅れていたら水性ボールペンで書かれた文字は滲んで読めなくなっていただろう。 金時は土方が目の前にいないことが惜しみながら、それでも、ちゅっとワザと音を立てて、コースターにキスをした。 『FAKE』 了 【作中のカクテル】 バーント・オレンジ・キール (63/85) 前へ* 短篇目次 #栞を挟む |