『たったひとつの−the only other thing−』国語科準備室の扉が閉まり、かちゃりと鍵の締まる音だけがやけに大きく聞こえた。 始まりの合図、のようなもの。 はじまりのはじまりのひ。 あの、最初にこの場所で自分が後ろ手で閉めてから、繰り返してきた音。 大きな手が土方の腕を引いて、部屋の端へと導いた。 煙草と、埃、古い蔵書特有の匂い、それらが肺を、教師の荒い息遣いが耳を満たす。 もっともっと。 教師は声に出せない土方の欲求を叶える為に性急に手を動かした。 ベルト を緩め、下着と制服のズボンを膝辺りで弛ませるだけの状態にすると、教師の手は既に立ち上がり始めていた土方の中心に触れる。 乾燥した左手が上へ上へと擦り上げ、徐々に土方の体液でねちゃりと湿り気を帯びた音を立てていく。 右手は教師を受け入れる為の場所を発いていた。 もっともっと。 触れてほしい。 満たしてほしい。 直接的な下肢の刺激と受け入れる準備だけが淡々と行われる間、土方は願う。 願ってしまう。 シャツのボタンすら外されることがない。 シャツの上から乳首を触れることが精々。 無言で準備を整えた教師はスキンを土方自身と教師のもの、両方に付けた。 女と違って妊娠の心配もないだろうに、受け入れる側の土方には必要ないだろうに、必ず教師は用意している。 尻の肉をやや開かれた。 土方は衝撃に備え、大きく息を吐く。 先生。 これは肌を合わせると呼べる行為なのか? 歯を食いしばって問いかけたい衝動を抑え続ける。 本当の意味では触れられたことも繋がったとも言えないのかもしれない。 それでも、好きなヒトに触れてもらえる。 だから快感はある。 後ろから自分の中へ侵入してくる熱と廻された腕の重さと肩にかかる息の熱さ。 あと、教師の動きに合わせて揺れる白衣。 それだけは現実。 狂おしいまでの快感と締め付けられるような痛みを同時に味わいながら、やはり土方は声には出さず、教師の名を呼び続ける。 銀八。 アンタが俺のことをどう思っているのか、さっぱりわからないままだけれど。 誰にも知られてはならない、秘密しかない関係しか結んでもらえないとしても。 それでも、アンタが好きだ。 一気に駆け上がった欲はあっという間に弾け飛んで終わってしまう。 余韻に浸る間はない。 教師は力を失った己を土方の中から引き抜き、後片付けをすぐに始める。 普段のやる気のなさからは想像も出来ないような、用意の良さと手早さで用意していた別のごみ袋に二人分のスキンを放り込んだ。 それをぎゅっと固く密封すると、念入りにまた別の袋に収める。 教師は絶対に、学校のごみ箱になど捨てはしなかった。 欲のなれの果ては持ち変えられ、誰にも見つからないように処分されるのだ。 ふらつく足を叱咤し、ベルトを止めていると、急に校庭の音が大きくなった。 換気の為に窓が開けられたのだ。 帰りの挨拶を交わす少女たちの声とタイムを計っているらしい陸上部の笛の音がはっきりと聞こえてくる。 がちゃりと、閉めた時よりはやや軽い音を立てて、鍵が開けられ、教師によって扉も全開にされていく。 まるで用が済んだから帰れと言わんばかりに。 『秘密』だと最初に言われた。 『誰にも知られてなならない』とも。 教師と生徒。 確かに許されるような仲ではない。 世間に知られることが万が一にもあれば、教師は職を追われ、土方は保護者の手によって監視される身になるだろう。 土方も、教師もそんな結末は望まんではいない。 だけど、と少年は準備室の窓から差し込む茜色に目を細めた。 卒業までだと言われた。 この関係にはリミットがある。 卒業して、毎日会えなくなって、そして、触れられなくなったら、自分はどうなってしまうのか。 ずっとわからない。 「土方…」 教師は空と見つめたまま、出て行こうとしない生徒を見ていた。 茜色は銀色の髪にも映り込んでいる。 「もう…」 もう、なんだというのだ。 ずっと、何もかも、どうしたらよいのかもわからずにいる土方だが、その言葉の先は知っている気がしている。 駄目だ。 まだ、言わせない。 「先生、また」 また明日。 生徒が担任に告げるにおかしくはない言葉を選ぶ。 そうして、鞄を掴んで、少しだけ口角を持ち上げる。 駄目だ。 まだ、言わせない。 涙はこぼさない。 卒業までは。 それだけは最初から決めている。 『たったひとつの−the only other thing−』了 (56/85) 前へ* 短篇目次 #栞を挟む |