うれゐや

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【短篇】 | ナノ

『弥生−梅見月顛末−』




(ありえねえ…)

油断しているつもりも、腐抜けているつもりもなかった。
ただ、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ浮かれてはいたかもしれない。
武装警察真選組副長、土方十四郎は自分が今置かれている状況に至った経緯を思い起こし、唇を噛む。
今日は、ようやく年度末に向けての書類仕事が落ち着き、気分転換も兼ねて、巡察に出ていたのだ。
まだ少しだけ肌寒さを感じることもあるが、確実に春に向かっている江戸の町は穏やかだった。
不穏な攘夷浪士の気配はなく、ただの抑止力の一端として歩きながら山崎と世間話ともいえない話をしていたというのにも関わらず、土方は現在進行形で拉致されていた。

コンビニに寄った山崎を店の前で待つほんの数分の出来事。

通りの向かい側に銀髪の天然パーマを見つけた。
その人間が誰なのか、江戸の町、特にかぶき町で知らぬものなどいない。
土方も知っている。
男は土方に気がつくと勢いよく向かって来た。
あぁ、万事屋だ。今日も残念な鳥の巣頭だな、などと心にもないことを口に出しつつ、喧嘩になるにしても少しぐらいは話せそうだと内心喜んでいた土方はやはり、腐抜けていたのかもしれない。

喧嘩どころか話すどころではなかった。
あっと言う間のことだ。
元々、温和に挨拶をするような間柄ではないが男の行動は全く予期せぬものだった。
悪態一つ飛んでくることなく、正面から勢いよく近づいてきた人間は土方に当身を食らわせたのだ。




「…ありえねぇ…」

行き場のないもやもやとした感情は今度は声になって、土方から小さく零れた。
すると、土方の声に反応して、衣擦れの音が近くでする。
気配は一人だけのもののようだった。

「お?気が付いた?」

掛けられた声は土方を拉致した本人であった。
口をへの字に結んで、目も頑なに閉じたまま、しばし逡巡する。

「おーい?土方くん?」

のんびりとした声は普段の男のものと変わらない。
土方が横になっている場所は畳の上のようで、コンクリートのような冷たい感触ではない。
それどころか、座布団のようなものが枕代わりに敷かれている。
状況がわからない。
可能性の一つ目は、沖田が絡んだ悪ふざけの延長。
二つ目は、攘夷浪士たちの計画に加担している可能性。
前者であれば、なにも気に病むこともなく、起き上がって、悪態ひとつもついて帰ればいい。
けれど、後者であれば、慎重に動かなくてはならない。

男と出会ってから、それこそ色々あった。
斬り合いもした。
殴り合いもした。
一緒に手錠にも繋がれた。
トイレの個室にも入った。
行きつけの飯屋は同じだし、映画館でも一緒になった。
サウナにも、銭湯にも一緒に入った。
助けられて、助けて。
仲間ではない。
友人でもない。

でも、背中は間違いなく預けられる。

土方の隣にいて、覗き込んできている人間はそんな相手だった。
で、あるから、元伝説的な攘夷志士であろうと、土方の知る限り元の仲間の元に戻る可能性は低い。
何らかの犯罪に巻き込まれて、土方を拉致せざるを得ないような状況に追い込まれているに違いない。

万事屋、と土方は用心して口の形だけで呼んだ。

よろず事を引き受けるかぶき町のなんでも屋、坂田銀時。
土方とは衝突してばかりいる犬猿の仲。
坂田の方は土方を嫌っているだろうが、土方はけして、男の事が嫌いではなかった。
嫌っているどころか、ずいぶんと前から好ましく思っていたのだ。

「はいはい、銀さんですよー」

普段通りのどこか気だるげで呑気に応えに切迫詰まった響きは読み取れず、そっと瞼を持ち上げる。

「っ!」

予想以上に目の前にあった深い紅色の瞳に土方は思わず、どんっと男の身体を突き飛ばした。
『好ましく』の意味は近しい友達になりたい類のものでも、己の武士道を見失うことのない姿や強さに対する憧れでもない。
世に恋だの愛だのと呼ばれる種類の感情からくるものだった。
その対象が心の準備のないうちに、至近距離にいたのだ。
土方の心臓は必要以上に騒ぎ立てて、全身の血流を激しくさせる。

「おいおい、焦って、拉致ったみてぇになったこたぁ悪かったけどよ。
 んなに、驚かなくても…いくらなんでも傷つくよ?銀さん」
「…って!いや!てめェが悪いわ!こりゃ、一体どういう状況だ?!ゴラァ」

土方とて、常日頃から惚れた相手と喧嘩がしたいわけはない。
毎回ぷいっと背を向けた時点で大人げなさを反省するのだが、今日も今日とて、条件反射で自分が突き飛ばした相手に悪いの一言もなく、責め立てる言葉を返した。

「どういうって…あー…メシでもどう?っていう感じ?」
「は?メシ?」
「そう!メシ!ひ、る、め、し!まだだろ?」
「昼飯?」

坂田の言葉に、改めて周囲を見渡す。
さほど広くはない和室。
土方が横になっていた場所から半間ほど離れた場所には、膳が向かい合わせで並べられていた。
そのどちら側の席からもガラス張りの窓から自慢の庭が見える。

「ここは…」

二月の時分は梅が盛りであったが、今はうまく配置したもので、花を咲かせ始めた枝垂れ桜が庭の奥に見てとれた。

「そ、おめェが先月連れてきてくれた店」

2月14日、いわゆるバレンタインデーの日に確かにここに土方と坂田はやってきていた。
土方は依頼があると坂田をこの料亭に連れてきて、膳と酒を振る舞い、梅の花を見せた。
土方からの依頼に最初こそ躊躇はしていたものの、危険がないと判れば、おとなしく報酬を受け取り、膳を平らげた。
坂田にとっては割よく報酬を得ることが出来たツイている夜であっただろうし、土方にとっては、密やかに『それ』とは知られず、惚れた男に贈り物が出来た夜であった。

ただの自己満足である自覚は土方にはあった。

バレンタインデーというものは女性から男性でなくとも贈り物をして良い日なのだと年若い隊士が付き合い始めたばかりの彼女の為に花束を注文している姿を見かけてから、自分も贈ってみたいという気持ちが膨らんでしまったのだ。

しかし、土方は坂田に嫌われている。
嫌いな相手に、しかも、男に花を、チョコレートを渡されても困るだけだろう。
それ以前に困らせたいわけでも、知られたいわけでもない。
恐らく、捨てられるか、突き返されるかの運命を辿る。
花は美しさを愛でられもしないまま。
チョコは舌の上で溶かされて、味わられることのないまま。

考えて、考えて実行したのだ。

土方はバレンタインの贈り物だと思われなくてもいいからと依頼を装うことにした。
幕臣の接待という名のアリバイ工作の一環だと説明もした。
もしも裏を取られたとしても簡単にはボロが出ない程度の工作もした。

土方が今日連れてこられていた場所はまさにその料亭のその部屋だった。


(待て待て待て…落ち着け?土方十四郎?落ち着け?)

うまくいっていた筈だ。
あの日以降も、平常通り、出逢えば他愛ないことで喧嘩をし、意地を張り合い、坂田の様子に特に変化はなかった。
それどころか、会話に出されることもなかった。

「気がついたんなら、料理頼むぜ」

坂田が備え付けられている呼び鈴を鳴らすと、すぐに女中が静かに入ってきて、燗をつけた銚子と飯と汁物、それから、一人前用に誂えられた鍋の固形燃料に火を点して、また最小限の音だけで出て行った。
その女中が出ていくまでの間、終始無言で過ごして、平静の心を必死で呼び戻す。

「おい…」
「あのよ…」

ほぼ同時に話し始めた二人は同時に黙り込んだ。
黙り込んで、どちらともなく庭に目を移し、今度は膳の上に視線を戻す。
温まり始めた鍋が細く湯気を吐き始めていた。

「花…」
「あ?」
「3月半ばなら、もっと咲いてると思ったんだけどよ。
 でも、五分咲きでも悪かぁねえだろ?」
「まぁ…そりゃ悪くねぇが…こりゃ一体…」
「ん?お返しだけど?」
「お返し?」
「そ、お返し」

バレンタインの。
坂田はそう言って、銚子を土方へと差し出した。

「…ありえねぇだろ…」
「あ?真昼間からとか堅苦しいこと…」
「違ぇ」

3月14日にお返しを坂田がするなどあり得ない。
もし、勘の良い坂田は土方の思惑に気がついていて、土方には応えられぬと釘を刺したかったのだとしても、だ。
このひと月それらしい素振りを見せなかったのであるから、そのまま知らぬふりをいてくれてくれればよいだけだ。
手が混み過ぎている。

「じゃあ、なに?折角の銀さんの奢りだぜ?」
「…奢りだと?尚更ありえねぇ」
「オイオイ、俺だってなぁ…」
「何企んでやがる?」

最初に思い浮かんだ通り、沖田が絡んでいるのかと、絶え間なく上がり始めた鍋の蒸気ごしに坂田をにらんだ。

「企み、ねぇ…」

坂田は自分の猪口に手酌で酒を注いで、くいっと一気に煽った。
上げた顎のお陰で喉仏を液体が通っていく様が土方にもよく見える。
日頃、鍛錬をしている風はないのに、筋肉の束が動く様子に思わず目を逸らした。

「この通り、毒も入っていなきゃ、沖田くんの悪戯に加担しているわけでもねぇよ」
「じゃあ、なんだ?」
「あー…わかんね?」
「わかるか、クソ天パ」

目を逸らした土方とは対照的に、坂田は空になった猪口と庭を見比べてから今度はまっすぐに土方の方を見つめた。
眉と眉が少し寄った顔をされても、わからないものはわからない。
土方の困惑が通じたのか、坂田は新しい言葉を紡いだ。

「貰いっぱなしは、あり得ねぇなと」
「あ?てめェがんな殊勝なタマかよ」
「でも、受け取っただろ?返品不可なお返し。
 おめェ、見たよね?そんで、悪くねぇって言ったよね?」
「は?」

自分でも呆れるほど、気の抜けた声が土方の喉から零れ落ちた。

「庭」

窓の外を再び見る。
春の雲は薄くたなびくだけで、陽をほとんど遮ることなく木々に降り注がせていた。
この春の光景を土方の贈った寒梅の夜景の返礼だと言われているのだと改めて、土方は気が付く。
だが、受け取ってしまったことが『どう』だというのか。
首を傾げる土方に構うことなく、坂田は自分の膳をずいいと横に動かし、土方の膳の前に座りなおした。

「なら、そういうことで。これから、よろしく頼むわ」
「は?」

強引に持ちもしていない土方の猪口に酒を注ぐ。

「だから…」
「庭の草木がいよいよ生まれて、芽吹いていくのと同じように、
 変えられねぇもんも、止められねぇもんも沢山あるさ。
 てめェはてめェの大切なもんを抱えてりゃいいし俺は俺で守りてぇもんを守る。
 そこは変わんねぇ」
「万事屋?」
「俺ぁ、てめェのことを嫌っちゃいねぇよ。
 なら、想ってるもんの方向が同じなら…横を歩くしかねぇだろうが」

少しだけ身体を後ろへとひねり、自分の猪口を手に取った坂田は溢れる寸前まで注ぎ、土方の目の前に突き出す。

「美味い酒も料理も、独りじゃ美味くねぇ」

土方は坂田の猪口と膳に載ったままの自分の猪口、そして、庭の枝垂れ桜を交互に見る。

「弥生、か…」
「あぁ、弥(いよいよ)だ」

なぜ、坂田があのバレンタインの後、すぐに動かなかったのか。
単に軍資金の調達の問題もあったかもしれないが、時を待っていたのかもしれない。
答えようのない『どうしようもない』不器用な男の不器用で無粋な行動を、肯定しつつも、動かす為に。
土方はなんとはなしではあるが、坂田の行動がわかった気がした。
坂田と土方は行動がよく重なる。
本人たち同士は似ているとは思っていないが、思考がよく重なるのだ。

想いを返されるなど天地がひっくり返ってもあり得ないと思っていただけに、まだ何処か芝居か夢でも見ているかのような心持ではあったが、土方はなみなみと注がれた猪口を持ち上げた。

合された二つの猪口は陶器特有の少し濁った音をかちりと立てる。

春は終わりの季節で、始まりの月。
何が生まれて、何が変わるのか。
少しだけ冷たい風がガラス窓と桜の枝、そして、まだ見えぬ未来の形を優しく揺らしていた。



『弥生−梅見月顛末−』了




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