『梅見月』急に冷え込んだ2月14日バレンタインの夜。 かぶき町で万事屋を営む坂田銀時はほろ酔い状態で一人歩いていた。 モテるモテないは男の自尊心を刺激する要素には違いないから、昼のうちは、新八と一緒になっていくつ貰えるか、そわそわもしてはみたが、今年は、否、今年も銀時の成果は例年どおり。 家族から、一つ。 ダークマター、一つ。 連名、一つ。 納豆入り、一つ。 裏木戸の修理に行った先で赤い箱のウエハースチョコ、一つ。 昼食に寄ったラーメン屋で一つ。 パチンコ屋で配られた一口サイズのハート型、一つ。 変わり映えせぬ結果に落ち着いた。 「まぁまぁの結果じゃねぇか」 数はあればあるほど嬉しいけれど、これはこれで良いと銀時は思う。 結野アナから貰えるなら全く別次元の問題になるが、銀時自身が恋愛的な意味合いで誰かと特別深い仲になる予定がない以上、これで十分だ。 変わらぬメンバー、変わらぬレベルというものは、それぞれの平穏そのものをも意味しているような気がする。 口には出さなかったものの、そんなことを考えて、一人気恥ずかしい気分になった銀時は、夜は恒道館でチョコパーティだと張り切る神楽を新八に任せ、一人飲みに出ていた。 その家路でのことである。 不意に真横に駕籠が止まった。 思わず足を止め、目を向けると見慣れた男が運転手に何か声を掛け、降りてきた。 土方十四郎だった。 何かと万事屋の面々と腐れ縁を持つ武装警察真選組の副局長。 特に銀時とは他愛もないことでも全力で張り合い、喧嘩してしまう犬猿の仲、だとよく言われる男だ。 「おい」 その土方が銀時を呼んだ。 名前を呼ばれたわけではないが、瞳孔の開いた物騒な瞳がまっすぐに向かってきているのだから、間違いない。 「おーおー、税金泥棒じゃねえの。お仕事してますかぁ?」 銀時とて、喧嘩したいわけではない。 毎回ぷいっと背を向けた時点で大人げなさを反省するのだが、今日も今日とて、条件反射で険のある返事を返してしまった。 「今日はもう上がりだ」 「そ?じゃあ、退いてくれない?」 土方にしては、おとなしい返しだ。 怪訝に思いながらも、銀時の進行方向に立った男を軽く睨む。 「万事屋」 「あ?」 「ヒマか?」 科白自体はどこかの刑事ドラマに出てくる組対五課の課長のようだが、目の前の副長殿には、その気安さも親しみやすさも全く浮かんでいない。 堅苦しい黒の隊服ではなく、着流し姿であっても、職務質問でもされているかの錯覚を覚えるような顔つきであった。 「ヒマじゃねぇ」 「嘘つけ。ニート」 「はぁ?ニートじゃありません。ちゃんと働いてますぅ。 ちょっと仕事が入ってこない日が続いてるだけですぅ」 「なら、仕事くれてやる」 「へ?」 ぐいぐいと車道に停まったままであった駕籠に腕を引かれ、さすがの銀時も少々慌てた。 慌てはしたが、強引に解いて逃れようとまではしなかった。 そのまま普段とは違った土方の様子に戸惑っている間に駕籠に押し込まれてしまった。 「オイオイオイオイ!天下の真選組さんが一般人を拉致誘拐ですかコノヤロー』 「騒ぐな。依頼くれてやるって言ってんだよ」 「いやいやいや!おめェらからの依頼っつうのは面倒臭ぇって決まってんだよ! お断りさせて…」 「時給1万」 「あ?」 日当じゃなくて時給?と思わず、聞き返した。 「時給一万。危険なことは何もねぇ。ちょっと、ある場所に付き合ってくれりゃ それでいいし、早く終わっても減額無しだ」 「ある場所?」 「もう着く」 臨時収入は正直有り難い。 万事屋の子どもたちに知られず稼げた1万円は全額虎の子にまわすことが出来る。 これが同じ真選組でも沖田であれば、どんなに金欠であろうと乗りはしない。 美味すぎる話は危険だと承知しているが、それでも話を聞く気になったのは、土方の人柄によるところが大きい。 幕臣とは名ばかり。 時代遅れなチンピラ同然を恐れで纏め上げ、肩で風切る鬼の副長。 二言目には切腹、御旗に掲げる近藤を、仲間を守るためなら手段は択ばない。 逆を言えば、一度、この懐に入った者は何があっても護り抜く覚悟を持っている。 面倒見も良い。 銀時とは衝突してばかりいるが、ただの意地の張り合いの延長しかなく悪意を持たれているわけではない。 「帰りは?」 「駕籠で自宅まで」 銀時の返しに土方は銀時が了承したのだと汲み取ったのか、まっすぐ前方を向いたまま、ひっそりと息を吐いた。 そうなのだ、と銀時はその土方の横顔をみる。 まっすぐな目を土方はしている。 土方のことを銀時はけして嫌っていないし、それなりに信用もしている。 本当に困っているなら、声ぐらいかけてやろうと思う程度には情があると言っても良い。 「こちらでよろしゅうございますか?」 土方が再び声を発するよりも前に、運転手が銀時でも名前ぐらいは聞いたことのあるような老舗料亭の前でブレーキを踏んだ。 「あぁ、釣りはいらねぇ」 土方は銀時を促して駕籠から降りる。 何をするのか、わからぬままだが、ここまでくれば、付き合うしかない。 銀時はわざと憮然とした顔を作って、ブーツを車中から地面へと下ろしたのだ。 小柄な女将に案内された部屋はさほど広くはない、どちらかといえば密談向きな感じの和室であった。 土方に一つだけ用意されていた膳の前に座るように示され、厚みのある座布団に胡坐をかく。 すぐに女中が静かに入ってきて、燗をつけた銚子と焼き物を数品、銀時の前に配膳してから、また最小限の音だけで出て行った。 その間、土方は黙って窓際に立っていた。 庭を眺めながら食事が出来るようにと配慮されたガラス窓ごしに照明で浮かびあがった植木が見えた。 「見ろ」 「見ろ…って、あの梅?」 「あぁ」 土方の視線の先には手入れの行き届いた立派な梅の木が今が盛りと花を携えて存在していた。 「……どうだ?」 「どうだ?って…そりゃ、ありきたりな感想で悪ぃけどよ、『綺麗』かな?」 「綺麗か…」 「綺麗じゃね?趣あるし」 どうかと聞かれても、それほど庭や花の知識が銀時にあるわけでもない。 質問の意味を捉えかねたが、おもむろにほっとした空気が土方から拡がったから、大きくずれた回答にはならなかったらしい。 しかし、おかしな依頼もあったものだと首を傾げる。 「で?ここで俺は何をすれば言い訳?」 「てめェはそこのある酒や料理は食ったら帰っていい」 「はい?」 「約束の金と駕籠代も置いておく」 「おい!土方説明しろ!」 銀時の言葉に答えていないわけではないのに、どうにも土方の目が銀時と合わないことに苛々して、声を荒げた。 それにハッとして顔が銀時へと向いた。 でも、向いたのは一瞬のことで今度は俯き気味になり、少し気まずそうにぼそぼそと説明を始める。 「あー…大したことじゃねぇんだよ。 ここで今晩、接待する予定だったんだが、先方にドタキャンされてな」 「おう?」 「ドタキャン理由が、あれだ、奥方に内緒で…」 「あぁ…アリバイ作り?チンピラ警察様も大変ですねぇ」 嫌味半分のつもりで言ったのに、土方からやはり反撃はない。 乱暴に銚子を手にとると、周りの皿にあたって、嫌な音がたった。 「で?どうして俺だった?ただ、ここを使った形跡を作りたいだけなら、 私服着た組の奴でも連れてくりゃ良かっただろ?」 「たまたまだ」 「たまたまぁ?」 手酌で注いだ酒に冷たくなっていた指先が温められ、カーテンも障子もない窓際は銀時の座る場所よりももっと冷えるだろうと気が付き、銚子を土方に差し出す。 けれど、土方は横に首を振った。 「暇な隊士が見つからずに、諦めて一人で向かっていたら、てめェを見かけた。 それだけだ。 あと…前に、その、梅も悪くねぇって、てめェが言ってたの思い出したから」 「俺、んなこと言ったか?」 「………どっちにしても、ただ酒を飲んで依頼料も受け取って、それでいいだろ?」 裏はねぇよと重ねる土方には腰の物を下ろす気配も、座布団に腰を下ろす様子も微塵もなかった。 部屋の時計をちらりと見ている。 早く帰りたいらしい。 「じゃあ、帰る」 「オイ!」 これ以上ここに用がないと全身で訴えている男を何故呼び止めてしまったのか。 銀時自身にも分らずに、少し上げた手の平と土方を交互に見る。 何か、引っかかる。 だけれど、明確に言葉にはならない疑問を言葉に出来るはずもなく、銀時は口を濁した。 「あー…お銚子の追加は経費で見て貰えますかね?」 「1本だけは見てやるよ」 「りょーかい」 今度こそ、と出ていく背が襖の反対側に完全に消えたことを確認して、銀時は銚子を膳の上に降ろした。 「なんなの?アイツ…」 やはりおかしい。 猪口の表面に歪んで映し出される自分を飲み干し、箸を手に取る。 膳に乗せられた料理は品数こそ少ないものの流石、名店と思わせる贅を凝らした内容だ。 ただ、『食事』を前提としたものではなく、酒を楽しむための品ぞろえ。 更には膳は一つ。 幕臣の接待がどのような形で行われるかなぞ、銀時が知るはずもないが普通、接待する側の料理も形式的には並べられるものではないのか。 どうにもぬぐえない違和感があった。 「あと、あれだ…アイツと花の話、とかしたっけ?」 銀時は花が嫌いではない。 女ではないのだから、花束で欲しいと思ったことはないが、他所の庭先に咲く花やお登勢の店に生けられた季節の花は嫌いではない。 庭師の手伝いも苦手ではないし、酒の肴代わりにすることも出来る。 「花と酒…あれか?花見の時か?」 空になった猪口と庭を見比べる。 桜を眺めながら、梅も嫌いじゃない。 毎回前後不覚になるまで飲んでしまうために、確実ではないが、張り合うのにも疲れ、手酌で互いの背中に寄りかかりながら、言ったような言わないような気がしなくもない。 あの背は神楽や新八のものとも、昔なじみたちのものとも、松陽のものとも違った。 温かく、でも、芯が通っていて、新鮮な心地であったことは覚えている。 「他にも何かあったよなぁ」 土方とは出会ってから、それこそ色々あった。 斬り合いもした。 殴り合いもした。 一緒に手錠にも繋がれた。 トイレの個室にも入った。 行きつけの飯屋は同じだし、映画館でも一緒になった。 サウナにも、銭湯にも一緒に入った。 助けて、助けられて。 仲間ではない。 友人でもない。 先ほども無意識に比べたが、同じ真選組でも沖田や近藤とも何かが違う。 でも、背中は間違いなく預けられる。 「ん?そういえば…」 二、三日前、土方とではない誰かと花の話をした。 「なんだったっけ?」 箸でヒラメのうす引きを抓み、醤油にほんの少し浸して口に運ぶ。 こりっとした食感と甘みが口に拡がって、自然と口角があがる。 肴が酔いをさまし始めたのか、記憶の糸口がふわりと降りてきた。 万事屋の隣で花屋を営む屁怒絽と話をしたのだ。 バレンタインのシーズンは菓子やケーキ屋も大繁盛だが、実はひっそりと花屋もかきいれ時なのだと。 なんでも、バレンタインは江戸では女性から男性にチョコを贈ることが主流になっているが、別の星ではそうとは限らないらしい。 元々は天人の聖人の誕生日に親しい人、愛する人に贈り物をする。 チョコレートでなくとも良い。 女から男へでなくとも良い。 男性から女性への花を贈ることも少なくないのだという。 『坂田さんもいかがですか?』 屁怒絽の大きな手の先にちょこんと摘ままれた薔薇を贈る相手がいないからとご丁寧にお断りした。 「そう、花、束…」 ほんの数分の世間話に、まぁ、女ってぇのは花束喜ぶよなぁとはその時は単純に納得した。 神楽あたりは、まだ色気よりも食い気で食べ物の方が喜ぶかもしれないが、世の大抵の女性は喜んで受け取るだろう。 よほど嫌いな相手でなければ。 「嫌いな相手…?」 嫌いな相手に渡されたなら、どうするだろう? 恐らく、花は捨てられるか、突き返されるかの運命を辿る。 花は美しさを愛でられもしないまま。 受け取って、下手に期待されても困るから、贈られた方としては、それが正解であろうけれど、花自体には申し訳ない。 一度手折ったものは元には戻せないのだ。 「まさか、ねぇ…?」 気持ちだけ贈ってみたいと考えたとする。 嫌われていると思っている相手に。 「手折らずに花だけを相手に渡す、もしくは…花を見せる?」 頭の中で、土方の声がリフレインした。 男は『見ろ』といった。 『梅』を。 「待て待て待て…落ち着け?坂田銀時?落ち着けよ?」 あの、土方が? あの、年中青筋立てて、煙草の煙を延々と吐き出し続けて、走り回っている鬼の副長さんが? ゴリラ命で、意外に女子供には甘いチョロ方くんが? すまいるに行っても、花街に行っても、きゃあきゃあ寄ってくる女たちを澄ました顔で通り過ぎるイケメンが? 自分に好意を持っている? 自分の推理にぶわりと顔に血の気が昇ってきた。 振り払うように、銚子から酒を注げば、勢いをつけすぎて溢れてしまった。 勿体ない勿体ないと手を舐めながら、おしぼりを探す。 「いや、無いだろ?嫌われてんのは俺の方で…」 銀時は土方を毛嫌いしてはいない。 頭の中に浮かぶ土方の像を次々と早送りしながら、銀時へ好意を向けている場面をいくら探しても見つけることは出来ない。 でも、と否定しきれず、酒が染み込んだおしぼりで顔を拭いた。 脊髄反射のように、喧嘩を売って、売られているが、本当にかかわりたくない人間であれば、完全無視だろう。 「え?マジでか?」 銀時と土方は行動がよく重なる。 本人たち同士は似ているとは思っていないが、思考がよく重なるのだ。 ならば、この状況を強引に説明しようとすれば、銀時にはそれしか思いつかない。 そして、土方は銀時に答えは求めていない。 折角の寒梅に、美味い料理と酒。 でも、膳は一つ。 一杯、付き合うぐらいも許されないとでも思っているのか、それとも、それほど余裕がなかったのか。 不器用な男が不器用で無粋な行動を起こした。 「勘弁しろよ…」 勘弁してほしい。 この土方の行動を突っぱねようとも、迷惑だとはどうしても思えないのに、これでは『どうしようもない』。 不器用な銀時もまた動けない。 のろのろと焼き物を箸でつついて、口に運ぶ。 まだ、ほんのり温かいし、脂がのっているのに、味気ない。 最初に口にしたヒラメも今度は同じく味がわからなくなってしまっていて、無理やり酒で流し込む。 「期待、されてねぇのが…気に食わねぇのか?これ…」 もう逆さにしても出なくなった銚子の底を指で円を書いて、一滴でも二滴でも落ちてくるのを待ちながら、呟いた。 期待されても、困る。 花束なら突き返す場面だ。 迷う必要などない。 男だから、ではなく、例え、女であっても、簡単に手を取る気はないからだ。 なのに、土方のこのやや独りよがりな行為を甘く苦く舌は受け止め苛つかせる。 風で大きくカタカタと窓ガラスが鳴いた。 呼ばれたかのように、もう一度外へと視線を移す。 梅も松も枝を風にしならせて、花びらを土の上に落としていく様子が見て取れた。 「あぁ…うん、そうか…」 答えは銀時の中に出ていた。 もう、どんなに振っても待っても酒が出てきそうにない銚子をおいて、猪口に残ったほんの数tの酒を舐めるように飲み干す。 それから、銀時は立ち上がって、土方が居た場所から梅の木を見た。 薄紅色の花びらはもう静かになっている。 部屋に掛かった時計の針は日付を変え、もうバレンタインの夜ではなくなっていた。 土方が必要経費と認めた追加の銚子は頼まず仕舞いであったが、土方がおいて行った『報酬』の封筒を持って、襖を開けて、廊下に出た。 次にこの廊下を歩くのは、三月にすると心の中で決めた。 丁度、後ひと月。 「貰いっぱなし、いや、やられっぱなしは、あり得ねぇよな」 暖房が効いた部屋から出ると、ひんやりを通り越して、凍えそうな板張りが足の裏を冷やす。 けれど、高揚する気持ちを押さえるために、銀時はわざとゆっくりとした足取りで出口へと向かったのだった。 『梅見月』 了 (42/85) 前へ* 短篇目次 #次へ栞を挟む |