『Sweet×Bitter−505−』「坂田さん…」 「金時」 土方十四郎は高校を卒業し、都内の大学に進学して3年目。 コンビニの深夜シフトでバイトを始めて1年と少し。 繁華街から少し離れたコンビニを深夜に利用する人間は少ない。 故に、話しかけられる機会もあまりなかった。 煙草の銘柄。 惣菜の温めに対する回答。 極々まれにお疲れさんと帰り際にかけてもらう程度の会話とも言えないやりとりが精々。 そんな土方の単調な作業シフトに変化が現れたのは今年の2月のことだった。 今、土方の目の前、レジカウンターの反対側にいる男、坂田金時。 全てはこのナンバー1ホストだという常連と出会ってからだ。 仕事帰りに金時はコンビニに寄っていく。 勿論、全ての日ではないが、土方のシフト時にはかなりの確率だ。 そして、土方であれば胸焼けしてしまいそうなスィーツ系と甘い甘いカフェメニューを買って、少しだけ話していく。 金時との時間は楽しい。楽しすぎると言っても言い過ぎではない。 だからこそ、戸惑うことも多い。 ホストという仕事柄当たり前なのだろうが、男からはいつもアルコールと甘い香水が混ざった香りが漂ってくる。 夜の、大人の、匂い。 会話は土方に合わせた話を選んでくれているのに、やはり知らない世界を垣間見せられる気がいつもした。 甘くもあり、苦くもある時間だ。 「十四郎くん」 男は優しく笑う。 その度に土方の心拍数はあがる。 金時は今まで土方の周りにいなかったタイプの人間だった。 土方を育ててくれた兄や幼馴染みであり親友でもある近藤の人柄への尊敬とも違う。 高校の恩師や大学の教授陣、長谷川店長といった家族以外の大人とも違う。 水商売であるから、真っ当とは呼び難いのかもしれない。 けれど、土方から見る金時は自分の足で颯爽と歩いている社会人でありながら、同年代のような気さくでするりと入り込んでくる不思議な存在。 目指す大人の像ではないが、単純に格好が良い。 きっと、この動悸の原因は憧れの一種だ。 土方はそう思っていた。 芸能人に対する憧れや理想よりも近く、生々しいだけ。 「なんで?そんな風に呼ぶかなぁ…最初は名前だったじゃない」 「もう何度も言ったじゃないですか…坂田さんは年上で…」 最初の日こそ『金時さん』と呼んでしまった土方だが、改めて考えてみれば、年上の、しかも客である人間をファーストネームで呼ぶことは失礼だ。 店長の長谷川も咎めることはしないし、店長自身が『金さん』と呼ぶのだから、誰も気にはしないのだが、土方は2回目の接客以降は名字で呼ぶことに決めた。 「本人がいいって言ってんだから、気にしなくていいんだよ? 『坂田さん』だなんて、水臭い」 「水臭いと言われても…坂田さんと俺は…」 毎回、テンプレートのように繰り返されるやり取りだ。 このやり取りだけで、金時は色々な表情をみせる。 拗ねたように。 少し怒ったように。 懇願するように。 「だから、金時」 「あの…」 「き・ん・と・き」 根負けして名前で呼んでしまいそうになることもあるが、結局、どもってどうしても言えない。 最後には金時が頑固だなぁ、真面目だなぁ、と苦笑して、他愛ない日常の会話に入る。 この2か月の繰り返しであった。 「そういえば、十四郎くんはGWはどうするの?地元帰る?」 「いえ、いつも通りバイトです」 今日はちょっと冷えるからと、ロイヤルミルクティーを注文した金時は三本目のシュガーを入れて、一口味見をしながら、尋ねた。 「あれ?そうなんだ」 「どこ行っても混んでますから」 「へぇ、大学生なんて遊びたい放題だろうに」 「…去年は友達が誕生日祝いだなんて、夜中に押しかけてきて、夜通し酒盛りでしたけどね…今年はバイト入ってるんで」 三本では物足りなかったのか、手を伸ばしてきた手の平に砂糖と載せる。 金時はそのスティックの封をすぐには切らずに、長い指に挟んで一度くるりと回した。 「誕生日?十四郎くんの?」 「はぁ…まぁ…」 「いつ?」 「………5月5日です」 「…………」 押し黙る金時に土方は深くため息をついた。 よく見る現象だ。 話の流れで聞いてみたものの、どうリアクションをしていいのかわからないに違いない。 「……笑ってもいいですよ…」 「へ?」 「子どもの日って柄かって笑いたいんでしょ?」 「え?なんで?」 「いや…なんでって…」 散々揶揄われてきた。 主に幼馴染のドS王子にではあるが、小さいことならいざ知らず、ある程度長じてからは、土方のクールな外見が原因なのか、似合わない!と笑いのネタにされることの方が多いのだ。 金時は違うらしい。 違うなら、なんなのだろう。 「もっと早くに聞いてれば良かったって、今考えてたんだけど」 「え?」 「一番におめでとうを言いに来るよ」 疑問は一瞬で数を増やした。 おめでとうを言いに来る?金時が?わざわざ? 壁に貼ってあるカレンダーに目を向けると、今年のGWは4月の29日から始まり、飛び石ではあるが、5月8日まである。 「いや、あの…え…っと…坂田さんはGW、お休みは…」 「うちはずっと営業。っとに!しかも、特別営業で連勤だとか、こき使ってくれるよ。 あのオーナーめ。でも、土方くんの誕生日は単に俺が楽しくて勝手にやるだけだから、 忙しいとか関係ないからね?気にしないで。それとも迷惑?」 「そ、そんな迷惑だなんて…」 「じゃ、大丈夫だね。プレゼント、何がいい?」 「プレゼント?」 「リクエストある?」 どんどんと流れていく話を目まいを起こしそうになりながら、土方は必至で応対した。 「いえいえいえ!そ、そんな結構です!お気持ちだけでもう…」 「遠慮しない遠慮しない。お兄さんに言ってみ?」 「いえ、本当に大丈夫ですので」 「んー…じゃあ、俺の独断でもいい? あー…、いっつも貰ってばっかりか何か選んであげる時って仕事絡みだからさ、 なんか…こういうのいいよね…うん」 にこりと笑った金時の顔はとても無防備で、一気に顔が火照ったことを土方は自覚した。 持ったままであった四本目のシュガーを溶かし、金時は蓋をする。 「楽しみにしてて」 センサーが感知して左右に開いた自動ドアの前で一度立ち止まり、それだけ言って去っていく金時の背を見送りながら、土方はほうっと息を吐き出した。 それから、五月四日のバイトまではあっという間だった。 その間、金時の姿は見ていない。 ホストクラブは原則的に「午前0時から日の出」までの深夜は営業が禁止されている為、二部制をとっている店も多いが、金時の店は一部制だという。 夕方、他の店よりは少し早めにオープンしてから午前0時までの勤務だ。 ただ、金時はナンバーワンホストだ。 どうしても深夜1時ギリギリまで客が引かないことの方が多く、場合によっては閉店後に、客とお店以外に行き、接客を続ける所謂アフターも断れない。 それで、これまでコンビニに寄らずに帰宅する日の方が多かったのだ。 だから、土方がバイトの時に会うこともなかった。 この二か月の状況は金時が意図的に作っているものと言って間違いない。 店内にかけられたアナログ時計の針はあと5分で日付を変えようとしていた。 『一番におめでとうを言いに来るよ』 金時は言ってくれた。 でも、『一番』=『5日の0時を過ぎてすぐ』とは限らない。 長谷川店長の話では金時はかなり忙しいらしい。 0時ならまだ、客は到底捌けていない。 店を放り出して金時が来るわけがない。 分っている。 分ってはいるが、気が付けば時計を見て、期待する自分に土方は居た堪れなくなり、その度にモップで埃の積もっていない陳列棚を拭いていた。 自分は客ではない。 しがない学生の自分に金時がリップサービスをしても何のメリットはない。 どう考えてもあり得ない。 土方は自分に言い聞かせる。 元々、そう深夜に利用する客の少ないコンビニであるし、土方の誕生日を知るような仲の者がよほど現れない限り、「一番」はまだまだ可能だ。 それよりも、優しい金時が無理するほうが問題だ。 新作の糖分にとろける金時。 一度、客らしい女性と歩いている時に見かけた高貴な猫のような雰囲気の金時。 長谷川店長に軽口をたたき、おどけた顔を見せる金時。 寝不足で顔色の悪い土方を心配していた大人の金時。 瞼の裏に浮かぶ顔はどれも魅力的だった。 あの人に、金時に近づきたい。 そう、思う。 繰り返し流される店内の放送が日付が変わるアナウンスを訴えた。 土方はため息をつき、店の外に設置しているごみ箱へと向かう。 コンビニが契約しているごみ収集業者がやってくる時間までにはまだ時間があるが、すでに溢れかかっていた。内袋には明らかに持ち込まれたごみもあるが、分別自体は間違っていなさそうだと判断して、袋を新しいものに取り換える。 ごみ袋の口を結ぶと、袋の縁に付いていたらしいジュースがべたべたと手に付き、その不快さに眉を軽くしかめ、急いで裏口へと運んだ。 それから、気分転換に天に向かって大きく伸びをする。 汚れた指の先に見える空には微かに星が瞬いていた。 遠い。 何とはなしにそう思い、ため息をついたところで、来客を知らせるチャイムが土方の耳に入った。 控室には長谷川店長がいるにはいるが、土方は慌てて店内へと戻った。 自動ドアが左右に開き、客の姿が見えた。 「よかった!間に合った?」 「え?」 「お誕生日、おめでとう」 少しだけ金色の眉を寄せて、男は額の汗を手の甲で拭った。 天井から注ぎ落ちる蛍光灯の光が煌めいて見せる。 「一番乗り、だよね?」 「あ、はい」 「遅くなってごめんね。もうちょっと早く着くつもりだったんだけど」 「あの…走ってきたんですか?」 「うん。途中から、ね。仕事ちょっとだけ早く終わらせて、タクシー乗ったんだけど、渋滞に巻き込まれちゃって…しっかし、これじゃ恰好つかないね」 「いえ、そんなこと…」 五月に入ったとはいえ、初旬の夜はまだ冷える。 それでも、これだけの汗を掻いているということは、かなりの距離を走ってきたか、全速力だったのだろう。 きゅっと心臓が悲鳴を上げた。 「き…んときさん」 「十四郎くん」 「っ!」 うっかりだった。 思わずこぼれた名に、金時はやっと呼んでくれたと花が咲いたように笑った。 「プレゼント」 笑顔に呆然としたまま、ほとんど無意識に受け取ったのはずっしりと重たい箱だった。 「開けてみて」 「ち、ちっちょっと待っててください!俺、手、汚れてて…」 箱をカウンターに置き、据え付けの流しで手を丁寧に洗う。 仕上げにエタノールを吹きかけてから、そっとかけられたリボンと解いた。臙脂色の包装紙を取り除いていくと、贈答用の箱が姿を現す。 期待満面で見られていることを感じつつ、さらに箱の蓋を持ち上げた。 すると、先日テレビでも紹介されていた瓶詰のマヨネーズが三本鎮座していた。 「マヨネーズ好きなんだって?長谷川さんから聞き出したからお取り寄せしてみちゃった」 黒トリュフが入っているマヨネーズなど自分では到底買いはしない。 食べたことある?と聞かれ、首をフルフルと横に振った。 「時計も考えたけど、今時の子はスマホで時間確認するんじゃないかと思って」 時計か、と心の中で土方は唱えた。 大学生とて、試験中は携帯スマホの類いは持ち込み禁止であるし、アクセサリーを身に着けない土方でも時計ぐらいは使う。 一瞬押し黙った土方を金時が見逃すはずもなく、心配そうにのぞき込まれて、また心臓が壊れたように運動を始めた。 「十四郎くん?もしかして、こういうの苦手だった?」 「いえ!嬉しいです!トリュフ入りとか食べたことない!」 ありがとうございます。 マヨネーズ好きなこと、知っていてくれて嬉しいです。 気に留めていてくれて、有り難いです。 でも…、の先は言えない。 金時にもらったマヨネーズなんて勿体なくてなかなか食べられそうにない。 いっそ、安物でもいい。 時計であったなら、身につけていられるのに。 そこまで、考えて、土方は心の中で首を横にぶんぶんと振る。 どれだけ、自分はなんて我儘な、贅沢なことを考えているのだろう。 「大事にします!」 「いや、大事にじゃなくて、どんどん食べてね。 足りなかったら、また取り寄せるし」 「ありがとうございます」 土方は笑った。 苦くて甘い。 全部含めて、笑った。 高校を卒業し、都内の大学に進学して3年目。 コンビニの深夜シフトでバイトを始めて1年と少し。 風薫る五月。 バイトと大学の単調な生活の中に、土方の中に入り込んでしまった金色。 彼が贈ってくれた誕生日は極上のマヨネーズ。 酸味が少なく、まろやかなフランス製のマヨネーズは封を開けられることなく長く土方の部屋に飾られることになる。 土方十四郎がそのことを金時本人に知られるのは、もう少し先のこと。 彼のアパートに金時が泊まりに来るようになってからのお話である。 『Sweet×Bitter』 意外にご好評でした金土誕生日に絡めて… 土方副長、土方さん、土方くん、 全ての土方十四郎さんに、お誕生日おめでとうございます!! 拍手、ありがとうございました!! 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