うれゐや

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【短篇】 | ナノ

『run a boy』




「おー…」

坂田銀八は新しい煙草に火をつけて、体育祭で賑わう運動場を屋上から見下ろす。
午後のプログラム・5番800メートル走男子。
最終走者がスタートラインに立つと、応援席が一際、色めきたった。
インターハイまで行った陸上部のホープや各部の選り抜きが走るからということもあろう。だが、女子の甲高い声が呼ぶのは、坂田の受け持ちの一人の名がほとんどだ。

「スゴいねぇ、土方くん」

土方十四郎。
皆が同じ高校指定の一揃えを着ているというのに、すらりとした立ち姿はまるで違うものを着ているように見える学校イチのモテ男。
引退するまでの部活は剣道部。
硬派な鬼の副部長。

「位置について」

走者が笛の音で一斉に膝をつく。
強面に見られがちではあるが、整ったその横顔を坂田は見つめる。
逸らさない。
いや、逸らせない。

「用意」

坂田と土方は賭けをしていた。
この勝敗の行方できっと色々と変わっていくだろう。

それが両者にとって幸せなのか、厄介ごとになるのか。


ぱんっとピストルが鳴って、6名がほぼ同時に地面を蹴った。






「先生、好きです」

土方と坂田の関係に一石が投じられたのは二学期に入って早々のことだった。

受け持ちの生徒から告白された。
それ自体は、さほど珍しいことではない。
思春期真っ只中。
青い春を地でいく高校生にとって、身近な大人であり、比較的若い年代の坂田はちょっと背伸びするには丁度良い相手なのだろう。
冒険、思い込み、自己陶酔。
卒業してしまえば、あっさりと、「銀八?あぁ、いたよねぇー。なんで、あんな垢ぬけない親父、好き好き言ってたんだか」と笑い話。
その程度の存在でしかない。
ドキドキしていたのは教職一年目だけ。
毎年繰り返されるやりとりにうんざりが正直なところだった。

だったのだが、幸か不幸かこの二年、すっかり茶番の回数だけは一人の女生徒の奇行によって減っていた。
ドMのストーカー女生徒が起こすあからさまなアタック、もしくはストーキング。
授業中でもホームルームでも放課後でも、時と場所を選ばない彼女の行動に皆が引いてしまって、坂田に告白しようとする猛者が現れなくなったのだ。
反面教師とでもいえばいいのか。

そんな中での久々の告白は少々これまでと勝手が違っていた。


「先生、聞いてっか?」

現実をもう一度確認する。
目の前にいるのは、どうみても、『男子生徒』

「土方くん…」
「おぅ」

V字になった真っ黒い前髪の奥から、青みかかった瞳で真っ直ぐに坂田を見つめているのは、受け持ちの3年Z組の一人。

「ありがとう?」
「いや」
「あー…と…」

ぽんぽんと通常なら無意識でも飛び出すボケもツッコミも浮かんでこない。

「土方」
「なんだ?」

何度瞬きしても現実は覆らない。
冗談やいたずらを率先して行うタイプでも、人懐こい生徒でもない。

「お前、隠していただけで女の子でした〜ってオチじゃねぇよな?」
「あぁ」
「じゃあ、罰ゲーム的な、ドッキリ的な流れ?」
「じゃねぇ」

違うと、少しだけ少年は顔を俯けるが、視線は坂田から離れない。

「じゃあ…」
「恋人になって欲しい、的な意味で好きだ。銀八先生、いや、坂田銀八サン」
「っ!」

他に何かあったかという脳内模索は強制的に中断させられた。
しかも、突然のフルネーム呼びに心臓が跳ねる。
けれど、子ども相手に内側の動揺を見せられるわけもなく、坂田はズレ落ちていたメガネを持ち上げることでどうにか誤魔化した。

「信じられないか?」
「いや…」
「気持ち悪い、か?」
「いや…」

質問はもっともだ。
同性愛の市民権は昔に比べ、認められるようになってきたとはいえ、普通に暮らしている分には、なかなか縁のあるものではない。
かぶき町に居を構える坂田ならまだしも、土方のような共学に通う高校生にとっては尚更のことだ。
恐らく、土方も坂田に立つまでには相当な時間、戸惑い、覚悟と必要としただろう。

そう思うからか、坂田は異性愛者ではあるが、驚きはすれども生理的な嫌悪感はなかった。

「迷惑なのはわかってる」
「いや、別に迷惑ってほどじゃ…」
「じゃあ、このまま、好きでいてもいいのか?」

そこまで、問われて、答えて、坂田は止まった。

ここは、私のこと、嫌いですか?なんで付き合ってくれないんですか?と詰め寄る生徒に教師と生徒の境を明確に示してやる場面ではないのか。
もしくは、わかっているんです。でも、伝えたかった…と俯く生徒の頭を撫で、準備室からの退出を促すところではないのか。
けれども、土方はどちらのパターンにも当て嵌まらない。

叶うとは思っていない。
その一方で、諦めるつもりも直ぐにはないらしい。

人が人を想うことは自由だ。
止めようと思って止められるものではない。

そうして、坂田自身もそんな土方の様子に通常とは違う感情を己の中に見出していていた。
簡単に言えば、ばっさりと切り捨てるには惜しいのだ。

単純にモテたい、俺もまだ捨てたもんじゃないという欲求がもたらす効果である気もするし、また、土方のようなモテる生徒がぶっきらぼうながらも目元を赤くして、坂田に伝えてきたという事実に対する優越感からくるものでもある気がする。

どちらにせよ、教師として一生徒に好かれているなどという高尚な喜びではない、碌でもない類のものだ。

「おめェの気持ちに応えられねぇけど?」
「生徒としてでも、残りの高校生活、側にいるのを許してくれるなら」

そういって、土方はじりじりとまだ準備室の気温と不快指数をあげる日差しの中、この日初めて静かに笑った。

その笑みに押されるように、坂田は頷いていたのだ。




それから、土方は昼休みや放課後、坂田がいる準備室で時間を過ごすようになった。
だが、何か特別なことをするわけではない。
静かにやってきて、参考書を読んだり、課題に取り組んだり、一時間足らずで帰っていく。
毎日ではないが、ほぼ毎日。
坂田は基本的にテスト作成期間以外は鍵をかけない。
ある意味、出入り自由であるが、職員会議の時にはすぐに退出するし、生徒に呼び止められて準備室に戻る時間が下がっても、勝手に入って過ごす真似はしない。
あくまで、坂田がいる時にしか訪れない。

他の生徒であれば、何か進路辺りで心配事でもあるのかと考えるのだろうが、土方の場合、告白劇の後だ。
積極的でないにせよ、側にいる許可がこのことを差していると、『そういった』意味でのアプローチであると考える方が自然。

確かに視線には熱が潜んでいる。
けれど、これくらいの歳の男子生徒であれば、もっと生々しく、ガツガツしているものではないだろうか。
坂田とて、常識がある方だとはお世辞にも言えないが、十年前の自身の経験とこれまでみてきた生徒たちを思えば、もっと勢いがあるものな気がする。
最初、踏みこんで、どうしたいのかとも遠まわしに聞いたが、どうしたいというわけでもないと笑ったのだ。

坂田の何処が好きなのかと聞いたら、わからねぇけど、好きなんだと。
年上に対する憧れじゃないのかと尋ねたら、アンタにそんな要素はねぇと笑った。
やけに大人びていて、ドキリとする笑いだった。
愛想なく、仏頂面な事の方が多いが、気の許す仲間内には不器用な笑顔も向けているところを見かけたことは勿論あるが、あんな笑顔をする少年ではなかった。

わからない。
わからないから、尚のこと、追い出せない。
でも、気がついてはいけない『何か』がある気がして、坂田は飲み込む。
そうなれば自然と、当たり障りのない世間話を選ぶようになった。

クラスのこと。
授業のこと。
引退した部のこと。
ゲームや漫画のこと。

土方との会話は嫌ではなかった。
テンポ良いツッコミは耳障りではなく、また、引き際をわきまえていた。
生徒でさえなければ、少し年の離れた、気の合う友人に近い。

坂田は『土方』の存在をどう位置付けるべきか、迷いながらも、咎めることも、拒絶することもしなかったのだ。




一か月が過ぎる頃だろうか。
坂田は土方がいれば、元々精力的に熟したい訳ではない仕事はもやもやと更に進まず、たまに土方が来なければイライラとして煙草を灰皿にねじ込むようになった。

「これ、狙っていたわけじゃねぇよな…」
「は?」

すっかり定位置となったパイプ椅子に腰かけて、土方は坂田が溢した言葉に鞄から参考書を引っ張り出していた手を止めた。
いつもの放課後よりも、今日は訪問が遅かった。
部対抗の競技について、後輩に相談を受けていたという。
来なければ来なくて良い。
なのに、腹が立つ。

「なんのことだ?」

坂田が黙り込んだからか、完全に荷物から顔を上げて聞き返してはくる様子に気負いはない。
不自然だと思う。
坂田が3年間見てきた土方十四郎という生徒はこんなに殊勝なキャラではない。
けして、大人しい気性ではなく、思ったことを口に出来ない性質ではない。
一見優等生タイプに見えるが、その実、好戦的な性格だ。
それに、瞬発力も決断も早い。

「あー…いや…なんでもねぇよ。うん」
「なら、いい」
「なら、いい…のか?」
「あ?」

土方にとっては理不尽な苛立ちであり、怒りだとは理解している。

普段から、この埃っぽい準備室を好き好んで訪れる生徒はいない。
土方が多少通ったところで、依怙贔屓呼ばわりする輩もいない。
教師としては、踏み込み過ぎない最小限の土方の態度は許せる範囲内にはある。

坂田は面倒な事は嫌いだ。
その中でも、生徒に迫られるなど、面倒な事この上ない。
しかも、JKでもなく、ましてDKなど迷惑千万だ。

でも、その時は、煮え切らない、『土方十四郎』らしくない行動に腹がたって仕方なかったのだ。

「土方くん。も一回聞くけど、おめェ、どうしたいわけ?」
「どう…って…」
「叶う叶わねぇじゃなくて良い。理想っつうか、ぶっちゃけた話、
 俺が頷いたらおつきあいしたいわけ?」
「は?はぁぁぁぁぁぁっ?!お、おつ、おつきあ…い?え?先生、何言って…」

正面から向き合えば、土方の顔面は朱に染まっていた。
ようやく、イメージしていた通りの反応を引き出せたことに坂田は心の中だけで口端をあげる。
そうそう、それだと。
採点用のペンを机に放り投げるように転がして、立ち上がる。

「え?側にいれたら、なんて、本気でまさか聖人君子みたいなお付き合い
 イメージしてるわけ?やっぱさー」

土方が座っている作業用の机に手をついた。
体重を受けて、机の脚が悲鳴を上げる。
そのまま、少年の方へ身を屈めた。

耳元に口を寄せると、鼻先を黒髪が掠めた。
汗の匂いに混ざって、シャンプーなのかシトラス系の香りがした。

「…先生で抜いたことぐらいあんだろ?性少年?」

緊張して、全身を硬直させながらも、どこか期待している風な教え子の耳に囁きと息を吹きかけてやる。

「っ!」

途端に土方は息のかかった方の耳を両手で抑えて立ち上がり、坂田から距離を取った。
勢いで、体育館から失敬してきたパイプ椅子が大きな音を立てて、床に倒れる。
ばたん、がしゃんと立体になっていた椅子は平たくなって、静かになった。

「もう来るなって言いてぇのか?アンタは」

真っ赤になってはいるものの土方の視線はどこまでも強い。坂田を睨み付けてくる。

「そういうわけでもねぇんだけどよ。いい加減、おめェの本音を聞きてぇっつうか…」
「本音…だと?」

また、土方の顔が赤くなった。
今度の赤さはほんのわずかに赤黒い。
羞恥ではない。
己の気持ちを本気だと受け取られていなかったことに対する怒りだ。

ぞくりと坂田の背を歓喜にも似た何かが走る。

「そうだろう?モテ男のくせして、こんなママゴトで十分な程度なのかよ?
知れてるじゃねぇか」
「…じゃあ…どうすりゃいいんだよ?押し倒しでもすれば信じんのかよ?」

押し倒されるのは勘弁、どうせなら押し倒す方でお願いします、いや、それも違うだろう!なんて、都合の悪い思考は慌てて流して、頭を話の本筋に戻す。
どうすればいい、なんてことまでは考えていなかった。
しかし、かかった!と思ったのも確かだ。

放課後のグラウンドでは応援団らしい集団の野太い声が響いている。

「今度の…」
「え?」
「来週の体育祭、おめェ、個人種目は800メートル走だっけ?」
「あ?あぁ…?」

沖田が今年の800メートル走はどう考えても負け戦さだから、土方さんに譲りまさぁと押し付けていたことを思い出したのだ。

「それで、1位になったなら、お付き合いしてやるよ」
「は?」
「あーんなことやこーんなこと込み、でな?」
「っざっけんな!んなこと、賭け事になんかにするもんじゃねぇだろうが!馬鹿か!」
「だって、別におめェがここに来ても迷惑ってわけじゃねぇが、
 このままじゃ、どこにも行けねぇ、進めねぇだろうが」

答えつつも、何かが違うと脳の隅っこで違和感を感じる。
どこにも行けないのは誰か。
賭け自体は今思いついたことではあるが、このひと月もやもやしてきたことに、近い将来、終点を見出さねばならない。
それは、土方の、なのか、それとも坂田のことなのか。
そこにやや引っ掛かったのだ。

「…つまり、さっさと明確にフラれて諦めろってか?
 なんだそりゃ…なんでこんなアホ好きになったんだ俺…」
「ポンポン、馬鹿アホ呼ばわりしてるけど仮にも先生だからな?ちっとは遠慮しろ?
 それに…」

諦めろとまでは言っていない。
もう来るなとも言っていない。
だが、訂正の言葉は被せられた声にかき消された。

「クソッタレ!その賭け、乗ってやってやるよ!言葉違えんじゃねぇぞ!」

土方は受けた。
土方も足の速さに定評はあるが、インターハイにも出た選手も出る組み合わせに正直勝ち目は薄い。
承知で受けた。
諦めるのか?
もう来ないのか?
そのことに、少しショックを受ける自分に気がついた時には土方は、荒々しく準備室の叩きつけて出て行った後であった。





薄い雲が微かに上空に棚引く秋の空の下をもう少しだけ伸び代がありそうな長い足がグラウンドを蹴りつけて、ぐんぐんとトラックを回っていく。

高校3年にもなれば、ほぼ成人男性と大きさに差はない。
迫力のあるレースに観客席は沸いた。
坂田も瞬きもせず、見守っていた。

土方のスタートは悪くは無かった。
だが、流石に3年間部活動で競技として鍛え続けてきた人間にそうそう敵うものではない。
2位の位置につけてはいたものの、トップとは徐々に離されてきている。
歯を食い縛り、懸命に走る横顔が鮮やかに坂田には見えた。
屋上からだというのに、それはそれは鮮明に。
顎を伝う汗やいつもよりも後ろに流れた髪の質感まで。

「…もっと…」

くわえていた煙草を離して、呟く。

走れ。

賭けをしてから、土方が準備室を訪れることはなかった。
代わりに朝夕走り込んでいるのだと、嘘のつけない近藤から聞き出した時には、困ったような、こそばゆいような、どうしようもない気持ちになった。

走れ。
走れ。

器用に見えて、不器用にしか走れない少年。

自覚があるから、大学が推薦で決まり、剣道部の責務が自分から手を離れてから、準備室にやって来たのだろう。
残り半年あるかなしかの高校生活を坂田と過ごすために。

「走れ」

最終コーナーを回った所で、聞こえたかのように土方の上肢が前へと傾く。
途端にぐんと加速した。
眼前に拡がっているのは、トップの男とゴールテープな筈だ。

最後の望みと全額つっこんだ競馬のレースだって、こんなに緊張はしない。
坂田は渇ききった喉に唾液を流す努力をする。

土方とトップの差が縮まり、放送部の実況もヒートアップして、もはや解説なのか、ただの悲鳴なのか分からない声になっていた。

走れ。
走れ。
走れ。

ゴールまで、あと5メートル。

賭けは自分の負けでいい。
いや、負けだ。
きっぱりと最初の日に断らなかった時点で本当は確定していたのだ。
とっくの昔に手遅れだった。

ゴールまで、あと3メートル。

走る少年に恋をしている。
いい年をして、年下の男子生徒に、墜ちている。
しかも、この土壇場になって自覚が出た、など。

なんて恥ずかしい。
なんて滑稽だ。

ゴールまで、あと2メートル。

土方に追い付きかけた3位の少年が限界まで回し過ぎたのか、足を縺れさせて、転倒する。
黒髪に白い鉢巻をなびかせて、土方は動揺することなく真っ直ぐに前を向いていた。
トップとは身体半分の差。
でも、もうゴールまで距離がない。

ゴールまで、あと…。

「負けんな!」

走者がほぼ横並びで胴体がゴールテープを切る。

秋の空にゴールを知らせるピストルの音が鳴り響くと同時にトラックに走り出る3Zのメンバーと、それを慌てて止める同僚の声が聴こえた。

坂田は大きく息を吐き、煙草を口元に運ぶ。
そこで、ようやく指先で一口しか吸われることのないまま、短くなった煙草が指を焼きかけていたことに、気が付いて、慌てて踏みつぶした。

どれだけ、集中していたのか。
知れて、指先よりも顔が火傷したかのように熱くなる。

フェンス越しに再びグラウンドに目を向けると、クラスメートに揉みくしゃにされる黒い頭が、きょろきょろと何かを探している。
グラウンドを見回していた顔が上方に動き、まっすぐに坂田と捉えた。
ニヤリと勝気に笑った後、近藤達に声をかけて走り出す。

「あー…どうするよ、これ」

きっと、数分もしないうちに土方は屋上までやってきてしまう。
一体どんな顔をして、迎えればいいのやら。

手で顔を擦れば、秋の日差しに焼かれただけではない火照りと口元の緩みを逆に自覚して、居た堪れなくなった。

空が高い。
まだ、季節は秋。
冬を超えて、春を迎え、卒業した時、自分は耐えられるのか。

「本当に…どうするよ」


未来の心配をしてしまっている時点でやっぱり手遅れなのだが、往生際悪く、坂田は呟く。

そして、走る少年を待つのだった。



『run a boy』 了



拍手ありがとうございました。

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