『闘魚』「へぇ…」 通い慣れた居酒屋で出されたお通しはトコロテンだった。 随分と蒸し暑い季節になったものなぁと箸で掬いながら板場に目を向ける。 涼やかさを感じさせる小物が他にも増えていた。 客席カウンターと板場の間に先日まではなかった水槽。 金魚ではない。 ボディは細身。 一匹は黒。纏うひれは光線の加減によって藍色にも見える。 一匹は白。 どちらもひらひらと長い尾ひれを優雅にたなびかせ、水草とともに収まっていた。 二匹は色は違えども同じ種類の魚であるように見える。ただ、不思議なことに一つの水槽の中で、中央に入れられた網状の仕切りによって完全に隔離されていた。 「これ、なんて魚?」 「え?あぁ…ベタ、だったかな。 小さな水槽でいいって聞いたんで飼いはじめたんだよ」 「小さい方がいいから、二匹わざわざ分けてんの?」 誰かが注文した天ぷらがじゅっと良い音を立てて油の中に落とされた。 その音に負けない様な大きな声で気さくな大将が答えてくれる。 「違う違う。なんかひれが綺麗だから雄2匹買ったら、喧嘩するから一緒にしちゃいけなかったらしくてな」 「喧嘩すんの?同族同士で?」 「なんか闘魚、っていうの?テリトリー争いなんだか闘争本能高いらしいんだよ。 賭けに使う地方もあるぐらいで、相手を突きまわしてお互いぼろぼろになるまで戦っちまうんだと」 「へぇ…」 仕切りがなければ、互いに傷つけあう。 「おい!予約のお客さん、揃ったのか?」 「まだだよ。今からお通しだけ運んでくるよ」 忙しそうに女将が厨房に空の食器を戻し、また新しい料理を運んでいく。 繁盛してるねぇと何気なく、その後ろ姿を追えば、奥の個室へ向かっていった。 障子がからりと開き、見るともなしに視界に移り込んできた男に目を軽く見開く。 特徴的なX字の前髪、銀時とは真逆な黒髪ストレート。 着ている服はいつも黒。 物騒な武装警察真選組の副長、その人だった。 土方は女将と数言会話をかわしていたが、銀時の存在に気が付いた風はなかった。 どうやら、ツレの到着が遅れているらしく、律儀に詫びを入れているようだ。 チンピラ警官ではあるが、そんなところは妙に真面目。 銀時との会話にそんな気遣いがあった試しはないけれど、誰に言うともなく、口の中で零し、女将によって閉められた障子から視線を正面に戻した。 ぴしゃんと黒藍が翻る。 元気がいいのか、水面近くで軽くジャンプして背びれが黒いベールのようにふわりと広がった。 対照的に白は底に沈み、まるで昼寝でもするように動きを停める。 先ほど見つけてしまった土方と自分を思わず重ねてしまった。 仕切りを外され、踏み込めばけして無傷ではすまない。 戦意喪失するまで、もしくは誰かが強い決意で仲裁に入らなければ止まらない。 止まれない。 互いの護りたいものを、互いが傷つける、そんな存在ではないのに。 餌を奪い合い、競いあう、そんな存在ではないのに。 天敵のように顔を合わせるなだけで、ゴングが鳴り響く。 意地の張り合い。 本能的な、条件反射のような。 ふと、仕切りを越える足の意味を考えてしまった。 意地とはなんだ? 本能とはなんだ? 何故? いつから? 出会いは確かに最悪だった。 バイト中に屋根の上でいきなり斬りつけられたのだから。 (その前にも一度会っているらしいが記憶にないから割愛) 別段、その時はそこまでじゃなかった。 面倒臭い奴とは思いはすれ、真っ直ぐに自分に挑んでくる物騒な視線も心得た引き際も悪くはなかったと記憶している。 記憶、という言葉に今度はひっかかった。 銀時はあまり人の顔を覚えている方ではない。 正確には覚えない。 大抵、珍しい容姿のせいか相手が銀時のことを覚えているから、それでことが足りるということもあったし、自分から積極的に他人に関わりたいとも思っていなかった。 それでも、銀時の回りにはいつのまにやら大事なものが増えていく。 増やしてはいけないと臆病な心は警告を告げていても、増えていく。 だから、自分から深いかかわりを増やすつもりはさらさらなかった。 まして、万事屋なんて商売上、疚しいことはなくとも警察なんてものと仲良くしたいわけはない。 それなのに深くなっていく真選組との腐れ縁。 真選組でも、沖田や近藤達との距離は計れなくもない。 土方という男との間だけ距離が分らない。 相手に関しての認識が増えていくにつれて不可解な意地の張り合いは度合いを増していく。 怪我をさせられたとはいえ、別に恨んでいるでもないのに、どうしていまだに、いや、日を追うごとにいけ好かないという意識ばかりが湧いてくるのか。 そんなことを考え、ちらりと横を奥の個室を盗み見た。 障子で閉じられた空間。 あそこに土方がいる。 障子で隔たれた場所。 一人であれば、土方もカウンター席に座っていただろう。 銀時が入ってきたことに気がついて、あの瞳孔が開いた瞳が睨んできただろう。 テメェのせいで店を替えるも業腹だと、渋々、自分はひとつふたつ空けてカウンター席に座り、きっと一言二言悪態を交わし合っただろう。 そう考えると、今、このカウンター席に土方の姿がないことが何故だかひどくもどかしい。 「らっしゃい」 大将の威勢のよい声が新規の客にかかり、何気なく銀時は顔をあげた。 「大将!悪いね。急に予約いれさせてもらっちまって」 「いえいえ、毎度。お連れさん、奥の個室にもういらしてますよ」」 体の大きさ、顔のごつさを感じさせない気さくな声は近藤だった。 土方だけではなく、実は近藤も常連なのか、案内されることもなく、奥にむかう。 向かいながら、やはり銀髪天パが目立つのか、銀時のことに気がついたようで、声をかけてきた。 「万事屋、お前も来てたのか!」 「悪ぃかよ」 「なんだ、機嫌悪そうだな!あ、良かったら一緒に飲まないか?」 「奢りならゴリラ臭ぇぐらいは我慢すっけど、アイツいんだろ?」 「トシ?あ!もしかして、もう一戦しでかしたのか?お前ら仲いいなぁ」 近藤の言葉に鼻白んだ。 やはり周囲から見ても、土方と銀時が出会えば一悶着あると予測する。 あながち間違いではないにしろ、第三者から妙に訳知り顔で言われることに腹が立った。 「今日はまだ話してねぇよ!でも、始めたら銀さん余裕で勝つけどね?間違いなく。 それよりも!何処をどう見たら仲良く見えんだよ! あんなマヨ臭ぇ奴と一緒にされちゃ迷惑だし、アイツだって嫌がるに決まってる。 んな奴と一緒なら折角の酒も不味くならぁ」 「別にトシは万事屋のこと嫌っちゃいないと思うんだけど。 なんでお前ら、そんなに頑なかなぁ」 「んたこたぁ、アイツに聞いてくれ」 「まぁ、無理にとは言わんが。仲良くしてやってくれや」 己のグラスを見つめたまま、それ以上顔を上げようともしない銀時に苦笑すると、銀時の後ろを通りすぎ、土方がいる個室に真っ直ぐ向かっていった。 障子がすぱんと小気味よい音をたて開かれ、ざりりと草履を脱ぐ音と悪ぃ悪ぃと豪快に笑いながら謝る近藤の声を背中で聞いた。 その後に生ビールを二つ注文する土方の声が続き、再び障子が閉まる気配。 そうだ、あそこに銀時は入れない。 近づくことが出来ない。 ふいに強くそう思った。 おかしなものだ。 自分から断っておきながら。 これでは、まるで自分もあの内側に入りたかったようではないか。 銀時はコップに入った焼酎を一気に煽って魚を見やる。 土方と銀時はなぜ噛みつきあうのか。 噛みつきあわねばならないのか。 それが、周囲からみる二人の在り方だからだ。 デフォルトだからだ。 ならば、自分たちのテリトリーでない場所、共通の場所、自分たちの見知らぬ人間ばかりの場所ならどうなのか。 仕切りを決壊させたならどうなるのか。 「銀さん、そんなにその魚気に入った?」 「気に入った…つうか、もしもあの仕切り外したら… 万にひとつも仲良く共存なんてこたぁないのかね、なんてな」 いくつかのグループが帰ったらしく、大量の使用済みの食器を手に女将が戻ってきた。 ガタンガタンと業務用の洗い桶に溜められた洗剤に放り込まれていく音がする。 「おやおや」 「なんだよ?」 女将は手を一度洗い、笑いながら、サービスだよと水茄子の漬物を出してくれた。 綺麗な紫色を口に運ぶと皮も実も柔らかく、しっとりと夏の味が広がる。 「相手がぼろぼろになるまで、つつき回す気性の荒らさだけど、 元々は川に住んでる生き物だからね。 万が一、がないとは言えないかもしれないよ。 まぁ、あんな小さな水槽でやってみようなんてことは思わないけど」 「なるほど…」 言われてみれば確かにそうだ。 品種改良を重ねてはいるだろうが、原点となる魚は本来水槽になんて入っていた筈はない。 広い場所なら、牽制し、様子を伺い、近づくも遠ざけるも可能と言えば可能なのか。 テリトリーを護る。 自分の領域を侵されたくない。 自分の内側に入られたくない。 なら、近づかなければ良い。 現状のように、相手に構わず、仕切りをしてしまえば。 それが出来るならば…。 「なんだい、銀さん、仲良くなりたい相手でもいるのかい?」 魚の話なのか、土方と自分の話なのか。 重ねて、測って、戸惑って。 そんな思考を言い当てられた気がしてギクリと身をすくめた。 「あ?」 裏返して考える。 仕切りを取り払うなら。 もしも、これまでの積み重ねや周囲がどう思っているかという仕切り、土方と銀時が『犬猿の仲』であるという認識を解いた広い川。 なぜ、わざわざ喧嘩になるとわかっていて、顔を合わせたら向かっていく自分。 口端に煙草をプラプラさせながら、こちらに歩いてくる土方。 意地の在り処。 本能の在り処。 ゆらゆらと闘魚が小さな水槽で舞う。 銀時自身が土方という男を気にしていることを気付かれたくない強がり。 踏み込みすぎて、相手のテリトリーから戻るなくなる、自分が囚われてしまうかもしれない本能的な危機。 男女の仲なら、もっと今の銀時の状況を説明することが容易かったのかもしれない。 先に惚れた腫れたを持ち出した方が負け。 気がつけばなんと単純。 けれど、受け入れるにまだまだ難し。 「…認めねぇ」 急に突っ伏したかと思えば、これまた急に立ち上がって動きだした銀時に女将がご不浄はそっちじゃないよと慌てて声をかける。 「え?銀さん?」 後ろ手で違う違うと合図して、向かうは個室の障子。 仕切りをぶち壊す。 つつき合っては、様子を見て、誰かの視線を気にして仕切りの内側に戻ってまた様子を窺うのではなく、完全にぶち壊す。 仕切りの完全になくなった闘いの先は分らない。 もっと傷ついて、弱ることになるかもしれない。 この場に及んで、逃げ腰な自分を叱咤しつつ障子の取っ手に手をかけた。 先手必勝。 闘って、相手のテリトリーを侵して、住み着くのは自分が先。 思い切って手を横に引いた。 障子の向こう側にマヨまみれにした元は何の料理だったかわからないものを箸で摘まんだまま、目を丸くする土方の姿があった。 「よぉ」 土方が箸を皿に戻し、ぎっと音をたてそうな強い視線で銀時をにらみ返してきた。 ぴしゃん。 今後ろで飛び跳ねたのは、白か黒藍か。 まるでそれはこれまでと少しばかり違う音の始まりの合図。 新しい闘いのゴングとして鳴り響いた気がしたのだ。 『闘魚』 了 拍手ありがとうございましたm(__)m 自覚する銀さんでした! (41/85) 前へ* 短篇目次 #次へ栞を挟む |