『collection U』毎日教室でも最低限の話さえしないまま、ゴールデンウィークに突入していた。 坂田の方もあれ以来、土方に声をかけることはしてこない。 時折、何か言いたそうな顔をしている気がしてはいたが、土方は敢えて見ないふりをし続けている。 時間がたてばたつほど、土方は後悔と混乱をしていたこともある。 冷静になろうとすればするほど、全体を俯瞰で見ようとすればするほど、まるで土方の感情は、大好きな教師に特別扱いしてもらいたい幼子のようでもあり、土方の容姿ばかり見て、土方のマヨネーズ好きをみると途端に踵を返す女子に対する怒りのようなものに似てもいるようであり、土方ではなく、坂田を捕えて離さない「白衣」というアイテム自体への嫉妬とも見えた。 嫉妬。 一言でいえば嫉妬だと、もはや否定が出来ない。 気が付いてしまった坂田の懐の深さに、煌めいた目に捕えれてしまって雁字搦めになってしまっていることを認めざるを得ない。 不毛だ。相手は年上で、同じ男で、教師。 いい意味でも悪い意味でも型破りで、評価は著しく悪いが、人たらしな性格で人望は厚い。いい加減なようで、その実、常識人な一面を持っている。そんな相手だ。 言っていたではないか。 AVの女優を見て興奮するのは白衣が似合う似合わないではないと。逆を言えば、普通にAVを見ている。つまりは女性の方が好きだということだ。 叶うわけもない。 期待するわけにもいかない。 土方はそういったもやもやとしたどうしようもない気持ちを抱えたまま、本日十八歳最初の日を竹刀を思う存分振って過ごすことで忘れようとしていた。 「おーい、トシぃ」 殆ど「生徒の自主性に任せている」という建前のもとに部活に顔を出さない顧問の出現に、驚きつつ、素振りの手を止めた。 「とっつぁん?」 「お前、坂田んとこに小論文未提出だってな。それ出さねぇと赤点とか言ってたが本当か?」 「ま、まさか!俺、最近はちゃんとテストで点とってるぜ?何かの間違い…」 訓練のお陰か、少しずつ定期考査でも、小テストでも点は取れている。 第一、小論文の件はもう白紙に返ったはずだと当惑した。 「間違いでもなんでもかまわねぇが、さっさと行ってどうにかして来い。ぐずぐずして、万が一部活が原因だとかで俺が責められた日にゃ…」 肩に担いでいた竹刀が唸り、土方は咄嗟に後ろにとんだ。竹刀の先は畳に激しく叩きつけられたが、避けていなければ確実に土方は肩を打たれていただろう。 「うお!わかった!職員室行って間違いだって確認してくっから!」 「準備室の方って言ってやがったぞ」 「っ!」 明らかに、坂田の作為を感じる。もはや、赤点のこと等は松平を通して土方を呼び出すための表向きの言い訳に過ぎない。 「オジサンは気ぃ長いじゃねぇ」 「イッテキマス…」 渋々、道着のまま土方は柔剣道場を飛び出した。 あれから2週間が過ぎた。今更何の用だというのか。 行きたくはない。 去年の冬、赤点だと落ち込みながら上った時よりもずっと足が重かった。休日の校舎に人影も、物音もほとんど存在しない。初夏の風が時折窓ガラスを軋ませる音ぐらいだ。 準備室に通っていたのは、いつも放課後だった。多少の色の違いはあれど、夕焼け色が差し込む階段の小窓を見上げながら登っていた。 正午前の今日の日差しは、むしろ白い。差し込む光はちりを乱反射させて浮かび上がらせ、静けさに拍車をかけている気がした。一歩一歩、絞首台への階段はこんな感じだったのだろうかと、取り留めのないことを考える。 このまま踵を返したいが、松平の手前それも憚られた。 そこまで計算して、坂田が土方を呼び出した意図はなんなのだろうか。 土方の気持ちに気が付いて糾弾する、そんな教師では坂田はない、と信じたい。むしろ黙ってみなかったふりをする、それくらいの配慮が出来る大人だと。 重たくなる足を引きずりあげるうちに土方はようやく認めた。 受け入れてもらえない事実は変わらずとも、自分は坂田銀八という男が好きなのだと、はっきりと。 目の前にそびえたつ国語科準備室。 大きく深呼吸をしてから扉をノックしたのだ。 坂田は咥え煙草のままゆるい返事をして、土方を招き入れ、畳んだ白衣をおもむろに差し出してきた。 「まぁ、着てみなさいよ」 あまりに、それまでと変わらぬ口調と行動に土方は強く唇を噛み、手に取って気が付いた。 今日は新品でもクリーニング屋のビニールにも入っていない。いつも着せられていた糊の効いた布地ではない。使いこまれ、洗いざらしとは言わないが、何度も何度も洗濯された感触。 そして、微かに香る煙草の香り。 土方が顔を上げると、銀八はやや乱暴な仕草で灰皿に煙草を押し込んだ。 勿体ないと、増税で一体どんだけ喫煙者の財布からむしり取る気だコノヤローと悪態をつきながらフィルターギリギリまで吸っていた男とは思えない、まだ吸い始めたばかりの、十分に長さを残す煙草を押し込む姿に前回この場所を訪れた時とは違うのだと、遅ればせながら肌で感じた。 「それ、もう一回着てみて」 もう一回、そういった坂田の言葉にやはり手にある白衣は坂田が愛用している白衣なのだと確信する。 だが、土方は首を横に振った。 「確認したいことがあんだよ」 土方は首を横に振った。 「いやか?じゃあ、肩にかけるだけでもいいから」 坂田の腕が伸びて土方の手元から白衣を取り上げると、ばさりと道着の肩に羽織らせてくる。その動作には逆らうでもなく、土方は立ちすくんだままだ。立ちすくんでいたというよりも、考え過ぎで硬直していた、と言った方が近い。 そんな土方の内心を知ってか知らずか、目の前の坂田はやっぱりといって、ちょっと困ったような、ほっとしたような奇妙な顔で笑った。 「…に…が?」 「何がって?あぁ、その…やっぱり土方が一番だなって」 一番という言葉に揺れる。 他と比較して、それでも白衣が似合うと坂田が思うのは土方だと思ってくれた安堵。 他と比較した、ということは誰か似合いそうだと坂田が思う人間に着せてみたという苛立ち。 「なぁ、またここに来いよ。時間あるときでいい。部活が忙しいなら引退した後でもいい」 勝手な事をいいやがって、正直そう思った。 人の気も知らないで。いや、人の気を知らないからそんなことを言えるのだ。 それでも、体のよい着せ替え人形としてでも、銀八が共有した時間を惜しんでくれていることが嬉しくもあった。 恋心を吐き出すことが出来ずとも、 着せ替え人形と扱われても銀八が楽しんでくれるなら、 一教え子としてではない時間を与えてくれるなら、 それはとても魅惑的な誘いだった。 自分はそれで良いのかと土方は己に問い、答えを出した。 繰り返しはいらない。 今だって、坂田の言葉に翻弄され続けている。 未熟な恋を自分は制御する術を自分は知らない。知らないし、融通のきかない負けん気の強い性格上無理だと分かっていた。後悔するとしても。 三度、土方は首を横に振った。 「無理?じゃあ、さ、もう白衣着なくてもいいから…」 「着なくてもいい?」 「あぁ、お前がさ、そんなに嫌ならいい。だから前みてぇにここに来いよ」 「じゃあ、ここに来る理由、ねぇじゃねぇか」 土方の国語の成績が気になるだけなら、家で書いてきた小論文を教室で受け渡しして採点すればいい。 「わからねぇ?いつも小論文を書く時、何に気を付けろって言ってる?」 「いきなりなんだよ…え、と、主張、理由、根拠、結論ってアレか?」 俯いた視線の先で白衣が話す振動と窓からの風で微かに揺れた。 「それそれ。土方くんは国語科準備室に来るべきだ。それは土方君が準備室に来ると先生が嬉しいから。ではなぜ嬉しいのか。それは先生が土方くんに会いたいから。しかるに土方君は先生に会いに通うべきである」 「あんだ…それ…無茶苦茶じゃねぇか」 スリッパから足を抜き、反対の足のふくらはぎを掻きている足が見え、坂田自身も言葉に迷っているのが窺えた気がした。 「んー押しが弱いか?じゃあ… 先生は白衣が好きです。白衣の洗練された美しさ、機能性、総てにおいて秀でた衣類の類だと思うからです。その優れた服は着た人間を3割増しで見栄えよくみせるという効果も持っています。ただし、それはその人物のルックスに合っているという最低ラインをクリアしてなければ先生のツボを押しません。けれど、中には特殊なケースもあるのです」 「特殊なケース?」 坂田の足がスリッパに戻ってくる。トントンと床に打ち付けて爪先まで入れた。 「普通に似合う人であれば十点評価からスタートの時に着衣で評価が十三点にアップする。だけど、この特殊なケースに当てはまる人物においてはスタートがすでにメーターを振り切っているのです。つまりその特殊な人物に置いては目盛が最初から役にたちません。白衣は特別です。特別ですが、似合ってなければ意味がありません。今、土方君が着ている先生の白衣ははっきり言って肩幅も丈も合っていないし、道着とのコラボは全くこれっぽっちも合っているとはいえません。それでも、先生は土方君は最強だと、目盛は振り切ったままだと感じています。 しかるに…」 「しかるに?」 土方は言葉を受け止めながらも、どこかまだ煙に巻かれているようだと眉を顰めた。 「しかるに、先生は白衣を着た土方くんが好きであると同時に、着ていない土方くんのことも好きなのだと考えます」 銀八に指が首元から肩へと滑らせるように動けば、肩に掛けられただけだった白衣はいとも簡単に床へと落ちて行った。 「信じらんねぇ…」 「…頑なだな…ぶっちゃけた話、曝さなきゃダメってか?」 「さぁ…」 土方の足元も、坂田のスリッパも白衣で隠れ、そこで初めて坂田の声に苛立ちが混ざる。飄々としているイメージの強い教師にしては珍しいと思わず顔を上げた。 「俺も本当は言うつもりはなかった。正直土方に着せるから、土方から脱がせるからいいって自覚したのも、この数か月のことだしな。折角白衣の似合いそうな、着てくれそうは美人見つけても全然楽しくなくなっちまってさ。逆に、心のフィルムに焼き付けてたお前の姿思い浮かべるたびに、先生の先生が誤作動するわけだ。これをどう説明すんだ。つうか、どうしてくれるんだ。コンチクショ―って話だ」 サイテーだなと罵りながらも、苛立つ坂田に対し、今日初めて土方に余裕が出てきていた。 「俺も思うわ。まさかなーって。不毛だよこれ。どうすんだよ、相手は子どもで、同じ男で、生徒。口は悪いし、喧嘩っ早いし、頑固だし、背はどんどん追い付いてきてるし、身体硬いし、やっぱり子どもだし」 「喧嘩売ってんのかコラ」 「お前の気持ちにも薄々気が付いてたけどお互い気の迷いって可能性もあるし、俺の社会的な立場も、お前の将来のことも勿論ある。受験終わるまで小論文にかこつけて呼びつけて眺めるだけで我慢しよう、って思ってたんだよ。それをお前、人の予定も気持ちも全く無視して、終いにしようとしやがって…」 「勝手なこというなよ」 先程も思ったが、今度は口に出して抗議する。勝手だ、逆ギレだ。大人のクセに。土方よりももっと長い年月生きてきて、経験も思慮もあるはずの大人のクセに。 「勝手だよ、俺は。俺から突き放す覚悟はいくらでもできたってのに、土方からってのには耐えられなかったんだからよ」 「信じねぇ」 こんな時だけ、子どものように自分の主張を振りかざして、ずるいではないかという気持ちが素直に坂田の言葉を受け入れる言葉を吐き出させなかった。 「信じねぇと来たか。何を、どの部分を信じねぇ?」 「全部」 「じゃあ、どうしたらいい?」 「…白衣」 床に落ちた銀八の白衣を土方は拾い上げる。 「うん、だから白衣はもう着なくてもいいって。土方が嫌なら…」 「白衣、家にコレクションしてるって言ってたろ?」 「え?あぁ、まぁ…」 「処分しろ」 5か月、年末年始を除いて十数回、毎回違う衣装を持ち込んでいたのだし、本人もまだまだ着せたい白衣があるとほくほくとした顔で語っていた。 絶対持っている。それがある限り、「白衣」に土方は勝てない気がしたのだ。 「えぇぇえぇぇぇぇぇ!そ、それは、いくらなんでも…」 「駄目ならいい」 「だ、駄目っつうか…別に吊るしてるだけで、眺めてるだけなんですけど?土方ももう知ってると思うけど、いかがわしい系は先生持ってないからね。リアリティ追ってるから、安っぽい、コスプレ的なアレはNGだし!それでも?マジで?全部?」 「全部。あ、アンタが普段着る分はカウントしねぇけど」 「他は…ぜってぇ駄目?土方専用でも駄目?」 「…俺専用ってなんだよ?」 一端土方から離れて、ソファの上に置かれたままであった紙袋をもって坂田は戻ってきた。その中からごそごそと取り出される綺麗に包装された袋を出して押し付けられる。 「俺の?」 取り出してみれば、そこにあったのは淡いピンク色の白衣だった。 これまで、準備室で着せられていたものでこんな色は無かったと不思議に思いながら、ずるずると露わになる全体像に土方の頬が痙攣を始める。 「いかがわしいもんじゃない。ちゃんとメーカーで作ってもらったオーダーだ。絶対似合う自信が先生にはあります!」 手元の服と銀八を見比べれば、しごく真面目な顔で言い放たれた。 ピンクの、ナース服。 しかも、どう見ても一般的な女性用のデザインでありつつもサイズが大きい。 「ななななに考えてんだっ!テメェはっ!に、似合う訳ねぇだろうが!」 「似合うって。自信持て。コイツはな、十八歳の誕生日に合わせてオーダーしてはみてたけど、『いつか』着てくれたらなって気持ちで作ったもんだ。もともと言うつもりがなかったって言ったろ?他、処分しても構わねぇから、せめて、これぐらいは……駄目か?」 「いつか?」 「先のことはわからねぇ。一年でも二年でももっと先でもいい。白衣だけじゃないって、土方が信じてくれたらさ。そんで、受験して、卒業して、せめて教師と生徒の枠離れて、二人して覚悟みてぇなもん出来たら…その時に」 土方は続きを待った。 坂田の目が白衣ではなく「土方」を見てくれていると実感することが出来るのかと湧き上がる期待を抑えつけながら。 「色々諸々覚悟決めた時の勝負白衣として使っ…」 「台無しじゃねぇかっ!」 思わず、ピンク色の白衣で坂田を殴っていた。 「痛ぇ!DV反対っ!」 「阿呆かっ!」 布の何処かが引っ掛かったのか、メガネがずれ、打ち付けられた頬をワザとらしく擦る坂田に舌打ちをすると、踵を返して勢いよく扉を開け放った。 「土方」 呼びかけに、振り返らないまま扉前で足を止める。 「急がねぇから」 土方の背中に届いた言葉を聞くやいなや開けた時と同じ強さでぴしゃりと閉じた。 あまりに勢いついた木製の引き戸は大きな音を立てて、そして跳ね返り数センチの隙間を作り出す。 「くそっ…」 土方はそれでも振り返ることなく、一気に廊下を駆け抜けた。 どうにも制御できそうにない様々な感情が腹の奥の熱が這い上がってきて、それを燃料に、まるで全身が心臓になったかのように脈打っているのが自分でもわかった。 きっと、今の顔のままでは、近藤たちの待つ柔剣道場へは帰れない。水を頭からかぶって、冷却したいと思い、頭のどこかで、そんなことをしてもこの熱は簡単には収まりそうにはないことも自覚していた。 「ちくしょ…ふざけやがって…あんなもん…」 頭をチラつく桃色のナース服。 似合うわけねぇよ、何が十八歳の誕生日用だよクソっと舌打ちし、同時に茜色の準備室でいつも土方の白衣を嬉しそうに眺めていた銀八の顔が同時に思い浮かんだ。 (あの顔は嫌いじゃねぇ…時々なら…って何考えてんだ俺ぇぇぇぇ!)。 少年は、すっかり毒されている自分に声なき恐怖の悲鳴をあげて、走る速度を更に上げたのだった。 『collection』 了 拍手、ありがとうございましたm(__)m そして、微妙な内容ですけど、土方くんハピバ!!! 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