うれゐや

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【短篇】 | ナノ

『collection T』




手渡した小論文をざっと確認すると担任は机の上に無造作に置いた。

「今日はこれ」
代わりとばかりに押し付けられたショップバックの中を覗き込んで生徒は深く溜め息をつく。

「さっさと脱いで」
ぎしりと年季の入った椅子が軋んで担任が立ち上がり俯いたままの生徒・土方十四郎の前に立った。窓を背にした担任の影が土方を覆い、茜色から遠ざける。

「やっぱり…」
「駄目」
担任・坂田銀時の両手が土方の肩のラインを両サイドから確認するように滑って、カラーへと移動していく。そのまま、カラーの内側に節ばった指が侵入し鎖骨から首へ。シャツ越しに滑る感覚に少年は身を少し捩った。
大人の指は構うことなく、首から耳へと動き、冷たい指先が耳朶へ触れると直ぐにまた同じルートを戻っていく。ゆっくりと学ランとシャツの間に滑り込み、肩からばさりと床に学ランが落ちていった。



「うん!完璧!さすが俺!」
「自画自賛かよ…」

銀魂高校国語科準備室。
職員室からも教室棟からも離れた最上階の、しかも隅っこに配置された部屋。立地条件の悪さから使用する教員は少ない。それを良いことに準備室は一人の教員が完全に私物化している。

国語科教諭・坂田銀八。
銀髪、死んだ魚のような目、授業中にも煙草を咥えてぺろぺろキャンディだと言い切り、教科書を隠れ蓑に週刊少年誌を読む教師。
そして、現3年Z組担任。
つまりは土方十四郎の担任であった。

「いや、ホント、土方、似合うわ…写真撮りてぇ…」
「それだけは勘弁してくれ…」
今、土方は学生服ではなく、白衣を着せられていた。
白衣と一口で言っても色々な形があることを土方は担任の奇妙な性癖と係わるようになってから知った。
今日はスタンドカラ―の半そでジャケットタイプ。
医師、というよりも、看護師や介護士が着るのだろう起動性を重視した素材とデザインだ。

「いいじゃん、別に白衣フェチつっても俺それをズリネタにするタイプじゃねぇんだから。ただコレクションするだけで…」
「それでも、なんか…キモチワルイデス。サカタセンセイ」
「土方くんが似合いすぎるのが全部悪いと思います。まぁ、ちゃんとセンセイもやりますって」
「…オネガイシマス…」
「じゃあ、そこ座って」
ようやく本題かと、溜め息をつき、作業台兼荷物置きにしている長机に向かった。




事の始まりは五か月前。
二年の冬、二学期期末考査の後のこと、すでに担任であった坂田に国語科準備室へ呼び出されていた。
呼び出された理由に心当たりがある土方は重たい気持ちで階段を上り、地の果てとも思える場所へと向かった。

土方の成績は総合点でみれば悪い方ではない。
あくまで総合点で見れば、だ。一教科だけ、どう勉強してみても伸びない科目がある。それさえなければ学年トップも目指せているだろう。
現代文と古文、土方は壊滅的にこの二つの科目の点数が取れないのだ。数学の文章題は理解できるのに、現代文の問いの意味がよくわからない。古文の言葉の裏に隠された感情を読み解けと言われても読み取ることができない。
それでも、これまでは何とかやり過ごしてきたのだが、勘と運だけでは躱し切れず今回は赤点を取ってしまったのである。
基本的に坂田銀八のテストはそれほど捻った問題を出さない。あとで問題をよくよく読み返せば、何か感想を一言書けば点をくれるサービス問題。そこを埋めてさえいれば点が足りていたというのに、よりによって、それに引っ掛かった。問われているその『何か』を深読みしているうちに時間切れとなってブランクのまま提出したのだ。
情けないことに、近藤も長谷川も留学生の神楽さえもクリアしたらしく、補習は一人。

よたよたと更に重たい足で階段を登りきって、準備室の扉をたたいた。
だが、返答はなかった。
「先生?」
声をかけながら横にスライドさせれば、鍵のかかっていない扉はすんなりと動き、古い紙特有のほこりの匂いを舞い上げた。
冬の陽は落ちるのが早い。
茜色と少しだけ冷たくなった風が、日焼けした備品のカーテンを揺らしながら差し込んでいる。やけにノスタルジックな雰囲気を醸しだしたその場所はどこか現実離れした、ドラマのセットのようにも見え、土方は数度瞬きをした。
閉じては開き閉じては開き。そこにある風景に変化はなく、自分を呼びつけた担任の姿もまたない。

「あんだよ…いねぇのかよ」
どんな嫌味を言われるやらと構えてやってきただけに一気に力の抜けた土方はがくりと肩を落とした。緊急の職員会議等でも始まったなら、諦めて帰ったほうがよいかもしれないが、ちょっと生徒に捕まっているだけなら待つ方が良い。こんな校舎の果てまで、気の重い話題の為にまた明日出直してくるのは正直なところ勘弁してほしかった。

「少し、待つか…」
準備室を何気なく見渡す。

積み重なった教材の山。
ソファの上に放り置かれた今週号のジャンプ。
土方が手に取ったこともなさそうなハードカバーは新旧様々なタイトルが並んでいた。教室ではジャンプの話しかしていない気がするが、やはり国語を専門とするだけあって、それなりにそれらしいものも読むのだなとちょっとだけ感心する。
デスクの上には、今日の学級日誌とマグカップ。
少し湯気の立った薄茶色の液体はカフェオレだろうか。糖分好きを声高に主張し、学生にまでねだるような教師だから、きっと土方には飲めそうもないぐらい甘いのだろうなと簡単に想像ができて少し笑う。
椅子の背もたれにはいつも担任が着ている白衣が無造作にかけられていた。

「そういえば、国語の教師なのに何で白衣なんだ?」

後から思えば、この白衣に興味をもたなければよかったのかもしれない。

土方は手に取り、肩部分を持って広げてみた。
よく医者や理系の研究者が着ている白い服。
一重のシングルは思いの外、丈が長く、持ち主が着ているときよりもずっと大きい印象をうけた。高校に入って土方の背丈も骨格もずいぶん成人男性の平均に追い付いてきた。坂田との差もそれほどないと思っていただけに、首をひねる。
興味本位で少年は白衣の袖に腕を通した。
通しながら、坂田の白衣が存外安物ではないしっかりとした縫製であることに気が付く。鼻腔をチョークと、煙草の匂いが擽る。そして、少しだけ香る甘い匂いは洗剤の芳香剤なのだろう。糊こそついてはいないが、洗濯は小まめにしているようだ。普段だらしのない印象の坂田からは図ることのできない新しい一面をこっそり見つけた気がして、すこしおかしくなった。
腕を伸ばしても、手のひらで袖口を掴める長さ。丈もやや長い。
学ランの上に羽織ったというのに、それでも多少肩は落ち、やはり坂田の体格の方が見た目よりも大きいのかと認識した。
着丈に関してはあと数センチ伸びれば、土方も違和感なく着こなせるようになるかもしれないが、どうにも持って生まれた骨格の問題、肩幅と胸囲の方は追いつける気がしなくて今度は悔しくなる。

大きい、という印象を実際に確認できれば土方の気はすみ、もう坂田も戻るだろうと脱ぎ掛けた時だ。

「おー、早ぇな。感心かんし…」
「あ…」
部屋の主が分厚い本を抱えたまま、足で扉をスライドさせて入ってきた。
脱いでしまおうとしていた動作を止める。
ばさばさ、というよりもドザドザという重たい音をたてて床に本を落としたからだ。思わず駆け寄って、拾い上げようと土方はしゃがみ込んだ。
手に取った本は教科の類のものでも、専門書でも、いつも持ち歩いているジャンプですらなかった。

「カタログ?」
しかも、白衣専門のカタログ。
一冊ではない。表紙に女性看護師がスタイリッシュにポーズを付けたもの、清潔感、というよりも愛らしさを前面にだしたもの、男性外国人モデルが足の長さを強調するドクターコートを着たもの。聴診器をはじめ医療小物用らしい冊子。
「ひ、ひひひ…」
「ひ?」
そんなに見られてはまずいものだったのだろうか?と変な音をたてながら、自分の落としたものを拾うでもなく立ち尽くす担任をしゃがみ込んだまま、見上げた。
「ヒジカタクン…ナニキテルノカナ?」
「あ?あぁ。すんません、ちょっと着てみたかっただけで…」
勝手に坂田の白衣を着たことに怒っているのかと、カタログを脇に置き白衣を脱ごうとした。
「いやいやいやいや!!いい!着てていい!そのままそのまま」
「は?」
立ち上がった土方から数歩離れて坂田は頭のてっぺんからつま先まで眺めまわした。
数歩、左右に動き斜め横、横からも見られ、終いには後ろを向かされて背面からも何かを確認されるように「観察」される。

「うん。まさかだな」
「な、なんなんだ、一体」
一人納得したらしい坂田はロッカーに向かうと、ガサガサと硬めの音を立ててビニール袋を、さらにその中から新品らしい服を引っ張り出してきた。

「これ、着てみ」
「へ?」
有無を言わせぬ、いつもの死んだ魚様な目ではない緊張感のある目で見られて思わず手に取ったものをまじまじと眺める。それは今土方が着ている坂田のものよりも丈が短く、そして淡いブルーの白衣だった。
「さっさと着る!あ、学ラン脱げよ」
言われた通りに白衣と学ランを脱ぎ、シャツの上に真新しい白衣に袖を通す。
今度はあつらえたようにサイズはぴったりだったが、前のボタンは留めるべきなのか迷って坂田の顔を見た。

「先生?」
当の本人は口元を手で押さえ、ぶつぶつと何やら呟いている

「おい!先生ってば!」
「今日ここに呼び出された理由わかってんな?」
「…補習?」
話の流れが意味不明だ。
混乱する土方を余所に坂田は跳ねてしまったらしい土方のシャツの襟を整えながら続けた。
「そうだ。お前なんであんなに国語だけ点数悪いんだ?他の科目で点とれるってことは日本語の読解力がかけてるわけじゃねぇって思うんだよな」
「言葉の言い回し、だとか、作者の意図を図れってのがわかんねぇんだよ」
「自分でも弱点わかってんだな?前回の進路相談の時にもいったけどよ。お前が第一志望にしてる大学、この数年の傾向どう見ても、二次で小論文が入ってくる。どうすんだ?この時期、まだこんな点で?」
二学期の二者面談でも確かに脅されていたが、まだ十分間に合うを踏んで対策をこれまで練ってはきていない。もう少し部活に専念していたいというのが本音だ。
「…3年から…頑張る…」
「それじゃ間に合わねぇよ。そこで、提案です」
真面目に進路の話しながら、白衣のラインをチェックしていた手がここで初めて止まった。

「本来、個人的な指導ってのは他の生徒の手前、あんまりできねぇんだけどよ。内緒でみてやってもいい」
「マジでか!」
学校内で指導してもらえるなら有難い。
このシーズンから改めて学習塾や予備校に行く日数を増やすのは厳しいからだ。
「俺が出す小論文の課題を土方君が書いてくる。それを俺は採点する。採点したものの解説をここでこっそりしてやる。たーだーし、条件がある」
「な、なんだよ?」
にやりにやりとまるでチェシャ猫のように三日月型に口端をあげる坂田に土方は一歩下がった。ぶつかった机が揺れて、白衣が入っていたビニール袋が床に落ちていく。
ふわりと落ちて、カサリと小さな音と共に少し飛んだ。

「ここにいる間、俺の用意する白衣を着たまま指導を受けること」
「は?そ、そんなこと?」

茜色がすこし紫色の度合いを増す中、土方は呆気にとられて、自分の今着せられたブルーの白衣と先ほどまで来ていた坂田の白衣、そして担任坂田銀八をかわるがわる見比べたのだった。





坂田がお題を出す。
土方はそれを1週間後に書き上げて、坂田に提出する。それを預け、前回提出した添削済みとなった小論文をこの場所で読み返し、質問があれば質問をする。
ただし、銀八の用意した白衣を着たまま、銀八に眺められながら、という条件で。
確かにただ文章題を解く、というよりも、小論文という実際の受験にそった方法は苦手意識のある土方にも身の入りやすい方法であったし、なにより自分が書く、というスキルを磨くということは、他の人間の文に潜められた意図を読み解く訓練にもなった。
なってはいるのであるが、どうにも理解できないことがある。

坂田は俗にいう白衣フェチらしい。

今もちらりと丁寧に書き込まれたコメントから目だけ向けると、坂田は食い入るようにカタログと土方を見比べているのだ。

「何?赤字、読み終わった?」
「いえ、もう少し」
口元にはうっすらと笑みを浮かべ、それはそれは熱心に見られ、また土方は紙面に視線をもどした。
わからない。
坂田のそれは本人いわく、「白衣」というアイテムにのみ発動するコレクター心理に近いもので、必ずしも衣裳を着た人間自身に対しての性的な欲求を増幅させるものではないという。
白衣という特定に衣裳にこだわりがある分、確かにそれを見事に着こなした女性に対しての興味は増幅するにはするが、決定打にはならないし、わざとらしく女優がアイテムを着ただけで喘ぐようなアダルト映像にはむしろげんなりするらしい。

土方に白衣も着せるという行動も、性的な意味ではなく、ただ「似合う」からだと坂田は説明した。
コレクションは白衣、それは診察衣、薬局衣、看護師ウェア、それにオペ着にまで範囲を広げている。中身に性的興奮をしないとはいえ、やはりモデルに着てもらいたいという欲求はかねがねからあったが、意外に坂田の条件をクリアできそうな雰囲気、体格を兼ね備えた人物が見当たらなかった。
女性用は取りあえず、一回は同僚の月詠先生に着てもらってみているらしいが、勿論、彼女にもすべてが似合うというわけでもない。
男性用も同様だ。デザインがどんなに気に入っていても、坂田本人が着ても似合わないものもある。
ただ、集めて時折それを出して眺める。
そんな楽しみ方で取りあえず満足しようとしていた折である。
土方が坂田自身の白衣を着ている姿をみてしまった。

正直なところ、坂田の白衣は土方に似合ってはいない。まず、サイズが違い過ぎた。
だが、坂田の直感が土方ならどの白衣を着せても似合いそうだと告げたのだというのだ。

着るだけでいい。
眺めさせるだけでいい。
別段、性的な興奮をするわけでもないと聞けば、身に危険を感じることはない。

そう言われて、まもなく五か月だ。
男性用しか着せられたことはないのに、それでも毎回違う衣裳を用意する坂田には閉口するし、何が楽しいのかサッパリ理解できないままだった。
理解できないだけでなく、ここのところはイライラすることも増えてきた。

「先生」
「んー?」
添削された部分の説明自体が分らず土方は声をかけた。
坂田の顔は土方に向けられている。だが、返事は遠い。
「ここ、どこが悪いのかわかんね」
坂田の視線はあくまで土方が着ている白衣に向かっているのだ。
土方の声も、表情も、顔は向けられていても坂田の気持ちは白衣に。
「あー、ここな。つまりな、小論文を読む相手が書き手のことちっとも知らない教授陣でもさ、気が付くわけよ。あんまり実際の経験とか考え方から離れた新聞や報道の内容そのまま使ったみたいな主張は真実味がないからな。すぐボロがでる」
「それは、自分の論旨を肯定するのに不釣り合いな例を持ってこない方がいいってことか?」
「そうそう、当日は試験会場でぐぐったり出来ないだろ?ハッタリも必要なことはあるけど、自信のない半端な事は触らねぇ方がいい」
説明を受けながら、ちらりと坂田の横顔を見る。間近でみる坂田のまつ毛は髪の色と同じ銀色だった。時折瞬きすると、赤みかかった瞳が見え隠れする。
国語科準備室に通うようになって、坂田との距離がぐんと近くなった気がしていた。
教室では気が付かない坂田を見つけて、
坂田の文章の読み解き方を教わって、
坂田銀八という一見、緩いだけのマダオ教師がそれだけではない人間だと知った。
けれど、この瞳が求めるのは『白衣を着た理想のモデル』に過ぎない。

「土方?」
紙面から視線が土方に移動してきた。
相変わらずやる気のなさそうな顔だが、土方を見る目は優しい。
生徒誰にでも向けられる優しい目。
白衣を着た時にだけ向けられる熱い目。

「なんでもない。次から気をつける」
白衣が似合うなら何でも、誰でも良いだろう。
自分でなくても本当は構わないはず。
むしろ、もっと自分より似合いそうな人間はいくらでもいる。今は土方だけでも近い将来、別の誰かを見つけてもおかしくはない。

「ちょっと休憩するか?コーヒー入れてやっから」
土方の反応が良くないことを疲れとみたのか、節ばった手が土方の髪をくしゃりと撫でて、遠ざかる。そうして、立ち上がると、備え付けの流し台へと向かっていった。

坂田の白衣はいつも土方がきせかえ人形がわりにされているものとはちがう肩幅と裾のデザインで、初夏に近づいて、その袖は折って短く着こなされている。
 見た目よりもしっかりした骨格がその白衣の下にあることをもう土方は知っている。
坂田が白衣を着る理由は、純然たる趣味という部分も大きいが、教師という職業がチョークやペン、泥にほこりに、と意外に汚れる仕事であるという点からということも知っている。
機能美を愛しているからこその白衣。

「先生」
坂田の趣味を理解できなかったのではない、理解しようと読み解こうとしなかっただけなのだということを初めて土方は意識して考えていた。

「ん〜?」
「もうすぐ、最後の試合があるんです」
「あー剣道部だっけ?」
そうですと、頷きながら坂田の書き込んだ赤字を指でなぞった。
「GW中も練習ハードだし…しばらく、休んでもいいですか?」
「そりゃ…」
置かれたマグカップの中身は真っ黒だ。砂糖もミルクもいれない、ブラックコーヒー。
インスタントだが、何も言わずとも出してくれるようになった坂田の気遣い。

「負担になり始めてんならペース落とすのは構わねぇけど、続けんのは続けた方がいいと思う」
坂田がもごもごと言いながら口に運ぶマグカップの中身は恐らく乳白色だ。
そんな小さな接触を、日常が好きだったから。
土方も続けたいと思う。
黒板に向かう銀八の背中を。
準備室で土方の背に白衣を沿わせ、ゆっくりと確認するように動く節張った指を。
意識してしまったから。
土方は続けられないと思った。

「最後の試合が終わったら…予備校の講習申し込もうかなって」
思いつきだ。
教室内でそんな話をしている生徒がいたことを思い出したに過ぎない。
「勿体ねぇだろ?一学期の実力考査の成績も上がってたし、わざわざ予備校とか…どこの予備校行くかもう決めてんのか?」
突然の土方の発言に坂田が不審に思うのも当然かと下を向く。
「その…まぁ、まだ考えてる途中で、本決まりって訳じゃないねぇけど。そろそろ、その…」
「なんだ、歯切れが悪ぃな」
小論文の赤線が目についた。先程の坂田の指摘通りだ。まさに、思いつきでは底が浅すぎて、容易に未熟さが大人には知れてしまうのだと身を以て味わう。

「その、おかしいだろ?今のコレ」
「コレ?」
「アンタも最初に言ってただろ?いくら成績が悪いからといってこんな依怙贔屓にも見えかねない個人指導っての本格的な受験期に問題になんねぇのかなって」
どう答えて、どう説明すればいいのかわからない。論旨など知ったものかと思いつくまま「言葉」を重ねていた。
「あー、誰かに何か言われた?でもうちのクラスでんなこと気にするやつは…」
「それにさ、やっぱ教師の個人的嗜好を校内で充たすって本当はオカシイだろ」
言い訳はこれ以上展開出来そうにない。小論文と違い消しゴムで消して、書きなおすことのできない論旨に行き詰って、土方は筆箱にシャープペンシルを片付け始めた。

「それ言われるとまぁ…でも、別にセクハラしてるわけでもなんでも…」
「それでも!なんでも!おかしいんだよっ!こんなの!」
「土方?」
こどもっぽいことを言っていることも語彙が圧倒的に少なすぎることも自覚がある。だが、土方はこれ以上の言葉を持っていなかった。
「また月詠先生に頼むでも、他の生徒探すでも!どっちでも好きにすればいいだろ!」
「へ?」
「気持ち悪ぃ…」
 吐きそうだった。
他の白衣を着た人間を、眺める坂田の視線を、
その人の為に似あう白衣を選ぶためにカタログをめくる指を、
骨格を、フィット感を確認するために滑る坂田の手のひらを、
そして、土方の白衣しか見ていない坂田自身を思えば。

「気持ち悪ぃって?え?大丈…」
「気持ち悪いから帰ります!失礼しました!」
思い浮かべれば更に吐きそうになり、土方は荷物を乱暴に掴んで、国語科準備室を後にしたのだ。



『collection T』 了





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