うれゐや

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【短篇】 | ナノ

『Story without the name−deciduous tree−』




銀八は国語科準備室の窓から空を見上げた。

終業式の日は午前中で皆帰る。
部活動をしている生徒が若干残ってはいるようだが、銀八が受け持つ3年Z組のメンバーはまず間違いなく校外に出たであろう。

ある者は友人同士とカラオケかどこかに。
ある者は彼氏彼女と夕刻の街に。
ある者は家族と過ごすために家路に。
ある者は残り少ない受験までの日々を惜しんで予備校に。

そうやって、大抵のものは終業式でありクリスマスイブである今日という日を各々過ごすのだろう。



三日前から粉雪が時折舞い始めていた。
大掃除をさせて少し綺麗になった窓ガラスは視界をクリアにしていた。

少し粒が大きくなったか。
そんな感想を持ちつつ、眺めるふりをしてガラスの内側から対になる校舎の屋上を見ていた。

灰色の空の下。

黒い塊が寒いであろうにそこにある。
帰っていたと思っていた生徒が一人。

ぼんやりと想いに耽っているのか離れた場所から見上げている銀八に気が付いてはいないと思う。

「土方…」

ちいさく銀八は名を呼ぶ。
十一月に入った頃からだろうか。
時折、土方を屋上で見かけるようになった。

うまく隠してはいるが彼は喫煙者だ。
空が見える場所で吸うたばこの美味しさを銀八も知らないわけではないが、
毎回、土方の口元にも、手元にも細い紙の筒は見つけられない。


何をしているのか。
何を思っているのか。

知りたい一方で、踏み込んではならないと心に決めている。

「土方…」

受持ちの生徒だ。
未成年だ。
男同士だ。
十近く年下だ。

いくらでも禁忌は横たわる。

それでも一生徒として彼を見ることは出来なかった。

面倒事はごめんだと思うのに。
気持ちだけは銀八の思惑を、願いをどんどん離れて独り歩きする。

北風が黒髪を嬲っている。
なのに、フェンスに手をかけたまま、少年はじっと立っている。

どこを見ているのか。

見られていることを知られるわけにはいかない銀八はそれを汲み取るほどしっかりと彼を見ることが出来ない。

だれかを見ているのか。
だれかを探しているのか。

こんな無人に近くなった校舎でそんなはずもないだろうに、悋気にすぐに捕らわれる自分はそんな風に考えてしまう。

大人だなんて関係ない。
子どもだなんて関係ない。

人の心はいつでも移ろいやすいもので、
人の心はいつでも動かしがたい。

風がやはり強いらしい。

髪だけでなく、土方の身体も煽られ、少し流されかけた。

だが、彼はそこに立ったままだ。


「駄目だ…」

銀八は握ったままだったボールペンがぎしりと音をたてる。

直ぐにでも、走っていって腕を捕らえたい。
捕らえて、土方の目に映って、彼が求めていたものから引きはがしたい。
受験生が何をやっているんだともっともなことを口にして、
強風から護るためだと言い訳して冷たくなっているであろう身体を抱き込んで暖めてやりたい。

こんな寒い日には。

「駄目だ…」

そんなことをしたら、止められない。


どうするべきかなんてわかっていた。

今、この準備室の窓を開けて、手を振って、大声で怒鳴ればいい。

「…早く帰れ…ってな」

きっと、聞こえなくても土方は察して校舎内に戻るだろう。

  
椅子から立ち上がる。
立ち上がって、窓に寄った。

準備室の広さに対して決して十分な暖房器具とは言えない石油ストーブがそれでも部屋を暖め、少しだけガラス窓を曇らせていた。

鍵に手を置き、見上げる。

そうして、気が付いた。

視線に
微妙にいつも銀八が反らし続けていた視線に
ガラス越しの視線に

土方十四郎という少年が映った。


少年が、いや、出会った時よりも成長した彼はすでに青年と呼ぶべきだ。

その瞳が、
どこかよそを見ていると思っていた瞳が
はるか遠くを見つめていていた筈の瞳が

銀八自身に注がれていた。


ひゅっと喉が鳴り、息が止まるかと思った。
同時に土方も同様の反応をしているかのように、遠目からでも感じられた。

互いに身体を強張らせ、それからどちらともなく繋がっていた目が外された。

土方はフェンスから身を翻し、
銀八は窓から一歩離れた。

勘違いと解釈するには真っ直ぐと伸びた視線が銀八に向けられていたことは間違いない。
よろよろと、後ずさり、椅子に座り込む。
勢いづいて、机が大きく揺れた。
ごとりとマグカップが倒れた。
幸いにも中身の入っていなかったために、作りかけの書類の上でごろりと転がるにとどまった。

銀八は掌で顔を覆う。

ただ、眼があっただけだ。
どこの女子中学生だと思えるほど、心臓が早鐘を打つかのように跳ね回り、目眩がする。

「くそっ…」

毎日教室で眼ぐらい合わせる。
だというのに、なんだというのだと今度は額を机に擦り付けて動揺を逃そうと努力した。

何が違うというのか。

何も違わない。
偶々だ偶々だと何度も何度も念仏のように呟くしか術を持っていなかった。

今、眼の裏側に焼き付いている土方の表情が、
先程の表情がいけないのだ。
銀八に勘違いさせかねない顔をするから。
いつもはキツメの眼差しが、無防備に嬉しそうに細められた気がしたから。

だからだ。
自分の都合の良い妄想に違いない。
彼の瞳に担任に向ける以上の色を見つけてしまったなど。

遠目でのことだ。

「勘弁してくれ…サンタのジイサンよ」

どうせ、プレゼントをくれるならもっと違うものを寄越してくれ。

もっと違うものがいい。
もっと、もっと叶いそうにない現実を突きつけてくれるほうがいい。

こんな、期待せずにはいられない状況証拠などいらない。

煙草を吸って落ち着こうと、白衣のポケットを漁る。
生憎と午前中切らしてしまったことを思い出して、ストックしている棚へと向かった。
向って、カートンの封を切りつつ、今度はライターを探す。

探しながら、また誕生日に土方からもらったライターのことを思い出してしまい頭を抱える。

「…あ…?…」

足音が聞こえた。

教室棟とは別棟にある上に4階にある国語科準備室だ。
僻地と呼んで差支えない位置にあるために他の国語科教員はこの場所を使わない。
お陰で銀八の根城になっている。

終業式もすんだ今日のような日に訪問客は考えにくい。

しかし足音は空耳というわけではなく、耳に届いてくる。

ごしごしと顔を擦る。
何にしても、今の顔を誰かに見られたくはなかった。


足音は近づいてくるにつれて、やや速度を落とした。

(誰だ?)

間違いなくこの場所に用がある人間だろう。
リノリウムの床を歩むのは上靴か。

やがて、足音は止まった。

首を傾げ、火のまだついていない煙草を置いて、出入口に向き直った。

足音は間違いなく、準備室の前で止まった。
隣の資料室に同僚がやってきた、ということはない。

扉に近づいて、ドア越しに気配を窺う。

相手もこちらを窺っているのか、止まっている。

(ひじかた?)

何故だか、そんな気がした。
先程、屋上にいた彼だと。


一教師としては開けるべきだ。

ドアに手をかける。

一個人としては開けるべきじゃない。

今、開けてしまったなら…

動けなかった。

扉を開けて、対岸で見た彼の表情を、
彼の熱を微かでも受け取ってしまったら、贈り物だとばかりに手を伸ばしてしまう。

本人に自覚があろうとなかろうと。

瞬きを繰返し、大きく息を吸って吐く。

吐いて、指先を扉から離した。

同時に再び廊下に足音が響き、そして遠ざかっていった。

「土方…」

降ろした指先を手のひらに握り混み、強く硬い拳を作った。


「勘弁してくれ…サンタサンよ…」

銀八が返品したプレゼントの代わりに、彼の、土方十四郎という少年の未来を明るいものにしてやってくれと。


もう一度、そう口にして願った。


窓の外から校舎を吹き抜ける風が風鳴りを引き起こしていた。
雪を含んだ風は沢山の木々を凍えさせ、残り少なくなった葉を奪い取るだろう。

落とした葉はまた土に戻り、新しい命の糧となる。

そうであれとただ、祈ったのだ。




『deciduous tree-落葉樹-』 了




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