うれゐや

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【短篇】 | ナノ

『雪の隙間 後篇』




「停めてくれ!」
「え?」
「どこか停めやすい場所で構わないから、降ろしてくれ」
「は、はい」

十数メートル進んだところで路肩に止めてもらい駕籠から土方は寒空の下に降りて、来た道を戻る。

先ほどまで暖めかけられていた足の指がじんじんと痛い。
構わず、足を進めた。

白いフレームの隙間から見えた「銀」と大きく書かれた文字と、派手なジャンパー、そして見慣れた流水紋の着流しの裾。

「っくしょ!」
アクセルを回してみたり、イグニッションを戻したり、回したりとしながら悪態をつく男の背が見えてきた。

再び降り出した大きな粒の雪はへルメットや肩に積もっている。
バイクを気にしているのか頭は下がったままで土方に気が付いた様子はなかった。

思わず降りたものの、そういえば何といえばいいのか等考えてはいなかった。
それ以上近づくことも出来ず、土方の足は停まる。

立ち止まっている間にも次々と落ちてくる白い氷の粒はヘルメットの上に積もって、ずるりと曲線を滑り落ちていく。
肩に落ちた塊を軍手が払い、積もって視界を狭くし始めていたゴーグルもついでとばかりに外した。
外した手が止まって、露わになった朱い目がまっすぐに土方を捕まえた。

凍えて、いつもより血色の悪くなった唇が少し開いて、動きを止める。

どちらも動かない。
そこに立ち尽くすばかりで、口も開かない。

何組かの男女が、親子連れが二人の横を通り過ぎていっても、どちらも動かなかった。
交通機関が本格的に止まる前にと家路に皆が急いでいた。
彼らが往来で立ち尽くすさまに興味を持たないのと同じように、土方も銀時も視界に互いのこと以外は排除していた。

言葉がない。
いくらでも吐きだせていた軽口も、悪態も。
なにも出てこない。


はっと吐きだした白い息が一瞬だけ視界をかすめ、消えていく。
通り沿いの街路樹につけられたイルミネーションが積もった雪に乱反射している様が余計にどこかここを現実離れした場所に思わせる気がした。

確かに打ち合わせていないのに鉢合わせることはこれまでいくらでもあった。
飲み屋で。
定食屋で。
映画館で。
健康ランドで。

行動パターンが似ているというのとも少し違う。
思考パターンが似ているわけでもない。

それがいつも通り起こっているといえば起こっているのであろうが、二人の距離が遠く感じた。

ぎゅっと凍えた指先を一度握って手のひらで馴染ませるが、かえって手のひら全体を冷やすだけだった。

どさり
雪の塊が街路樹から零れ落ちた。
零れ落ちた先には銀時の頭があって、男は盛大に悲鳴を上げた。

「うわっ!冷てっ!」

慌ててヘルメットやマフラーから氷の結晶を払う。

「ばー…か」

ようやく口が言葉を発した。

「馬鹿じゃねぇ!」
掴んだ雪の塊を投げつけられたが、固く丸められてもいない雪玉は十メートルほどの距離を飛行しているうちに脆くも崩れて勢いを失う。
土方にぶつかることなく。

ぱさりと落ちて、完全に崩れた雪玉を土方は見下ろした。

見下ろして、足を踏み出す。
重たくなった革靴が雪玉であったものを踏みつけて、路面に積もったものと同化させる。
口元には自然と笑みが浮かんでいた。

ざくざく。

2人の間はそれほど長い距離ではなかったはずだ。
ほんの十歩を数えるか数えない、それくらいの距離。
けれど、遠く感じていた。

銀時も動いた。
そして、静かに笑っていた。

ざくざく。

雪が灯を乱反射させ、現実味が薄い。

「土方」

掠れた声が土方を呼ぶ。

痛い。
痛いし、うまく笑えそうにはない。
雪は変わらず降り積もり続ける。

「山崎が…」
「あぁ…」
「『ここにいる』って…」

山崎はここにいると言った。
楔の様に。
そのうえで背を押す。
「土方十四郎」から「副長」に戻れと。

そういったかと銀時は深く息をついた。
溜息ではなく、ただ深い息を。

それを口にしたのは、半ば無意識だったが、誰かを引き合いに、真選組を引き合いに出すのはルール違反だと銀時に思ったばかりだったからかもしれない、口にした後でそう思った。

銀時はこの後、なんというのだろう。
そう考えて、土方は首を振る。

きっと何も言わない。
これまでもこれからも、きっと何も言わない。

「土方…」

また静かに名を呼ばれて、手首を強く掴まれた。
湿った手袋がじんわりと冷気で土方を侵す。

「でも、お前はここに今来て、俺もここに来た」
「あぁ…」

今度は土方が深い息をついた。

傷つけあう。
これまでそうだったのと同じように、これからも。

冷たい雨のように。
凍えらせる霙のように。
降り積もる雪のように

形を変えて、身を軋ませるだろう。

銀時のところの土方のすべてはおけない。
土方のところに銀時のすべてもおけない。

「そう、だな…」

雨のように涙を隠し。
霙のように互いの体温を奪い合い。
消える間もなく降り積もる雪のように静かに重さを増していく。

「今日な…冬至だったんだってよ…」

空を見上げながら、銀時が静かに言った。
つられて土方も顔を上げる。

雪は変わらず降っていたが、雲の隙間から丸さに少したりない月と星、そして船が垣間見えた。

「冬至…」

一年で最も夜が長くなる日。
そして、今日からまた少しずつ短くなっていく。
はるか昔はこの日を一年の始まりとしていた時期もあったという。

雪が降り始めたばかりで、真冬がやって来たばかりだともいえそうなのに、それでいて同時に春も近づいてくる。

冬が過ぎ、春が来て、また夏が走り去り、そして秋から冬へ。

不思議なものだ。

「なぁ…明日って…仕事だよな?」
「当たり前だ」

天を見上げたまま、銀時が掴んでいた手首を一度放して手袋をはずしてから、今度は直接手を握ってきた。

「大雪になったら休みになったりしねぇの?」
「しねぇよ。寺子屋じゃねぇんだ」

寒い、冷たい。
まつ毛に雪が乗り、至近距離で見る雪の結晶は視界を霞ませる。数度瞬けば元に戻った。

「じゃあ…プレゼントだけでもいいから先に頂戴」
「んなもん用意してねぇよ」
「いや、そういうんじゃなくてな」

ここに来て銀時の言わんとすることが良くわからず、空から銀時に顔を動かした。
逆に銀時は困っているのか、地面に顔を向けたまま、ヘルメットを脱いだ。

「約束を、さ…」
「あ?」
「真選組がオメーの帰るところだって解かってるけどな。俺は俺でなんか欲しい」

俯いて見える頭頂部が電飾の色を差し込ませて風に揺れた

「吉原みてぇに小指をくれっていうわけじゃねぇんだ。口約束でいい」
「なにを…言ってやが…」
「来年、冬至の日にはさ、休み取れよ」
「あ?」
「来年も、またその次の年もさ、同じ約束を寄越せ」
「テメーは…」

今度は土方が俯く番だった。

「テメーは何寄越すんだよ?」
「あぁ…そうだな…」

しばし、間が開いた。
俯いた土方の頭に銀時の視線があることを感じていた。

「俺はオメーがその約束、護れようと護れなくても、待ってるって約束を返す」
「馬鹿か…」

顔を上げて笑った。

「そうか?」
「馬鹿だろう?それじゃ割にあわねぇよ」

うまく笑えたとは到底思えない笑みだったと思うが、それでも笑った。

「…そんなことねぇよ」

銀時も笑う。
口端を少しだけ持ち上げて。

きっと、土方は銀時の割が合わないと思い、
きっと、銀時は土方の割に合わないと思いつつも提案したに違いない。

互いが互いの負担にならないように用心に用心をしてきた二人の初めての足かせとして。

次の春の始まりも共にあろうと。
生きていようと。

「万事屋…」

雪は静かに降り続ける。

「取りあえず…お互い雪だるまになる前に移動しようぜ」
「万事屋…」

わざとらしく身を震わせた男を呼ぶが、聞こえないとばかりに一人で話しを進める。

「どこにすっかな…今日はどこも予約だなんだっていっぱいだろうからな、かえってファミレスの方が…」
頭や肩に積もった雪を払う銀時はいつもの調子に戻っていた。
まるで先ほどの会話など、なかったことのように。

「銀時!」
今度はきつく呼べば、びくりと銀時の肩が揺れた。

「あ〜…、オメーが生真面目なのは知ってるけど、んな真面目に考え込むな。冗談だ冗談」
「冗談で…」

わかりたくもない。
わかってもほしくないだろうが、わかってしまう。

流して、冗談で済ませて、何事もなかったかのように元の立ち位置に戻る。
そうしたい一方でそうしたくない心までわかってしまう。

「冗談でいいのか?テメーがそれで等価だと思ったんなら、俺は構わねぇ」

同じ穴の貉、いや、ヤマアラシだったかと言い切った。

「土方…」
「『ヤマアラシはどんなに逆立ちしたってヤマアラシのまま』なんだとよ」
首を傾げ、それから今度はあからさまに嫌そうな顔をして、またジミーかよと呟く。

「どうせテメーしか選べねぇし、どう考えあぐねたって俺も結局、同じところに辿りついていまうんだろうからよ」

今度は土方が銀時の髪に付いた雪を払う。
少し溶けた雪はいつもふわふわと宙を舞う天然パーマをじっとりと濡らし、勢いを失わせていた。

「…男前だな…オイ」
「当たり前だ。俺を誰だと思ってやがる」
「ハイハイ…泣く子も黙る鬼の副長さんでしたね。
銀さんの下ではひぃひぃ啼いてもらうけど」
「啼かねぇし!往来で何言ってやがる!下品なんだよ!テメーは!」

互いにもう声は掠れていなかった。
勢いを止めることなく、いつもの調子で、容赦なく思うままに相手へと言葉を紡ぐ。

「あのよ…下品ついでに、このままどっか宿屋にしけこんで暖を取りませんかね?」
「雪が…止むまでなら…な」
「止むまで…か」

小さく笑われた。
その笑みの意味を土方は汲み取って、顰め面を作る。

夕方の天気予報はこのまま本格的な雪のシーズンの到来になると、ホワイトクリスマスになることは確実だと告げていた。

きっと、それを銀時も知っていて、知ったうえで土方が応えたことにも気が付いている。

がしゃんとバイクのスタンドが外された。
エンジンはやはりかからないらしく、押していくつもりのようだった。

「オイ」
「あぁ?」

かぶき町でそのバイクの持ち主を知らないものはいないだろう。
そんなもので宿だのホテルだのに入るのは憚られる。

「テメーんちは、今日は?」
土方の視線に気が付いたのか、バイクと周囲を見渡す。

「あぁ…神楽はかぼちゃが暗黒物質にならねぇようにって新八んとこにいったままだ。
だから、ウチでも構わねぇけど…けど、今晩は出来たら…」

土方に楔があるように、銀時にも基盤となる場所がある。

「わかった」

頷き、土方も銀時の横に並んで歩き始める。

今夜は、どちらのテリトリーからも離れ、どちらの立場をも冬と春の間においていく。
そういうことだと解釈し、それに異存はなかった。


空を見上げる。
再び、天は雪雲で覆われ、暗さで占めていた。
辺りを照らすのは人工的な光の海ばかり。


雪をまとった風が強く吹き、イルミネーションを巻きつけた木々を揺らしてコードが不自然な音を立てた。

「なぁ…いっそ…」
「あぁ…」

―止まなきゃいいのに―

呟いたのはどちらだったのか。

それは叶わないことでもあり、叶えたいわけでもない。
ただ、そう呟くことが互いの気持ちを棘にすることなく伝える術。

冷たく、それでいて暖かい雪がしんしんと降り続ける。
明日の朝、江戸の町は銀世界に変わっているだろう。

どこかで明るい鈴の音が聞こえた気がした。




『雪の隙間』 了








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