うれゐや

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【短篇】 | ナノ

『五月雨』




雨が降っていた。
梅雨特有のしとしととした雨。

春雨のように、けして弱くもは無く。
夕立のように、けして激しくは無い。

大気全体を湿度で埋め続ける。

今日も朝から静かな雨が降り続いていた。
けれど、銀時は傘を持っていなかった。
梅雨時期に傘を持たずに出かけるなど、愚かなことだと思うかもしれないが、油断していたのだ。
微かに見えた晴れ間を喜び、コンビニに定期購読中の少年漫画雑誌を買いにバイクを走らせた。
行き道は良かった。
ところが、復路、しかも店を出て数分もしないうちに雨脚が酷くなったのだ。
紙製品を買いに出たということもあり、愛車も一緒に軒に入ることの出来る場所に飛び込んでいた。

濡れた衣服は身体に纏わりつき不快感をもたらす。
懐から煙草を取り出し、まだ新しいパッケージの封を切った。
万事屋では子どもたちの手前吸うことはないのだが、先程ふと思いついて雑誌を一緒に買ってしまったのだ。

濡れた手で一本摘まみ、100円ライターで火を灯す。
一口吸いこみ、大きく吐き出せば、白い煙は軒下から空の下にゆるゆると舞い消えていく。

強めのその煙草は銀時の口と鼻腔を苦みと馴れないえぐみで満たしていく。

この煙草の匂いを知っている。
子ども達は別として銀時の周囲にも喫煙者はいる。
お登勢も、キャサリンも、長谷川だって吸うことがある。

けれど、この銘柄は一人しか知らない。
目を閉じれば、スッと伸びた後姿が浮かぶ。

黒く重たそうな真選組の隊服。
非番の日に着ていた着流しも黒。
艶やかな髪は烏のように黒い。

どれだけ黒が好きなんだとツッコミたいが、白い肌に、薄紅色の唇に、青灰色の瞳に似合っているから突っ込むことが出来ない。

黄色がかった雨空を見上げ、呟く。



「どこ…行っちまったんだろうな…」

土方が消えたのは5月の始めだったかと思う。

真選組の土方十四郎と銀時は自他ともに認める犬猿の仲だ。
銀時も土方を気に食わないと思い、土方のそうであるらしい。

街中で互いの姿を認めれば、何かに付けて、張合い、なじり合い、競った。
土方の巡察最中であったり、サボる沖田を探し回る先であったり、贔屓にしている定食屋であったり、ごくたまに行く健康ランドであったり、時と場所を選ばずにだ。

それがぴたりとその姿を見なくなったのだ。

最初は気にしていなかった。
元々真選組の巡察はシフト制であるらしいから、他の地区を回っているのだろうと。

しかし、2週間が経つ頃、その不自然さに気が付く。
何隊もある真選組の、それも副長である土方と遭遇する可能性は元から少ない。
それでもそれなりの頻度で土方のオンオフで出会ってしまっていたにも関わらず、急に会わなくなったというのは腑に落ちない。

前線が大好きな瞳孔をかっ開いた男であるから、怪我をして大けがでもしているのかとも考えたが、そういった報道は銀時の耳に入ってこない。
単純にタイミングが合わないのかと思えども、土方とかち合ったことのある飯屋の親父に確認すれば、確かに最近顔を見ていないと答えられる。
真選組の黒い隊服を適当に捕まえて、土方の近状を尋ねてみるというのも銀時らしからぬ行為だと憚られた。


3週間が経つ頃、ふと今度は新八に指摘されて別のことに気づかされた。

「銀さん、最近、イライラしてますけど…なんかありました?」

イライラしている自覚はなかった。
ただ、ざわざわと、むかむかとしたものが胸の奥で蔓延ったまま消え去ってくれないだけだった。
まるで徐々に増えてくる雨の回数と湿度と比例するかのように、パチンコ台に向かっていても、久々の収入で季節限定のぱふぇを口に運んでいても、最近は砂を噛んだように気持ちが悪い。

「きっとマヨラと喧嘩してないせいアル!」
「アイツは関係ねぇ!」
「ぎ、んちゃん?」
声を荒げられ神楽が目を丸くして銀時を見返していた。

「ほ、ほら神楽ちゃん!
 きっとこの湿気で頭爆発してるからイライラしてるだけだよ!銀さんそうでしょ?」
「これはおされパーマだって何回言わせんだ!メガネのくせに!」
「いや、メガネ関係ないでしょ?メガネは!」
「銀ちゃん、いっそ毛根から全部引き抜いたらどうネ?」
「いや!それ一緒に毛根死滅すっから!
 どっかのエイリアンバスターみたいな悲劇になるからね!
 一度死んだ毛根は生まれ変われないから!」

その場はそのままいつもの馬鹿な会話に戻って行ったが、確かに自分の苛々の大本は『土方十四郎』であると認めざる得ない状態に陥っていた。



そうして、ひと月が過ぎ、もはや銀時は認めざるを得ないところまできていたのだ。

今年の梅雨は今だダラダラと太陽を隠し続けていた。

変わらず、銀時の目は街中を歩けば黒い隊服を探し、瞳孔の開いた副長ではないことに落胆し、今まで遭遇したことのある飲食店に立ち寄っては、マヨネーズの匂いを嗅ごうと鼻を動かしてしまうのだ。

見た目とストーカーっぷりは目に余るが、なんといっても人の良さでは害のなさそうなゴリラにお妙の情報をチラつかせながら、動向を問えば、ちょっと遠くに行ってるとしか答えず、地味な土方直属の部下だとかいう男を捕まえても、隊務について他言はできないと頑なに口を閉ざす。
腹に背は変えられないと腹黒ドS王子に探りを入れれば、土方を貶める事よりも状況を愉しむ気満々なのか、のらりくらりと会話を成立させようとしない。

つまりは、姿を見ることが叶わなくなって、手詰まりになって、思い知った。


自分は『土方十四郎』という男を憎からず思っているのだと。

向かい合えば悪態しか出なくとも、銀時に向かってくる熱が恋しい。

よくよく考えてみれば、元々土方のような男は決して嫌いなタイプではないのだ。
不器用なまでに己の道を定め、寄り道をしない。
それでいて決して堅物という訳でもない。
クールな男前かと思えば、ギャグパートもツッコミも出来て、意外に情に厚い。
鬼と呼ばれながら、懐に一度入れたら、けして手を離すことはない。
惚れた女を捨てたかのようで幸せを願う。

近藤とは違う魅力で真選組という組織を支える土方に銀時は背を預けることが出来ると言い切れる。

そこまで、認めていながら、素直に受け入れられなかったのは、銀時自身が土方十四郎という人物に認めたくない魅力を感じていたからだ。

「いなくなって…気づくなんてな」

灰色の空は太陽の光を暈しながら、水滴を落とし続ける。
通りにはそれなりに傘を差した人々が足早に行き交っていた。

口にくわえた煙草を深く吸い込めば、一気に短くなって唇をちりりと炙る。
さすがに灰皿などというものは持たないから、行儀が悪いかと思いながらも、地面に投げ捨てる。
じゅっと音をたてて、水溜まりで火を消したのを確認して、また新しいものを抜き出した。

(…『腐れ天パ』でも怒鳴り声でもいいから何でもいいから声聞きてぇ…)


「おい!そこの不審者」

そうそう、こんな感じだよな、と中々火のつかない煙草を手で囲いながら俯けば心地よい声が聞こえてきた。

「テメーだ、白髪天パー」

続けてかけられた声と、顔にかかった傘の陰にハッとして顔を上げる。
見慣れていた黒い着流しを着た男が目の前にいた。
思わず緩んだ口から落下した煙草を土方の右手が受け止める。

「何やってんだか…勿体ねぇ」
「ひじ…かた?」

そして、極々自然に土方の口元に運ばれた。

その動きがまるでスローモーションのように見え、息を飲んだ。

「美味いな、やっぱマヨボロに限る。
 宇宙産の他の銘柄も試してみたがどうも味気なくてなんねぇ…
 ってかテメー煙草吸うんだな…おい?万事屋?」
「土方?」

美味そうに、本当に美味そうに一度肺に吸い込まれた煙は、土方の口から一部を雨空へ一部を傘と軒の下へと漂って行った。


「なんだ?本当にどうした?まるで幽霊にでもあったみてぇな面しやがって」
「それ…俺の…」

奪われた煙草に手を伸ばし、それを二本の指で引き抜きながら残りの指で唇に触れる。
少し乾いた唇からは確かに体温が指先に伝わって、目の前の物体が幻ではないと知らしめていた。

「煙草一本ぐれぇでケチケチすんな。こちとら今朝地球に戻ってきてまだ一服もしてねぇんだ」

言葉を発すれば、ふにふにと指先にその動作が伝わり、吐息と湿り気が感覚に加わった。

「土方、仕事、宇宙に行ってたんだ?」
「あぁ」

銀時の指が気になるのか、持ったままの煙草の先をみている顔は少し寄り目になって些か幼く見える。
すりりと掌を動かして頬からシャープな顎のラインをなぞりあげれば、火を避けるように少し傾いだ。

けれど、振り払われることはない。

「なぁソレやめろよ擽ってぇ。そんなに寂しかったのか?」
「うん…」
「うんって…テメー」
恐らく土方は冗談で言ったのだろう。
自分で言った言葉を肯定されれば、途端に土方の顔が硬直するのが、やはり指先に伝わってきた。

「知らなかったわ。オメーがいねぇって結構辛いのな」
「万事屋…?」
傘に落ちる雨粒はバラバラと一際大きな音を立て始めた。
傘と軒の間にできた隙間から、更に銀時の二の腕を濡らしていくが気にする余裕はない。

「どこに行ったかも、無事なのかも、いつまで待てばいいのかも…誰も口割りやがらねぇの」
「そりゃ、テロ対策組織の副長職がひと月も江戸を離れるとかあんまり言いふらしてぇ内容じゃねぇからな」

「嫌な奴と顔会わせなくて済んで清々してたんじゃねぇのか?」
「嫌ってんのはオメーの方だろうが」
「そうかもな…」
手を払われ、知っていた、予測出来ていた言葉をそのまま返されて地味に銀時を心を蝕む。

「俺は、真選組のことだけに集中してぇといつも思ってる」

言われずとも、24時間頭の中は近藤のことと、真選組のことで埋まっているはずだと、多少土方の事を知る人間であれば知っていることだ。

「だから、それを乱して内側にズカズカ入ってくる奴は嫌ぇだと思ってた」

土方は藍色の番傘を地面へと下ろしてしまった。
濡れると
先程まで大きな音を立てていた雨音は急に小さくなった。
すぐさま、土方の髪と肩が雨に濡れて色を更に濃く色塗り始めた。

「でも、覆いをすることで逆に耳に付いちまうこともある」

どうせ足元が濡れちまったら同じだしなと濡れて張り付いた前髪をかきあげれば、普段は観ることの出来ない秀でた額と人の悪い笑みが現れる。
それから、ゆっくりとまた傘を持ち上げ、音は戻ってきた。

「それは…中に入れてやるってことなのかよ?」

雨宿りしている人間と傘を持つ人間。
雨の強さは同じであっても、立てる音を護る代わりに増幅させる傘。

遠まわしすぎる言い回しに、意味を取り違えてはいないかと打たれ弱さを押さえつけながら問えば、また土方の口元が意地悪く吊り上った。

「テメーは濡れることを厭うような人間かよ?」

くるりと黒い背が銀時に向けられ、ぱしゃりと草履が水たまりを物ともせず跳ね上げる。
遠のいていく男に声をそれ以上かけることもなく、気が抜けて銀時は愛車の座面に腰を降ろした。

「そうか…入ってんのか…」

相変わらず掴んだままにしていた煙草を再び口に咥える。

すっかり濡れて既に火は消えていたが、新しい物に火をつける気分はすでになかった。
求めていたのは煙草ではなく、この匂いを纏う一人であったのだから。

湿気で跳ねることさえ諦め、水分を纏って重力に逆らえなくなった天然パーマをくしゃりと掻き混ぜ、再び空を見上げる。

じわじわと気恥ずかしく、それでいて生暖かい感情が己の中で広がっていくのと同時に、余裕な顔をしていた土方の態度が気にかかった。

「あいつ…」

銀時と同じ方向で空を見ていると言ったも同然ではあるが、一言も好きだとか惚れているという類の言葉を使うことはせず、それでいてやけに確信じみたあの口調。
 
「狡い奴…」

真っ直ぐなだけではない。
餌をまき、銀時から必要な言葉を引き出して、言葉を選びながら退路もきちんと確保していた。
全てアドリブだったにせよ、戦略だったのせよ、一筋縄ではどちらにしてもいかない相手には違いない。

切れそうにない雨雲を睨みつけると、銀時はヘルメットを被り愛車に跨る。

「一緒に濡れてもらおうじゃねぇの」

そう呟いて、イグニッションを回した。



『五月雨』 了





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