『雷雨』今日サヨナラをした。 万事屋・坂田銀時と真選組副長・土方十四郎は何度目かの『サヨナラ』をした。 これまでも、二人はいつでも、当たり前のように喧嘩をし、 場合によっては斬り合いまでして、別れる。 それなのに、気が付くと、どちらともなく身を寄せあうという悪循環を 何度も何度も繰り返していた。 大抵の場合において、『サヨナラ』の原因は些細なことであった。 お互いの食癖を罵ったことであったり、 土方が仕事で逢瀬の時間を取れないことであったり、 銀時のニートぶりについてであったり… 好いた惚れただの言葉も交わさない二人であったから、 ただ、衝動のままに愛し合って、ぶつかって…。 エンドレス それが自分たちのスタイルなのだと。 別れを何度繰り返そうと。 そう、銀時は思っていた。 だから、その日も約束をすっぽかして呑みに行っていた自分に、 「終わり」を仄めかす土方の発言を、深く考察することはなかった。 「はいはい。別れてやんよ。そんなに怒んなくてもいいだろうに」 「……そうか…じゃあサヨナラだ」 逆ギレかと、罵声が飛んでくるかと思っていたのに、土方はあっさりと承諾の意思を示すと出て行ってしまった。 肩透かしをくらい、銀時は首を傾げる。 つっかかってきたら、「そんなに別れたくない?」なんて言いながら、 布団になだれ込んで流してしまえばいいかと思っていたくらいだったのだ。 後日、振り返ってみれば、あの日の土方の行動はらしくないことばかりだったように思う。 久々の約束までの時間、おごってくれるという長谷川について行って、度が過ぎた。 すっかり過ぎてしまった時間に、待ち合わせの場所に寄ることさえよることもなく、 万事屋に戻れば、そこに土方はすでにいて… ソファに腰かけ、煙草をふかしていた。 なぜ、土方は待ち合わせに現れない銀時に怒っていたなら、 屯所にさっさと帰らなかったのだろう? よほど、怒り狂っていて、どうしても本日中に文句を言わないと気が済まなかったにしては、彼は穏やかだった。 なぜ、行かなかった理由をただ、静かに聞いただけだったのだろう? 「仕事ばっかで、不義理な俺なんざ、いなくても関係ねぇか…」 重たいため息とともに吐き出された、言葉には何が含まれていたのか? しかし、いつものことと、その後ろ姿を見送りながら、 どこかで鳴らされていた警鐘を酔った頭は追及などしなかったのだ。 ただ、なんとなく、その時は「あぁ、今年の誕生日はガキどもと騒いでおしまいか」とそんなことだけ。 「銀ちゃん」 いつものように銀時はジャンプを読みふけっていた。 神楽はレデ〇ス4に釘付けな平日の午後。 神楽の一言が、銀時の至福の時間を遮った。 「左手の薬指に指輪って結婚してるってことあるか?」 「あ〜、結婚してなくても、恋人とか婚約者がいるってことじゃね?」 台所から、麦茶を新八が運んできつつ、会話に参加する。 「なに?どうしたの?神楽ちゃん」 「だって、新八ぃ〜。マヨラーテレビにでてるネ」 ワイドショーで話題にとりあげられているのは、鬼の副長の手元についてだった。 『あの土方氏にお相手が!』 『政略結婚か?』 『鬼の副長を射止めたのは一体?』 もともと、見目の良い土方は真選組の広報も担っているため、市民に顔が知れている。 20代後半の、見目麗しい幕僚ともなれば、世間の注目度も違うらしい。 近藤がゴリラと結婚すると決まったときよりも破談したときよりも、ワイドショーのネタになるらしい。 原因は、土方の左手に光る銀色の輪…。 「え?」 この間、最後にここで別れた時にはなかった…と思う。 あれから、まだ半月も経っていない。 物知り顔のコメンテーターやタレントが、さも当たり前のように話していた。 『花柳界でも浮名を流す土方が・・・』 『真選組の悪評はともかく、いい男ですから…』 『年齢的にもそろそろ身を固めてもおかしくない…いよいよ…』 フラリと銀時は立ち上がって、テレビに近づいた。 「ちょっと、銀ちゃん!見えないヨ」 テレビの真正面を陣取り、キャスターの質問に相変わらずのしかめっ面でコメントを断る土方を見る。 けして、短い付き合いとは言えなくなった時間の中で、彼はどちらかというと装飾品の類を身に着けることを厭てきた。 特に指輪は立ち回りをする時に万が一にでも引っかかったりすると嫌だからと、銀時が誕生日に揃いの物をねだった時にも断られたはずだ。 「なんだよ…これ…」 どういうことだ? あの日、別れを切り出したのは自分だった筈だ。 土方は、それを承諾しただけ。 それとも、本当は指輪を送った相手と結ばれるために、 土方から本当は「サヨナラ」を言いに来たのか? 今回の「サヨナラ」はこれまでの別れとは違うのか? 銀時は、子どもたちの制止の声も聴かず、万事屋を飛び出していた。 あてもなく見慣れた黒を探す。 探して、なにを言えば良いのか、そんなことさえ考えてはいなかった。 山手の方が、黒い雲に覆われはじめ、ゴロゴロと雷が低く唸りだす。 こんな時に限って、いつもは無駄に目につく真選組の制服自体を 視界に入れることはできなかった。 ぽつり 水滴が天から毀れはじめ、町の屋根を濡らし始める。 気が付くと、あっという間に頭上は厚い雨雲に覆われ、日の光を遮っていた。 (土方…) ザァザァ 本降りとなってきた。 どんどんと強くなっていく雨に人々は次々と軒先へ。 軒先の足元さえも侵し始めた大量の水に更に、家路に走る者。 予定外の雨宿りで、店の中へと逃げ込む者。 通りから相次いで姿を消してゆく。 季節外れのゲリラ豪雨とでも呼ぶべきなのだろうか。 空から落ちる水気が辺りの空気を満たし、息苦しいほどの湿度が襲ってくる。 ぼんやりと、銀時は無人となった通りを一人歩いていた。 万事屋を飛び出すように出てきた銀時はもちろん傘など持っていない。 傘を差していても、湿度でぐっしょりと濡れたような状態になってしまうのだろうが。 すでに、トレードマートも呼べる天然パーマもさすがに水の重さに耐えきれず、素直に地面に向かって落ちていた。 ブーツもたっぷりと水を含み、重たい足をさらに引きずらせる。 (あぁ…) 空を仰ぎ見た。 (なぜ、自分はここで、こうやって歩いてるんだろう?) 本当はいつだって。 たわいのない喧嘩をしながら、それでも、そばにいてくれると願っていた。 どうか、自分の知らない誰かをそばに置かないでほしい。 それを口にするには、色々と意地っ張りな性格が邪魔をするのだけれど。 (おかしくなってんのかもしれねぇ…) 頭から水を被って、少し冷静になってはきているのか、自分のことをそう分析する。 天に幾筋もの光の柱が走っている。 その重く暗い雲間に光る雷を美しいと思った。 あの光に撃ち抜かれたら、この悪夢から解放されるのだろうか。 両の耳を雨音と雷鳴が覆う。 ふと、 ふと、よく知った気配を感じ、振り返る。 見慣れたパトカーが停まっていた。 中には黒い影が二つばかり。 取締りなのか、巡察中なのか、停車したまま中で何やら話しているようだった。 そして、黒い隊服が助手席から一人、雨の街に降り立つ。 男を豪雨の中に残し、パトカーは走り去っていった。 雨で、霞む視界でもわかってしまう。 そのシルエットで、歩き方で、気配で。 探していた黒であることを。 ほんの数メーター先に傘を差し、たたずむ彼に近づきたくて、でも出来ずにいた。 その傘を握る左手に見つけてしまった銀色の為に。 「-------…」 土方が口を開いた。 ザァザァ 滝のような水音に、他の一切の音は霧散してしまい、銀時の耳までは届かない。 もう一度、なにか口を開きながら、銀時の方へ彼は近づいてくる。 「-------…」 口の動きで辛うじて、自分の名を呼んでいることが分かった。 どんどん近寄ってくる土方に銀時は後ずさった。 確かに、自分は探していたのにもかかわらず、 手をつなぎたい 強く抱きしめたいと思っているにもかかわらず、 一昨日別れた相手を気遣うように近づいてくる彼が恐ろしかった。 その動きは強く一歩踏み出した土方によって封じられた。 銀時の腕を掴み、自分の傘の中に引きこまれる。 「テメー何してやがんだ?こんな雨ン中で…」 傘の中は傘の中でボタボタと雨音ひとつひとつの音が響き渡っていた。 だが、随分と距離がなくなった分だけ、その低くかすれたような声は銀時の耳にようやく、たどり着く。 「オメ…、……すん…の?」 「あぁ?」 傘を握る左手をびしゃびしゃに濡れた手で包み込み、口に出してみる。 だが、思うように動かない喉からは明確な音を紡ぐことが出来なかった。 取りあえず、へらりと…笑ってみた。 いや、笑えたのだろうか? 「万事屋?」 包み込んでいた土方の左手から傘を抜き取り、放り投げた。 「-------…」 土方が抗議の声を上げたようだが、再び豪雨によってかき消された。 薬指に光る輪っかに指を這わる。 そして、硬質な銀色に口づけた。 これを対でもつ相手は自分ではないのか?と尋ねることもできず。 そう思いながら、気が付いた。 お仕着せのように、土方の指に少しも合っていない約束の輪。 あまりにするりと抜き去ることのできそうなソレ。 そういえば… 突然、銀時は思い出した。 端午の節句の日。 誕生日に折角、二人で過ごすはずだった時間を無粋にも打ち壊した携帯電話の呼び出し音。 腕の中の土方を離したくなくて、縛る物が、所有するものが欲しくて 自分の誕生日には指輪をと、言ったのはそんな理由であったと。 約束なんて、そんなものが出来る間柄ではないと分っていて、ねだった。 そんなもの着けられるかと彼は自分を小突いたけれど。 やはり、そばにいたい ずっと愛したい いつも愛されていたい それを口には出すことはやはり、決してないだろうことだけれど… 愛に似てるだけで愛じゃないかもしれない。 そんなもの必要でなかったし、与えられる資格もないのかもしれないのだけれど。 でも、 だから、今の自分にとっては、これが精いっぱいの『願い』 銀時は笑って、指輪を土方の指から外した。 土方もかすかに笑う。 そして、土方は銀時によって抜き取られた銀色を、 今度は銀時の手のひらから取り戻し、銀時の薬指に差し込んだ。 あぁ、覚えてくれていたのか。 自分の左指には、緩みなくおさまるその銀色。 激しい雨のけぶるかぶき町の真ん中で、もう一度、二人で笑う。 10月10日はすぎてしまったけれど。 ただ、指輪を付け、待っていたくれた土方と。 そして、雨の中探さずにはいられなかった自分がいる。 雷雨の中、なんの言葉を発するでもなく、ただ… それだけだった。 『雷雨』 了 (12/85) 前へ* 短篇目次 #次へ栞を挟む |