『天の隙間』一段と冷え込む朝だった。 重たく暗い曇が天の覆っていたが、先ほどから霙混じりの雨を落とし始めている。 ぼんやりと社長椅子に腰かけ、銀時は愛読誌を読むでもなく、膝に置いたまま外を眺めていた。 今日は、新八も神楽もいない。 正しくは、神楽を昨夜から恒道館に預け、そのまま今日は万事屋を臨時休業にしていた。 だから、ここには一人だった。 正確にいうならば、一人になってしまっていた。 昨夜、数時間は客と呼べるかどうか微妙な人間がここにいたには、いたのであるが。 彼を怒らせた。 ここへ来るために、時間を切り詰め、根をつめ、疲れ果てながらもやってきた彼は、 眉間の皺を深くして、寒空の下、帰って行った。 「銀時さま」 不意に、名を呼ばれ顔をあげる。 「たま?」 ふと、声の方に目をやると、お登勢の店にもすっかり、馴染んだカラクリが万事屋の応接室に佇んでいた。 「なんか用か?」 「先々月からの家賃を回収に参りました。 何度呼んでも出ていらっしゃらないので勝手に上がらせていただきましたが…」 「げっ取り立てかよっ!」 すっかり忘れていた。 そして、たまの様子に目を見張った。 最近は猫耳のおばさん天人ではなく、たまの方が取り立てに来てはいたが、こんなに静かに侵入されたことはない。 しかも、何度も呼びかけたと言った。 いつもならば、返事をするしないにかかわらず、室内にいることをサーチしたならば、即座に破壊活動してでも入ってくるというのに、今日は硝煙の匂いも音もしなかった…ような気がする。 「急に来られても、金はねぇぞ…?」 「いえ、お登勢さまは銀時さまのご様子がオカシイようであれば、次回でよいとおっしゃっておられましたので…」 「俺の様子?」 つまりは、お登勢がたまに銀時の様子を見て来いと言って寄越したらしい。 「おかしいか?」 「はい。おかしいです」 あっさりと、たまは一見感情のこもらない顔のまま返してきた。 「即答かよ!」 「はい。いつもの腑抜けた銀時さまの顔のデータと今の銀時さまの顔は異なっておりますから」 「違う?」 「違います。いつもより、更に眉の位置が…」 「いや、そこ解説しなくていいから!」 つい自分の顔を洗うような動作で、ごしごしとこすって、表情筋をほぐしてみる。 「銀時さまは…」 たまはじぃっと銀時の顔を見る。 カラクリであるから、本来そこに感情が表れることはないであろう。 だが、言い澱む様子から、 無機質に光る彼女の瞳に必要以上に何か感情のようなものを探してしまうのはおかしいだろか。 (確かに俺は別の意味ではすでにおかしいのかもしれない) 「銀時さまは、お子をなさないのですか?」 「は?」 たまの突然の質問に銀時は固まった。 「染色体XXとXYで理論上、子孫を…」 「待った待った!何言ってんのオメーは?!」 「ですが、あの方は…」 「あ〜…そう、そういう話ね…」 机に顔を突っ伏して、頭を抱える。 ばれていないと思っていたのだが、しっかり、昨日泊まるはずだった人間のことも、その関係も下の住人には知れていたようだ。 時折、万事屋の扉を深夜、チャイムも、ノックもせず入ってきて、褥を共にする黒い男のことを。 通常、相性の悪いと認知されている真選組副長・土方十四郎が自分の決まった相手だということを。 「道に外れていると思うか?」 ぽつりと聞く。 カラクリの彼女にはどう見えているのだろう。 「道と問われるものの基準を…比較対象を持ちませんわたくしではお答え出来かねますが、銀時さまは外れているとお考えですか?」 「外れているんだろうね…」 土方を怒らせた。 いや、先に銀時を怒らせたのは土方自身ではあるが、結果的にどちらがより傷ついたかと問われたならば土方なのかもしれない。 土方が真選組を大切に、それこそ、命に代えても守りたい対象にしていることなど百も承知だった。 肌を重ねるために、暴いた白い背に新しい刀傷を見つけ、イライラは降り積もっていく。 同じように天から降り注ぐ、水蒸気が引き起こした現象でも、 雪のように軽やかにではなく、 いま、降り始めたミゾレのように、突き刺すような冷たさを持って、銀時自身を凍えさせていく。 傷を作ることを、 真選組の為に身を挺することを愚かだと。 そう言葉にしてしまった。 自分だって、自分が守ると決めたものの為にはいくらだって血の代償を払うつもりでいるというのに。 諸刃の剣だ。 土方も、そして自分も無傷ではいられない。 ほんの、瞬き一つ分の時間だけ酷く傷ついた顔を、土方は見せたが、着流しの乱れを直すと黙って、万事屋を出て行った。 カラクリのように数値で示すことができるならば、きっと土方と銀時の関係はマイナスしか表示できないのだろう。 日の当たる場所で出会っても、喧嘩にしかならず、 抱き合っている時さえも、お互いの矜持に、想いに傷つけることしかできないのであれば。 「外れているとご自身で分析されていても、離れることができないのですね」 たまは呟いた。 「どうだろうね…」 さきほど、たまに指摘されたように、男同士では「婚姻」という形の終着点も、 「子孫を残す」という共同作業もない。 それでも 再び、空模様に目を向けた。 天から、降りそそぐ氷の粒。 すこしの外気の変化で、冷たくも美しい雪の結晶へと姿を変えることだろう。 (真選組の鬼の副長なんかになんで惚れちまったかね) 「銀時さま」 たまがもう一度、呼んだ。 「銀時さまはヘタレとデータに書きこんでおきます」 「ちょっと!お前ねぇ…」 彼女の言葉に銀時は静かに笑った。 やはり、彼女は人より人に近づきつつあると。 確かに、ここでヘタレ具合を最大発揮している間に、『副長の狗』にもっていかれては洒落にならない。 今晩、みぞれが雪に変わったならば彼を攫いに行こう。 そう思い、天をもう一度、仰いだ。 『天の隙間』 了 (3/85) 前へ* 短篇目次 #次へ栞を挟む |