『lax in morals』―sideK― 「好きだよ」 男は今夜もそっと女の耳元で囁く。 金色の、重力を無視して好き勝手跳ね回る髪。 すっきりと伸びた日本人離れした手足の長さ。 造作も整っている。 ある女は、男の一見細身にみえながら、理想的な筋肉のついた体躯を好み、 ある女は、そんな整った容姿でありながら、 堅苦しくない富んだ話題で引き込んでくれる話術を褒め、 ある女は、無類の甘いもの好きといった子どものような一面を可愛いといい、 ある女は、その本性でもあるドのつくほどのサディスティックな気質を良しとする。 それが、新宿ナンバーワンホスト、坂田金時だと。 今日も、その視線を少しでも自分に向けてもらいたいと 店に通い、ボトルをいれ、贈り物を届ける。 「あなただけは特別」 そう言ってもらうために。 「おい!ヅラ!」 金時は、同僚であり、幼馴染でもある桂小太郎を呼び止める。 「お主、今日はもう上がりだと帰ったのではなかったのか?」 桂は、今時珍しい芝居がかった古風な口のきき方をする。 長髪で、少し中世的な面差しが、女性の警戒心を砕き、 すこし天然な部分を人妻たちは好ましいと思うらしい。 「そうなんだけどよ、ちょっとな。土方来てんの?」 「ふむ。オフィスで志村と打ち合わせているはずだ」 「さんきゅ」 梅雨に入り、水商売も少しだけその煽りをくらう。 客の足を少しでも引き寄せるために、このところ連勤を重ねていたのだが、成果が表れ始めたとのことで、ようやく、金時も久々に早上がりと明日の休みをもぎ取ったところだった。 ところが、従業員出口を出たところで、一台の車を見止めた。 ト/ヨタ、ハチ/ロク。 日本の大手自動車メーカーが今季発表したスポーツタイプの車だ。 金時が客に贈られるような、立った馬のマークがついたイタリア車の攻撃的なフォルムでもなく、 日本の道を、峠を、走るために作られた実用的な車でもある。 挑戦的なコンセプトは、この店のオーナーによく似合っていると思う。 クリスタルブラックシリカは、彼のその真っ直ぐな黒髪の如く、艶やかだ。 「トシくん!」 金時は、オフィスにノックもなく飛び込んだ。 「坂田…オーナーと呼べ」 来客用のソファに長い足を組んで、分厚い紙の束に目を通していた男は、ちらりとも視線をあげずにそう言い放つ。 「冷たいなぁ。さすが俺の女王様」 するりと、その横に座り込み、煙草を持っていた左手に手を重ねた。 漆黒の髪。 今日のスーツも恐らくオーダーメイド。 ブランドに拘らず、機能を重視する彼らしい。 すっと通った鼻梁、涼しげなやや灰色かかった瞳。 「誰が、女王様だ。ゴラ!」 しかし、その口から零れ落ちる言葉はどこかのチンピラのようなものだった。 「女王様でしょう?この店のオーナーにして、金さんを虜にする唯一の人なんだから」 気高く、手の届かない存在。 無いものねだりのようなもの。 「アホか。何度も言うが、俺に尻尾振ったって何も出やしねーぞ?」 「だから、何度も言うけど、そういうんじゃなくて、トシくんのこと愛しちゃってんですけど?」 金も整った容姿も持っている。 お互いに。 無いのは刺激だけ。 「俺は客じゃねぇ」 定番になってしまった会話の間、土方の眼は書類から離れない。 どうやら、今期の決算書が税理会計事務所から届いたらしく確認しているようだった。 「ねぇってば」 「ウルセー」 土方は、大手商社でもある松平グループの傘下でいくつかの会社役員をしている。 この店もその一部だとかいうが、金時にとってはそこは、大した問題ではなかった。 確かに、稼げるときに稼げるだけ稼いでおくことが得策だと思う。 どうせ、ホストなんて商売は一生できるような職種ではない。 だから、アフターだって枕営業だって数をこなす。 でも、目の前の男を口説く理由をそんな風に考えたことは不思議となかった。 「俺、今晩から休みなんだけど」 「だったら、さっさと帰って休め」 出会った最初の頃。 土方とは気が合わないと思っていた。 金時を『商品』だと思っている気配がバシバシと伝わってきたから。 ワーカホリック気味のオーナーは、幼馴染がトップを務める会社をいかに回すか、 それだけに熱意を持っているように見えた。 「折角だから、金さんと飲みに行こうよ」 「俺は車だ」 最初は、逆にそんな仕事人間を落としてみるのも面白いと思ったのだ。 頭の固い人間ほど、『レンアイ』ゲームに嵌まった時には、 傍からみていて愚かしいと思う程、滑稽な役回りを演じてくれるから。 そう思って始めたゲームだというのに。 「知ってる。だから、宅飲みならいいだろ?ウチにおいでよ」 店にやってくる女たちなら腰が砕けると言ってくれるとっておきの低重音で耳に囁いても全く動じない。 「お断りだ」 「えぇぇぇぇぇ?!大丈夫だって!金さん紳士だから!」 今度は大げさに、ショックを受けたふりをしてみせる。 「そういうやつに限って危ねぇんだよ!」 「あ、怖いんだ?トシくん!」 「だから、オーナーと呼べって!」 あくまで、距離は変わらない。 雇用主と雇用者。 「いやだ。恋人をオーナーって呼びたくない」 「だから!恋人でもなんでもねぇだろうが!」 「こんなに、愛しちゃってるんだから恋人に違いないと思います」 「嘘臭せぇ!」 手の甲で更に寄せた顔を押しのけられ、短くなった煙草を灰皿に押し付けた。 「だめ?」 「駄目だな。テメーは裏がありすぎる。信用ならねぇ」 確かに、裏はあった。 でも、過去形。 「なにそれ?こんなに素直に愛情表現してるってのに?」 新宿ナンバーワンが手玉に取られている。 この事実。 「あのな…俺はテメーがゲイでもバイでも構いやしねーが、俺を巻き込むな」 「ふぅん…裏が無ければいいってこと?」 「さて…どうだかな」 ようやく、その面が数字から離れ、金時の方を向いた。 そこには、実は自分よりもホストに向いているんじゃないかと思う、艶のある笑みが その口もとに浮かんでいる。 つまらないプライドの為に、始めた遊戯。 そこから脱するためには何が必要? (さて、人に『本音』と望むならば、お前こそ、晒してもらわないとね?) いかんせんドSな本性と、 負けず嫌いな性格が今更、金時を引かせるはずもない。 「じゃあさ…十四郎。本気みせてあげるよ」 「好きにすればいい」 男は今夜もきっぱりとした口調で言った。 その顔には、妙にみだらな色気。 坂田金時は、土方十四郎に負けずに、余裕のある笑みを作りあげ、 一番シンプルな言葉を 先ずは始まりとして。 「好きだよ」 そっと耳元に囁いたのだ。 ―sideH― 「好きにすればいい」 男は今夜もきっぱりとした口調で決断を下す。 「あぁ。好きに動いていい。テメーにその件は任せる」 漆黒の、少し長めの前髪をかき上げながら、携帯電話で部下に指示を与え、男は買ったばかりの愛車から、夜の街へ足を降ろす。 新宿かぶき町、しかも、ナンバーワンホストのいるクラブの裏手。 その姿を見かけたモノは、その存在に、見目に足を、目をとめるのだ。 和風な顔つき。 しなやかに伸びきった手足を黒いスーツで武装し、咥え煙草を口の端に装備している。 一見、ホストといっても通用しそうな目立つ男。 ある女は、その男の均整のとれたシルエットにため息をつき、 ある男は、そんな整いすぎるほど整った顔から毀れるチンピラ紛いの悪態に意表をつかれ、 ある女は、ワーカホリックながら、言葉巧みにフォローをいれてくる気遣いを褒め、 ある男は、時折見せる色気のようなものは、女も男も惑わせる毒にしかならないと苦笑する。 それが、松平グループの中でも昨今注目を浴び始めた『誠コーポレーション』鬼の副社長・土方十四郎だと。 今日も、会社の基盤を確固たるものにするために、彼が直接動かしている飲食店のチェックに余韻はない。 「あ?俺か?もう一件片づけてから、さすがに今晩は上がるさ」 苦をこぼすでもなく、淡々と日常の中に組み込んで。 「あぁ、じゃあ、こいつとこいつには来月いっぱいで辞めてもらってくれ」 土方がオーナーをしているホストクラブのオフィスで、マネージャーの志村と打ち合わせを行っていた。 「すいません。決めてもらってしまって…」 「いや、アンタの目を信用してるからな。助かってるのはこちらの方だ」 このホストクラブは、土方がオーナーということになっているが、 実質の運営は、マネージャーである志村に任せていた。 新しい分野に進出するとき、一からその企画していくよりも、すでにそのノウハウ、人材を持った『商品』をまるごと買う方が早い。 市場調査の為に、 情報収集の為に、 接待の為に。 「じゃあ、ボクはコーヒー入れ替えてきますんで、こちらにも目を通しておいてください」 人事の話が片付いたところで、空になったコーヒーカップを手に取り、志村は立ち上がった。 元ホストというには地味だと思うが、なかなかに堅実な仕事ぶりと確かな人を見る目をもっていると、能力は買っている。 それと入れ替わるように、賑やかな男がオフィスに入ってきた。 「トシくん!」 金色の毛玉が、ノックもなく飛び込んだ。 「坂田…オーナーと呼べ」 決算書に目を通しながら、視線をあげずに言い放つ。 「冷たいなぁ。さすが俺の女王様」 するりと、その横に座り込み、煙草を持っていた左手に手を重ねてきた。 豪奢な金色の髪。 自由に跳ね回った天然パーマ。 今日のスーツはアルマーニだろうか。 海外ブランドに着られることもなく、独自のものとして見事に着こなしている。 少し赤みかかった瞳。 「誰が、女王様だ。コラ!」 「女王様でしょう?この店のオーナーにして、金さんを虜にする唯一の人なんだから」 軽い口調で、次々と紡ぎだす『アイのコトバ』。 この『コトバ』を得るために、女たちは高い酒をキープし、 彼の心になにかを残そうとプレゼントを競って贈る。 「アホか。何度も言うが、俺に尻尾振ったって何もでやしねーぞ?」 「だから、何度も言うけど、そういうんじゃなくて、トシくんのこと愛しちゃってんですけど?」 金も整った容姿も持っている。 無いのは刺激だけなのだろう。 「俺は客じゃねぇ」 どうせ、退屈してるのだけ。 からかって、惑わせて遊んでいるだけなのだ。 性質の悪いことに。 「ねぇってば」 「ウルセー」 書類から目をあげないことに、拗ねたような声色で、今度は呼びかけてくる。 店の業績を見るならば、金時の貢献する度合いは素晴らしいと思う。 「俺、今晩から休みなんだけど」 「だったら、さっさと帰って休め」 出会った最初の頃。 金時は土方が気に喰わないようだった。 より効率よく運営しようとする土方と、接客の内容重視の金時。 「折角だから、金さんと飲みに行こうよ」 「俺は車だ」 何度、ぶつかり、何度低次元な罵り合いをしてきただろう。 にも関わらず、いつの間にか、言葉のやり取りの中にいつからか、好意のような言葉がちりばめられるようになり、今ではあからさまな態度で、『口説い』てくる。 「知ってる。だから、宅飲みならいいだろ?ウチにおいでよ」 店にやってくる女たちなら腰が砕けると言うだろう低重音は確かに耳に心地よいとは思う。 「お断りだ」 「えぇぇぇぇぇ?!大丈夫だって!金さん紳士だから!」 今度は大げさに、ショックを受けたふりをしてみせてくる。 「そういうやつに限って危ねぇんだよ!」 「あ、怖いんだ?トシくん!」 「だから、オーナーと呼べって!」 あくまで、距離は変えない。 いや、変えてはいけない。 「いやだ。恋人をオーナーって呼びたくない」 「だから!恋人でもなんでもねぇだろうが!」 「こんなに、愛しちゃってるんだから恋人に違いないと思います」 「嘘臭せぇ!」 手の甲で更に寄せた顔を押しのけ、短くなった煙草を灰皿に押し付けた。 「だめ?」 「駄目だな。テメーは裏がありすぎる。信用ならねぇ」 そう、信用がならない。 もう一人の幼馴染と同じドSの匂いがする、この男が。 「なにそれ?こんなに素直に愛情表現してるってのに?」 「あのな…俺はテメーがゲイでもバイでも構いやしねーが、俺を巻き込むな」 惑わされるな。 落とされた途端に種明かしされるに決まっている。 「さて…どうだかな」 会社を動かすという仕事も実は接客業だ。 金時に負けないような、営業用の笑みを、顔をあげて見せてやる。 「じゃあさ…十四郎。本気みせてあげるよ」 「好きにすればいい」 今夜もきっぱりとした口調で決断を下す。 ハシタナイ心を立て直すように。 それを受けたかのように、坂田金時は、土方十四郎に負けず劣らずの、笑みを浮かべてみせて、 背筋をぞくりとさせられるような声で、 「好きだよ」 そっと耳元に囁いた。 『lax in morals』 了 (57/85) 栞を挟む |