03/25(Wed):| 壁 |д・) 土方十四郎はつい先日、高校を卒業した。 既に第一志望の大学からは合格通知をもらっている。 あとは入学までの時間を有意義に使えると思っていたのであるが、予想以上にしておかねばならないことが山積みで、日々時間を取られていた。 今日、恋人の休日に合わせて訪れたアパートにも、書きかけの書類を持ち込んで広げている。 急ぎといえば、急ぎだが、今週中にというほどの代物でもない。 それでも、どうせあれもこれもと気分ばかり急いてしまうのなら、大して進まないではあろうとも、広げているだけでも落ち着くような気がしたのだ。 書きなれない書式を目の前に、こういったものを自分独りで書きあげていく機会も増えるのだろうなと思いはすれど、まだどこか他人事のようだ。 「ん…」 土方は咳払いを数度した。 夕べから、喉に違和感がある。口蓋に触れた舌先がざりざりとした感覚を拾う。 微かな痛みは明らかに不調の前触れだと予測できた。 くるりとシャープペンシルを回して、多めの唾液を飲み込んだ。 「どうした?」 ベッドに寝そべって、草臥れた週刊漫画誌を読んでいた部屋の主が少しだけ身体を起こした。 在学中から密やかにオツキアイをしている土方の恋人は元担任だ。 風邪かと、重ねて問われて、首を横に振る。 「大したことねぇ」 「大したことない、ねぇ…」 伸びてきた手が額にあてられた。 子どもにする仕草のようで、気恥ずかしく、それでいて、土方自身のものよりも少しだけ節張り、かさついた感触が嬉しくもあり、軽く眉を潜めるに止めた。 「熱はねぇな」 「だから、大丈夫だっていってんだろ?」 離れていく掌が恋しい。 思わず目で追ってしまったことは相手に知れたらしく、微かに笑われた。 普段は死んだ魚のような目だというのに、時折、眼鏡の奥でふわりと温かさをこうして醸す。 男同士だとか、教師と生徒だとか、そういったハイリスクさの問題を、 マダオだとか、天パだとか、足が臭いだとか、そういった相手の自身の三重苦を、 全部飛び越えて、坂田銀八という男を好きになってしまったのは、こういうところなのだろうかと、何気なく考え、考えた自分に恥ずかしくなって、シャープペンシルの先と先が接している枠線に視線を落とした。 「ちょっと待ってろ」 きっと、そんな土方の葛藤とも呼べないぐるぐるした感情を察しているであろう男は静かに雑誌を閉じて台所に行ってしまった。 もう一度、咳払いをしてみて、ペン先を参考文献に運んでみるが、頭の中は銀色に侵食されてしまって、切り替わらない。 諦めて、シャープペンシルを机に放り投げ、そのままごろりと真後ろに転がった。 目を軽く閉じると、水の音がした。 続いて、ガス台がかちりと回され、引火する気配。 学生時代、カフェバーでバイトをしていたという銀八は土方の胃袋もよく満たしてくれる。 今日は何を作ってくれるのだろう。 台所に行って、側で見たい気持ちもあるにはあったが、安普請な単身向けの部屋の床は銀八の動きを伝えてくれる。 その新しい発見に笑みを浮かべながら、作業を音から推測することにした。 シンク上の戸棚が開いた音がした。 かちゃかちゃと下ろしているのはドリッパーか。 しゅっ、かさかさとフィルターを折ってセットした音がした。 食器棚のガラス戸が開いた。 陶器が重なって、小さな音を立てる。 マグカップではないなとガラス戸に仕舞われた食器のラインナップから土方は思った。 スリッパを履かない銀八の足がフローリングの床を踏むとぺたりぺたりと鳴る。 今度はシンク下の扉が開いて何かそれなりに重たいものを取り出した音。 ティースプーンが複数触れあう軽い金属音も聞こえた。 ガス台が沈黙させられる。 温度を調整するために湯が薬缶から細い口のポットに移し替えられた水音。 細く湯が豆の上に注がれる様子が土方の瞼の裏に思い浮かんだ。 ゆっくりと、ゆっくりと。 ペンだこのある銀八の手が銀色のポットから落としていく湯。 湯を吸収した豆の粉がムクムクとふくらんで、泡立つ。 ゆっくりゆっくりと。 必要量がたまるまで。 銀八のコーヒーは美味しい。 甘いものをさほど好まない上に台所に立つ機会の少なかった土方にとって、銀八が丁寧に淹れた飲み物も軽食もどれもこれもが目新しく、そして、幸せな気持ちにさせてくれる。 単に美味い不味いかの問題ではなく、銀八という人間が土方の為に作ってくれるから。 陶器にスプーンが乗せられた音がした。 それから、何やら引き戸を漁る音がして、ようやく足音が土方のいる部屋の方へ戻って来た。 そっと目を開くと、珍しく盆にカップを乗せた銀八が立っていた。 「おまたせ」 慌てて、書類を積み重ね、場所を作る。 そこへ盆からソーサーに載せられたティーカップが土方の前にそっと置かれた。 机の上に置いてあったライターを手に取ってから、銀八も炬燵の隣の辺へ腰を降ろす。 「これ、なに?」 「カフェロワイヤル」 コーヒーだ。 それはわかる。 ただ、カップの上にティースプーンが橋渡されていた。 スプーンの上には、琥珀色の液体と液体が沁みこんだ角砂糖。 鼻を近づけると濃厚なコーヒーの香りに混ざって、酒の香りがする。 「酒?」 卒業したとはいえ、土方は未成年だ。 銀八が出すメニューとしてはイレギュラーすぎる。 「ブランデー」 銀八は答え、愛用のライターでスプーンの上に火を点けた。 「う…わ…」 青白い炎がスプーンの上で燃える。 アルコールが燃え、角砂糖を溶かしていく。 元よりそれほど酒の量がスプーンの上にあるわけではない。 あっという間の時間で炎は燃えきり、銀八はそのスプーンでコーヒーを掻き混ぜた。 「本当はすこし砂糖が溶け残ったぐらいの方がブランデーの香り残るんだけど、未成年だからな」 出来るだけアルコール分を飛ばしてみましたと、元担任は自分のスプーンにも火を付けた。 その炎を見ながら、土方は口にカップを運ぶ。 「あったまるだろ?」 先ほどの小さな咳から、これを作ることを思いついたらしい。 角砂糖1個分の甘さ。 コーヒーの香りに加わった微かなブランデー。 日常と非日常が織り交ざったような、不思議な味が口の中に拡がった。 それから、胃の奥に焼けるような熱さと身体の芯を暖かさがじんわり満ちてくる。 喉の痛みも嚥下の度に、確かに和らいだ気になってきた。 けれど、すぐにカップの底が見えてしまった。 土方はカップをソーサーに戻し、同じものを飲んでいる男の方へ滑らせる。 「おかわり」 「また、今度な」 今日は早く寝ろよ、と銀八は困った風にも見える顔で笑ったのだ。 『cafeloyal』 了 ≪おまけ的な会話文…≫ 「ところで、さっきなら何そんなに悩みながら書いてんの?」 「あぁ、履歴書」 「バイトすんの?」 「大学近くのカフェだし、夕方から4時間ぐらいで…」 「大学近くの、ってことは駅に向かう途中のオープンカフェ?」 「そうそう、先輩の紹介で…」 「ダメです!」 「は?」 「お前なぁ…1回生ってのは普通ぎっちり予定詰まってるもんなの。 かーなーり、キツいからやめておきなさい」 「でも、先輩もオーナーも配慮してくれるらしいし…」 「ダメ!ゼッタイ。立ち仕事だから絶対腰キツいし!見た目程オシャレでもキレイな仕事でもないし!おめェみてぇな仏頂面はすぐ客と喧嘩しそうだし!それから…あ、あれだ、ガクギョーにも支障が…」 「…………銀八」 「あ?」 「アンタがカフェバーで働いてたってきいて、俺もやってみてぇって思ったんだよ。理由がそんだけなら聞けねぇ」 「……」 「ほら、言えよ。アンタ、んな理由で生徒の行動範囲、狭める奴じゃねぇだろ?」 「……可愛くねぇ」 「可愛くてたまるか」 「その…土方が不必要に目立つのもモテるのもいやだからです」 「大してモテねぇって知ってるだろ?」 「いやいやいや、お客さんはあの犬の餌を見るわけじゃないからね? ただでさえモテるおめェがあんな店の制服着てりゃ大騒動だって! 声掛けまくられて、ケー番渡されて、つまみ食いされまく、り…」 「へぇ…」 「なんだよ?その顔」 「先生もバイトしてる頃は声掛けまくられてたんですね?オマケにつまみ食いし放題…」 「ちょ!誤解だし!過去の話だし!これでも苦学生だったからね!んな時間も余裕もなかったから!それに今は土方一筋です!」 「………」 「土方?」 「………」 「信じてくれるよね?」 「………」 「ひじかたくん?」 「………」 「こっち向いて?」 「………」 「十四郎?」 「…く…くくく…」 「わ、笑ってんじゃねぇよ!だんだん性格悪くなってきてねぇか!おめェはよ!」 「すみません。学んだ教師が教師なんで…あ、バイトはすっからな」 「オーイ!人の話を聞いてましたかー?」 「大丈夫だって!先生の心配するようなことは何もねぇよ。俺も先生だけだから」 「っ!ほほほ、ほだされねぇ!」 「ちっ」 「ちょっと!舌打ちしたよ!この子!」 エンドレス… おわる! お誕生日おめでとうございました! 物凄く遅くなりましたけれど、こっそりと捧げます…| 壁 |д・) 大好きな『かふぇぱち』。 拙い文ではございますが、少しでも楽しんでいただけたら… この一年も幸多き、ぱっつち多き一年になりますように! prev|TOP|next |