うれゐや

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03/16(Mon):SSS『老いらくの…』ぱっつち




「おお!続々と見に来ていますね」

私立銀魂高校に採用されて3年目の若手が国語科準備室の窓から外を見下ろして言った。


「あぁ?そういや、今日だったか。うちの合格発表」

草臥れた白衣の教師がようやく積み重なった本や書類の隙間から判子を見つけ出して、顔を上げる。

「ようやく3年送り出したと思ったのに、次々と…飯の種とはいえ面倒臭ぇな…」
「坂田先生くらいになると、そんなもんなんですねぇ。僕なんか担任でもないのに、
 今年初めて教科担当持った子たちが卒業ってだけで、もう卒業式涙腺壊れそうでしたけど」
「…さぁ、どうだろうねぇ」

ヒトそれぞれさと若手の持ってきた職員内の回覧に判を押して机に放り投げた。

普段、この準備室は坂田がほぼ独占して使っている。
元から職員室で他の教員と親睦を深めるというタイプではない坂田は、昨今の禁煙すべしという世の流れに沿って、学内全面禁煙令を敷かれてからは一層、この部屋にいることが多くなった。
自由気ままに私物で埋めつくし、部屋をヤニ臭くして独占しようと、転勤がない私立で20数年も過ごせば物申すような者も今更いない。

ここまで、坂田の教員生活は平坦だった。
問題を起こす生徒が多い年のあれば、品行は悪くはないが、成績が悪すぎて手のかかる年もあった。
それでも、気が付けば退職届を書くこともなく、「教師」という職を勤め上げようとしている。

「じゃ、僕職員室に戻ります」
「ハイハイ。手間かけたな」

坂田が最後であった回覧板を教務主任に押し付けられた教師は机から板を拾い上げ、軽く頭をさげる。
だが、乱雑に積み上げられた本はその小さな刺激に耐えきれずに、一斉に雪崩を起こした。

「すす、すみませんん!」
「あー…どうにも片付け苦手で、どんどん地層も、山も高くなるばっかでさ。
 生徒にでも片付け手伝わせっかな…」

確かにと音にならない納得のため息が散らばった紙の束とその間から出てくる煙草の空箱やインクの切れたボールペンを拾い上げる合間に銀八には聞こえた。

「坂田先生の奥様も大変ですね」
「あ、俺、結婚してねぇから」
「………なんか、すみません…」
「あ、今、頭みただろ?ちげぇからな!天パが原因じゃないから。
 普通にオツキアイしてた女ぐらいいっから!
 ただ、面倒臭ぇっていうか…家庭ってもんに憧れもなかったし、
 そこまでして一緒になろうって女がいなかっただけだから!」
「そそそそ、そうなんですね。じゃあ、僕主任のところに…」
「………ヨロシク」

居心地悪そうに、大慌てで荷物の山を再び机の上に積み上げて、若手はさっさと準備室から出て行った。

坂田は生まれつき銀色でよく白髪と間違えられた頭を掻いた。
焦って結婚相手を探すこともしてこなかったのは自分なのだし、歳が歳だけに、妻帯者だと思い込まれていて話をされることにも慣れていて、今際気にすることもない。

若手に話したように、女が嫌いなわけでも、女っ気がなかったわけでもない。
一応のオツキアイの手順を踏んで、セックスをして。
一般的に蜜月と呼べそうな時期をそうとは思えず、べったりと相手に拘束されることを面倒だと思ってしまう銀八に女の方が一人盛り上がって、醒めて去っていく。

去っていく背を追いたいとも思わなかった。
そうこうしているうちに、50の声が聴こえ始めたが、別段困ってもいない。

「別になぁ…」

先ほど若手が立っていた位置に移動し、見慣れた風景を眺め下した。

丁度、案内係に導かれながら学ランの少年たちが物慣れない様子で校門を潜ってきたところだった。

付き添う父兄はいない。
中学生というには体格の良すぎるゴリラによく似た短髪。
並んで歩く茶髪の綺麗な顔をした少年。
目つきから、銀八と同じS体質だと本能が察知する。
二人の半歩下がった位置を歩く黒髪の少年。

その黒髪の少年に、目を引かれた。

「へぇ…綺麗な…」

言葉に出しかけて、違うと止めた。

美醜の点で言えば、黒髪の少年よりも茶髪のドSの方が整った顔をしている。

女性的なつくりでも、体格でもない。
すらりと伸びた四肢はまだ伸び代を残している。
凛とした姿勢。
黒髪が春の風と歩く振動で揺れ、弾む。
すこし切り上がった涼しげな目元に潜む強い意志。
薄めの唇は緩むことなく閉じられているが、柔らかさを察することが出来る。


後で思えば、準備室から彼らの歩いていた場所まで距離があった。
けして視力の良いとは言えない銀八の目に、それほどはっきりと観察できるはずはないのだ。

それでも、老いを自覚し始めた教師の目には鮮やかに映り込んだ。

掲示板を見つけたゴリラが振り返る。
すると、黒髪の少年はほんのりと笑った。

「ぁ…」

指に挟んでいた煙草が折れた。
先を焼いていた火が、銀八の指に近くなり、熱い。
一気にやけどをするほどではないが、確実に短くなって、指を焼こうとしている。

認識しつつも、灰皿に押し付ける時を惜しんだ。

彼が合格を見つけた顔。
ゴリラに抱きつかれて、痛かったのか眉を顰める顔。
茶髪に何事か言われて、怒鳴り返している顔。
あとから追いついてきたらしい地味な少年の頭を叩く手元。

とうとう煙草の火が銀八の指に火傷の跡を付けても、見蕩れた。
彼が校門を出ていく後ろ姿が見えなくなっても、魅かれた。


見えなくなっても、夢遊病を見たかのように、立ち尽くし続けた。

老いらくの恋。

「いやいやいやいや…どっかの70近い歌人じゃねぇんだし…」

思い浮かんだ不穏なキーワードを完全には否定することも叶わず。

「俺はまだ若ぇし…じゃなくて…」

準備室の窓辺にいつまでも、立ち尽くし続けた。






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