君が夢を見るならば
「あなたは……誰?
この自転車は……何?」
そこは真っ白な洋館だった。
館に幽閉されし可憐な少女は、車イスに乗った身体をかしげ、少しだけ怪訝な表情を浮かべた。
忍んで来たのは、見たことのない、細身の長身の男だったからだ。
「オレは荒北靖友。お前はこの館の令嬢だな。
この自転車はロードバイク……
オレはこいつで世界中を旅して回ってる」
それを聞いた少女はにっこり微笑んだ。
「素敵……きっと色んなことを知ってらっしゃるんでしょうね。
私はこの館から出たことがないんです。
名前はなまえって言います。
もし、もしよければ、少しだけお話聞かせていただけませんか。
あなたがどんな世界を見て、どう感じたのか」
「ああ、いいぜ。
お前になら、いくらでも、話してやる。
前回行ったところでは……」
「嬉しい。
私、世界史ってすごく好きなんです。
けど、ニュースで知れるのは、モノクロな伝聞ばかり。
あなたの話は、まるで私までその地に赴いたかのように、鮮明な色を帯びて、私の頭に入り込んでくる……
ねぇ、もっと、聞かせて」
少女に話を聞かせ、少女の目が輝く度、荒北の胸には罪悪感が募っていった。
本当は嘘なんだ。
ろくに国外にも出たことねェこのオレが、必死になってあちこちの情報調べてはあたかも実際行ってきたかのように語ってるだけ……
情けねェ……
だが、お前の純粋な瞳が生きる希望を失わないためなら、オレは嘘ついてでも……
そんなある日、荒北は少女にあることを打ち明けられた。
少女もまた悩みを抱えていたのだ。
「私、二週間後に、手術受けるんです。
成功すれば、この脚で、歩けるようになります。
自由にどこへだって、行けるようになります。
でも、怖いんです。
失敗したら、二度と立ち上がれることさえないだろう、とも言われていて……」
荒北はたまらず、暴露した。
「オレは今までお前にずっと嘘をついていた。
世界を見て来たなんざ、まるで嘘だったんだ。
でも、現実にする。
このビアンキで、世界一周をする。
そうしたら、お前の手術は必ず成功する。
そう……信じられるか?」
荒北と少女の視線が交わり、そして、少女はかすかにうなづいた。
その日、青年は初めて少女の住む洋館で一夜を明かした。
そして、青年は旅立った。
「やったぞ!オレは……オレはこの脚で世界一周を実現した!
聞いてるか?なまえ……」
面会に応じた少女は荒北と目を合わせず、うつむいたまま言った。
「私の手術は失敗してしまったの……私はもう歩けることはないの」
荒北は執刀医に詰め寄った。
「何でだ?!
何で何がなんでも成功させてくれなかった?!」
執刀医は不思議そうに言った。
「どうなさいました?
なまえ様の手術は無事、成功しましたが」
気付けば背後には、確かに自分の脚で立つ、少女がいた。
荒北は衝撃に駆られながらも、いつもと違う、視線の近い少女の姿をゆっくり視界に納めた。
「嘘ついてごめんなさい。
あなたの話を、ずっと聞いていたかったから、あなたの言葉だけで世界を知りたかったら、治らなかったなんて、嘘ついてしまったの」
「そんなバカな嘘ってあるかよ……!」
「だって、脚の不自由な私が好きなのよね?治ったら、自分で世界を見れるようになったら、話を聞かせる価値がなくなったら、庇護の対象でなくなったら、私なんて用済みよね?」
荒北は少女をガバッと抱きしめると、力強く言い切った。
「そんなわけないだろう。
どんなお前だって、オレにとって無二の価値があることに変わりはない。
お前にとって、手術の成功は喜ぶべきことに決まってる!
だったらオレにとっても、本当に喜ぶべきことだ!」
荒北に、強く抱かれながら、いつしか少女は泣いてしまっていた。
荒北は、震えながらしゃくりあげる少女の耳許で誓った。
「今度は言葉だけじゃなくて、実際にオレが世界を確かめさせてやる。どこへだって、連れて行ってやる!
その脚があれば、もう夢物語じゃないんだ」
「……じゃあ、この手を取って、これからも導いてくれる?」
「当然だ」
荒北は少女をいったん解放すると、少女の手を握りしめて、ぎこちなく微笑んだ。
少女は泣きながら、微笑み返した。
「不思議。歩けるどころか、走れるどころか、空だって、飛べそう」
「はは。飛ぶのはさすがのオレでもちょっとムリだな」
「大丈夫きっと飛べるよ。
私の全ては、あなたに作られたのだから。
私が飛べる時は、あなたも一緒に……
そうして、ずっとふたりでこの世界を生きていこうよ!」
「ああ。
お前が夢を見るならば、それがどんなことだって、オレがこの脚で、叶えてやる」