恋人は浮気性

恋人は浮気者だと彼女は語る。
名前を呼ばれれば笑顔で応えるし、ボディタッチも平気で許す。挙句の果てには甘えた声で擦り寄って、こちらに見せつけてくる始末。他人へ愛想を振りまく恋人の表情は、一緒に暮らしているはずの自分には滅多に見せないものばかりだと不満を垂れた。


「わたし、好かれてないのかなぁ」


もう何杯目になるか分からないグラスを空にして、彼女は言った。酒が回りはじめているのか、その呂律は徐々に不確かなものへと変化してきている。

言い忘れていたが、ここは“BAR・cat”
名前の通り酒を楽しむ店だ。
金曜日の夜に、彼女はこの店に酒を煽りにやってくる。酒の肴は決まって恋人の愚痴だ。仕事帰りらしい身なりであるのに荷物がやたらと少ないのは、一度家に返って恋人の姿がないことを確認してから出掛けるからだと彼女は言う。つまりはやけ酒だ。
空いたグラスを下げている最中も、彼女は「いつものぉ!」と声を大にして叫ぶ。そんな彼女に「はいはい」と適当に相槌を打ちながら、彼女が気に入ってよく頼む紫色のカクテルを、気付かれぬようにノンアルコールで作ることにももう手慣れたものだった。


「またペットの話ですか?」

「ペットじゃないですぅ。恋人ですぅ!」

「ペットを恋人だと言う女性は婚期を逃しますよ」

「あー!おにいさん、それセクハラって言うんですよ!!」

「ならそのペットについて延々愚痴るのはカスハラですかねぇ」


グラスを磨きながらそう返せば、彼女は「だから恋人ですってばぁ……」と呻いた。
似たような問答を、もう何度繰り返したことだろう。彼女の話は恋人、もといペットのポケモンの話からはじまる。友人にでも話せばいいだろうに、以前それとなく尋ねてみれば、もうみんな聞いてくれなくなったのだと返されて、大いに納得した。繰り返される愚痴なんてそう何度も聞きたくないものだ。
たったひとり、僕という例外を除いて。
繰り返される愚痴も、うざったらしい絡み酒も、彼女がするなら意外と悪くない。


「この間なんて、珍しく甘えてきたと思ったら、買ったばかりのマニキュアを盗られたんですよ!?」

「おや、ポケモンがマニキュアに興味を?」

「いいえ全く!人が大切そうにしているものだったらなんだっていいんです。私が困るのを楽しんでるんですよ、きっと」


悪戯好きで可愛げがない子だと、唇を尖らせながら彼女は言う。


「ちゃんと怒ってるんですよ?でも、あの可愛い顔を見るとどうしてか許してあげたくなっちゃうんです」

「貴女も大概ですねぇ」

「最近、平日は家にいないことが多いんです。今日だって……私がお休みの日はいてくれますけど、それにしたって気まぐれにもほどがあると思いませんかっ?」

「そのポケモンは貴女を飼い主だと思っていないのかもしれないですね」

「そんなぁ!」


うわああんと泣き声に感嘆符が見えるほど、大の大人が大声で泣き叫んでカウンターに突っ伏したものだから、店内の目という目が彼女を捉えた。その多くは数秒眺めたのちに自分の世界へと戻っていったが、いくつかの視線はその後も彼女から離れずにいた。頭から爪先まで舐め回し、品定めするようにねっとりとした、嫌な視線だ。
客入りの少ない、小さなバーである。客のほとんどは顔馴染みで、静かに酒を楽しみたい客が多いが、出会い目的らしい新規客も珍しくない。
彼女を品定めしていた連中が、顔を突き合わせてなにやらこそこそと言い合っているのを視界の端でしっかりと捉える。会話の詳細は流石に聞こえてこない。それは彼らにとっても同じことだろう。彼らの目には、恋人の浮気に泣く彼女の姿は、さぞかし美味しい獲物に映っているはずだ。


「ねえ、おにいさんってば、聞いてる?」


グラスを磨きながら腹立たしい雄狐共を視界の端で見張っていると、なにかに腕を引っ張られた。見ると、彼女がカウンターから手を伸ばして、制服の袖を掴んでいた。指の先で掴むような控えめさだったが、目が合っても彼女の手が離れることはなかった。
この場では、彼女との関係はただの店員と客だ。彼女は愚痴を赤裸々に溢すことはあったが、断りもなしに触れてくることはなかったので、意外性に反応が遅れてしまった。


「……なんでしょう?」

「だから、おにいさんはなにかポケモン飼ってないのって聞いてるの?」


先ほど泣いた名残だろうか、彼女の目にはまだ涙が浮かんでいた。心を傷付けようものなら、ほんの些細な一言であっても簡単にまた涙が溢れ出すであろうことは容易に想像がついた。
自分の手で泣かせてみたい。自分のせいで彼女が涙を溢すところを想像して、ほんの少しだけ喉が渇いた。


「生憎と。けれどポケモンを飼っているトレーナーなら知っていますよ。彼女は気まぐれで悪戯好きで、悪さばかりするポケモンを飼っているそうです」

「なにそれ、可愛くないポケモン!」

「……でしょう?愛情を注いでも、返ってくるどころか恩を仇で返されて、彼女は手放したくはならないんでしょうかね」


口を尖らせて笑う彼女を見て、自嘲気味に言葉を返す。
てっきりペットへの愚痴が来るものと思っていたが、予想に反してしおらしい反応が帰ってきた。


「そうだね……でも、そのひとの気持ち、私はわかるなぁ」

「というと?」

「愛情ってね、返す返さないっていう話じゃないの。そりゃあ、甘えられたら嬉しいけどそういうんじゃなくて……」


難しいなぁなんて苦笑いを浮かべ、首を捻りながら彼女は続けた。


「私が欲しいって思ってゲットしたんだもの。なにか返してもらわなくっていい。ただ元気でいてくれるだけでいいんだ。きっとそのひとも同じなんじゃないかな」

「……なんだ、やっぱりペットなんじゃないですか」


しおらしい彼女の反応にほだされそうになる心を隠しながら皮肉を返す。ペットではなく恋人だと、思い出したように反論する彼女を見て、彼女に悟られぬようではあるが、そっと安堵した。
空気が変わったのを感じた。先程の話題などすっかり流れた様子の彼女が、頬杖を付きながら尋ねてきた。


「ねえ、おにいさんってアイシャドウ入れてるの?それもピンク」

「……変ですか?」

「どうして?おにいさんの緑色の目に合っててとっても素敵って話をしてるだけよ」


氷を残すのみとなったグラスをマドラーでかき混ぜながら、彼女は続けた。


「なんだかうちの子思い出しちゃうな。マニキュアもね、あの子の毛並みと同じだなって思って買ったの。おにいさんと同じ、バイオレットカラーの綺麗な色」


わたしに紫なんて似合わないんだけどねなんてぼやきながら、彼女が目を伏せる。その瞳から涙が溢れそうになったのを見て、彼女が持っていたグラスを咄嗟に奪った。涙は溢れることはなくなったが、その代わり、驚いた彼女の目がこちらを移した。


「……飲みすぎですよ。そろそろ終いにしましょう」


平然を装いながら、傍らに用意しておいた水を渡す。
こちらの意図をどこまで知っているのか、彼女ははぁいと素直に返事をした。受け取った水をすっかり飲み干すと、彼女は力が抜けたようにその場に突っ伏してしまった。


「眠られるなら家に帰ってからがいいですよ」

「んん、5分だけ……」

「そう言ってこの間も閉店まで寝てたじゃないですか。いい加減、チョロネコも呆れますよ」

「はぁい……あれ?おにいさん。なんでわたしの飼ってるポケモンがチョロネコだって知ってるの……?」


眠ってしまった彼女に上着を掛けてやる。空いたグラスを下げ、ひとの獲物を狙う雄狐どもに目で釘を刺すまでが最近の日課になってしまった。


「知ってますよ。なんたって、僕は貴女の“恋人”なんですから」


彼女は自分の手持ちであるチョロネコを愛している。ポケモンであるチョロネコを恋人だと豪語するほどに。しかし、僕は知っている。その愛がどこまでいっても愛玩対象へのそれであることを知っている。
彼女は知らない。
他人に愛想を振りまくのは彼女の目があってこそということを。
彼女は知らない。
この恋心の存在を。


「       」


周囲に見せつけるように、僕は彼女の頬にキスを落とした。


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