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生活資金が底をつきそうだと気づいたのは二週間ほど前である。
これまではクロウリー学園長先生の恩恵を受けていたが、流石にそればかりに甘えすぎるのは気が引けるのでモストロ・ラウンジでアルバイトを始めた。
アズール先輩に頭を下げて頼み込むと快く了承してくれたのでほっとした。
仕事は主に接客業や閉店後の清掃と現世に行っていたアルバイトの内容と何ら変わりない。慣れてきたらお手の物だ。
仕事が楽しくなってきたそんなある日、アズール先輩が追加の仕事を伝えてきた。驚いたのはその内容である。

「リーチ兄弟のお世話、ですか?」

思わず聞き返すと、アズール先輩は「そうです」と頷く。
詳細はこうだ。リーチ兄弟が陸で生活するために服用している薬の効果が薄れてきているのだという。本来の姿と異なる形での陸の生活は過酷らしく、体にも大きな負担がかかるのだそう。
そのためアズール先輩が魔法で薬の調合をして新たに人間に化ける薬を開発するらしいのだが、慎重な作業のため手順を誤ると変化の薬はたちまち劇薬に変わってしまう。

その作業に集中したいため人魚本来の姿になったリーチ兄弟の様子を見てほしい、というのが仕事内容だった。
時間は一時間ほど。「残業代は弾みますよ」と言ってマドルをちらつかせるアズール先輩の顔がいやらしいこと。
守銭奴のアズール先輩にしては大胆な行動だなと思った。
それでも臨時給料は喉から手が出るほど欲しいので、私の答えはひとつしかなかった。

****

閉店後のモストロ・ラウンジ。
スタッフオンリーの部屋のそのまた奥の空間には、特注の巨大な水槽がある。
そこで先輩たちは本来の姿に戻って生き生きと泳いでいた。特に変化はなさそうだ。
いつも通りのウツボ兄弟の様子を見つつ、今日のまかないを口に運ぶ。

「それで小エビちゃん引き受けたんだ」

フロイド先輩が水槽のふちにもたれて話しかけてきた。
まかないのたらこスパゲッティを頬張っていた私は口をもごもごさせながら頷く。
これも全てはお金のため。とは言わず、スパゲッティをのみこんでから「快く先輩方のお世話係を引き受けました」と告げた。
自慢じゃないが外面はいいのでいい後輩を演じて見せてる。二人に通用してるのかは不明だけど。

「それ俺が作ったんだよ」
「え、まじすか」
「嘘はいけませんよフロイド」
「嘘なんかーい」

今度はジェイド先輩が現れて、思わず出たツッコミに、フロイド先輩が「小エビちゃんうぜぇ〜」とケラケラ笑う。
光沢のある薄い青色の肌に太い尾びれ。手にはしっかりと水かきもついてる。
こうして見ると先輩たちは本当に人魚なんだと改めて実感した。
学園生活の中ですっかり馴染んでいる彼らが海の生物という概念は薄れていた。
水のない乾ききった陸地で息をするのは辛くないのか。苦しくはないのか。
私だったらきっと帰りたくてたまらなくなる。

「小エビちゃん、おれはらへった〜」
「私もです」

後輩の心配をよそに二人はいつもと変わらぬ態度で接してくる。
きっと大丈夫だと根拠のない確信を抱き、大きな尾びれをばたつかせ、フロイド先輩が食事の催促をすので、カトラリーを置いてバケツに入った本日のディナーを見せる。
すると二人の表情は見る見るうちに曇っていった。

「また魚かよ。たこ焼きねぇの?」
「私もきのこの冷静スープを所望します」
「贅沢言わんでください」

薬の開発にも大金が使われるので食事は節約とアズール先輩から口酸っぱく言われている。
私も臨時収入を頂かなければならないのできっちりと言いつけを守っている。
しかし人間界の生活で先輩方の舌はすっかり肥えてしまったらしく、本来の食事も嫌々口にしている様子。
そう言えばウツボはタコが好物だっけか。アズール先輩の足を一切れ頂けないかしら。

「小エビちゃん、今すげぇイケナイコト考えてたでしょ」
「え、顔に出てました?」
「バレバレだっつぅの」
「フロイドの言う通りです」

この二人に隠し事はできないなとつくづく思った。
どんなに巧妙な嘘を取り繕ってもいとも簡単に見抜いてしまうのだから、へたなことはできない。
なんやかんや言いながらも魚をぺろりと平らげた先輩方は腹が膨れて満足したのか、悠々自適に水槽の中を泳ぎ始める。
私は食事の片付けを行いつつ二人の可憐な泳ぎをぼんやり眺めていた。本当に人魚が存在する世界に来るなんて夢にも思っていなかった。
貴重な人生の一ページだ。なんて思っていたらあっという間に勤務終了の時間。
食器を片付けながら帰り支度をしていると水槽越しにフロイド先輩が話しかけてくる。

「もう帰っちゃうの?もっと居ろよ」
「私、明日も早いんです」
「つまんねぇのぉ」
「また明日会えますよ」

自分らしくない言葉だった。なぜだろう、今日はいつもより素直に先輩たちと接したいと思った。
ゆらゆらと泳ぐ姿が儚くて、人魚姫の物語のように泡になって消えてしまいそうだと思ってしまっただろうか。
寮に帰るのが少し名残惜しくなってきた。

「泣いているのですか?」

相変わらずジェイド先輩は目ざとい。いつの間にか目頭に浮かんだ涙の粒をジェイド先輩の指が拭った。「あくびです」と咄嗟に吐いた嘘も先輩たちにはお見通しだ。証拠にクスクスと笑っている。

「なぁに、寂しくなっちゃった?」
「意外と可愛いところがあるんですね」
「いっつも一言余計なんですよね」

悔しいのでべっと舌を突き出してやった。
そんな私の幼稚な負け惜しみも先輩たちは甘受してくれるから、なんやかんやで私は先輩方が好きである。

「また明日ねぇ」
「お待ちしてますよ、監督生さん」


また明日、この場所で一緒に息をする。

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